「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2019・11・16

2019-11-16 05:30:00 | Weblog






  今日の「お気に入り」は、宮本輝さんの「ハンガリー紀行」から。


   「 オーストリアとハンガリーの国境に張りめぐらされていた鉄条網が取り払われ、

    東ドイツの人々がハンガリーを経由して、西ドイツへと流入し、ソヴィエトは解

    体し、ベルリンの壁がこわされ、思いもかけなかった改革の波が東ヨーロッパ全

    土を覆っていたとき、私はイタリアからハンガリーへ行き、そこで、あるテレビ

    の生中継を見た。

     アメリカの現職の大統領として、戦後初めてハンガリーを訪問したブッシュ前大

    統領が、ブダペストの国会議事堂前の広場で演説をする場面であった。

     おりから、雨が降っていて、議事堂前の広場に集まった人々の群れは、そっくり

    そのまま、色とりどりの数千もの傘の群れでもあった。

     ブッシュ大統領は、自分の演説の番がくると、背広の内ポケットから演説のため

    の原稿を出し、それをまったく読まないまま、人々の前で破り捨てるというパフ

    ォーマンスをやってみせた。

     私は、生中継のその瞬間を、バラトン湖畔にあるセルダヘーイ・ボラージュの家

    で見ていた。ボラージュは、私の家で三年間生活したセルダヘーイ・イシュトヴ

    ァーンの兄で、バラトン湖畔には、セルダヘーイ家の墓があり、私は、ハンガリ

    ーから共産主義がついえさるのをついに目にすることなく逝ったイシュトヴァー

    ンの父君の墓参のために、ハンガリーへ行ったのだった。

     誰も想像もしなかった事態が、いまたしかに猛烈な勢いで進行している・・・。

    それなのに、ハンガリーは雨で、人々の大半は、どこか淡々とした視線で、演

    説しているブッシュ大統領を見ている・・・。みんな浮きたっているはずなのに、

    冷めている・・・。 私は、テレビを観(み)ながら、そんな感想を抱いたのだっ

    た。」


   「 ブダペストは活気に満ちていた。たった一、二年のあいだに、メルセデス・ベ

    ンツやBMWやアウディや日本車が走るようになった。香港(ホンコン)の華僑

    (かきょう)と合意して、数年後にはブダペストのどこかに巨大なチャイナタウ

    ンが作られるという噂(うわさ)も耳にした。中国への返還を目前にして、香港

    の華僑たちは、ハンガリーをマーケットとして選んだという説もある。

     たしかに、ハンガリーは、夢にまで見た自由と自由経済市場を得たのである。

    しかし、そこには、当然のこととして、新しい時代への生みの苦しみも、いか

    んともしがたく、あちこちに発生してきた。

     簡単に言えば、社会体制は変わったのに、人々の考え方もやり方も、それに

    適応できない。共産主義の時代には通用していた『私には口はひとつしかなく、

    腕は二本しかない』という屁理屈(へりくつ)は、身に沁(し)み込んだ習性のよ

    うに捨てられない。

     新しい時代に迅速に適応する目端のきく人たちは、あっというまにのしあが

    っていき、大金をつかみベンツやアウディを乗り廻して、さらなる飛躍へと進

    もうとするが、時代の流れに乗りそこねた不器用な人たちは、旧体制のころよ

    りも生きにくくなり、『やっぱり、共産主義のほうがよかった』と叫び始めて

    いる。

     そして、目端のきく野心家たちも、いざとなると、『私には口はひとつしか

    なく、腕は二本しかない』のである。

     これはなにもハンガリーだけにかぎらない。旧西ドイツに流入した夥(おびた

    だ)しい数の旧東ドイツ人たちも、どんなに自由を愛しながらも、子供のときか

    ら否応(いやおう)なく与えられてきた共産主義思想による教育や価値観からは

    自由になれない。ハードは変わったが、ソフトは変わっていないということに

    なるのである。

     うかれて、いっぱしの事業家になったつもりで、ほんの数年前には触れるこ

    ともできなかった高級外車に乗っているのに、自分のミステークに対しては

    〈共産主義者〉で、非はいつも自分にはないとひらきなおる。」


                         ( 1993.7-10 )


     ( 宮本輝著「血の騒ぎを聴け」新潮社刊 所収 )



                 

     文中の「ブッシュ大統領」は、第41代米国大統領を務めたジョージ・H・W・ブッシュ

    (George Herbert Walker Bush, 1924年6月12日 - 2018年11月30日)、そう軍歴、政治

    経歴、ともに申し分なきパパブッシュの方です。

    
     フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」には「バラトン湖」のことが次のように

    記述されています。

   「 地理

    バラトン湖はハンガリー高地の中央部に位置し、後期更新世の地殻陥没で形成された。

    東西に長く広がり、長さは約78km、幅は5-12km、面積は約595km2、最大水深は約11m。

    平均水温は20℃、夏の水温は26-27℃に達し、冬季は水面が凍結する。

    北岸の水深は比較的深く、南岸は遠浅になっている。水位の変動が大きく、春の雪解けの時に

    水位は最大となり、秋に水位は最低になる。平均水深は浅く、流域における土地利用の変化が

    顕著であるため、西部を中心に富栄養化が進んでいる。水面の色は淡いコバルトブルーで、

    水質は弱アルカリ性でマグネシウム、カルシウムなどの成分を含んでいる。

    50以上の河川がバラトン湖に流入し、湖水はシオ川からドナウ川に流れ出る。

    湖に流入する河川のうち、ザラ川からの流入量が最も多い。

    バコニュ山地に面する北西岸には森林に覆われた崖が形成され、崖の一部はティハニ半島として

    湖に突き出ている。半島の先端と南の対岸の距離は約1.5km離れており、毎年7月末にはバラ

    トン湖横断アマチュア水泳大会の会場となっている。バコニュ山地は地下資源に恵まれているが、

    山地東端のボーキサイト鉱床の開発に伴って行われているアルミニウム精錬の排水が地下水を汚

    染している。
一方南岸は平坦な土地となっており、肥沃な土壌が広がっている。

    歴史

    第二次世界大戦中、この近辺地区でドイツ軍と赤軍の戦い、春の目覚め作戦が行われ、別名、

    バラトン湖の戦いとも呼ばれる。

    社会主義時代のハンガリーでは、バラトン湖はユーゴスラビア領のアドリア海沿岸部と同じく、

    東欧の社会主義国の中では例外的に多くの西ヨーロッパの観光客を受け入れていた。

    1989年8月の汎ヨーロッパ・ピクニックの直前、ハンガリー・オーストリアの国境に敷か

    れていた鉄条網の撤去を知った東ドイツ(ドイツ民主共和国)の人間は休暇を装ってバラトン

    湖に滞在し、亡命の機会を待った。

    産業

    バラトン湖は国際的な保養地として知られ、沿岸都市は湖水浴を楽しむ観光地として賑わって

    いる。バラトン湖沿岸の都市で最大の規模を持つ南部の都市シオーフォクは、夏季には人口が

    5倍に増加するといわれている。湖畔にはホテル、ヨットハーバー、遊泳所などのバカンスの

    ための施設が建てられている。北側のバラトンフュレドは温泉保養地として知られ、かつては

    貴族、政治家、芸術家が集まる高級保養地となっていた。社会主義政権の成立に伴ってバラト

    ンフュレドに建てられた貴族の邸宅の多くが取り壊され、ホルヴァース・ハウスと呼ばれる

    18世紀末に建てられたサナトリウムだけが残された。 また、バラトン湖にはヘーヴィーズ

    温泉がある。

    バラトン湖では漁業が盛んであり、パイクパーチ(フォガーシュ、Fogassüllő)などが水揚げ

    される。バラトン湖の北側に位置する村落では温暖な気候と長い日照時間を生かしたワインの

    生産が行われており、バラトンワインはハンガリーワインの名品の1つに数えられている。」






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