「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

アジアゾウのカチャ―子さん Long Good-bye 2021・05・15

2021-05-15 06:50:00 | Weblog



  今日の「お気に入り」は、インターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」で読んだ

 「 はな子 」さんの伝記です。

  戦後まもなくの1947年に、タイ王国で生まれた、団塊世代の「 はな子 」さん の生涯が

 とても詳しく書かれています。

  以下に抜粋して紹介します。

  筆者が、同学年、同世代の彼女を見かけた最後は、およそ20年前、彼女がまだ50代半ば

 の頃でした。



 「 はな子はなこ、1947年 - 2016年5月26日は、 東京都武蔵野市井の頭自然

 文化園
で飼育されていたメスの アジアゾウ である。

  第二次大戦後に初めて日本にやって来たゾウであり、2013年1月に66歳でアジア

 ゾウの国内最高齢記録を更新し、日本で飼育された中で最も長寿のゾウとなった。

 生涯

 誕生から来日まで

 1947年春頃にタイ王国で生まれた。タイでの名前はカチャー(タイ語: คชา

 日本にやって来る前はバンコクの農園で暮らしていた。

 元タイ国軍事顧問で実業家のソムアン・サラサスが、『 戦争で傷ついた子どもたちの心を

 いやそう 』と 私財を投じて発起人となり 、 日本に贈られることとなった 。

 『 カチャー 』は 2歳半 の時、1949年8月22日 に デンマーク船 オラフ・マークス号 で タイ

 を発ち、 9月2日 に 神戸港 に着いた。そして、 貨物列車 と トラック を使って、 9月4日 に

  恩賜上野動物園 に到着した。当初、 上野動物園 では『 カチャー子 』と呼ばれていたが、

 公募により、戦争中に 餓死 した『 花子ワンディータイ語: วันดี )の名を継いで

 『 はな子 』と名付けられた。

 上野動物園には、『 はな子 』到着のすぐ後の1949年9月25日に インド から贈られた

 『 インディラ 』も到着し、年末までの3か月間で100万人近くの入園者が訪れるゾウ・

 ブーム
が起きた。 ( ⋆筆者註 ; 1949年9月って、敗戦した1945年8月から数えて丁度四年目、「 ゾウ・ブーム 」、日本人 の立ち直り 早!?

                    #忘却とは、忘れ去ることなり。#人間だもの。#前向きな国民性!? )

 上野から井の頭へ

 翌1950年から、『 はな子 』と『 インディラ 』は 移動動物園 で 日本各地 を訪れた。

 『 インディラ 』が列車等で全国を回ったのに対して、 子ゾウ だった『 はな子 』は

 都内を中心に東京近郊を回った。

 その中には 井の頭自然文化園 も含まれていたが、そこで『 はな子 』を見た 武蔵野市 や 三鷹市 から、

 井の頭自然文化園 での『 はな子 』の 展示 を求める声が上がった。

 1954年3月5日、『 はな子 』は 上野動物園 から 井の頭自然文化園 に移された。しかし、1956年6月

 14日の早朝、 ゾウ舎 に侵入した男性を死亡させる事故を起こし、さらに4年後の1960年

 にも 飼育員 を 踏み殺す事故 を起こした。このため、『 殺人ゾウ 』の烙印を押され処分を迫られた

 『 はな子 』は、鎖につながれ 来園客から石を投げられた こともあり、 ストレス などから やせ細

 った


 事故の2か月後に 井の頭自然文化園 に赴任し、『 はな子 』の 飼育係 となった 山川清蔵 は、

 『 はな子 』を 鎖から外し 、 運動場に出した山川退職までの約30年 にわたって はな子

 世話をし
、その様子は、書籍やテレビドラマにもなった。

 晩年

 年老いてからは歯が抜け落ちて、左下の1本しか残っていなかった。このため、餌はバナナや

 リンゴ等を細かく刻んだものが与えられていた


 2006年頃から再び、運動場にいた飼育員が鼻で転倒させられたり、獣医師が投げ飛ばされたり

 する等の事故が起きるようになった。事故防止対策として、2011年夏に飼育方法がそれまでの

  直接飼育 から、飼育員が柵越しに世話をする 準間接飼育 に改められた
。しかしながら、 はな子

 の 飼育係の班長
は、『 偶然の事故はありえない。 ゾウはブドウ一粒踏みつぶさない 、 ハエがとま

 っても気付く 。 非常に賢く、はっきり分かって行動する
』と述べ、人間側が無意識のうちに事故

 を誘発していた可能性を指摘している


 2015年10月にはカナダのブロガーが『 コンクリートの中、一頭だけで立ち尽くしている 』とブログ

 上で発信、国際的な署名活動が行われ、45万人以上の署名が集まった。同年中に『 はな子 』の生ま

 れ故郷である タイ でも、『 涙が止めどなく流れる。タイの親善大使ゾウのはな子は、タイには帰っ

 てこれない 』と題して報じられ、『 無気力 』『 コンクリートの檻の中のおばあちゃん 』などと哀れ

 む本国の声を伝えた。2016年3月に発端となったブロガーと動物園側との間で改善策の話し合いが

 行われた。

 最期

 2016年5月26日、69年の生涯を終えた。当初は老衰によるものと発表されたが、翌27日の解剖で

 死因は 呼吸不全 と判明し、右前脚に関節炎の持病があったこともわかった。ゾウ舎の監視カメラ

 には、26日1時25分頃『 はな子 』が倒れこむ様子が映っていたが、飼育員が異変に気付いたのは

 8時半頃になってからであった。死亡が確認された15時過ぎまで20人以上で介抱にあたったが、

 2トンを超える体重で肺が圧迫され続けたことが呼吸不全を招いたとみられる。遺体は 国立科学

 博物館に寄贈された


 2016年9月3日に、 井の頭自然文化園 にてお別れ会が開かれ、2800人が訪れ献花した。

 園内の資料館では2016年9月から2017年1月にかけて、はな子 の生涯をたどる特設展示が行われた。

 命日には園内の動物慰霊碑前に献花台がつくられ、来場者が花のほかリンゴやバナナ、メッセー

 ジカードなどを供えている。 」



    





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