今日の「お気に入り」は、良寛禅師が、越後の国与板の町年寄で酒造業を営む山田杜皐(やまだとこう)という人にあてた手紙の文面です。文政11年(1828年)旧暦11月12日に、今の新潟県三条市、栄町を中心に起った大地震の後、大きい被害が出た与板に住む友人にあてた慰めの手紙です。
「地しんは信に大変に候 野僧草庵ハ何事なく 親るい中 死人もなく めで度存候
うちつけにしなばしなずてながらへて
かゝるうきめをみるがはびしさ
しかし 災難に逢時節には 災難に逢がよく候 死ぬ時節には 死ぬがよく候
是ハこれ 災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ」
文中の歌は、地震で出し抜けに死んでしまえばよかったのに、死なずになまじ生き永らえたため、このように辛い有様を見ねばならぬ、悲しいことだ、の意。
その歌の後の文章にはインパクトがあります。
災難というものはいつ人に降り掛かってくるかしれない、が、災難に見舞われぬ人はなく、あなたとてその例外ではない。だから災難に襲われたときの心得をお教えしておくが、それは、なまじ逃れようとじたばたしないで、真正面から災難を受け取るのがよい、ということにつきる。逃れようとあがいたりしては、災難は大きくなるばかりだ、というのですから。
「地しんは信に大変に候 野僧草庵ハ何事なく 親るい中 死人もなく めで度存候
うちつけにしなばしなずてながらへて
かゝるうきめをみるがはびしさ
しかし 災難に逢時節には 災難に逢がよく候 死ぬ時節には 死ぬがよく候
是ハこれ 災難をのがるゝ妙法にて候 かしこ」
文中の歌は、地震で出し抜けに死んでしまえばよかったのに、死なずになまじ生き永らえたため、このように辛い有様を見ねばならぬ、悲しいことだ、の意。
その歌の後の文章にはインパクトがあります。
災難というものはいつ人に降り掛かってくるかしれない、が、災難に見舞われぬ人はなく、あなたとてその例外ではない。だから災難に襲われたときの心得をお教えしておくが、それは、なまじ逃れようとじたばたしないで、真正面から災難を受け取るのがよい、ということにつきる。逃れようとあがいたりしては、災難は大きくなるばかりだ、というのですから。