「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

新聞広告 2005・04・20

2005-04-20 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「広告だけ見ていれば、なかみは読まなくても想像できる。世の中のこと早分りは記事より広告を見ることである。広告は短い言葉で、事の全体を伝える。記事は伝えない。」

  (山本夏彦著「笑わぬでもなし」所収)


 この指摘は、毎週月曜日と木曜日の大新聞社発行の日刊紙朝刊に掲載される週刊誌の「広告」によく当て嵌まります。

 週刊誌の特集記事についての「広告見出し」を見れば、世の中のことが大体わかります。週刊誌の記事の中身に「広告見出し」を越える内容がないことも想像がつきます。

 週刊誌の特集記事が、広告掲載紙を名指しで非難するものであったりすると、「広告見出し」が黒塗りされたり、白抜きされたりするので、かえって事の次第がよく判ります。最近も「週刊文春」と「朝日新聞」の間で、山本夏彦さんの指摘にぴったりの事例がありました。

 大新聞社発行の朝刊には30数ページに及ぶものがありますが、その紙面全体のおよそ4割は「広告」によって占められています。日によって多少の違いはありますが、「広告」4に対して「記事」6なのです。めったなことでは広告主の悪口が書ける筈がありません。それでも書いたのですから、損得勘定をして得が多いと判断したからこそ書いたのです。


 「広告の中のうそは、自分の中のうそなのである。自己に不利なことを言わないのは、人間の常である。それは許されていることなのである。かくて広告は、人生の縮図である。吾人の鏡である。だから激しく憎む人があるのである。けれども、いくら憎んでも、追放することはできない。彼らがそれを憎むのは、それが彼ら(また我ら)のうちなるすこしく暗い部分だからである。」

  (山本夏彦著「笑わぬでもなし」所収)


 「印刷された言葉には金が支払われる新聞雑誌なら原稿料をくれるテレビラジオなら出演料をくれるすなわち私たちが接するのはすべて売買された言葉で、売買されない言葉を見聞する機会は全くない言葉は売買されるとどうなるか。売るものは買ってくれるものに迎合するようになる。」

  (山本夏彦著「恋に似たもの」所収)
コメント
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