東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

熊野

2021-08-31 19:30:43 | 日記
 俺は何を調べようとしてるんだろう?。
 
 明治時代から昭和の時代の人で平泉澄という人は福井県勝山市の平泉寺白山神社の宮司で、日本史学者で、ウィキペディアで調べると、皇国史観の学者といわれてるようだ。今の平泉寺白山神社の宮司は平泉澄という人の孫らしい。
 
 皇国史観か知らないけど、明治天皇の前に天皇は本当に日本にいたの?。
 
 白山は奈良時代に泰澄という僧が修験の山として開いたことになっていて、平泉澄という人の名前は泰澄に由来するらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 愛宕白山といわれるみたいだけど、なんでだろう?。
 
 京都市右京区にある愛宕神社が愛宕神社の総本社らしいけど、京都の愛宕神社にも泰澄が関わってるらしい。愛宕神社の祭神は火の神のカグツチを祀ることが多いみたいだけど、イザナミでいいんだろうか?。
 
 三重県熊野市には花の窟神社と産田神社があって、イザナミとカグツチと関係あるようだけど、火の神のカグツチはイザナギとイザナミの息子で、イザナミはカグツチを産んだ時に亡くなったことになってるらしく、カグツチはイザナギに斬られたことになってるみたいです。
 
 花の窟神社は岩壁の下に御幣が立ってるだけみたいだし、産田神社で火の神を祀ってるか?というと、わからない。
 
 和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の祭神の速玉大神はイザナギで、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある熊野那智大社の祭神の夫須美大神はイザナミということになってるようです。
 
 イザナギとイザナミの話も嘘の気がするけど、殺人鬼みたいだなあ、この人たちは。
 
 熊野速玉大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

白山

2021-08-31 17:44:02 | 日記
 鴨南蛮ですか・・・。
 
 明治15年(1882年)に神道事務局の後継団体として皇典講究所ができて、皇典講究所の総裁には皇族の人が就いてたようだけど、皇典講究所の初代副総裁は久我建通という人のようだ。2代目の副総裁は佐佐木高行という人で、3代目の副総裁は鍋島直大のようだ。佐佐木高行と鍋島直大は皇典講究所の所長も務めたようだ。
 
 曹洞宗の開祖の道元禅師は村上源氏の久我氏の出身で、源通親という人の息子という説が有力で、源通親は久我通親や土御門通親ともいわれるようです。福井県吉田郡永平寺町に永平寺があって、永平寺には道元禅師の廟所があるようです。
 
 明治維新の頃の久我氏の久我建通という人は一条家から来た人のようだ。曹洞宗が今のようになったのも明治時代になってからの気がするけど、こういうのって御家乗っ取りっていうの?。
 
 源氏の人たちの信仰する神社は八幡神社。永平寺の鎮守は白山神社のようだし、曹洞宗の寺では白山妙理権現が祀られてることが多い気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 明治時代から昭和の時代の人で平泉澄という人は福井県勝山市の平泉寺白山神社の宮司で、日本史学者で、ウィキペディアで調べると、皇国史観の学者といわれてるようだ。今の平泉寺白山神社の宮司は平泉澄という人の孫らしい。
 
 皇国史観か知らないけど、この人が何も知らないわけないと思うけどなあ。
 
 平泉寺白山神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

鹿児島

2021-08-31 17:40:43 | 日記
 疲れたなあ。
 
 薩摩藩では明治維新の後の廃仏毀釈が凄かったらしく、薩摩藩にあった全ての寺が廃寺になり、全ての僧が還俗したらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 鹿児島県霧島市にある霧島神宮ではニニギノミコトを祀ってるみたいです。天孫降臨の話も嘘の気がするけど、嘘は不味いと思うけどなあ。
 
 鹿児島県薩摩川内市にある新田神社は薩摩国の一宮のようだけど、ニニギノミコトを祀っていて、ニニギノミコトの墓所といわれる可愛山陵があるみたいだけど、誰の墓所なんだろう?。
 
 霧島神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

箱根

2021-08-31 17:35:14 | 日記
 白山の開山伝説には九頭龍が登場するようだし、日本各地に九頭龍伝説があるようだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 神奈川県足柄下郡箱根町にある箱根神社の祭神はニニギノミコトと木花咲耶姫と彦火火出見命のようです。箱根神社には九頭龍神社があるらしく、奈良時代に万巻上人という僧が九頭龍を調伏したという伝説があるようです。本当か知りませんけど・・・。
 
 神社に今のような祭神が祀られたのは明治時代になってからの気がするけど、臨済宗が怪しいんだろうか?、やっぱり。
 
 箱根神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

鎌倉

2021-08-31 17:31:23 | 日記
 なんか、疲れたなあ。
 
 曹洞宗が今のようになったのも明治時代になってからの気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 明治時代から大正時代の臨済宗の僧で釈宗演という僧がいて、ウィキペディアで調べると、日本人で初めて「禅」を「ZEN」として欧米に伝えたようだ。
 
 釈宗演は神奈川県鎌倉市にある円覚寺で修行したようだけど、慶応義塾に入学したり、スリランカに行って仏教を学んできたようだ。釈宗演は円覚寺派の管長に就任し、シカゴ万国博覧会で開催された万国宗教会議に出席して講演を行ったようだ。
 
 臨済宗が今のようになったのも明治時代になってからの気がするけど、この人たちは中国大陸から来た人たちだろうか?。
 
 円覚寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか