今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「ついこの間まで、どんな席へ出ても、私はいちばん若かった。それがある日、気がついたらいちばん年かさになっていた。
男女を問わず、中年から老年にさしかかると、だれしもこの思いをする。そして自分と同時代の男女を注目するようになる。
俗に、子供は子供を見るという。三歳の童児は三歳の童児を見て、二十歳の青年を見ない。二十歳の男は二十歳の女を見て、十五歳の少女を見ない。
かくて、少年は少年を、中年は中年を、七十の老婆は七十の老婆を見て、足腰はたっしゃらしいが、暮らしむきはどうか。歯はまっ白でそろいすぎている。入れ歯だろうとまで観察するのである。
老女が老女の品定めをするのを、若者は笑うが浅はかである。犬が犬を見るように、ひとはひとを見るのである。
その目で見ると、すでに老年にはいった男女が、若く見せようとするのは未練である。年をとったらとりましたと、それらしくしたほうが自然である。もしまだ若々しければ、そのほうが引きたつ。」
「老人は老人であると、一見してわかったほうが有利ではないか。自然であり、文明ではないかと私は思っている。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
「ついこの間まで、どんな席へ出ても、私はいちばん若かった。それがある日、気がついたらいちばん年かさになっていた。
男女を問わず、中年から老年にさしかかると、だれしもこの思いをする。そして自分と同時代の男女を注目するようになる。
俗に、子供は子供を見るという。三歳の童児は三歳の童児を見て、二十歳の青年を見ない。二十歳の男は二十歳の女を見て、十五歳の少女を見ない。
かくて、少年は少年を、中年は中年を、七十の老婆は七十の老婆を見て、足腰はたっしゃらしいが、暮らしむきはどうか。歯はまっ白でそろいすぎている。入れ歯だろうとまで観察するのである。
老女が老女の品定めをするのを、若者は笑うが浅はかである。犬が犬を見るように、ひとはひとを見るのである。
その目で見ると、すでに老年にはいった男女が、若く見せようとするのは未練である。年をとったらとりましたと、それらしくしたほうが自然である。もしまだ若々しければ、そのほうが引きたつ。」
「老人は老人であると、一見してわかったほうが有利ではないか。自然であり、文明ではないかと私は思っている。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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