11時前、奈良県のお得意先H社Oさんから小包が届きました。差出地は沖縄県。
はて、何じゃろ? と開封すると、
(沖縄の壺屋焼のグラスセットでした。小さいのが泡盛・焼酎用、大きいのがビー
ル用とOさんからの案内文付きでした)
ありがとうございます。大事に使わせていただきます。
先月24日、僕が福岡空港からモスクワへ発った日ですが、当社フロントS君は同じ
福岡空港の国内線ターミナルから那覇空港へ向かいました。4月7日に当社をご訪
問下さったH社OさんからS君へのお誘いで、沖縄本島で同行営業したいので、25
日からの数日、那覇へおいでよ、と。
S君、フロント業務多忙の中で沖縄まで行くべきか否かくねくね迷っていたみたいで
すが、「バカヤロ、こんなお誘いいただいた時は全てオッケーと言うもんなんだっ!」
との僕の切れ味良い適切なアドバイスに結局従い、24日那覇入り・沖縄市泊、25
日本島中北部営業・那覇市泊、26日那覇市付近営業・久留米戻り、との2泊3日の
営業日程内容を詰めるべくOさんと連絡を取り合っていた様でした。
その後、僕自身はモスクワ徘徊関連でいっぱいいっぱいとなり、S君の沖縄行状に
関わる余裕全く無く、ロシアから戻った後の5月2日になって、H社顧客にお連れい
ただき我が社業務内容をPRさせていただいたこと、2泊した際の食事(「飲み」も
込み)の面倒まで見て下さったこと、などS君から報告貰いました。
報告内容まことにありがたく、ゴールデンウィーク終了の後、奈良のH社までお礼
の℡入れようと思っていた矢先、何と、僕にまで壺屋焼グラスをご送付いただいた
のでした。
先方H社さんがお客様、当方がお仕事頂戴する側ですのに、これほど過分にお取
り扱いいただき恐縮至極です。
S君が同行させていただいたH社のお得意先、当社が接触するに初めての業務系
統だとのこと、きちんと業界概容を確認していけば横展開出来る可能性あり、との
感覚を持っている模様。
Oさん、様々ありがとうございました。
(壺屋焼(つぼややき)は沖縄県那覇市壺屋地区及び読谷村その他で焼かれる
陶器。現在では灯油窯やガス窯を用いながらも、伝統の技術と技法を受け継い
でいる。
●歴史
・琉球王国時代 琉球王国は古くから交易が盛んで、東南アジア方面との交流が
活発だった。そのとき、流入してきたのが南蛮焼と呼ばれる焼き締め陶器であり、
琉球では主に酒器などを自足するため技術を学び、自国で焼き始めたといわれ
る。1609年、琉球は薩摩島津藩の支配下に入る。琉球は多くの産業振興(久米
島紬なども)のためこの立場を逆に利用して、焼き物でも薩摩にいた朝鮮陶工の
招聘や技術者の薩摩以北への派遣を行っている。また1670年には平田典通を清
に派遣して赤絵を学ばせるなど、現在の中国方面からの技術導入も引続き行っ
た。1682年、尚貞王が地方に分散していた陶工を首里城近郊に集め、壺屋(沖
縄方言でヤチムン)と呼ばれる焼き物街とした。これが壺屋焼の草創である。そ
の後、壺屋焼は琉球随一の窯場となり国内消費や交易に利用された。
・明治以降 明治から大正に掛けて壺屋焼は低迷期を迎える。琉球王府の廃止
を含む幕藩体制の解消で流通の制限が無くなり、有田などから安価な焼き物が
大量に流入してきた。再生の転機は、大正の終わり頃から柳宗悦によって起こさ
れた民芸運動に陶工達が触発されてからである。柳や浜田庄司らは1945年頃ま
で折りにふれて来島し、金城次郎や新垣栄三郎ら陶工に直接指導や助言を行い、
また壺屋焼を東京や京阪神などで広く紹介したため、生産も上向きになった。今
日、壺屋焼があるのはこの民芸運動家らによるところが大きい。彼らは日本国内
で生産される日用雑器の「用の美」と呼ばれる実用性と芸術性に光を照らした。
そして壺屋焼を、本土にない鮮やかな彩色が目を惹き、庶民の日用品でこれほ
どまでに装飾性を兼ね揃えたものは珍しいと評価している。壺屋やちむん通りに
ある南窯太平洋戦争(沖縄戦)で沖縄本島全土が焦土と化す中、壺屋地区は比
較的軽微な被害で済んだ。しかし、一帯の都市化の進行とともに薪窯の使用が
規制されると、伝統的な技法を失った当地では再度、存続の危機を迎えた。その
ため、今日では薪窯を認可した読谷を初め、壺屋地区以外にも窯元が分散する
こととなり、およそ100ほどの窯元が県内に見られる。
●作品の特徴 壺屋焼は大きく分けて、「荒焼」と呼ばれる南蛮焼の系統を汲む
ものと、「上焼」と呼ばれる大陸渡来系の絵付がある。
※荒焼(沖縄方言でアラヤチ) 14世紀~16世紀頃、ベトナム方面から伝わった
焼き物。釉薬を掛けずに、1000度の温度で焼き締める。鉄分を含んだ陶土の風
合いをそのまま生かしたもので、見た目は荒い。当初は水や酒を貯蔵する甕が
中心であったが、近年は日用食器も多く焼かれる。また魔除けで知られるシー
サーもこの荒焼である。
※上焼(沖縄方言でジョウヤチ) 17世紀以降、朝鮮陶工らによって始められた
絵付陶器。陶土に白土をかぶせて化粧し、それから色彩鮮やかな絵付や彫刻紋
様を施し、釉薬を掛けて焼成したもの。用途は抱瓶(携帯用の酒器)やカラカラ
(沖縄独特の注ぎ口のついた酒器)、茶碗、皿、鉢などの日用品。前述の荒焼に
対して装飾性は強いが、上流階級だけでなく庶民向けでもあったため、民芸運動
家らは驚き絶賛したという。 =括弧内wikipediaより)
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● ㈱東洋硬化へのお問い合せは当社ホームページの「お問い合せ」欄、
または、TEL:0942-34-1387 FAX:0942-36-0520
所在地:福岡県久留米市津福本町1978-1 へお願い致します。
● シリンダーロッド・シャフト・ピストン・フロントフォークインナーチューブ
・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生(クロムメッキと
全部カタカナ書きするのではなく「クロムめっき」または「クロム鍍金」
と書くのが日本語的には正解)が得意です。
● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティングで
生成します。
● 高温耐酸化性に優れ、高硬度を保持する窒化クロムアルミ膜成膜可能
です。
● 高硬度・平滑性・滑り性に優れたDLC( Diamond Like Carbon :
ダイヤモンドライクカーボン)膜の成膜可能。さらには、本邦初、DLC
膜の再生加工も開始。
● 無電解ニッケル-リンめっきの軽金属上への析出、他被膜との積層処理
可能です。被膜の付加価値向上にお役立て下さい。
● マグネシウム合金上へのアークイオンプレーティング成膜が可能です。
今まで難しかったマグネシウム合金製部品への耐磨耗性付与に
ご利用下さい。
● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
平面研削も行います。
● 超厚付電気ニッケルめっきやフレーム溶射による、短納期での寸法・
形状・機能の復元加工。
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