「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

プーチンの戦争 Long Good-bye 2022・05・24

2022-05-24 05:24:00 | Weblog




   今日の「 お気に入り 」は 、ここひと月 、ふた月 の間に 、目にし 、耳にした 、
  色んな論者の色んな意見 、様々な解説 。備忘 のために スクラップ 。
   どなたの言だったか 、どこに載っていたかは 、・・・ としのせいか 忘れました 。

  順不同 、敬称略 。

   ・ 「 通常兵器による攻撃に核で対抗する戦略・戦術 『 脱エスカレーションの
     ためのエスカレーション論( escalate to de-escalate doctrine )』とは
    『 戦術核兵器を1発落とせば( escalate )、相手は恐れをなして一挙に
      後退する( de - escalate )』という考え方 である 。」

  ・ 「 苛立ったプーチンが 、日本に核を落とした米国の前例にならって 、戦争を早く
    終わらせ 、ウクライナを降伏させるために 、核兵器を使った 、と仮定しよう 。
     すると 、何が起きるか 。私がパキスタンだったら 、たとえ 草を食べるはめに
    なっても『 核を持っていて 、ああ良かった 』と気分が良くなるだろう 。北朝
    鮮だったら 、地獄に堕ちても 、非核化など絶対にしない 。そして 、イランだ
    ったら 、非核化交渉をさっさと終わりにして 、核爆弾にまっしぐらだ 。」

  ・ 「 ロシアは中国の支援に多くを依存している 。だが 、その中国は『 核を最初に
    使わない( 核の先制不使用 )ドクトリン 』を採用している 。したがって 、
    もしも プーチン が 核を使えば 、中国が 彼を支えるのは 非常に難しくなるだ
    ろう 。 核を使えば 、おそらく 中国を失うはめになる 。」

  ・ ( どなたかの「 発言録 」の どなたかによる「 翻訳 」)

   「 1.ウクライナ侵攻の戦況分析  
      今回の戦争では 、ロシアの態勢が日増しに受け身になり 、不利になってきて
     いる 。すでにロシアの敗勢が顕著だ 。ロシアが失敗に向かった主要な原因は 、
     以下の通りである 。
      第一に 、( 1991年12月の ) ソ連解体後 、ロシアは終始 、衰退していく過程が
     続いていた 。その衰退は 、まず解体前のソ連の衰退の持続であり 、ロシアの
     統治グループの内外政策上の失策とも関係している 。西側の制裁もまた 、衰
     退の進展を加速化させた 。  プーチンの指導下で行われたいわゆる ロシアの
     復興 、もしくは振興は 、もともと存在していない架空の出来事だったのだ 。
     ロシアの衰退の芽は 、経済・軍事・科学技術・政治・社会など 各分野において 、
     またロシア軍及びその戦力にも 、深刻なマイナスの影響を与えたのである 。
      第二に 、ロシアの電撃作戦の失敗、速度戦によって( 戦争を ) 即決できなかった
     ことは 、ロシアが失敗に向かって進み始めたことの予兆となった 。いわゆる
     軍事超大国の地位とは 不釣り合いな経済力と財政力は 、実際 、日々数億ドル
     ずつ消耗していく 先端科学技術戦争
を支えきれなかった 。ロシア軍が窮して
     敗れていく状況は 、いまや戦場の随所で見られる 。戦争を一日引き延ばす
     ごとに 、ロシアには 負担が重くのしかかっていく
のだ 。
      第三に 、軍事的 、経済的実力などの面でのウクライナに対する ( ロシアの )
     優位性は 、すでにウクライナの決然とした頑強な抵抗反撃と 、西側国家のウ
     クライナへの 巨大 で 持続的 かつ 有効的な援助
によって 、抹消されてしまった 。
     そしてロシアと 、アメリカなど NATO ( 北大西洋条約機構 ) 国家 との武器技術
     装備 、軍事理念 、作戦モデル などの分野での 実力差
が 、双方の優劣の勢いの
     違いをさらに突出させている 。
      第四に 、現代戦争はすべて 、必然的に 総合戦 である 。軍事・経済・政治・外
     交・世論・宣伝・諜報・情報 など 各分野を包括したもの
だ 。ロシアは戦場で
     苦境に立たされているだけでなく 、これら その他の分野 でも すべて打ち負け
     ている 。このことが 、ロシアの最終的な敗北を決定づけている 。もはや時間
     の問題である 。
      第五に 、今回の戦争をいつどんな形で終結させるかという決定権は 、すでに
     ロシアの手中から離れてしまっている
。主要な既得の成果を得た条件下で 、
     一刻も早く戦争を終結させようという ロシアの意図 、希望は 、もはや無に帰
     したのだ 。そうした意味で 、ロシアはすでに戦略的なリードと主導権を失って
     しまった
と言える 。

    2.近未来の戦況予測
      今回の戦争では 次の段階で 、( ウクライナの ) 対抗するパワーと強度がおそら
     く一歩上がる 。  ( 戦争が ) この先 、拡大し 、エスカレートしていく可能性を
     排除しない 。その原因は 、双方の目標が大きく相反し 、向き合うべき方向と
     走っている方向が逆のためだ 。ロシア側のボトムラインは 、クリミア半島の
     帰属を確保しつつ 、ウクライナ東部を占領することだ 。 一方のウクライナ側
     は 、主権と領土保全の問題で 、ロシアに譲歩するつもりはない 。そのため 、
     ロシアとの戦争 によって ウクライナ東部 と クリミア半島 を取り返そうと決め
     ている 。 アメリカ 、NATO 及び EU ( 欧州連合 ) は 、プーチンを敗北させる
     という 決意 を明白にしている 。サリバン米大統領安保担当補佐官 は最近 、
     ロシアとウクライナの戦争でアメリカが達成すべき目標を3つ掲げた 。
      第一に 、ウクライナを独立した自由な国家にとどめる こと 。
      第二に 、ロシア の力を削ぎ 、孤立させること 。
      第三に 、西側諸国が団結し 、確固たる関係を築くことだ
。  
     これらの目標を実現するため 、アメリカ と NATO 、EU加盟国 は 、ウクライナ
     への支援を公然と増やすだけでなく 、アメリカは ( 5月9日に ) 第2次世界大戦後 、
     初めて ウクライナ支援 のための『 武器貸与法案 』を通過させた 。アメリカは
     すでに 、41ヵ国国防相会議 で 、ウクライナに対する援助を国際化 、制度化
     させた 。さらに重要なことは 、アメリカ 、イギリス などの国が直接 、戦争に
     参画する程度が深まり 、範囲も拡大しつつあることだ 。これらすべてが 、今回
     の戦争でロシアを敗戦に追い込み 、懲罰 を与えて終わらせる ということを示し
     ている 。

    3.ロシア・ウクライナ戦争 と新たな 国際秩序 ( 戦争終結後のロシア )
      ロシア・ウクライナ戦争は 、( 1945年2月の ) ヤルタ会談のシステムと ( 東西 )
     冷戦の残滓を 、完全に終結させた
。そして世界は 、新たな国際関係のパラダイ
     ム と 秩序 に向かって 進み始めた 。  ( 1991年に ) ソ連が解体した後 、ソ連が
     保持していた 国連安保理常任理事国 のポスト と 、軍事超大国 としての地位は 、
     ロシアが引き継いだ 。ロシアは 、国内政治・経済・社会・文化 及び イデオロギ
     ー などの方面で 、非常に多くの ソ連時代の遺産 と 影響力 を継承した 。そのた
     めロシアの外交政策は 、旧ソ連 と ロシア帝国 時代 の 混合体 となった
      プーチン政権の外交政策の核心であり主要な方向性は 、まさに 旧ソ連圏 を ( ロ
     シアの ) 独占的な勢力範囲 と認識し 、ロシアが主導する形で各地域を一体化させ 、
     ロシア帝国の機構制度を復活させる ことにある 。そのため 、ロシアは 発言と心
     意が異なっており 、食言を尽くしている

      ( ロシアは ) 旧ソ連圏の国の独立 、主権 、及び 領土の保全 をいまだに真に承認
     したことがなく 、頻繁に それらの国々の領土と主権を侵犯している 。そのこと
     は 、ユーラシア大陸の平和と安全 、安定 に対する 最大の脅威 となっている

      ロシア・ウクライナ戦争は 、こうした状況を極めて大きく変化させることとな
     った 。ウクライナは ( 1991年8月に ) 独立後 、特に 2000年から 、西側派 ( 親欧
     米派 ) と 東側派 ( 親ロ派 ) の勢力が ほぼ均衡し 、選挙を通じて 交代で 執政する
     ようになった 。だが 、2014年に ロシアがクリミア半島を併合し 、ウクライナ
     東部地方を占領した後 、ウクライナ国内では 反ロ感情が高まり 、親ロ派勢力 は
     委縮し始めた 。大部分のウクライナ人は 、西部地域だけでなく 東部地域におい
     ても 、EU と NATO への加入 を 支持するようになった 。今回の戦争が勃発した
     後 、ウクライナを巡る状況は 、根本的な変化が起こった 。ウクライナ国内の党
     派や地域 、階層によらず 、国民が 一致団結して 救国抗ロ を目指すようになっ
     たのだ 。 ロシア ( の信頼 ) は 、ウクライナで完全に失墜してしまった
と言って
     よい 。同時に 、ベラルーシを除く 旧ソ連圏 の国々は 、CSTO ( 集団安全保障
     条約機構 = 旧ソ連圏の6ヵ国加盟 ) と EAEU ( ユーラシア経済連合 = 旧ソ連圏
     の5カ国加盟 ) の加盟国を含めて 、すべての国がロシア側につくことを拒絶し
     ている 。 ロシアは敗戦後 、過去の栄光の山河を取り戻すことや 、帝国として
     復活する機会を 、徹底的に喪失するだろう 。
     ( ウクライナ侵攻によって ) ロシアは 、かつてのロシア帝国や旧ソ連時代の国際
     的地位と影響力を再び得ようとした 。既存の国際秩序を打破し 、ユーラシア大
     陸と世界の地政学的な政治版図を塗り換えようとした 。旧ソ連圏の国々を再び
     糾合し 、連盟や帝国復活の追求に執着したのだ 。 だがそれによって 、アメリカ
     及び 西側諸国 との根本的な対立と衝突を起こしてしまった 。それが ロシアと 、
     アメリカ 及び 西側諸国 との関係の主要な矛盾点となり 、障害物となってしまっ
     た 。こうした問題における双方の角逐と闘争の大部分は 、米ソ冷戦時代の継続
     であり 余韻 である 。同時に イデオロギー的な色彩も帯びている と言える 。
      今回の戦争を通じて 、ロシアとアメリカ及び西側諸国との対峙と争奪戦は 、
     ロシア側の完敗 となって終わりを告げることになるだろう 。 換言すれば 、ポ
     スト冷戦時代 、もしくは 冷戦時代の延長 が 、最終的に終了することになるの
     だ 。

    4.ロシア・ウクライナ戦争後の国際秩序の変化として起こりうるいくつかの要点
     ( 戦争終結後の新たな国際秩序 )

      1 ) ロシアは政治・経済・外交などの面で 、目に見えて 弱体化と孤立 、懲罰を
     余儀なくされる 。ロシアの国力はさらに衰退していくだろう 。おそらく 一部
     の重要な国際組織から放逐され 、国際的な地位は 明確に低下するに違いない 。

       2 ) ウクライナは 、ロシアの軌道と勢力範囲 ( ロシアに もしも勢力範囲というも
     のがあればの話だが ) から離脱し 、ヨーロッパの大家族のメンバーとなる 。
     すなわち西側諸国の一員となるだろう


      3 ) その他の旧ソ連圏の国々は 、おそらく程度の違いこそあれ 、ロシアから遠ざ
     かっていく 。そのような 新たな趨勢 が出現するだろう 。一部の国は 、より積
     極的に 西側諸国に寄りかかろうとするに違いない 。

      4 ) 日本とドイツは 、完全に 第二次世界大戦の敗戦国 としての約束 に別れを告
     げる 。軍備拡張を加速化させ 、より積極的に政治大国としての地位を掴もうと
     する 。ただし 、( 日独が ) 西側陣営から離脱することはない 。また 、完全に平
     和的発展の方針に背くわけでもない


      5 ) アメリカとその他の西側諸国は 、国連 と その他の重要な国際組織 の実質的な
     改革を 、本気になって進めるだろう 。たとえ 改革が暗礁に乗り上げようとも 、
     別な手段を模索していく 。アメリカと西側諸国は 、いわゆる 自由民主 の イデオ
     ロギーで線引き
をし 、ロシアなど 一部の国 を 排斥するだろう 。 」

   以上 、頭の整理 と 備忘のための バーチャル・スクラップ 。

   駐ロ・駐ウ 経験のある中国の外交専門家による 、国際情勢の分析「 発言録 」とか 。
   論理的で 、説得力に富み 、読み応えあり 。
   1947年生まれ 、日本で言えば 、 団塊世代 の 74歳 。 
  
   「 革命の理念 」と「 モラル 」なき ロシアにおいて 、将来 、後継者 によって プーチン像 や
  プ―チン廟 が 建立されることはなさそう 。ウ・ロ国境に 、ロの方角に顔を向けて 、プーチン
  像が 並び立ってたら 、壮観だろうな 、モアイ像みたいに 、・・・・・・・・・・・・・・・
   ロ軍兵士から 、狙い撃ちにされそう 、 ・・・・・・ 。

                ロ・ 🗿                  
               ロ・ 🗿 
   ・・・・・・・・・・・ ロ ・ 🗿     ・・・・・ 救国抗露
               ロ・ 🗿 
                ロ・ 🗿 

   KGB は なくなっても 、やっぱり お里は KGB 。
   思考 、行動のパターン は 、アンドロポフ師匠 ( 1914 - 1984 ) 直伝 。

   消耗戦は体力勝負 。最後に笑うのは 、ほんまもんの 底力 のある 誰かさん !
  



     ( 筆者註 :『 ユーリ・ウラジーミロヴィチ・アンドロポフ
         ( ロシア語 : Ю́рий Влади́мирович Андро́пов 、
          ラテン文字表記 : Yurii Vladimirovich Andropov 、
          1914年6月15日 - 1984年2月9日 )は 、ソビエト連邦 の 政治家 、軍人 。
          ブレジネフの死後 は ソ連共産党中央委書記長 、最高会議幹部会議長 として
          同国の最高指導者 の地位にあった 。
          党中央委第二書記 、国家保安委員会( KGB )議長 、
          駐ハンガリー人民共和国ソ連大使 を 歴任 。軍の階級は 上級大将 。
          詩人 としても知られている 。
          長らく秘密警察のトップたる KGB議長 を務めた 。書記長 に 就任後は
          ブレジネフ時代に蓄積された 停滞 と 腐敗 の一掃・労働規律の強化 に
          乗り出したものの 、就任半年後に病に倒れ 十分な成果を収められなかった 。
          しかし アンドロポフの構想 の一部は 、自らが目を掛けて引き立ててきた
           同郷の後輩でもあるミハイル・ゴルバチョフ に引き継がれた 。』、
          『 ウラジーミル・プーチン は KGB議長経験者初の書記長を務めた アンドロ
          ポフを称賛し 、記念の執務室や銘板を復活させたり 、サンクトペテルブルク
          市街地にアンドロポフの銅像を立てたり と 他のソ連の指導者とは別格として
          顕彰を行っている 。』、

          『 高玉生( こう ぎょくせい 、中国語 : 高玉生 ; 拼音 : Gāo Yùshēng 、
          1947年10月 -  )は 、中華人民共和国 の 外交官 。中華民国河北省( 現・中華
          人民共和国 河北省 )出身 。
          1982年 、北京大学 経済学部 世界経済専攻修士課程修了 。
          2003年 、在ウズベキスタン中華人民共和国大使 ( 中国語版 、英語版 )を
          務めた 。 2005年 、在ウクライナ中華人民共和国大使( 中国語版 )を
          務めた 。その後 、上海協力機構副事務総長を務めた 。
          2022年 、高玉生 は 中国国際金融30人フォーラム および 中国社科院国際研究部
          の内部セミナーで発言して 、ロシア・ウクライナ戦争 の 趨勢 と それが国際秩序
          に与える影響 について論評し 、ロシアは戦場で守勢に立たされている だけでなく 、
          他の領域でも敗北の兆候を見せており 、打ち負かされるのは時間の問題である
          と述べた 。同年5月10日 、中国国際金融30人フォーラム における 高玉生 の
          発言内容が微信( WeChat )パブリックアカウント で 公開され 、鳳凰網
         ( Phoenix Media )にも 転載 されたが 、その後 削除された。 』
          以上 ウィキ 情報 。 )







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