「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

江村 2005・06・12

2005-06-12 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、盛唐の詩人杜甫(712-770)の「江村」と題した詩一篇。原詩、読み下し文、現代語訳ともに、中野孝次さん(1925-2004)の著書「わたしの唐詩選」(文春文庫)からの引用です。

 江村            江村(こうそん)    杜甫

  清江一曲抱村流       清江一曲 村を抱いて流る
  長夏江村事事幽       長夏 江村 事々幽なり
  自去自來梁上燕       自ら去り 自ら来る 梁上の燕
  相親相近水中鷗       相親み 相近づく 水中の鷗
  老妻畫紙爲棊局       老妻は紙に画いて棋局を為(つく)り
  稚子敲針作釣鈎       稚子は針を敲いて釣鈎を作る
  多病所須唯藥物       多病 須(ま)つ所は唯薬物のみ
  微軀此外更何求       微軀 此の外に更に何をか求めん

 (現代語訳)
  ここの川は中国の川にしては珍しく澄んでいて、それが大きく一曲りして村を抱くようにして流れてゆく。長い夏の日、この川辺の村は何も彼もすべてがひっそりと落着いていて、安禄山の乱だの、史思明の乱だのの絶えぬ外の戦乱の世を偲ばせるものなどない。梁の上の燕は、すいすいと自由に出たり入ったりしている。水の中の鷗ははわれわれを恐れもせず人に親しんで近寄ってくる。老いた妻は紙に線を引いて間に合わせの碁盤をつくり、子供らは針を叩いて曲げて釣針にしている。貧しい暮しはつづくが、ここには平和がある。禄米を送ってくれる旧友もいる。自分はもう立身出世して経綸を世に行おうという野心は棄てた。今は病をいくつもかかえた田園の隠士にすぎず、この微々たる身に平和で落着いた生活のほかに何の願うところがあろう。せいぜい薬が途切れないで貰いたい、と願うくらいのものだ。
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