地味ログ東洋硬化.うろつき雑記

寒い時も暑い時も、寒い場所も暑い場所も、処かまわず神出鬼没な東洋硬化の表面処理を、ポップに語ります。

イスラム強権の退潮

2011年01月16日 10時45分08秒 | 時事ネタ


もう1~2日、冬型気圧配置が続きそうです。この冬の雪の多いことと言ったら..


(我が家2階から見た日の出直後の高良山。田の積雪は数センチ。路面は凍結し
ています)

20年も前だったならば、日曜日の朝、こんな楽しげな風景が窓外にひろがっていた
とすると、雪遊びしに高良山に、えいやっ、と駆け上ったりしたものでしたが。

冬山以外のスリーシーズンの登山はかなりの頻度行なっているのですが、寒々し
い思いをしスリップの危険を犯しつつ山歩きすることに対し、今日び全く気持ちが
向きません。

と、言うわけで屋内でヌクヌクと雪景色鑑賞しています。

今日は午後出社し、明日からの関西出張に備えた準備。さばける範囲のデスク
ワークを前倒ししておくつもりです。同友会東大阪西支部、2月公開例会報告のリ
ハーサル向け原稿に少し手を入れておくことも必要。

日曜日なりにそこそこ忙しくします。


ここ数日の気になる報道から。

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チュニジア政権崩壊 暫定大統領に下院議長

産経新聞 1月16日(日)7時56分配信

【カイロ=大内清】大規模な反政府デモが続いている北アフリカの国、チュニジアの
ベンアリ大統領(74)が14日、出国した。親欧米的な経済運営を行う一方、23年
間にわたり強権支配を敷いてきたベンアリ政権は崩壊した。ベンアリ氏は15日未
明、サウジアラビアに到着した。事実上の亡命とみられる。

■言論の自由拡大などで事態の収拾図る

ロイター通信によると、サウジは15日、ベンアリ氏と家族の滞在を受け入れたと公
式に発表し、同国当局者は、同氏は紅海沿岸のジッダにいると述べた。

チュニジアのガンヌーシ首相は14日、暫定大統領就任を宣言したが、憲法規定に
従いメバザア下院議長が15日、暫定大統領に就任した。メバザア氏はテレビ演説
で、挙国一致内閣を結成するよう首相に要請したと述べた。大統領選は60日以内
に行われる。

各地では商店が略奪され、駅が放火されるなど混乱が続いた。北東部モナスティル
の刑務所では15日、火災が発生し、フランス通信(AFP)によると42人が死亡した。
受刑者が脱走を試みて放火したという。

チュニジアでは昨年12月、中部シディブジッドで警察の取り締まりに抗議する若者
が焼身自殺を図ったことなどをきっかけに、高失業率や物価上昇に不満を抱く市民
のデモや暴動が拡大。ベンアリ政権の退陣要求に発展していた。

ベンアリ氏は今月13日の演説で、次の大統領選に出馬しないことに加え、言論の
自由の拡大や民主化の進展を約束し事態の収拾を図った。

しかし、14日も多数の市民が大統領の即時退陣を求めて首都チュニスの内務省
付近に結集、治安部隊と衝突した。同日夜、全土に非常事態宣言と夜間外出禁止
令が出されたが、統制がとれない状態となった。

当局はベンアリ氏が出国するまでの1カ月で、暴動により23人が死亡したと発表し
たが、人権団体の調べでは、60人以上が犠牲になったという。

軍部出身のベンアリ氏は1987年11月に大統領に就任。ブルギバ前大統領が創
設した「終身大統領」の称号を廃して任期を3期までに制限し民主化を進める姿勢
を示した。しかしその後、再選規定を改定して2009年には5選を果たしており、国
民の間に失望感が蔓延(まんえん)していた。

アラブ諸国ではエジプトのムバラク大統領が約30年、スーダンのバシル大統領が
20年余にわたり権力を握るなど、独裁的な長期政権がいくつも存続しており、チュ
ニジアの政変が周辺諸国に波及することへの警戒感も広がりそうだ。


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戦々恐々の独裁的指導者=反政府デモ波及警戒
                    ―共通する腐敗・貧富の差―アラブ諸国


時事通信 1月15日(土)14時16分配信

【ハルツーム時事】地中海沿岸のチュニジアで23年に及ぶ強権体制を続けてきた
ベンアリ大統領が、高失業率や大統領周辺の腐敗に怒った民衆のデモで辞任、国
外に逃亡した。アラブ世界で民衆パワーが独裁的指導者を引きずり下ろすのは極
めて異例で、エジプトやリビアなど独裁的な執政を続けるアラブ指導者たちは反政
府デモの波及を強く警戒、情勢を注視しているもようだ。

民主的な選挙が存在しない国が大半のアラブ諸国では、クーデターなどで権力を
掌握し、そのまま形式的な選挙で政権の座に居座る指導者が多い。エジプトのム
バラク大統領は30年近く、リビアのカダフィ大佐は約41年、イエメンのサレハ大統
領は約21年など高齢の指導者が長期政権を維持している。こうした国では、治安
機関が強大な権限を維持する「警察国家」として不穏分子を監視。報道の自由を
制限したり、インターネットを監視したりして政権批判やデモを抑え込んでいる。

しかし、民衆は情実人事にまみれ、腐敗した政権に不満を強めており、チュニジア
では強圧的な警察の行動に抗議した青年の焼身自殺を引き金に、民衆の怒りが
爆発した。

9月に大統領選を控えるエジプトでは、次男ガマル氏の出馬の可能性に反発が高
まっているほか、サウジアラビアやモロッコなどの王室も批判の的になっている。い
ずれも高失業率や貧富の差拡大、言論の自由の制限に批判の矛先が向けられ、
特に若年層はインターネットの普及で反体制感情を共有している。


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独立住民投票の開票開始=半年後にも新国家―スーダン南部

時事通信 1月16日(日)0時22分配信

【ハルツーム時事】2005年に終結したスーダン南北内戦の総仕上げとなる南部で
の独立の是非を問う住民投票は、15日午後6時(日本時間16日午前0時)に締め切
られた。即日開票され、3、4日中にも大勢が判明する。独立は1956年の建国以来、
北部の政権に隷属を強いられてきた南部住民の悲願。圧倒的多数で独立が支持
され、半年後にもアフリカ第54番目の新国家が誕生する見通しだ。

投票は南部各地で順調に実施され、監視団関係者は「公正に実施された」と語った。
北部中央政府を率いるバシル大統領は投票前、南部が独立を選択した場合、結果
を受け入れる方針を示し、「新国家樹立に向けて協力する」と述べている。だが、実
際に投票結果を受け入れるかどうか、注視する必要がある。


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スーダン:住民投票始まる 米国主導、南部独立確実

毎日新聞 2011年1月9日 22時07分(最終更新 1月9日 23時55分)

【ジュバ(スーダン南部)高尾具成】アフリカ・スーダン南部の分離独立の是非を問
う住民投票が9日始まった。独立支持が過半数に達するのは確実な情勢で、今年
7月にもアフリカ大陸で54番目となる新国家が誕生する可能性が高まっている。
独立宣言は08年のコソボ以来3年ぶりとなる。独立に現実味があるのは、米国が
後ろ盾になり国際社会を主導している影響が大きい。米国には南部の石油資源確
保や、スーダンで経済的な存在感を増す中国に対抗する思惑もありそうだ。

「新たな権利を得た気持ちだ。子どもたちにもこの日を目に焼き付けてほしい」。南
部自治政府のあるジュバの投票所で飲食店員の女性、アブックさん(32)は2人の
子どもを連れて語った。200万人が死亡したとされる南北内戦で父と兄を失ったア
ブックさんには分離独立は希望に映る。南部の投票所では9日、投票開始の午前
8時前から長い列ができ、歌い踊りながら投票を待つ住民の姿もあった。登録有権
者は約390万人で投票は15日まで。1月末にも確定する選挙結果では、分離独
立が圧倒的に支持される見込みだ。

投票所には米民主党の重鎮、ケリー上院外交委員長も姿をみせ「今、南部住民は
自身の力で立ち上がった」と述べた。ケリー氏は昨年11月以降、オバマ米大統領
の親書を携え、再三スーダンを訪問。分離独立に消極的な姿勢を示す中央政府に
対し、住民投票の「結果受け入れ」を条件に「テロ支援国家指定解除の手続きに入
る」ことを伝えるなど圧力をかけてきた。8日の会見では「北部の安定も重要」と述
べ、住民投票が成功裏に終われば、制裁を科してきたスーダンに対し、新関係に
入ることも示唆した。

83年から続いた内戦の05年の和平合意、11年の南部住民投票というプロセスも
米国が主導し描いた。

米国が熱心に支援するのは、表向きは内戦の最終解決という人道目的がある。西
部ダルフール紛争の解決も米国民の関心は高い。しかし、本音の部分では、日量
49万バレルにのぼる石油の利権確保があるとの見方がもっぱらだ。元々、米シェ
ブロンが油田を発見したのに内戦や制裁で開発に携われず、「既得権」を回復する
意識も働く。

さらに米国を駆り立てるのは中国への対抗意識だ。油田を採掘しているのは中国
などの企業だ。中国が石油利権を手に入れたのは、ダルフール紛争に介入し続け、
国際的孤立化が進む北部・中央政府の姿勢を黙認した見返りとされる。武器まで
売却した疑いも強い。

中国は08年にジュバに総領事館を開設。中心部の舗装道路建設や多くの建築を
手がけて、南部でも存在感を高めている。

さらに、南部はキリスト教徒が主体、北部はイスラム教徒主体で、米国の住民投票
支援はアフリカで拡大するイスラム社会にくさびを打ち込む狙いもある。

一方、「和平合意は外圧に押し切られた印象が強い。時間をかけて北部と協力し
スーダン人が国内の変革を目指す選択もあった」とアラブ系のイスラム教徒男性
(30)は米国主導の和平プロセスに不満を漏らす。

さらに、南北対立の火種も残る。油田地帯「アビエイ地区」が南北の境目にあり、帰
属を問う同地区の住民投票は棚上げされたままだ。南部の「スーダン人民解放軍」
(SPLA)に従軍していたルワルディン・ウォルさん(77)は「スーダンは統一などして
いない。アラブ勢力が石油資源など豊かな南部を強引に支配しようとしてきた」と北
部への敵意をあらわにした。


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(wikipediaより抜粋)

南部スーダン

南部スーダン(なんぶスーダン)はスーダンの南部10州からなる地域である。スーダ
ン領であるが南部スーダン自治政府の統治下にある。2005年1月9日にケニアのナ
イバシャで結ばれた第二次スーダン内戦の包括的な暫定和平合意により、スーダ
ン政府から自治を認められた。2011年には分離独立を伺う住民投票も実施される。
南部スーダンは東でエチオピア、南でケニア・ウガンダ、西でコンゴ民主共和国・中
央アフリカと接する。北西はダルフール。


(上ナイル州、ユニティ州、ジョングレイ州、北バハル・アル・ガザール州、
西バハル・アル・ガザール州、ワラブ州、レイク州、西エクアトリア州、
東エクアトリア州、中央エクアトリア州の10州からなるとのこと)

歴史
かつて南部の黒人達はアラブ系やダルフール(バール・エル・ガザル)などの奴隷
商人による奴隷売買が行われていた。1821年にスーダンの北部はエジプトが、南
部は1877年にイギリスが占領した。1898年にイギリスとエジプトによる共同統治が
始まった。南部を支配していたイギリスはその南部のウガンダとの統合を望んだが、
1947年のジュバ会議での合意により南北スーダンの統合が決められた。

1955年に南部で反乱が起き内戦が起きた。1956年にスーダン共和国として北部と
南部が統一して独立したが北部の政治的経済的支配に南部の住民は不満を抱い
ていた。1972年にアディスアベバ合意により南部に制限付き自治権が与えられ、将
来の南部の分離独立を問う住民投票も認められ南北の内戦は一時終結した。

1974年にシェブロンが油田を発見し、その多くが南部に分布していた。民族イスラ
ム戦線の圧力も受け1983年にモハメド・アン=ヌメイリ政権は南部の自治権や将来
の分離独立の住民投票を取り止め、シャリーアを導入してイスラム勢力の取り込み
を図り、また石油資源の独占を図り南部の3つの州をそれぞれ分割した。そのため
キリスト教徒も多い南部などで反乱が起こり、南部最大の部族であるディンカ族の
出身のジョン・ガラン大佐を中心としたスーダン人民解放軍/運動 (SPLA/M) が北部
の政権に対して反乱を起こし再び内戦が起きた。政権が交替しても内戦が続き、
1989年にオマル・アル=バシールが政権を握るとイスラム政権に反対する政治勢
力を抑圧し、SPLAを始めとする南部の反政府組織に対する戦争を拡大していった。
南部での内戦は激化していったが、2002年にケニアで南北の和平交渉が成立し、
2005年1月9日には南北包括和平合意(CPA)が署名された。南部は行政上の自治
を6年間与えられ、そして北部で適用されているイスラム法も南部で適用しない事と
なった。さらに2011年1月にはスーダンの一部として北部と統一するのか分離独立
するのかを決める住民投票も南部で行うこととなった。南部の住民は独立志向が
強いため、分離独立の方を選択する可能性が高いと見られる。また、2010年1月
20日スーダンのバシール大統領は南部スーダンの大統領サルバ・キール・マヤル
ディも出席したヤンビオで開催の南北の内戦終結5周年を祝う式典にて、「住民が
選択(分離独立を)した場合にはスーダン政府は南部の独立を承認する」と発言し
た。しかし、南部の石油の利権や、同時にディンカ族のンゴック氏族の先住地アビ
エイの帰属も問われることとなった。

民族構成
民族構成はディンカ族が最も多く約100万人。他にもシルック人やヌエル人などの
ナイル系の民族がいる。西部はアゼンデ人とジュチャル人、南部からウガンダに
アチョリ人やロツフ人がいる。

宗教
スーダンの北部は「アラブ系」のイスラム教徒が多数を占めているが、それとは対
照的に南部は主としてアニミズムの伝統宗教とキリスト教を信仰するアラブ系以外
の諸民族である。

言語
イギリス統治時代の影響で教育や北部との取引などで英語が幅広く使われている。
ナイル系が多数派であり母語としてはディンカ語、ヌエル語(英語)が主な言語であ
る。リングワ・フランカとしてピジン言語であるジュバ・アラビア語(英語)を話す。


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チュニジアの件、長期独裁が普遍的であったイスラム諸国、大衆がネットでの情報
共有を行なうことによって行動を先鋭化させ、中小国では政権を転覆させうることを
実証してみせた事例。

スーダンの件、帝国主義時代に便宜的に線引きされたアフリカ諸国の国境線を住
民の言語・文化・宗教に即したものに規定しなおす試みが上手くいくかもしれぬとの
事例。

いずれにも「イスラム強権の退潮」「大衆の意向の具現化」とのキーワードがほの見
えます。他に、旧ソ連に代わり強権国家の後ろ支えをする中国の姿も。

イスラム独裁国家(王政国家含む)指導者たちのジレンマの行方が気になります。



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   または、TEL:0942-34-1387  FAX:0942-36-0520
   所在地:福岡県久留米市津福本町1978-1 へお願い致します。

● シリンダーロッド・シャフト・ピストン・フロントフォークインナーチューブ
    ・ロール等円筒形状機械部品のクロムめっき再生(クロムメッキと
   全部カタカナ書きするのではなく「クロムめっき」または「クロム鍍金」
   と書くのが日本語的には正解)が得意です。

● 窒化クロム・窒化チタンアルミ・酸化クロム・窒化チタンクロム・
    窒化チタン他、各種高硬質被膜をアークイオンプレーティング
    生成します。
● 高温耐酸化性に優れ、高硬度を保持する窒化クロムアルミ膜成膜可能
   です。

● ローター・ファン・クランクシャフト等のバランシング(回転体釣合せ)
● ラジアルクラウン研削を始めとした円筒研削加工や、内面研削・
    平面研削も行います。
 超厚付電気ニッケルめっきやフレーム溶射による、短納期での寸法・
   形状・機能の復元加工。

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