地味ログ東洋硬化.うろつき雑記

寒い時も暑い時も、寒い場所も暑い場所も、処かまわず神出鬼没な東洋硬化の表面処理を、ポップに語ります。

早朝のモスクワ街中うろつき その2 (ジューコフについて考える)

2011年05月06日 00時02分42秒 | うろつきアーカイヴス
昨日の続き。クレムリンの東側壁に沿って南下し、モスクワ川に当たった処から。


(ボリショイモスクヴァレツキー橋から西に、クレムリンの南壁に沿って「クレムリン
河岸通」を西へ)


(壁の内側に金色尖塔のブラゴベシチェンスキー聖堂が見えます)


(クレムリン南西端のポロヴィツカヤ塔。クレムリン内部へのゲート有り)


(地図で見るとほぼ三角形のクレムリンの北西壁外側には、壁に沿ってアレクサ
ンドロフスキー公園が設えてあります。時間が押していることもあってその中を早
足でスタスタ歩きました。無名戦士の墓前の門から公園の外に出、マネージ広場
をさらに北東へ)


(マネージ広場に向かって重厚な建築物。国立歴史博物館です。その前の騎馬像
はソ連邦のジューコフ元帥)

ゲオルギー・ジューコフ元帥はソビエト・モンゴル軍集団の司令官として1939年8月
のノモンハン事件(ソ連側の呼称・ハルハ河事件)で関東軍に大打撃を与え、第二
次大戦では東進してくるドイツ機甲師団を食い止めることに成功したいわば戦時
大功労者なのではありますが、大戦後、その人気を恐れたスターリンさらに後継の
フルシチョフにも冷たくあしらわれ、晩年は不遇をかこったとのこと。1964年のフル
シチョフ失脚後、ソ連共産党の実権を握ったブレジネフとコスイギンによって名誉
回復されたとのことですが、所詮、フルシチョフ政権へのアンチテーゼとしてお飾り
扱いだったに違いなかろうと思われます。

1974年まで生きながらえておられますが、僕が物心ついた頃には既に失脚して久
しかったということもあり、正直、同時代に生きていた人との実感に欠けます。

(ソ連の戦術は基本的に数の圧倒的優位で勝利を狙うもので、その勝利の基準は
損害の寡多ではなく戦闘の課題を達成できたかどうかである。ソ連軍は圧倒的な
人的物量を誇っていたので、死傷者数はほとんど問題にならなかった。ジューコフ
は全軍歴を通じ指導した作戦のほぼ全てで勝利を収める輝かしい戦績を持ってい
る一方、彼の作戦ではソ連軍はほとんど常に敵より多い、時には数倍の死傷者を
出している。ジューコフはソ連軍の強みが人的物量にあることを認識しており、技
量で劣るソ連軍が勝利を得るには敵の数倍の自国兵士の人命を消耗する必要が
あることを当然の前提としていた。兵士の消耗を恐れないジューコフの冷酷さには
スターリンですら感銘を受けるほどだった。=括弧内wikipediaより)

結局、ロシア奥地まで攻め入るヨーロッパ近代戦力は、ナポレオン軍だろうとナチ
スドイツだろうと、広大で茫漠たる国土と極寒、時代遅れな兵装ではあれどウヨウ
ヨと多数で絡みつく様に反攻してくるロシア兵に勢いを止められてしまったわけで
す。第二次大戦時の人員損害数で、勝利したソ連の方が負けたドイツや日本より
一桁多い理由は、ジューコフの戦術も含め、この辺りにありましょうか。

さらに、

(1945年6月26日、27日の会議で、ソ連軍の北海道上陸作戦の実施の是非が諮ら
れたが、モロトフと共にジューコフは反対した。なお、1945年8月22日の時点まで、
北海道上陸作戦の準備はなされていた。=括弧内wikipediaより)

危ない危ない。このジューコフとモロトフが止めていなかったならば、スターリンは
無条件降伏後の丸腰の北海道に攻め入り虐殺と占領を行なっていたに違いあり
ません。


(写真右の尖塔下の門は「赤の広場」への出入り口、「ヴァスクレセンスキー門」で
す)


(「ヴァスクレセンスキー門」の格子越しに「赤の広場」。さらに向こうには「聖ワシ
リー寺院」)

「赤の広場」通り抜けで「聖ワシリー寺院」横に戻ることは不能の様で、というか無
理に通り抜けようとすると公安に引っ張られそうな予感がありましたので、次善の
策、マネージ広場から革命広場に抜け、北に大回り、劇場通を歩くことに。


(「テアトル・ウリーツァ(劇場通)」南側から、正面にボリショイ(大)劇場、右の建物
はマールイ(小)劇場)


(劇場通を東に歩いてルビャンスカ広場。正面の建物は、旧KGB本部ビルです)


(旧KGB本部ビルの南東隣が工業技術博物館。何という貫禄!)

工業技術博物館の向かい側を南東に歩くと地下鉄キタイゴラート駅近辺に戻り、
これにてクレムリン大回り一周は完了。来た道を戻って宿に着きました。7~8km
を90分ほどで歩きました。

地図持って初めての街を歩くのはスリリングで良いです。



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    ・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生(クロムメッキと
   全部カタカナ書きするのではなく「クロムめっき」または「クロム鍍金」
   と書くのが日本語的には正解)が得意です。

● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
    窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティング
    生成します。
● 高温耐酸化性に優れ、高硬度を保持する窒化クロムアルミ膜成膜可能
   です。

● 高硬度・平滑性・滑り性に優れたDLC( Diamond Like Carbon :
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の成膜可能。さらには、本邦初、DLC
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● 無電解ニッケル-リンめっきの軽金属上への析出、他被膜との積層処理
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● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
    平面研削も行います。
 超厚付電気ニッケルめっきやフレーム溶射による、短納期での寸法・
   形状・機能の復元加工。

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