今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 - )
の随筆「 村上朝日堂 はいほー! 」( 新潮文庫 )
の中から抜き書き 。備忘のため 。
これらの文章が入っている小文のタイトルは 、
「 ON BEING FAMOUS( 有名であることについて )」。
引用はじめ 。
「 有名人であるのがどういうことかというのは 、
これは有名人になってみなくてはわからない 。
そして有名人にもいろんな種類があり 、いろ
んな側面がある 。でもひとくちで言うなら 、
有名人になるというのは 、自己を取り囲む好
意と悪意の総量を両方向に飛躍的に増大させる
ことなのだ 。誰にも( おそらく )まわりに
何人かは自分のことを好いてくれる友達のよう
な人々がいるだろう 。そしてそれと同時にあ
まり好いてはいない人々も何人かはいるだろう 。
でも誰が自分を好いていて 、誰が自分を好い
ていないか 、大体のところは把握できる 。そ
れは把握可能な範囲の世界なのである 。『 松
下と本田とはうまくやれるけれど 、鈴木とは
まず駄目だろうな 、あいつとは相性悪いから 』
という具合に 。それが普通の人の生活だ 。と
ころが人は一度有名になると 、まったく把握不
能な世界から把握不能な種類の好意や悪意を受
けることになる 。あるときには無意味に罵倒
され 、あるときには無意味にちやほやされる 。
一度も会ったことがなく 、一度も関わったこ
とがなく 、名前さえ知らない相手から 。
そういう人生が好きな人は有名人に向いている 。
好きじゃない人は ・・・ あきらめるしかない 。」
「 僕は僕自身のやり方でそれに対処している 。
僕は原則的に村上春樹という作家と 、村上春
樹という個人を完全に二つに分けて物事を考え
ることにしている 。つまり僕にとって作家・
村上春樹はひとつの仮説である 。仮説は僕の
なかにあるが 、僕自身ではない 。僕はそう考
えている 。そういう風に考えておけばあまり
傷もつかないし 、頭がおかしくなることもな
い 。僕・村上春樹は把握可能な小さなサーク
ルの中で暮らしているし 、作家・村上春樹は
把握不能な大きなサークルの中で暮らしている 。
僕が机の前に座るときその両者はかさなりあい 、
机の前を離れると 、その両者はそれぞれの属
する世界に戻っていく 。それぞれのささやか
なエゴを抱えて 。」
「 でもそういう風にきちんとリアルでクールに
考えていても 、それでもやはり有名性( fame )
は僕をときどきひどく不思議で物哀しい場所に
運んでいく 。それは閉鎖された遊園地のよう
な場所だ 。がらんとして人影もなく 、古いポ
スターが風にぱたぱたとはためいている 。ペ
ンキは剥げ落ち 、鉄柵には錆が浮いている 。
ここはどこなんだ? と僕は考える 。なんで俺
がこんなところにいるんだ 、と 。でも僕はそ
こにいる 。入口も出口もわからないその閉鎖さ
れた古い遊園地に 。 」
引用おわり 。
ひとの人生は様々である 。同じ小文の中で 、作家・
村上春樹 さんは 、次のように語っている 。
「 考えてみれば 、子供の頃からあまり目立つ
存在ではなかった 。成績だって目立って良く
はなかったし 、運動の方もあまりぱっとしな
かった 。リーダーの器でもなかった 。社会
的順応力にも問題があった 。人前に出ると混
乱してうまく喋れなかったし 、ひとりで隅の
ほうで本を読んでいるのが好きだった 。要す
るにごく平凡に生きているごく普通の子供だ
った 。目立ちたいとも思わなかった 。先生
に目をかけられるというタイプの子供でもな
かった 。小学校を出て 、中学校を出て 、高
校を出て 、大学を出るまでそれが続いた 。
みんな僕をごく普通の少年であり 、ごく普通
の青年であると考えていた 。僕自身そう考え
ていた 。そうとしか考えられなかった 。だ
って自分が普通ではないと考える根拠なんて
何もなかったのだ 。」
「 それとは逆に自分が有名であることに馴れた
人々がいる 。彼らは子供のときから既に有名
であることに馴れている 。頭が良(い)い 、
家柄が良い 、顔が良い 、スポーツに優れて
いる 、ピアノがうまく弾ける 、作文がうま
い 、人望がある 。学校中の誰もが彼 ( 彼女 )
の名前を知っている 。『 あいつなんて名前
だっけ ・・・ えーと 』なんて言われること
はまずない 。彼らの背後には生まれつきのオ
ーラのような淡いほんのりとした光が漂って
いる 。」
「 そして一目見れば彼らが有名な存在として存
在していることがわかる 。近所の人々は彼ら
のことを褒め 、クラスメートは彼らに憧れ 、
教師は彼らに一目置く 。世の中にはそういう
子供たちがいる 。僕もそういうタイプの子供
たち ―― かつての子供たち ―― を何人か
知っている 。一ダースくらい 。彼らのうち
のだいたい半分くらいは今でもオーラを有し
ている 。うまくそれを使っているものもいる
し 、あまりうまく使えていないものもいる 。
でもそんな程度の差こそあれ 、彼らは未だに
オーラを抱えている 。でもあとの半分くらい
はもうオーラを失ってしまっている 。人生の
過程のどこかでそれは消えてしまったのだ 。
どういう加減でそういうのが消えたり残った
りするのか僕にはよくわからないけれど とに
かく消えてしまったのだ 。」
「 自慢するわけでもないし 、卑下するわけで
もないけれど 、僕にはとにかくそういうもの
はなかった 。くりかえすようだけれど 、僕
は本当に平凡で無名の子供だったのだ 。何か
で一番になったこともなければ 、表彰された
こともない 。 」
「 でも二十九の歳に僕は小説を書いて 、それ
以来なんのかんのと十年近く小説家として生
活している 。まあのんびり生活できるくらい
には本も売れているし 、その結果ある種の有
名人にはなった 。」
人生いろいろ 、多くのひとは in-between 、ごく普通で 、
地味で 、平凡で 、無名で 。