tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

「名札を付け忘れました。申し訳ありません」

2013-04-24 16:26:24 | 物申す
帰宅の道すがら。
水の宅配業者の車が停まっていた。
荷室後部に玄関表札くらいの大きさのフレームが付いており、そこにこんなメッセージが。

「名札を付け忘れました。申し訳ありません」

(本来、こういう引用はありのままの通りを再現しないと説得力がないのだが、
 あいにく正確には覚えていない。でも、だいたいこんなニュアンスのフレーズだった)

要するに、本来は配達ドライバーの名札プレートをこのフレームに差し込まなきゃいけないところを、
入れ忘れているので、プレートで隠れるはずの下地の部分が見えて、
そこに記されているこのメッセージが読めてしまう、というわけ。

…なんなんだろうな。このメッセージに込められた、「どうでもいい律儀さ」は。

「配達に出る時は必ず車体に名札を掲出せよ」という社命はわからないでもない。
名を明らかに示すことで、配達や運転に個人として自覚と責任を持ちなさい、という趣旨だろう。

だが、その名札を付け忘れた時のためのこういう「釈明」って必要なのか?
このスペースを空白にしておくのではおさまらず、わざわざメッセージを印字する。相当周到だ。
「こういう細かいところにまで周到に気を配る企業なんです」というアピールなんだろうか?
では、そこまで周到さを持ち得る企業に、
「名札を付け忘れる配達員」がいるという体たらくはどうなるのか?
周到なのか、雑なのか、ちぐはぐさが際立つだけだと思うのだが。

「どうでもいい律儀さ」でもう1つ思い出した。

最近、地下鉄に乗っていると、
「ただいま車内では送風を使用しています」「除湿を使用しています」「空調は使用しておりません」
といった、「空調の運転モードの案内」のアナウンスが入るようになった。
これなども、何を目的としているのかわからない。

乗客からすれば、車内環境が快適でさえあれば、
空調の運転モードが今何であろうと関係ないし、知らしめられる必要もない。
逆に、不快であれば、運転モードが何か知らしめられたところで、不快さが収まるわけでもない。
むしろ逆効果かも知れない。
「この寒いのに、なんで車掌はわざわざ『送風』なんか使ってるんだ?」
「この暑いのに、なんで車掌は空調を止めているんだ?」
と異議をおぼえるばかりか、その申し立て先があるわけでもないことで、余計に不満が募るだけで。
つまり、この「情報公開」には何の意味もないのだ。
意味もない情報を提供することは、もちろん「きめ細やかなサービス」でもない。
結局はこのアナウンスも、「律儀さ」を取り違えているのだ。

他人事ならば一笑に付しておけばいい。
だが、これらの「律儀さ」の向こうに見えるのは、おかしな「管理」をしたがる誰かの姿だ。
「車体に名札を付けなさい」「空調の案内アナウンスを入れなさい」、という号令を、
その意味も説かず、意義を検証することもなく、ただ「上から降らせて」管理したがる人が。

こういうのにはつくづく毒されたくないね。

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