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月齢進行表

~aki's diary~

キャリアカウンセラー

2012-09-23 14:04:02 | 言葉

私の名刺の肩書きは「キャリアカウンセラー」です。
私がこの仕事に就いた頃は「キャリアカウンセラー」という名称でしたが、ここ数年、厚生労働省から「キャリアコンサルタント」という名称で分類されている職業です。


昨日、キャリアカウンセラーの勉強会があって、立教大学大学院教授の渡辺美枝子先生が この名称変更の背景を説明してくださいました。
カウンセラーというのは深く心理的に関わるものであって、私たちはあくまでキャリアに関する情報提供とアドバイスによって支援する者であるから「コンサルタント」と呼ぶのだと。
渡辺先生は、このことに非常に違和感をお持ちだとのことでした。
「情報提供やアドバイスは、心理的に影響を与えていないのか?」
全く仰る通りです。


「事務職の求人倍率は0.3倍です」と情報提供した場合。
事務職にこだわりのない人は「ああ、事務は選ばない方がいいな」と思うでしょう。
どうしても事務職に就きたい人だったら「私は就職できないかもしれない」と、強く動揺するかもしれません。
動揺するかしないかの問題もあるけれど、情報提供によって人が何かを決断したり迷ったりすること全て、「心理的に影響がある」と言えるのでは?
相手の状況やパーソナリティをよく見極めた上で「何をどのように伝えるのか」を考えることは、この仕事の不可欠なことだと思うのですが。



日本語教師の養成講座で講師に言われたひとこと。
「類義語であっても、必ず1つ1つに何かしら違う『意味』がある。全く同じ意味や使われ方をする語ならば、2語存在する必要はないのだから。」
例えば「美しい」と「きれい」。
よく似た言葉だけれど、「美しい」の方が上品な感じがし、「きれい」はもう少しカジュアルな感じがする。
会話の中で「きれい」はよく使うけれど、「美しい」はあまり使わない。


日本語は、語の持つ意味以上に、語感(ニュアンス)が心理的に与える影響も大きい言語です。
誰かにお願いした作業の進捗を確認する時、「あとどれくらい?」と聞けば、進行度合いの事実を確認していることになるけれど、「まだ?」と聞くと、『私は待っているのよ』と 少し相手を責めるようなニュアンスを含んでしまう。



言葉を多用する生業である以上、こういうことを度外視して仕事をすることは出来ないと思うのです。


こういうことが 結構普段から気になるので この仕事が性に合ってるのか、こういう仕事をしているので気になるようになったのか、どっちが先だったか もう覚えていませんが、発話・文章ともに「言葉」を発することが多い私なので、それが相手に与える影響を気にせずにはいられないし、言葉に対するこだわりも持ち続けたいと思います。



私の名刺の肩書きは「キャリアカウンセラー」です。
「キャリアコンサルタント」という名称が一般的になっても、私の名刺の肩書きはずっと変わらないと思います。




今日はこれから、豊橋までライブを見に行って来ます。
朝からの雨は上がって、雲の間から青い空がチラリ。
帰ってくる頃には上弦の月が見えるかな。
次の満月まで、あと7日。


私の敵

2011-02-17 09:16:08 | 言葉

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし


初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄


自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ



詩人・茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」という詩。
彼女が自分自身を諌めるために書いた詩だとわかっていても、折に触れてこの詩には「はっ」とさせられます。


他人でも、時代でも、環境でもない。
あらゆるものの原因や答えは、自分の中にある。
だから、自分以外のものに解決策を求めたり、自分以外のものを責めたりする前に、まずは自分で出来ることを考えて実践する。
彼女の詩に出会う前から そう考えていた私ですが、「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という言葉のインパクトは強烈でした。


自分の敵は、自分。
目指すのは、今より少し上を行っている未来の自分のイメージ。


今日は、茨木のり子さんの命日。
明日は満月。


Feel and Think

2010-12-01 21:36:41 | 言葉

Don't think. Feel !(考えるな。感じろ!)
映画「燃えよ、ドラゴン」に出て来る、ブルース・リーの有名なセリフ。


このセリフが有名になったのをいいことに、「人は感じることが大切で、考えることは重要ではない」と解釈している人がいるのですが…。
私は違うと思います。


例えば、ピカソの絵をみて「この絵のどこがいいんだろう?」と思ったとします。
でも、世界的に有名が画家なのですから、その時に「これをいいと感じなければいけない」と思って、無理矢理「いい」と思い込む努力をすることは、間違っていると思います。


でも、ピカソをいいと思えない自分が、無名の画家の絵にどうしようもなく惹き付けられた時、「なぜこれをいいと感じるんだろう?」と考えることは必要だと思うのです。
なぜなら、そこには自分の趣味や嗜好、興味の方向などを知るためのヒントがたくさん隠れていて、それをきちんと理解することが「自分自身を理解すること」になるからです。



感じようと考えるのはナンセンス。
でも、感じたものが何であるかを考えるのは必要なこと。



イチロー選手は、自分のフォームをビデオでじっくり観察して、無意識のうちにやっている良い動きを発見すると、そのフォームを練習で繰り返しやってみるそうです。
当然、意識してやろうとすると動きにぎこちなさが出るものですが、それを繰り返して習慣にしてしまうことを「自分の無意識のレベルが上がる」と言っています。
知らずにやっていることは、テクニックとして使おうと思った時に取り出せない。
でも、なぜそれが良いのかを解った上で意識して身につけ、もう一度「無意識」にまで昇華したものは、確実にテクニックとして必要な時に取り出すことができる。
なるほど、と思える考え方です。



個人の持ちうる感性を超える言葉は、絶対にあり得ないと思います。
なので、感じたものが何であるかを説明しようとしても、永遠に説明しきれないだろうと思います。
でも、なんとか説明や表現をしようとすることで、無意識の中に潜んでいた「自分」の姿に気付くことができれば、きっと次は、もう一段深いところで感性が働くようになる。
人の感性って、そうやって磨かれるものじゃないのかなぁ、と思っています。


感じたら、考えろ。
私のモットーみたいなもんです。
なんで、こんな理屈っぽいblogを書いてるわけですけど。(笑)


あ、ワタクシ、ピカソは好きですよ、念のため。(笑)



いよいよ12月。
今月で今年も終わりだけど、今月は仕事も音楽も予定ぎっちりだから、まだまだ「終わり」の気分になれない私です。
次の新月まで、あと5日。


裏読み

2010-02-05 21:55:28 | 言葉

少し前の新聞のコラムに、作家の保坂和志さんが「書いてあることは裏読みしたり、比喩的に解釈せずに、真に受けろ。真に受けることで、自分の価値観・世界観が変わるのだ。」と書いていました。
なるほどなぁ、と思いました。


就職支援の仕事をしていると、いろんな人に出会います。
「自分が応募しようと思っている企業のことをきちんと調べて、その企業が求めているであろう人材像と自分自身の特徴がマッチしていると思える点を、志望動機や自己PRに盛り込んできちんと伝えましょう。」
という講義をしたら、
「先生、要するに企業にウケのいい話をすりゃいいってことですよね。」
と言った受講生さんがいらっしゃって、返答に困ったことがありました。
アタシ、そんなこと言ったつもりないんだけど??(苦笑)


人の言葉の裏を読んで解釈すると、そこには自分の価値観になぞらえた言葉しか出て来ません。だから、裏読みして自分の価値観だけで解釈している限り、自身の世界は広がらないということです。そもそも裏のない事に、自分で勝手に裏を作っている時点で、世界はキュゥゥゥ~っとちっちゃくなってるんですよね。
そのことに、保坂さんのコラムを読んで気がつきました。
なんでもかんでも好意的に受入れる必要はないと思うけど、世の中の事全てをナナメに解釈するのは、なんだかなぁ、と思います。
なんだか…、なんだか「貧しい」と思ってしまいます。


素直に言葉の意味を咀嚼するって、結構大事なことだと思います。
転職とか海外旅行とか、そんなイベントを起こさなくても、日常的に関わっている身近な人とコミュニケーションしながら、自分とベクトルの違う考えを受入れることで、自分の世界は少しずつ広がっていくのですから。


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今日のお昼、喫茶店でランチを食べて、レジでお勘定した時のこと。
「日替わりランチ¥700です。」と言われて、財布を出そうとごそごそ鞄の中を探っていたら、「はい。¥300のお返しです。」と、レジの女の子に100円硬貨3枚手渡されました。
呆気に取られながら「えっと、あの、私、まだお勘定を…」と言ったら、彼女は私の顔をまじっと見つめた後に、「あは、あははは! なんか、お客様は¥1000を出すものだって勝手に思ってて。すみませーんっ!」と大爆笑。
彼女のご期待に応えて、1000円札で払って来ました。(笑)
ま、こういう深読みは、ほのぼのしてて笑えますが…。
気ぃ付けんと、¥700のランチ売って¥1000損するでぇ!


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窓の外は、風で雪が斜め降り。
こたつのない我が家、ネコはストーブの前で丸くなってます。
次の新月まで、あと9日。


一緒に食べよう

2010-01-25 22:52:38 | 言葉

「プルコギ ~The 焼肉ムービー ~」という映画、昨秋TVでオンエアされたのを気紛れに録画していたのをすっかり忘れていて、今頃になってやっと見ました。
物語の最後の方、田村高廣演じる『韓老人』(伝説のコプチャン塩焼き名人)のセリフが素晴らしく良かったです。


仲良くなるにはのぅ、メシを食うのが一番ええんじゃ。
人はのぅ、初めて人と出会うて、
その人と友達になりたい、恋人になりたい、家族になりたい、
と思うたら、まず一緒にメシを食うんじゃ。
何べんも何べんも食うとったら、その人と必ず友達になって、
恋人になって、やがては家族になれる。
何を食べるかは、そげん大事やない。
誰と食うか、何べん食ったか、
それでな、愛情やら思いやりがわかる。


事情があって家族と離ればなれになってしまった在日コリアンの主人公を引き取った韓老人が、自分の孫と一緒に食事をする主人公に語りかけるシーンのセリフ。
その後には、こう続きます。


オマエが生き別れた兄にもう一度会うことがあったら、
そん時は一緒にメシを食え。ただ、それだけでエエ。

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巻き戻して、同じところを2~3回繰り返してみました。
「あぁ、だから好きな人と一緒にごはんを食べたいって思うんだなぁ。」と納得したり、
何を食べたかを覚えている時って、誰と一緒だったかっていう記憶とワンセットだなぁと思ったり、
”一緒に食事をすることで家族になる”という言葉に泣きそうになってしまったり。(「家族で食事」というシチュエーションに関しては、あまりいい思い出がないもので…)

ごくごく当たり前のことを言っているだけなのかもしれないけれど、当たり前のことが実はとても素敵なことで、大切にしたいと思う人と一緒にごはんを食べたいと思うことはとても自然なことで、自然なことだからこそ深い意味を持っているんだなぁ…、と、そんなことを思うセリフでした。


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それにしても、そうそうたる顔ぶれの映画でした。
主演が松田龍平。共演者は山田優、田村高廣(この映画が遺作にあたります)、ARATA、桃井かおり、田口トモロヲ、ムッシュかまやつ、リリー・フランキー、津川雅彦、倍賞美津子、服部幸應、竹内力 and so on...
これだけのキャスティングで、なんでこんなにパッとしない映画になっちゃったんだろう。(笑)
が、随所に出てくる”肉を焼くシーン”は、私の中の「肉食モード」を刺激しまくりです。
何を食べるかより誰と食べるかが重要なのですが、今は焼肉(というか、美味しい塩ホルモン)最優先! という気分です。ww

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ベランダから空を見上げたら、十一日夜の月と、控えめに光る星とが見えたのに、頰には微かに雨。
満月まで、あと5日。