
今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「俗に猫に小判というが、三歳の童児は猫に似て、小判をありがたく思わない。小判より声をかけてくれる人、かまってくれる人のほうを喜ぶ。そして人の知能は多く三歳を越えないと、知能を調べる学者は言っている。
四十五十になっても、人は自分のことでいっぱいである。私は画の展覧会でそれを見ることがある。大展覧会だから、五人や十人の知りあいの画家がいて、それぞれ見物するつもりでいると、画家はてっきり自分の画を見に来たものと思って、かけよって案内してくれる。そして感想を求める。ほめてもらいたいのである。彼にとっては、見物が何千人来ようと自分の画を見てくれなければ、それは一人もいないのと同じなのである。その気持は三歳の童児に似ている。」
「批評家に画はわからぬと、画家が言うときは、自分の画が悪く言われたときである。ほめられたときは、批評家だからわかると莞爾とする。忌憚なく言ってくれというから言ったのに、機嫌を悪くするから、忌憚なくとは即ちほめてくれということだな、とわかるのである。
画家がそうなら、音楽家もそうである。俳優もそうである。大人ばかりでなく、子供もそうである。」
(山本夏彦著「笑わぬでもなし」文春文庫 所収)
「俗に猫に小判というが、三歳の童児は猫に似て、小判をありがたく思わない。小判より声をかけてくれる人、かまってくれる人のほうを喜ぶ。そして人の知能は多く三歳を越えないと、知能を調べる学者は言っている。
四十五十になっても、人は自分のことでいっぱいである。私は画の展覧会でそれを見ることがある。大展覧会だから、五人や十人の知りあいの画家がいて、それぞれ見物するつもりでいると、画家はてっきり自分の画を見に来たものと思って、かけよって案内してくれる。そして感想を求める。ほめてもらいたいのである。彼にとっては、見物が何千人来ようと自分の画を見てくれなければ、それは一人もいないのと同じなのである。その気持は三歳の童児に似ている。」
「批評家に画はわからぬと、画家が言うときは、自分の画が悪く言われたときである。ほめられたときは、批評家だからわかると莞爾とする。忌憚なく言ってくれというから言ったのに、機嫌を悪くするから、忌憚なくとは即ちほめてくれということだな、とわかるのである。
画家がそうなら、音楽家もそうである。俳優もそうである。大人ばかりでなく、子供もそうである。」
(山本夏彦著「笑わぬでもなし」文春文庫 所収)
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