日本新聞協会メディア開発委員会は,このほど,総務省の「デジタル化の進展と放送政策に関する調査研究会」取りまとめ(案)に対する意見書(←クリック)を提出した。新聞・テレビ・ラジオのクロスオーナーシップ規制に反対するもので,多様な言論の流通を阻害し,ひいては表現の自由を侵害するものだ。このような営利目的の意見書に対しては,新聞テレビが系列化している現状では,市民が批判するほかない!以下,意見書を引用する。
■■引用開始■■
1.「第2章 マスメディア集中排除原則の基本的考え方 2 マスメディア集中排除原則の見直し」について
マスメディア集中排除原則が制定された1959年以降、メディアの質的多様化や量的拡大は急速に進んでいます。地上民間テレビジョン放送は、約9割の世帯において4チャンネル以上の視聴が可能となっており、ラジオ、BS・CSの各衛星放送、CATVとあわせ、多くの視聴者が多チャンネルの放送を享受しています。また、インターネット利用人口は9,000万人に迫ろうとしています。全国紙、地方紙、雑誌等の印刷媒体に加え、各種の放送、インターネットメディアを利用することで、人々の情報入手手段の多元性と情報内容の多様性は、当時とは比べものにならないほど拡大しています。このような状況から当協会メディア開発委員会は繰り返し、マスメディア集中排除原則、とりわけ同原則に含まれる「三事業支配の禁止」規定について撤廃を含めた見直しを求めてきました。
にもかかわらず、今回、総務省が示された「デジタル化の進展と放送政策に関する調査研究会」取りまとめ(案)(以下、「取りまとめ案」)は、同一地域におけるテレビジョン放送、AM放送、新聞の同時支配を禁止したいわゆる「三事業支配の禁止」規定を存置するとともに、新たに「テレビ・FM・新聞」の三事業支配についても同様に原則禁止・例外許容として扱うことが適当との考えを示しています。これは、これまで繰り返し「三事業支配の禁止」規定の撤廃を求めてきた当委員会の主張と対立するものです。
同規定は、地上放送に関する同原則を定めた「放送局の開設の根本的基準」9条ただし書きにあるとおり、「ニュース又は情報の独占的頒布を行うこととなるおそれ」を防止することが目的であると考えますが、前述のとおりメディア環境が大きく変化している今日、新聞と放送の連携がさらに進むとしても、情報入手手段や言論の多元性、多様性は引き続き確保されると考えます。もし、今日においてもなお独占的頒布の「おそれ」があると想定するケースがあるのであれば、その根拠を具体的に示して説明すべきです。
そもそもメディアである放送に対する公的規制は、言論・表現の自由を踏まえ、混信防止対策など必要最小限にとどめるべきであり、新しい時代の放送局経営にあっては、経営の自由度をできるだけ高めることも重要だと考えます。
以上、当委員会の指摘について十分に検討し、「三事業支配の禁止」規定撤廃を含めた見直しを行うよう、貴省にあらためて求めます。
2.「第5章 新たな放送サービスへの対応 1 サーバー型サービス」について
取りまとめ案は「サーバー型サービス」や「携帯端末向けサービス」という新しい放送サービスについて、今後の制度整備の必要性を示しています。その中で、NHKがサーバー型サービスを受益者負担(有料放送)の形で行う場合には、受信料制度との関係を整理することを含め、制度整備が必要になるとしています。
このような公共放送のあり方そのものにかかわる制度の見直しにあたっては、当委員会が従来主張しているとおり、広く意見を求めて国民的な議論を行い、慎重に検討すべきだと考えます。
■■引用終了■■
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1.「第2章 マスメディア集中排除原則の基本的考え方 2 マスメディア集中排除原則の見直し」について
マスメディア集中排除原則が制定された1959年以降、メディアの質的多様化や量的拡大は急速に進んでいます。地上民間テレビジョン放送は、約9割の世帯において4チャンネル以上の視聴が可能となっており、ラジオ、BS・CSの各衛星放送、CATVとあわせ、多くの視聴者が多チャンネルの放送を享受しています。また、インターネット利用人口は9,000万人に迫ろうとしています。全国紙、地方紙、雑誌等の印刷媒体に加え、各種の放送、インターネットメディアを利用することで、人々の情報入手手段の多元性と情報内容の多様性は、当時とは比べものにならないほど拡大しています。このような状況から当協会メディア開発委員会は繰り返し、マスメディア集中排除原則、とりわけ同原則に含まれる「三事業支配の禁止」規定について撤廃を含めた見直しを求めてきました。
にもかかわらず、今回、総務省が示された「デジタル化の進展と放送政策に関する調査研究会」取りまとめ(案)(以下、「取りまとめ案」)は、同一地域におけるテレビジョン放送、AM放送、新聞の同時支配を禁止したいわゆる「三事業支配の禁止」規定を存置するとともに、新たに「テレビ・FM・新聞」の三事業支配についても同様に原則禁止・例外許容として扱うことが適当との考えを示しています。これは、これまで繰り返し「三事業支配の禁止」規定の撤廃を求めてきた当委員会の主張と対立するものです。
同規定は、地上放送に関する同原則を定めた「放送局の開設の根本的基準」9条ただし書きにあるとおり、「ニュース又は情報の独占的頒布を行うこととなるおそれ」を防止することが目的であると考えますが、前述のとおりメディア環境が大きく変化している今日、新聞と放送の連携がさらに進むとしても、情報入手手段や言論の多元性、多様性は引き続き確保されると考えます。もし、今日においてもなお独占的頒布の「おそれ」があると想定するケースがあるのであれば、その根拠を具体的に示して説明すべきです。
そもそもメディアである放送に対する公的規制は、言論・表現の自由を踏まえ、混信防止対策など必要最小限にとどめるべきであり、新しい時代の放送局経営にあっては、経営の自由度をできるだけ高めることも重要だと考えます。
以上、当委員会の指摘について十分に検討し、「三事業支配の禁止」規定撤廃を含めた見直しを行うよう、貴省にあらためて求めます。
2.「第5章 新たな放送サービスへの対応 1 サーバー型サービス」について
取りまとめ案は「サーバー型サービス」や「携帯端末向けサービス」という新しい放送サービスについて、今後の制度整備の必要性を示しています。その中で、NHKがサーバー型サービスを受益者負担(有料放送)の形で行う場合には、受信料制度との関係を整理することを含め、制度整備が必要になるとしています。
このような公共放送のあり方そのものにかかわる制度の見直しにあたっては、当委員会が従来主張しているとおり、広く意見を求めて国民的な議論を行い、慎重に検討すべきだと考えます。
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野党コントロールみたいな意味で?
しかし,それにもかかわらず,文言上,少しでも規制が強化される部分(実はそこも含めて緩和されているのだが…)に,メディアが噛みついている…というところのようです。
工程表は,こちら(http://www.soumu.go.jp/pdf/060901_2.pdf)。【(1)マスメディア集中排除原則の緩和
放送持株会社等について検討し、所要の法案を次期通常国会に提出する。法案成立後、2007年度中に実施する。その際、併せてマスメディア集中排除原則の緩和に必要な関係省令等を整備する。】
「神の声」に各新聞社らが賛否両論あったら神の意思を民衆に染み込ませにくいですもんね。メディア各社の経営権は一箇所に集中させてトップ・ダウンで一気に報道することを狙っているとすれば、完全に民主主義否定の独裁体制がメディア業界に完成しますか。
今、何故、メディア経営権の集中なんでしょうか。メディアの労働運動を各社の経営者と自公政権に集中させることで民主主義報道を維持するしかないと考えます。
報道関係者の人間力というか職務にたいする責任感が市民社会から問われているのではないでしょうか。
市民のために権力から報道を守ることが報道機関の職務の基本だろう。報道関係者は市民の側にたつ労働組合運動を急速に権力に向けながら、国民の支持を得る国民運動へと発展させて、プロ野球のスト実現のようにせなあかん時と違いますか。市民、国民は財界、国家権力の被害者団体なんですよ。その認識を固めてね。
ですから、必ずしも権力と対峙(=権力の反対側に偏っている)しなければいけないわけではなく、
かといってもちろん権力の側に偏るのでもなく、
あくまで中立の立場で、事実を報道するのが報道機関のあるべき姿だと思います。
報道各社が緊密な状態になれば、どこかが偏りを見せた場合にそれを指摘・修正を促す事が出来ない。
組織としての自浄作用が働かない。
とても危険な状態が続いていると思います。
本人たちにはその意識がないようですが・・・
さらに、現代のおいては企業と消費者、経営者と労働者というような権力関係もありますので、中立というならば、社会的弱者の立場で強者の横暴から人権を擁護していくということが報道の本質ではないでしょうか。
はじめまして。
確かに、国家権力が人権を正当な理由無く侵害するならば、それから擁護すべきとは思います。
しかし、弱者の敵は必ずしも権力ではないのですよね。
弱者同士の利害の対立もありますし、同時に強者同士の対立もあるわけで。
例えば靖国神社関連などは、報道は中立であるべき事項ではないでしょうか?
政治家にも賛否両論あり、市民間でも賛否両論ある事柄なのですから。
こういうものは両論併記し、中立であるべきだと思うのですが。
>企業と消費者
接客業経験者としては、消費者の理不尽な要求から企業を守ってくれないかとも思うのですけど。
いや、もちろん企業が悪い事をした場合は消費者側についていただいていいと思うのですよ?
犯罪者も人間なのであって、家庭環境、学校環境、地域環境、労使関係、国家権力の反社会的影響を受けてきた背景があるでしょう。報道は労使関係、国家権力の反社会性を暴く観点が弱いですね。中立思想が行き過ぎていると感じています。
要は、そもそもの強弱関係を事実で規定するということですね。企業と消費者では事実では、企業が強い立場ですね。消費者は保護対象です。労使関係では資本家が強い立場で、労働者は弱い立場ですね。もっとも、弱者だからといって違法行為は許されませんが、強者の違法行為とはレベルが違うし、強者には重く、弱者には軽くという観点があって、初めて法の下の平等は実質化するのではないでしょうか。
行き過ぎた報道が行われているとも思っておりますが、その辺りの力加減が難しいのでしょうね。
>報道は労使関係、国家権力の反社会性を暴く観点が弱いですね。
所属する組織等に対する追求も弱いと思います。
(例・加藤氏の実家放火事件)
街頭宣伝などを行う右翼・極左団体のバックグラウンドなどは、是非報道していただきたいなと常々思っているのですがね。
あの、私は報道関係者ではないのでせめて『していただきたいものです』ぐらいにしていただけませんか?
『してもらえませんか』と言われても困ってしまいます。
>教育刑
こういった長期的な対策は報道では軽視されがちですよね。
しっかり報道していただきたいと私も思います。
>死刑廃止
廃止のメリット(人道的な主張含む)とデメリット(同)をきっちり取り上げた討論番組とかやってほしいですね。
もちろん、論客は双方の第一人者で。
で、視聴者は双方の意見を吟味し、自分なりの結果を出すわけです。
死刑廃止問題だけでなく、様々な事柄についてちゃんとした討論番組をやってほしいものですね。
NHKの『日本のこれから』の司会者とか、田原氏とか、人の意見遮りまくる司会者は無しで。
しかし、ファッション関係、好き嫌いは置いといて、価値観には行動が伴うということを実感して討論、報道して欲しいですね。単なるお話じゃなく。例えば、戦争、死刑、犯罪行為、教育、雇用、労働条件、悪質商法、消費税など税制、社会保険、住環境、社会保障等々。
だとすると、米国のように「市場原理」に基づくセンセーショナリズムへ流れがちになる可能性が高いんでしょうか?
(むしろ地方局とか、米国よりは弱そうにも思います。)
或いは、ナベツネ氏などが引退すると、ドドッと外資が入ってくる恐れとか?