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ビハール号事件を描いた「海は語らない」を読む

2020-08-07 15:23:48 | 日記
 日本海軍の重巡利根で捕虜を殺害したということは知っていたのですが、その経緯とかどの程度の人を殺害したのかなど詳しいことは全く知りませんでした。その事件をビハール号事件ということも知りませんでした。今回「海は語らない」という本を読んで初めてビハール号事件についてきちんと知ることができました。

 戦争も後半になって日本海軍はインド洋での商船狩りを計画し、重巡三隻が投入されました。敵の商船を沈めるのではなく拿捕してこようという作戦でした。その際、重要な捕虜以外は処分するとう考え方でした。つまり殺してしまうということです。作戦が開始されても敵の商船が見つからず引き上げようかという時に利根が敵の商船を発見しました。敵の商船は自沈しはじめたため利根は商船を撃沈しました。そして乗員や乗組員100人以上を救助しました。部隊の司令部から利根に捕虜を処分せよと連絡がきますが、利根の黛艦長はそれに従わず基地まで捕虜全員をつれて帰りました。そして一部の捕虜が陸上の施設に送られましたが、残り65人の捕虜がそのまま利根に残されました。商船狩りの作戦が終わって利根は別の部隊の指揮下にはいりましたが、捕虜を処分せよという命令はまだ生きており最終的に65人の捕虜を殺してしまいました。

 戦後このことが明らかになり軍事裁判がひらかれ、部隊の指揮官であった左近充中将と利根の艦長だった黛大佐の裁判が行われました。裁判の結果、左近充中将が絞首刑。黛大佐が懲役7年となりました。

 本の前半部分が部隊の動き、公判が軍事裁判となります。ちょっと面白いのが前半の部分では利根の黛館長が捕虜の処分をしない良い人で、部隊の司令部側が処分しろと迫る悪者という印象を受けるのに対して、後半の裁判の部分では利根の黛館長が裁判で死刑にならないようにめんめんとする人物という感じで、逆に部隊の司令官だった左近充中将が人格高潔な人という印象を受けることです。作者がわざとそのような書き方をしたのではないと思いますが、前半と後半で受ける印象がこうも変わるのも珍しい気がします。

 捕虜は処分するという方針は左近充中将がたてたものではなくてもっと上のレベルで決めたことで、左近充中将にとってはいかんともしがたいところだったのですが、左近充中将が捕虜殺害の責任を一身に背負って死刑となったということです。本来はもっと上のレベルの人間が処罰されなければならなかったはずですが、現場の指揮官に全責任をとらせることが既定の路線だったようです。

 この事件の発端となった利根の黛館長ですが、もし利根の艦長が別の人だったらこの事件は起こらなかったかもしれません。というのはたぶん沈めた商船の乗組員や乗員すべてを救助するなどということはしなかったと思われるためです。数人をとらえてあとはそのまま立ち去ったと考えられるからです。全員を救助したのは黛大佐だったからという気がします。

 黛大佐は砲術の大家として知られていましたが、多くの日本海軍の高級将校とはちょっと変わった人物という印象です。たとえば真珠湾攻撃を行って航空機による攻撃が重要となるのですが、アメリカの莫大な生産力からしたら航空機の戦いでは勝てるはずがないとして、艦隊決戦に持ち込むべきだったという考え方だったらしいです。それからクリスチャンであり英米流の考え方をしているところがあったりします。あとレイテ沖海戦でも沈みそうな戦艦武蔵の護衛を買って出たのはよいですが、その後艦隊になかなか戻してもらえなかったりという話もあれます。そんなことからも捕虜を処分するなどということはしないという考えだったのだと思いますが、最終的に処分すること以外に打つ手がなくなってしまったというところです。ですから余計なことをしなければって感じのする艦長ですね。


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