今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 重信房子が逮捕された前後の新聞記事は注目に値する。重信は日本赤軍派の最高幹部で、三十年前出国して
しばらく海外から国内の赤軍派を操っているという報道があった。去年十一月全く忘れられたころ捕えられて、
警視庁に移送された。
新聞は常に野党的である。これは旧幕臣で才あるものが新聞をおこしたから自然である。新聞の反体制の根は
遠くここにある。反政府でなければ『御用新聞』と同業にも読者にも見放された。徳富蘇峰の国民新聞は日露
戦争でわが国はすでに弾薬も兵糧も尽きている、この講和条約は渡りに舟である、『結べ』と書いて、勝った
勝ったと浮かれている読者の激昂にあって焼打ちされた。社員は畳を楯に抜刀して応戦したと伝えられる。当
時一流の新聞は徳富と同じ情報を得ていた、講和やむなしと思いながら暴徒を恐れて徳富を見殺しにした。国
民新聞は御用新聞と言われて部数は激減して他は激増した。
新聞ははじめ薩長の藩閥政治反対の論陣を張った。藩閥政府が去って政党政治に移ると今度は政党の汚職を
連日あばいて政治家を『財閥の走狗(そうく)、利権の亡者(もうじゃ)』と糾弾した。それをまにうけた青年
将校が浜口(雄幸)を犬養(毅)を倒すと、テロはいけないがその憂国の至情は諒とするとかばって、軍部独裁
の端を開いた。汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼすのである。
戦後アメリカ一辺倒になった与党に、新聞は反対して、ソ連中国べったりになって、国民に独立の気概を
失わせた。社会主義には正義がある、資本主義にはない。若者は正義に魅せられる。労働組合は悉く左傾し
た。ソ連と中国が一枚岩の間はよかったが、不仲(ふなか)になるとわが社会主義も分裂した。さらに『六十
年安保』を境に四分五裂した。
社会主義革命は成就すると同志を殺す。スターリンはラデック、ブハーリン、トロツキイを殺した。永田
洋子は革命が成就しないうちに同志を一人一人殺した。
新聞は、ことに朝日新聞は終始社会主義の味方だった。日教組を手なずけたのは大成功だった。入試問題は
朝日から出るぞとおどして部数をふやした。国鉄民営化にも反対した。動労は国民に見放されたのになお千
葉動労だけでもゼネストはできる、全国の鉄道に千葉動労の同志がいる、その一人が一本ずつ犬くぎを抜け
ば、即ちゼネストだと豪語したが、さすがに民心は離れたと見たのだろうと新聞は全く書かなくなった。報
道がなければその言は存在しない。かくて動労はどたんばで新聞に裏切られたのである。
新聞は近く日教組を見捨てる。その兆しはすでに投書欄にあらわれているとはいつぞや書いた。日の丸君が
代騒ぎは天皇制打倒の最後の砦(とりで)だから組合は死守し新聞は味方したのである。
朝日新聞は重信房子を評して、いまだに革命ごっこの幻想を抱(いだ)き続けて、ヒロインの役を演じている
のが哀れだと書いた。この半世紀社会主義を支持した危険な火遊びに終止符を打って商業主義の権化である
正体をあらわしたが、若くして洗脳された思想は去らない。なお外務省、文部省その他の省庁にまた新聞社
のデスクにその申し子はいる。水に落ちた犬を打てと故人は言っている。
(平成十三年一月二十五日号)」
(山本夏彦著「一寸さきはヤミがいい」新潮社刊 所収)