「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・06・20

2005-06-20 05:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「お察しの通り、私は人類を万物の霊長だと見てない。他の生きものと同等に見て、次第に他より劣った存在だと知るにいたった。どこが劣っているかここでは書き尽せないが、何よりそれは美しくない。
 一匹の虎は、檻にとらわれていてさえ美である。いつまでながめて飽きることがない。一挙手一投足は柔軟で、優美で、息づいているだけで美しい。それは鑑賞にたえる。
 ところが人類は、私が同類としての贔屓目で見ても、美しくない。男の裸体の如きは見るにたえない。他のいかなる哺乳類のそれに及ばない。
 わずかに女の裸体は美だと、なが年言いはるものがあるが、色情をもって見るからそう見えるだけである。虎は色情を去って見ても美しいが、人類の女は美しくない
 私は犬になってそれを知った。犬はまる裸の女を見ても発情しない。かねてなじみの人類だから、何かえさでもくれるかと尾をふるのみである。
 私は人間より犬や虎――さらにさかのぼって蟻や蜂に親しみと敬意を持っている。けれども、彼らもまた生きものである。生きものなら、人間に似た弱点を持つ。
 弱点の随一は移動することである。蟻や蜂はせっせと移動する。移動すればろくなことはない。他の集団と遭遇して、争うこともあろう。
 諸悪は移動することから生じる。ことに人は、自動車で、飛行機で、移動する時間を短縮すること狂気のようで、短縮したことを自慢しているが、むろんあれは憂うべきことで、自慢すべきことではない。
 小国寡民――と、少年のとき私は読んだ。国は小さく、人は寡いがいいという説である。その国では舟があっても乗る人がない。甲冑があっても着る人がない。鶏や犬の声が聞えるほどの近所にも行く人がない。
 隣国相望み、鶏犬の声相聞え、民老死に至るまで相往来せずと読んで、私は肝に銘じた。いまだに銘じて、近ごろホモモーベンスと称して、人は移動する生きものだとそそのかすものがあるのを苦々しく思っている。食べものがあるかぎり、人は動かないほうがいいと信じている。
 動かぬものの極は植物か。生きもののなかで、植物は自分から出張しない。なん年でも、なん百年でもじっと突ったっている。移動して争うということがない。
 だから、私は植物を最も尊敬している。それにあやかって、ときどき一本の木になる。街道に立つ木になって、はるかにながめると、人や車が通りすぎる。」

 「『変身』という名高い小説がある。ある朝めざめたら、わが身が巨大な虫になっていたという怪しい物語である。
 むしろ私は、人に生れ、人に終始する人間たちに、蟻に蜂に木に草になれとすすめたい。すすめて甲斐ないと知りながら、せめて、たまには犬になってみてごらんとすすめたい。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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2005・06・19

2005-06-19 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私はときどき外国人になる。外国人になると、わが国のことが、かえってよく分るからである。
 日本に生れて、日本人であることに没頭していると、我を忘れて分らないことがある。」

 「何度もいうが、わが国に新聞は一つしかないのである。今の言葉で言えば、体制べったりの新聞しかないと、外国人なら、十ぱひとからげに評するだろう。
 進歩的なふりをしても、結局は保守的だと、外国人になったものの目には見える。六十年安保では、新聞は反政府的な論陣を張った。当時の全学連やその教師たちの味方をして、岸を倒せ、殺せと書いた。
 正しくは、殺せという声が、デモの渦中からしきりにおこったと報じただけだというだろうが、読者には殺せと言ったのは渦中の人物か、新聞自身かさだかでない。
 そこが新聞のつけ目である。けれどもあんまりたきつけて、瓢箪から駒が出て、本当に殺されては本意ではないから、どたんばで『暴力を排し、議会主義を守れ』と、連名で声明を出した。
 出したら、さしもの大騒ぎも、うそのようにおさまった。この豹変ぶりに、ラジオ、テレビが激怒して、新聞との間に、はげしい応酬があったと聞かないから、ラジオ、テレビも一つ穴のムジナだと分る。
 Aという新聞が高校野球に熱心で、Bという新聞がプロ野球に熱心なのは、野球好きには新聞の相違に見えても、それは真の相違ではない・新聞の新聞たるところでは同じなのだから、わが国にジャーナリズムは一つしかないのである。
 一つしかないから、世論の操縦は自在である。殺せといえばその気になるし、殺すなといえばその気になって、しかも、さし図されてその気になったのではないと、思わせることまで可能なのである。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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2005・06・18

2005-06-18 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「テレビ育ちの少年が、大人になりつつある。彼らはそれがなかったころを、もう察することができない。大げさに言えば、ほとんど想像を絶する。テレビがなくて、どうして毎日を過していたのだろう。さぞ退屈だったことだろうと、怪しんだり、あわれんだりする。
 聞いて私は驚いたが、べつに驚くに当らぬと気がついた。
 大人たちは電灯の下で生れ、育っている。だから、行灯の明るさ、または暗さを知らない。百年前の人は、夜をどうして過していたのだろう。さぞ暗かったことだろうと、怪しんだり、あわれんだりしている。
 十年前を察することができない者は、百年前を察することができない。千年前を、万年前を察することができない。
 あの少年とこの大人は、全く同一の人物である。実の親子より、親子である。
 いったい我々人間は、自分で思うほど想像力を持たないものである。類推力さえ持たないものである。
 電気がつかなかったのは、自分の家だけではなかった。どこの家にもつかなかった。何のこともありはしない。
 日本の夜は、暗かったのである。そのかわり、月は明るかったのである。
 いくら月が明るくても、ネオンサインには及ぶまい。ために月は光を失ったではないかと、ありがたがるなら、毎日を感謝で過すがいい。
 ありがたいという言葉は、まだ残ってはいるけれど、実物は滅びた。あるのはすさんだ心ばかりである。出るのは不平不満ばかりである。誰のせいでもない。文明のせいである。私はネオンはもとより、電灯も自動車もいらない。テレビもラジオも無用だと書いたことがある。
 これら文明の利器は、人間の内奥の福祉とは、本来無縁だと言ったのである。かりに電灯は行灯の十倍明るいとすれば、今人は古人より十倍倖せかと問うと、たいていの人はいやな顔する。
 テレビまでは分るが、行灯じゃあんまりだと言いたいのだろう。けれども、テレビも電気も同じ料簡――科学から生れたものなら、片っぽを否定して片っぽを肯定することはできない。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
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文明人・未開人・野蛮人 2005・06・17

2005-06-17 05:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は人類を、文明の七つ道具を作る専門家と、それで身をかためた大衆に分けた。そして大衆は昔ながらの野蛮人だと言った。それなら専門家は文明人かというと、やっぱり野蛮人なのである。
 今は分業の時代である。エンジンの専門家は、テレビにかけては素人である。テレビの専門家は、反対に自動車にかけては、素人である。エンジンのことならよく知っても、ほかのことなら芋の煮えたのもご存じない。話して互にちんぷんかんぷんである。算術の大家は、法律にかけては赤子も同然である。
 知らなくてよいと言う。各界にそれぞれに詳しい専門家がいて、必要に応じて彼らを招集すれば、それで足りると言う。彼らの知恵を、まとめて動かすプロデューサーのごときがいればいいのである。
 誰がそのプロデューサーか知らないが、世界はある方角にむかって進みつつある。その一つが時空を絶する方角である。」

 「私は原水爆を作る知恵――科学技術は、カーを、クーラーを、その他を作る知恵のてっぺんにいる知恵だと言ったことがある。その末端にあるカーをクーラーをテレビを享楽して、てっぺんの原爆だけ許すまじと歌っても、そうは問屋がおろさぬと言ったことがある。
 時空を絶する知恵は、言うまでもなく右の仲間である。仲間でありながら、分業が極に達して、互にちんぷんかんぷんなだけのことである。
 そして、カーを操縦するものが野蛮人なら、原水爆を保管するものも同じ人であることをまぬかれない。操縦するものは作ったものと別人で、その別人の根底を動かすのは、昔ながらの、未開人のわがまま勝手と、嫉妬心と、恐怖心とである。あるいは他をしのごうとする欲心である。」

   (山本夏彦著「変痴気論」中公文庫 所収)
 
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2005・06・16

2005-06-16 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「うろおぼえで恐縮だが、『税金ドロボウにも言わせてくれ』という訴えを読んだことがある。自衛隊員の細君の投書だったと記憶する。自衛隊の評判がたいそう悪かったころ、基地だからつい油断して、制服のまま映画館にはいったところ、隣席の若者がつと立って『税金ドロボウ』と言って他の席に移ったという。」

 「自衛隊が違憲か合憲かというなら、それは違憲にきまっている。けれども憲法は実状にあわなくなれば、いつでも改めることができる。中国もアメリカも何度も改めていることはご存じの通りである。」

 「言うまでもなく自衛隊は軍隊である。それは海上自衛隊が最もよく知る。海上自衛隊が招かれて正式に外国を訪問すると、その国は海軍として迎える。相応の『礼』をもって歓迎するから、はじめて海外へ出た者は、自分が海軍軍人であることを知って驚愕する。」

 「けれどもその旅を終えてわが国へ帰れば、もとのもくあみである。自衛隊は権力の犬であり、税金ドロボウである。」

 「大正のむかし『軍縮』ということがやかましく言われ、すこしばかり軍備縮小したことがある。そのころ軍人は肩身のせまい思いをした。外出するときは軍服を背広に着かえたという。軍人たちは当時のことを深く根にもって、昭和になってその恨みをはらしたという。
 いま少壮の自衛隊員は、そのころとは比べものにならない辱しめをうけている。税金ドロボウと言った若者は、隊員が『何をっ』ととびかかってこないのを承知で言っている。映画館の暗がりをいいことにして、それでもこわいものだから、立って席を移っている。
 このドロボウ呼ばわりした者も、暮夜石を投げた者も、共に世間の風潮に雷同しただけだから、今は自分のしたことは忘れているが、されたほうは忘れない。
 完全武装した一大集団を、故なく凌辱するとどうなるか、私たちはそれしきの想像力も持たない存在である。軍縮時代の経験は経験になっていない。人はついに『経験』というものをしないのではないかと、時々私は思うことがある。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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2005・06・15

2005-06-15 05:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「私は芸術家に人格者を求めるのは間違いだと思っている。芸術家と人格者は両立しない。
 島崎藤村を修身の権化のように思っている人があるが、彼は実の姪と通じて子を生ませている。太宰治は芥川賞を下さい、拝みます、頼みます、一生恩にきますと半狂乱になって八方へ手紙を書いている。山田五十鈴は何人の男をもったか知れない。けれども文士として女優としてすぐれていれば、そんなこと客はとがめない。いくら人格者でも芸能人としてダメなら、客は洟もひっかけない。
 テレビが役者にモラルを求め、罰として退場させるのは笑止である。十年前ポルノがはじめてあらわれたとき、映画界(またテレビ界)はいきりたって怒ること、勝新太郎に怒るがごとくだった。一度でもポルノに出た女優は使わなかった。
 それが今は使っている。ばかりか自分たちのドラマにも、必然性のないベッドシーンを挿入している。もしそれをとがめられたら、ベッドシーンのどこが悪いと息まく。それなら何年もたたないうちに、マリファナのどこが悪いと息まくだろう。
 怒るなら一貫してずーっと怒ってくれ。偽善なら偽善でいい。末ながく同じ偽善者であってくれ。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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2005・06・14

2005-06-14 05:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「一つ二つ三つ四つ五つまでしか勘定ができない土人が、南方にはまだいるそうである。五つ以上はすべて『たくさん』と言って、その一語で用が足りるのだそうである。」

 「何年か前、総理大臣のボーナスが二百八十万円ぐらいだったころ、佐藤(栄作)さん、それをぽんと寄付なさってはどうですかと書いた男名前の投書を見た。私はこの男は二百八十万がどのくらいだか知らないのだなと思った。とにかく『たくさん』だと思って焼きもちをやいているのだなと思った。
 哺乳動物の多くは自分の目で見て、鼻でかいで、手足でさわれるものの存在しか分らない。人もまたその同類だから五官に感じられるものしか分らない。
 十万円もらっている少女は、千万円は分らない。二十万円もらっている男は、分っているつもりだが、なに一億または一兆円は分らないのだから、五十歩百歩である。ところが千、万、億、兆あといくらでも分る男がいる。ほんのひとにぎりだがいる。その男たちが世界を今日あらしめたのである。
 それにもかかわらず、あるいはその故に、私は五つまたは十以上ならたくさんと片づける国と人を、未開だの野蛮だのと思わないのである。私とまったく同じ仲間だと思うのである。そしてたぶん本当の『平和』は彼らの上にあって、我らの上にないと思うのである。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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江亭 2005・06・13

2005-06-13 05:20:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、昨日に続いて、盛唐の詩人杜甫(712-770)の「江亭」と題した詩一篇。

  原詩、読み下し文、現代語訳は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「わたしの唐詩選」(文春文庫)からの引用です。

  江亭          江亭    杜甫

   担腹江亭暖       担腹(たんぷく)す江亭(こうてい)の暖かなるに
   長吟野望時       長吟 野望の時
   水流不心競       水流れて心は競わず
   雲在意倶遲       雲在って意は倶に遅し
   寂寂春將晩       寂々(せきせき)として春将に晩(く)れんとし
   欣欣物自私       欣々として物自ら私(わたくし)す
   故林歸未得       故林 帰ること未だ得ず
   排悶強裁詩       悶を排して強いて詩を裁す


 (現代語訳)

   うらうらと陽光のあたる所にねそべっていても誰に気兼ねすることなく、詩を口ずさみながら野の景色を眺めている。

川は春のこととて水量ゆたかに流れてゆくが、流れは速くとも心はゆったりし、空にじっとたたずんでいる雲と同じよ

うに、わが思いもゆったりだ。
 
  そしてこの平和な春景色の中で、春は寂寂として晩春に移行しようとしている。物、地上にある生きものはみな欣々

とよろこんでみずからの営みにはげんでいる。自然の秩序に狂いはなく、物みな大きな宇宙の調和の中にあって、自

  足している。ただわたしはまだ帰るべき故山に帰れないでおり、そのことがときに心に影を投げるが、そういうとき

  は心のもやもやを払うために気をひき立てて詩を作る。詩作がわたしの唯一の自己救済行為だ。
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江村 2005・06・12

2005-06-12 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、盛唐の詩人杜甫(712-770)の「江村」と題した詩一篇。原詩、読み下し文、現代語訳ともに、中野孝次さん(1925-2004)の著書「わたしの唐詩選」(文春文庫)からの引用です。

 江村            江村(こうそん)    杜甫

  清江一曲抱村流       清江一曲 村を抱いて流る
  長夏江村事事幽       長夏 江村 事々幽なり
  自去自來梁上燕       自ら去り 自ら来る 梁上の燕
  相親相近水中鷗       相親み 相近づく 水中の鷗
  老妻畫紙爲棊局       老妻は紙に画いて棋局を為(つく)り
  稚子敲針作釣鈎       稚子は針を敲いて釣鈎を作る
  多病所須唯藥物       多病 須(ま)つ所は唯薬物のみ
  微軀此外更何求       微軀 此の外に更に何をか求めん

 (現代語訳)
  ここの川は中国の川にしては珍しく澄んでいて、それが大きく一曲りして村を抱くようにして流れてゆく。長い夏の日、この川辺の村は何も彼もすべてがひっそりと落着いていて、安禄山の乱だの、史思明の乱だのの絶えぬ外の戦乱の世を偲ばせるものなどない。梁の上の燕は、すいすいと自由に出たり入ったりしている。水の中の鷗ははわれわれを恐れもせず人に親しんで近寄ってくる。老いた妻は紙に線を引いて間に合わせの碁盤をつくり、子供らは針を叩いて曲げて釣針にしている。貧しい暮しはつづくが、ここには平和がある。禄米を送ってくれる旧友もいる。自分はもう立身出世して経綸を世に行おうという野心は棄てた。今は病をいくつもかかえた田園の隠士にすぎず、この微々たる身に平和で落着いた生活のほかに何の願うところがあろう。せいぜい薬が途切れないで貰いたい、と願うくらいのものだ。
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2005・06・11

2005-06-11 05:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ついこの間まで、どんな席へ出ても、私はいちばん若かった。それがある日、気がついたらいちばん年かさになっていた。
 男女を問わず、中年から老年にさしかかると、だれしもこの思いをする。そして自分と同時代の男女を注目するようになる。
 俗に、子供は子供を見るという。三歳の童児は三歳の童児を見て、二十歳の青年を見ない。二十歳の男は二十歳の女を見て、十五歳の少女を見ない。
 かくて、少年は少年を、中年は中年を、七十の老婆は七十の老婆を見て、足腰はたっしゃらしいが、暮らしむきはどうか。歯はまっ白でそろいすぎている。入れ歯だろうとまで観察するのである。
 老女が老女の品定めをするのを、若者は笑うが浅はかである。犬が犬を見るように、ひとはひとを見るのである。
 その目で見ると、すでに老年にはいった男女が、若く見せようとするのは未練である。年をとったらとりましたと、それらしくしたほうが自然である。もしまだ若々しければ、そのほうが引きたつ。」

 「老人は老人であると、一見してわかったほうが有利ではないか。自然であり、文明ではないかと私は思っている。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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