tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

無題の旅~富士・清水・静岡 1日目

2013-04-13 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
【新宿8:00―(小田急ロマンスカーはこね5号)→9:10小田原】
小田急、小田原駅。安い急行で来るつもりだったのだが、新宿駅のホームに入った途端、乗りたくなって特急券を買ってしまった。ロマンスカー。休日にしては朝早い時間のためか、土曜日でも車内は空いていた。

【小田原9:17―(東海道本線)―9:40熱海9:58→10:33吉原】
JRの小田原駅ではうっかりパスモで改札を通ってしまったが、ふと、熱海から先はJR東日本→JR東海と会社が変わるなと気づき、先日からパスモが全国の鉄道で使えるようになったものの、「エリアをまたいでの利用はできない」とニュースで言っていたっけ、と思い出した。改札窓口で入場を取り消してもらい、切符を買い直す。時間がなかったので運賃表を見ている暇がなく、とりあえず初乗り運賃分だけ買って乗る。根府川のあたりでは光る相模湾を眺め、熱海を過ぎると長いトンネルを抜け、三島・沼津と町に停まり、やってきた。静岡県富士市の吉原駅。ホームからは富士山がくっきりと。

この駅から出ている岳南電車に乗る。東海道線のホームから直接乗り継げる連絡階段があったものの、連絡口ではパスモでの精算はできそうになかったので、JRの改札窓口を通って外から回ってきた。ここから岳南江尾までの全9.2km、10駅の旅。

ホームにはすでに電車が。昔の井の頭線車両。1両編成。

1日乗車券、400円。背景の赤地は電車のシート。全線を往復すると700円だから、かなり良心的な金額。券面の「岳南鉄道」という社名は、スタンプで取消しの二重線が引かれ、「岳南電車」に変えられている。ホームページによると、岳南鉄道の鉄道事業の収益が悪化し、地元富士市から公的資金を受けることになったため、今年4月1日、不動産・物販の事業と鉄道事業を切り離し、鉄道事業について新会社「岳南電車」を設立した、と。

【吉原10:43―(岳南電車)→10:48吉原本町】
乗ってわずか5分、2駅目の吉原本町で下車。

駅は小ぢんまりとしたものだったが、駅前からは立派なアーケードの商店街が伸びていた。吉原は富士市と合併する昭和40年代まで「吉原市」という独立した市だったそうで、その中心市街がこのあたりなのだ。

アーケードを突き当たりまで歩くと「吉原中央駅」という名のバスターミナルがあった。「駅」というからには、かつて岳南鉄道はここにも線路を伸ばしていたのか?と思うも、そうではないよう。地方には往々にして「駅」という名のバスターミナルがある。その向かいには、なんとも派手なビルが。モチーフはアラビアン・ナイトだそう。富士とアラビアのつながりはわからない。

アラビアの次はイタリア。富士は「つけナポリタン」(トマトのソースにつけて食べるパスタ)で町おこしをしているらしい。昼前のこの時間もすでに営業している店があり、腹も空きかけているので、食べてみようかと思案するが、今一つ乗れなかった。ナポリタンって、うちには冷凍のが常備されていて、しかも結構美味しいんだよね。だから、外で食べようとあまり思わないのだ。それに、ここの隣町の「富士宮やきそば」がまさにブームの発祥と思うが、各地に乱立する「ご当地B級グルメ」には安易に乗せられないぞ…と身構えてしまう天の邪鬼なところもあるので。地元の人たちは頑張ってるんでしょうけどね。

駅に戻る。土曜日の日中、ここは吉原以外で唯一の有人駅。

駅のホームからもちらっと富士山が見えるのだ。

【吉原本町11:25→11:27本吉原】
ここで失態を演じる。電車が次の本吉原に着いた時、何気なく腰を上げたら、上着のポケットからデジカメがするっと飛び出し、そのまま電車の床にバウンドして、あろうことか、開いていたドアから、電車とホームの隙間に落ちたのだ。つまり線路上へ。仕方がないので、下りる予定じゃなかったこの駅で緊急下車。電車を見送った後、線路に降りてデジカメを拾う。小キズは付いたものの、故障はしなかった。やれやれ。これで壊れたら気分が台無しになるところだった。次の電車まではおよそ40分。本来予定していた下車駅は、次の岳南原田。そこまで歩いてしまうことにする。本吉原駅(吉原本町と混同しやすそうな名前だ)のホームと、背後の製紙工場。

…まあ、歩いているおかげで、こうして走行中の電車も撮れたというものです。上り電車。

線路沿いに歩きたいが、うまい具合に線路に沿った道はない。岳南電車の路線は地図で見ると、吉原をまずは西に出て、その後北上し、吉原本町からは東に向きを変える。「つ」の字を左右に反転させたような恰好。しかも、東進もまっすぐではなく、北へぶれたり南へぶれたり。でも、今歩いていて、方向感覚をなくすことはない。なぜなら、この日本一の「目印」が常に見えているから。

製紙工場の裏手、シュレッダー屑のようなものが大量に。富士は紙の町。

富士が紙の町であることは中学校の地理で勉強して知っていた。新幹線に乗っていて、このあたりで工場の煙突が立ち並ぶのを見れば、「ああ、製紙工場なんだな」とも思った。でも、なぜ富士が紙の町として発展したかの理由については、考えたこともなかった。実地で歩くとそれがよくわかる。水だ。富士山から来る豊富な水。水の張られた休耕田には、水芭蕉のような花が咲いている(帰宅後調べたら、サトイモ科の「カラー」だった。観葉植物としてホームセンターで見たこともある)。垂直コンクリート護岸の川でも、流れる水は実に綺麗。水底に鮮やかな緑の藻が揺らいでいたりする。

11:53 岳南原田駅に着いた。駅舎にはそば屋が併設されており、行列ができていた。

改札を入ってみると、駅構内はとても広い。かつては製紙工場からの荷を運び出していたのだろう。だが、昨年3月で貨物輸送は廃止。それが岳南鉄道の経営悪化に拍車をかけたという。

歩き出そうとしたが、この先食べるところなんてなさそうだなと思い、ちょうど正午のチャイムも鳴ったことだし、そばを食べていく。駅そばでいいんならナポリタンだってよかったわけじゃないか。我ながらへそ曲がりだ。せめてものご当地らしさとして「桜えび天」を載せてみたが。他の客は、近くの工場から来るのだろう、全員作業着姿。遊んでるのは僕くらいだ。厨房の壁には彦麻呂の色紙が飾ってあった。どこにでも出没するんだな。食べ終えて店を出ると、ちょうど上り電車が来た。

12:24 この近辺には多くの湧水源があるという。それを訪ねながら歩こうと思う。標識の足元には…

おお、水が湧いている!こぽこぽと沸騰のような泡を立て、結構な水量だ。

ついさっきまで「海抜2m」とか「3m」といった標識が立っていたような平地なのに、まるで深山幽谷のような瀬まである。

水源のそばには寺(永明寺)があり、後方の山には庭園があった。もみじの赤がひときわ濃厚な色をしていた。新緑の中で、血の塊のような異彩を放っていた。

庭園を登りきると敷地の外に出てしまい、さらに登り道が続く。あの坂の向こうには何があるのだろうかと登っていくと…。

なんということはない。東名高速だった。

坂を折り返す。街並みを見下ろす。工場の操業音が空に低く響いている。写真を撮っている不審者(僕)に気づいたそばの民家の犬が、吠えかかってくる。

妙善寺。「朝7時の鐘は×月×日をもって『撞き納め』しました」と貼り紙が。住職が現役を引退したのかも知れない。

12:59 竹採公園。ここがあの「竹取物語」の舞台であるらしい(後で調べてみると、「由来の地」を名乗る場所は全国にいくつかあるみたいだけど)。

平安時代の書物によれば、この界隈には「赫夜姫」「天上」「見返し」など、物語に因む地名があった、と説明書きが。天に向かってすっと伸びる富士山の稜線を見れば、月に召されるお姫様の伝説が生まれそうなのも頷ける。風にそよぐ竹林。

住宅街に忽然と池が姿を現した。水は綺麗で、農機具を洗っている人の姿も。

本当に贅沢に綺麗な水が流れている。家は流れのすぐそばに壁を寄せて建っている。夏は涼しげだろうが、大雨などでこの水が溢れることはないんだろうかと思う。

13:39 湧水公園。自転車連れの女の子が2人、そばで遊んでいる。こんな素敵な遊び場があって自慢だね、と思う。

鯉が泳いでいる。水底に影がくっきりと映るこの透明度よ!

13:56 岳南富士岡駅。

待合室の様子。車庫のある駅だが、ここも駅係員は不在。

電気機関車が留置されている。貨物の扱いがなくなった今、もう走ることはないんだろうか。ピカピカしているけれど。

待っているのは下り電車だが、上り電車が先にやってきた。踏切は「カンカン」ではなく「チンチン」という金属の鉦の音で、とても情緒がある。本線脇の車庫にももう1両電気機関車が。

駅名票。隣駅の「ひな(比奈)」も、かぐや姫伝説に因んだ地名だという。

駅事務所のガラスに貼られていた時刻表。一瞬読み方がわからなかったが、「業務用」、秒単位まで書いてあるのか!1時間に2本の運行でも、さすがは鉄道、時間には律儀だ。

…果たして、電波腕時計の時刻と5秒も違わずに下り電車がやってきた。

【岳南富士岡14:14→14:21岳南江尾】
終点、岳南江尾駅。山にぶつかるわけでも、工場があるわけでも、集落があるわけでもなさそうで、なぜここが行き止まりになったのか、ちょっと不思議な佇まいの駅。岳南電車のホームページには保有車両数が「5両」と記されていて、今、そのうちの2両は線路を行ったり来たり運行中。もう1両は先ほど岳南富士岡駅構内に停まっていた。以上3両は赤色の単行電車。そして、ここに2両編成の緑色の車両が停まっており、これで全部ということか。これがオールスターだ。

駅のすぐ脇を新幹線が横切っている。今度新幹線に乗ったら、車窓にこの駅を探してみよう。この駅で下りたのは僕ともう1人だけで、そちらもこの電車に乗りに来たのが目的のようだった。マニアしか乗らない電車は淋しいなあ。到着のわずか3分後に折り返す。

【岳南江尾14:24→14:44吉原】
全線乗り通して吉原に戻ってきた。駅の反対側、海の方へ行ってみようと見つけた線路の下の地下歩道。「夜間婦女子の一人歩きは危険です」。

その内部の様子。狭く、長く、暗い。

トンネルを出て、岳南電車のホームを振り返る。

公園に立つ津波避難のタワー。高さ15m。東日本大震災ではこれを飲み込むくらいの高さの津波も来たわけだからなあ…すさまじい。今回の旅では、どこを歩いていても「ここは海抜○m」の標識を見かけた。昔から「東海地震」の発生がいわれてきた地域だけはある。

タワーに上ってみる。富士山は雲に隠れてしまった。手前は駅。

田子の浦港。鄙びた漁港というよりは産業用積み下ろし港といった感じなので近寄りがたい。駅へ戻る。

【吉原15:00―(東海道線)→15:05富士15:08→15:31清水】
東海道線のこのあたりの区間の電車はみんなロングシートで、乗っていてもつまらない。海際のなかなかいいロケーションを走るんだけどな。
ガラス張りの駅舎もまだ新しそうな清水駅。コンコースからは富士山がよく見える。バス停の屋根下に伸びる長い列は、エスパルスのスタジアムへ向かう直通バスの乗客。今日は試合があるらしい。

高層マンションなんかも建つあたり、意外と近代的。清水は政令指定都市・静岡市の一部で「清水区」。

15:45 港に出る。「シーチキン」の「はごろもフーズ」は清水が本社。

港越しに望む富士山。

「三重県尾鷲市」と書かれた船が停泊しており、そばには三重ナンバーの車が停まっていた。遠洋漁業の船員に会うためには、陸路をこうやって三重から静岡までやって来ないといけないんだろうか。いったん出港すると何ヶ月も会えない、とかで。

ここから三保半島へ、湾を横切るかたちで水上バスが出ている。家でホームページを見ておいたのだが、運行ルート・時刻表がとてもわかりにくかった。現地に来てみればわかるだろうと思い、看板で確認したのだが、船頭さんに聞くと、半島側へは行かない、と言う。看板のこの時刻のルート図を見ると、矢印は明らかに対岸の地名を指しているのだが…行かないと言うのなら行かないのだろう。ホームページでもよくわからなかったのは、現地に来てみてもよくわからないのだった。

16:21 …ということで、夕食には少し早いが、お腹が空いてしまったので、「清水魚市場おさかなセンター」で海鮮丼。白身魚のトッピングを2種類選べるというので、店のお勧めという「あんこう」と、あまり聞き慣れない「こしょうだい」を頼んでみた。身の歯ごたえなど、さすが市場の魚という感じがした。美味しかった。980円。

清水駅西口。清水の中心街は東海道の18番目の宿場「江尻宿」にあたるため、西口には「江尻口」という別名もつけられている。ここからバスで三保の松原へ向かう。このバスもパスモで乗れる。静かに感動する。

【清水駅前16:51―(しずてつバス)→17:13白浜町】
バス車内に「営業所従業員の家に6件の電話がありました」と、振り込め詐欺への具体的な注意喚起が。(帰りのバスではさらに「10件」に増えていた)。

17:26 バス停からしばらく歩いたところにある御穂(みほ)神社。

鳥居の前からは、「神の道」という名の松並木が海の方まで続いている。木のデッキで歩くのが楽しい。

羽衣の松。「天女が衣を枝にかけて水浴びしている時、漁師が衣を取りあげ、返す代わりに天女の舞を披露してもらった」という「羽衣伝説」の松。「世代交代」をしたとかで、こちらは新しい方。樹齢650年を超えるという隣の先代は、確かに衰弱が激しかった。…ここでふと気づく。「はごろもフーズ」はこの「羽衣」か!

富士山を望む。少し冷たい風がある。浜には海に向かってぽつんと立っている人がいて、ずいぶん感傷的だなと思ったら、沖に釣り竿を傾けているのだった。

波打ち際は砂ではなく、結構な大きさの石ころが積まれている。


【白浜町18:14―(しずてつバス)→18:35新清水】
静岡鉄道、新清水駅。明日はここを起点に歩き出すため、下見のため下りてみた。

2両編成の電車が6,7分間隔で走っている。道路からほぼそのままの高さでホームに入れるところ、郊外電車らしい駅の佇まい。

アーケードを清水駅方面へ。閉まっている店が多い。妙にアンバランスな大きさの電光掲示板が宙を横切っている。スーパーで小腹を満たすための食べ物を買って(さすがに夕食を夕方4時半に済ませてしまったら、夜までもたないだろう)、ホテルへ。


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「旧道」を歩く

2013-04-11 23:56:23 | 今日の出来事
家が最寄り駅から遠いので、帰宅のルートは途中枝分かれして何通りかできる。

これこそが駅と自宅の最短コースのはず、と思い込んで、何年か毎日使っていたルートがあったのだが、
ある時戯れに「Yahoo!地図」でルート検索をしてみたら、さらに短いルートがあることが判明した。
思いも寄らない角から思いも寄らない路地に入るルートで、
それまでその路地は行き止まりの私道だと思っていたから、入ったことすらなかった。意表を突かれた。
しかし、それからというものはもっぱらそのルートを使うようになり、
それまでのルートは、僕にとっては寂れて廃れた「旧道」となった。

※打っているこの文章中に、「ルート」と「コース」両方の語が出てきて、
 「あれ、この2語の違いはなんだろう?」と思って辞書を引いてみたが、いまひとつわからず、
 仕方がないので、自分が思いついたそのままに使い分けしている。

今日の帰途、ふと、たまには「旧道」も歩いてみようかと思い、久しぶりに歩いた。

店も特段の施設もなく、目印になるようなものが何ひとつない住宅街の道だが、
それでも、いろいろ変化している。

家が1軒壊されて更地になっており、アパートも1棟まさに壊されている真っ最中だった。
このアパートは古めかしい木造で、外壁には蔦も絡まったりしていて、いい味を出していた。
一番道路側の1室では、赤ん坊連れの若い母親がいるのを見かけたが、
このアパートなら、おんぶひもで赤ん坊を負ぶっていたら似合うだろうなと思わせるような、
そんな佇まいの建物だった。
中から漏れてくる明かりも、蛍光灯の白色ではなく、白熱灯のオレンジ色。
きっと部屋の真ん中には裸電球がぶら下がってるに違いないと、僕は勝手に想像していた。

壊されて、跡地には家が建つのだろうが、無理に土地を2分割したりして、
2軒の家が外壁をぴったりくっつけて敷地の中に押し込められているのを見るのは物悲しい。
あれは東京の一番貧相な光景だ。
長屋ではなく、それぞれが独立を主張する家なのに、その独立に無理があり、境界が実に息苦しい。

一方、外壁のモルタルの剥げ落ち方が汚らしくて、
管理が不行き届きなのを露わにしている別のアパートもあり、
こちらの方こそ壊されて視界から消えて欲しいものだったが、まだ健在だった。
窓の外に洗濯物を吊るしているが、道路とあまりにも近いので、せめてもの目隠しだろう、
洗濯物の外側にブラインドをぶら下げている。
その付け焼刃な対応策がまた、このアパートのいい加減さを強めている。

おとなしい町の中でも、道端の景色は少しずつ変わる。

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辞書を食べる(あかぬけ~あげちょう)

2013-04-11 18:38:53 | 辞書を食べる
「辞書を食べる」とは

あかびかり【垢光〔り〕〕
衣類の襟や袖などが、あかなどで汚れて光ること。

汚れているのに光る。なんだか奇妙だけど、確かにある。それを指し示す言葉もあるとは。

あきつしま【秋津島・秋津洲】
「日本」の古称。あきつしまね。

「日本」にこんな呼び方があるとは知らなかった。
西武線の「秋津」駅は何か関係があるんだろうか。
それにしても、今、秋津駅を地図で見てみたら、なかなかすごい場所にある。
清瀬市と東村山市の市境を跨いでいるばかりか(ちなみに武蔵野線の「新秋津」は東村山市)、
埼玉県所沢市の市域も犬歯のようにホーム中ほどに食い込んでいる。
その結果、南口に降りると東京都、北口に降りると埼玉県となり、
埼玉県側に降りても、左右どちらかに歩み出せばすぐにまた東京都へ出ることになっている。

あくせく【齷齪】
(1)小さなことにこせこせするさま。(2)仕事に熱心でせかせかしているさま

擬態語のようなものかと思ったら、こんな大層な漢字まであるのね。

あくだま【悪玉】
悪人。江戸時代の絵双紙などで、悪人の顔を丸に「悪」の字を入れて表したことからいう。

このあたりは「悪××」続きで、確かに字面からも悪い相が滲み出ているが、それがずばり顔の表情そのものだったとは。

あくどい
(1)色や味などがしつこい。くどい。(2)たちが悪い。ひどい。

「悪××」つづきの只中だけど、これは漢字で「悪どい」じゃないんだよね。
むしろ「くどい」に通ずるらしい。

あげく【揚句・挙句】
(1)連歌・俳諧(連句)で最後の七・七の句。←→発句。

「あげる」句だから頭のほうかと思えば、尻のほう。「揚句の果て」は「結局、とどのつまり」だもんな。

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「灰皿のご利用はプラス50円になります」

2013-04-10 22:51:03 | 物申す
やればいいと思うんだよね。世の飲食店はこれを。

「灰皿のご利用はプラス50円になります」って。

実際、灰皿の準備や後始末には、非喫煙客相手には必要ない余計な一手間がかかるわけだし、
空調や内装だって、喫煙者向けに相応の対策を取らなきゃいけないわけでしょ?
そのコストを非喫煙客の代金にも広く加算するのって、考えてみれば変な話だよ。

まあ実のところは、分煙がしっかりしている店なら、
非喫煙客は喫煙客のことなど意識に上らせずに済むから、
店がこの「灰皿代」を取ろうが取るまいがどうでもいいんだけど、問題は、分煙がなされていない店。

タバコがこれだけ世の中から激しく駆逐される時代になっても、
「禁煙でない空間、イコール、好き勝手にタバコを吸っても構わない空間」
という喫煙者の意識はまったく変わらなかった。
タバコを咥える前に「すみません、1本いいですか?」などと周囲に気遣ってみせる喫煙者もついぞ現れず。
少なくとも僕はそんな人に一度も出会ったことがない。
喫煙者のほうにそういうちょっとした気配りがあれば、そこかしこの喫煙所だって、
これだけ根こそぎ取っ払われることもなかったろうになあ…と僕は思う。
たとえば、駅のホームの先端の、電車もそこまでは届かないような「端っこ」なら、
喫煙所があったって別にいいんじゃない?と思うもの。
でも、「隙を見せれば付け入られる」と、喫煙者は非喫煙者に過度の警戒心を抱かせてしまったがゆえ、
これだけ喫煙スペースも忌み嫌われるようになったんだろうな。

路上の喫煙も取締りが厳しくなってきた今、
「非喫煙者が喫煙者に付け入られる」最前線となっているのが、「分煙されていない飲食店」だ。
(その意味で、松沢成文前神奈川県知事の政策は正しい。僕は別に支持者じゃないが)。
ここでは非喫煙者は、隣で喫煙者にタバコを吸われたら、一方的に「負け」ってことになる。
漂ってくる煙について、何も言えない(それでも言える人は言えるだろうが)。

もちろん、「うちは禁煙なんて糞喰らえ。喫煙客大歓迎。好き放題吸ってちょうだい!」
と覚悟を決める店もあったっていい。そういう店は、明示してくれれば、こっちも行かないから。
でも、今のところはまだ、タバコに対するスタンスの歴然たる色分けができていない店が多いので、
なあなあでタバコを吸われて、なあなあでそれを受け入れざるをえない、という状況が続いている。

だから、そろそろ次のステップに移行してもいい。

喫煙者は「禁煙でない」店ではのびのびとタバコを吸える、というのではなく、
ちょっと「出鼻を挫かれる」ようになるのだ。
店員に「灰皿代として50円いただきますが…」と言われることで。

「50円」という微妙な金額がいい。
「10円」じゃ負荷や抑止力にならないし、「100円」じゃちょっと攻撃的だ。
その間をとった1コインで、少し「セコさ」「みみっちさ」を臭わせる金額がいい。
このセコさ、みみっちさこそが、まさにタバコの興を殺がせるのだ。

「灰皿の利用は有料」今にそういう時代がきっと来る。
…と思ったけど、よくよく考えてみれば、
「屋内の公共の場所は全面禁煙」ってなるほうがずっと早いかもね。台湾みたいに。

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「文字通り」は「文字通り」だろ

2013-04-09 23:17:57 | 物申す
言葉の使い方で気になることってある。

「文字通り」という言葉は、実際に「文字通り」になる意味合いで使うべきなんじゃないかと思っている。

彼とは、文字通り「同じ釜の飯を食った」仲なんです。

この場合、この2人が単に「起居をともにしていた」というだけでなく、たとえば同じ寮に住んでいて、
同じ食堂のまかないおばさんが作るごはんを毎日食べていた…なんてことを示していないとおかしいと思う。

「今日はおばさん、何を作ってくれるのかな」…彼とは毎晩、寮の晩飯のことを話題にしていたものです。
キツいトレーニングに明け暮れていたあの頃の僕らは、食べることが何よりの楽しみでした。
だから彼とは、文字通り「同じ釜の飯を食った」仲なんです。


…みたいな。
ただ語気を強めたいがためだけに、ちょっとアクセントをつけたいがためだけに、
「文字通り」という言葉を持ち出してくれるな、と思う。

ところが、ニュースのリポートなどを見ていても、こんな言い回しが出てくる。

殺到した大勢の見物客で、会場は文字通り鮨詰め状態です。

…いらんでしょ、「文字通り」って。なくても通じるし。
何より、「鮨」について描写しているのでない以上、「文字通り」じゃないわけだし。

自分の描写力の足りなさを補おうと、おかしな力みを込めている、そんな言い回しに思える。
あるいは、「まさしく」「まさに」といった副詞よりも「気が利いている」と思っているのか。
気が利いた表現を使ったつもりの自分に酔っているのか。

「文字通り」を「文字通り」じゃないのに使っている人がいたら、要注意だね。

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