「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

Long Good-bye 2019・11・23

2019-11-23 04:30:00 | Weblog








  今日の「お気に入り」。


   「 建物と、それを構築するための足場というものは、いつも妙な関係である。建物

    が完成してしまえば、足場は必要なくなり、かえって無用な邪魔物と化すのだが、

    建物を造るためには、断じて足場を組まねばならない。

     これを小説に置き代えてみるとき、私の中では、はっきりと〈 短篇小説論 〉と

    〈 長篇小説論 〉とが展開される。

     文章によって創(つく)りあげられた世界や物語を建物だと考えるならば、いかな

    る些細(ささい)なディテールやプロットも、すべて足場なのだと私は思っている。

     実際の建築物と足場との関係が、小説という構築物とディテールとの関係におい

    て異質な点は、小説の場合、完成してしまったあとも、足場は永遠に残りつづけ

    るということである。

     さて、建物と足場という譬喩(ひゆ)に即して言えば、ディテールやプロットだ

    けが存在するか、もしくは堅牢(けんろう)に強調されて、その内側に、どのよう

    な建物が建っているのかは、読者それぞれの心の領域の、豊かさとか感性とかに

    ゆだねられるのが〈 短篇小説 〉だと思う。もちろん、この〈 短篇小説 〉には、

    詩や短歌や俳句も含まれている。

     逆に、読み終えたのち、夥(おびただ)しいディテールやプロットの集積は声を

    ひそめ、心の視力から遠ざかって、おぼろになり、そこに屹立(きつりつ)する

    揺るぎない建物だけが、厳として立ちあらわれているのを〈 長篇小説 〉だと

    考える。けれども、その建物は、ディテールやプロットなしには構築され得な

    かったのである。

     しかし、これは、私の短篇小説論であり、長篇小説論であって、他の作家に

    は異論のあるところかもしれない。ともあれ、どっちにしても、ディテール

    やプロットというものが、いかに重要であるかは論を俟(ま)たない。すぐれ

    た文学は、すべて緊密なディテールとプロットが、あちこちで、あるいはた

    った一箇所で、ぎらぎらと光っている。しかもそれらは、足場であって、決

    して建物そのものではないのである。


     『螢川(ほたるがわ)』は、四百字詰め原稿用紙で百二十枚ぐらいだと記憶

    している。だから、短篇小説に属する作品であろう。私が『螢川』の第一稿

    を書いたのは二十七歳のときで、そのときは、短篇とか長篇とかの区別もな

    く、それどころか、いったい小説とはどうやって書けばいいのかも判(わか)

    らなかった。私は、やみくもに、ただ〈 螢の乱舞 〉を書きたかった。そし

    て、当時の私は、その螢の乱舞もまたディテールであることに気づいていな

    かったのである。」


   「 私は〈 螢の乱舞 〉を、小説の目的と錯覚し、その一点に向けて多くの

    道具立てを施していった。そうやって悪戦苦闘し、第一稿を破り捨て、第

    二稿を書き、それも投げ捨て、ついにあきらめ、また思い直して再び原稿

    用紙にむかった。私の書きたかった本当の〈 螢の乱舞 〉が、じつは足場

    に囲まれた空間にあることに気づいたのは、七、八回、書き直したころだ

    った。目的と手段との混同を、実作業の中で自ら気づいたことによって、

    私は、表現というもの、言葉というもの、風景というもの、創造に関する

    ありとあらゆる道具というものの意味を知った。


     当時の私は、重い病気にかかっていた。そのために会社勤めを辞めなけ

    ればならなかったが、妻のお腹(なか)の中には子供がいた。そんな私の

    中には、刻々と変化する無数の心があり、その心は、どれもこれも真実

    だった。だから私は、無数の螢の、美しい乱舞に酔いしれたかったので

    ある。

                             ( 1988.2 ) 」


     ( 宮本輝著「血の騒ぎを聴け」新潮社刊 所収 )


                  

                  

                  

                  



               




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