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「枕が変わると眠れない」のセオリー通り、ゆうべはなかなか寝付けなかった。ホテル特有のあの「ピシッと張られた掛け布団シーツ」が馴染めなくて、柔らかくしようとして何度も大きく寝返りを打った(やりすぎると寝相次第でシーツと布団がバラバラになり鬱陶しくなるので、頃合いが難しい)。そうして午前3時過ぎまで眠れなかったのに、わずかの後に目覚めた。目覚めてしまったのなら、もう寝ようとは思わず、出発することにする。今日は恵那山に登る。ガイドブックによれば、歩程は8時間40分。下山後、中津川駅前でレンタカーを返し、16:30に出る馬籠行きのバスに乗りたい。逆算するとあまり余裕がない。早めに発つに越したことはない。
5:11 中津川のホテルの部屋の窓から恵那山方面を望む。山には雲がかかっている。少しどんよりとしている。
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2車線のバイパス国道から県道、集落を抜ける道、行き違いが困難なほど細く急カーブが続く山道…と24km走ってきて、神坂峠(ずっと「かみさか」と思っていたが下山後に「みさか」と読むと知る)の登山口へ。早朝にもかかわらず、あまり広くない駐車スペースにはすでに何台かが停まっており、僕の車でちょうどスペースが埋まった。
6:34 歩き出す。しっとりと霧に包まれている。ここの標高は1569m。頂上(2191m)との高低差は622m。
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登る。生まれたての朝、爽やかな山歩き…と言いたいところだけど、小虫がブンブン飛んで顔にたかってきて、煩いこと。手で払いのけながら歩く。こういう、虫が賑やかな山なんだろうか、それとも、暑くなる前のこの時間帯だから動きが活発なんだろうか。
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尾根上に出る。
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6:50 ガイドブックには“第一のピーク”とある地点。前方に恵那山がどっしりと横たわる。
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東側、南アルプスの山並みを望む。まだ柔らかい朝の陽射しが美しいが…虫たちのブンブンは続く。
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北側、1つだけ突き出た頂は御嶽山だろう。
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ピークを越えると下り道が続き、なんと、ここの標高はスタート地点の神坂峠より低いという。7:08 鳥越峠。
アップダウンが多いのがこのルートの特徴で、それゆえ、復路(下山)も往路と同じくらい時間がかかる、とガイドブックにある。
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7:41 大判山(1696m)。前方の恵那山もだいぶ迫ってきた。
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虫のブンブンもそろそろ落ち着いてきたので、朝食。昨晩中津川のバローで買った菓子パン。気圧差で袋がパンパンに膨らんでいる。
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ひたすら歩き続けているが、ふと見上げると、ほっそりとした木立の緑が美しい。
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北側、歩いてきた峰のさらに向こうに、木曽駒ケ岳などの中央アルプスが見える。
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そこから少し西寄りに目を転じれば、孤高の御嶽山の頂も雲海の向こうに。いずれの山も未踏。いつか登りに行こう。
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空には飛行機雲。天気は下り坂かな。
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ここまでいくつかの登り下りを越え、いよいよ恵那山本体に取り付いたかな、と思う。駐車場に車があったから意外ではないが、何人かの早朝登山者の下山ともすれ違う。
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頂上へ連なる尾根上に出る。南側、木々がなぜか立ち枯れている。
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9:39 山頂小屋。その裏の岩の上から。奥の木立に隠れている赤い屋根はトイレ。汚物を自然に分解・蒸発させる仕組みになっているという。
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9:48 恵那山頂(2191m)。木立に囲まれ眺望は利かない。櫓に上ってみてもそれは変わらなかった。櫓はまあ気休めみたいなものかな。来た道を引き返す。
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10:53 天狗ナギ。ナギ=薙。山の一部が崩れて、横に切りはらったようになっている所。山の用語は、耳にしているようで、その意味をちゃんと知らなかったりする。こうして実地で学び直す。
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「下山路」ながら、前方にはまだ越えるべき峰が聳える。なるほど、「往路も復路と同じくらい時間がかかる」わけだ。
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12:28 “第一のピーク”まで戻ってくる。恵那山を振り返る。雲に隠れている。
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“第一のピーク”は周囲がよく開けていて気持ちいい。今朝コンビニで買ったおにぎり3個の昼食。
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さて、もうひと歩き!
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12:53 登山口のアスファルトが見えてきた。下山。日本百名山、46座目を踏破。
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神坂峠からは、対向車が来たら嫌だな…と思いながら幅のない山道を下り、それでも2度3度は行き当たってしまい、こっちが下がったり、向こうが下がったりで譲り合い、集落の道、県道、2車線のバイパス国道と走り、中津川駅前へ。馬籠行きのバスまでまだ2時間ある。中津川の見どころを探そうとビルの中の観光案内所に入るが、地図付きの観光パンフレットは英語・中国語のものしかなく、日本語のがない。係員もいない。やむなく、ロータリーに立っている観光案内のイラスト看板で当たりをつけ、やってきた。
14:33 苗木城跡。まあ、こんな風な石垣がちょこっと残ってるくらいでしょ、と思いながら歩いていくと…
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おっ!前方に急峻な崖が現れ、その上に石垣が。あれは面白そうだ。
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崖を登っていく。自然の大きな岩と人工の石垣を組み合わせてできた城。
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頂上の櫓が見えてきた。陽射しが強く、先ほどの登山以上に大汗をかいている。
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かつての天守閣の代わりに立つ櫓の上からの眺め。直下と言ってもいいくらい急角度の崖の下には木曽川が流れ、正面には恵那山の堂々たる姿が。神坂峠の「窪み」など、自分が先ほど歩いてきた稜線がよく見え、あらためて「あの山に登ってきたのだ」という実感が湧く。これは嬉しい眺め。来て良かったなあ。駅前で見た雑駁なイラスト看板だけで、よくぞここを探し当てたと思う。
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櫓のすぐ下にある周囲45mの大岩「馬洗岩」。名前の由来が面白い。かつて苗木城が敵に攻められ水の手を切られた時、この岩の上に馬を乗せてその体を米で洗い、水が豊富であるかのように敵を欺いたのだという。なるほど、キラキラ光る米粒は遠目には水に見えたかも知れない。戦略のユニークさと、武士の痩せ我慢と。
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15:15 レンタカーを返し、再び中津川駅前へ。「栗きんとん発祥の地」の碑。碑を建てる理由はいろいろあるものだなあ。
水戸には「納豆の碑」もあったしなあ。苗木城の城主も栗の実を将軍家に献上していたとか。この辺りは煎茶も盛んだったため、地元の人たちの自慢のお茶うけが、いつしか土地の名産になっていったのだという。
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恵那と同じく、中津川も中山道の宿場町。馬籠行きのバスの時刻まで1時間、町を歩くことにする。宿場の入口、高札場。
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町を横切る中山道は商店街となっている。商店街と言っても、この炎天下、人出はほとんどないが。帽子屋さん。
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矢印に従い細い路地を抜けると…
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「桂小五郎隠れ家跡」が。かつてこの場所には料亭があり、長州藩士・桂小五郎(後の木戸孝允)は、江戸から京都へ向かっていた長州藩主・毛利慶親の行列をここで待ち受けていた。料亭での3日間の密談の結果、長州藩は朝廷方につくことを決断し、やがて討幕運動の中心勢力となっていく。いかにも「隠れ家」らしい密やかなアプローチの奥に、こんなにも歴史を大きく動かした場が存在したとはね。
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「岐阜新聞・岐阜放送 中津川支局」が。一見民家のようで、住居と一体となっているんだろうか。「新聞社の通信局」というやつに僕はとてもシンパシーを覚える。火曜サスペンス劇場でやっていた水谷豊の「地方記者・立花陽介」シリーズ、ああいう人生に憧れたんだよなあ。
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人通りのない商店街に、街灯のスピーカーからイージーリスニングが流れる…地方都市にありがちな光景。
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商店街のあちこちに貼られていたポスター。そうか、リニア新幹線はこの町を通るのか。名古屋まで10分、品川まで50分だって。中山道の時代はもとより、昨日僕が東京から電車を乗り継ぎやって来た行程を振り返っても、なんとも暴力的なまでの短絡だなあ。そんなに東京を近づけちゃっていいんだろうか。
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曽我家住宅。江戸時代は村の庄屋、宿の脇本陣で、明治時代は医院、そして今でも現役の住宅として使われているという。張り出したうだつ、統一感のある色調など、デザインがカッコいい。
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うだつ。類焼を避けるための防火壁。昨日、明智の旧三宅家でも「火事が起きたら…」を想定した家の構造を見たけど、昔の家作りにとって、火事は本当に大問題だったんだな。
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昨日から岩村、恵那、中津川と宿場を歩いて、宿場には決まった様式があるのだとわかった。入口に高札場があり、本陣、脇本陣、旅籠、木賃宿、問屋場があり、そしてこれがある。枡形。宿場の両端で道をクランク状に曲げた箇所。敵に容易に攻め込まれないための工夫だという。道の形状は今もそのままで、車がくるくるとハンドルを切って走っていく。この枡形に面して造り酒屋が。銘柄はズバリ「恵那山」。
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酒屋の軒先には屋根付きの杉玉が。
来た道を折り返し、駅の方へ。
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木の格子にシンプルな緑の鉢植えはよく似合う。
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井戸。ポンプを押したらちゃんと水が出た。
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四ツ目川。恵那山は雲に隠れている。
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時代劇のセットのような「表面だけ」の建物が並んでいる一角。奥に進むと…
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人感センサーに反応して蔵の窓から招き猫が現れた。運勢を占って喋るらしいのだが、スピーカーの音が雑音交じりで、2回やってみたが、何と言っているのか聞き取れない。「石や物を投げないでください」の貼り紙がなんだか痛々しい。この蔵はトイレになっていて、ちょうど便意を催したのでありがたくお借りする。すっきりしてバス乗り場に向かう。
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16:55 中津川からバスで25分、馬籠へ。
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石畳、この坂、このカーブ(この鍵曲がりはもちろん「枡形」)、この家並み…いいなあ。
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通りを練り歩く観光客ももう撤収する時刻。落ち着いている。
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通りに面したこの旅館に今日は泊まる。
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入浴後、時間になって夕食の部屋に下りると、なんと僕以外の宿泊客はすべて外国人の個人客だったので驚いた。「ナカセンドー マゴメジュク」、日本人でも知らない人は多いだろうに、こんなにも外国人に愛されていたとは。なんだか胸を打たれた。
18:48 食事の係の人が「外で流しそうめんをやりますよ」と言うので食後に出てみると、通りの傾斜に沿って長い長い竹の管が。僕は宿の夕食でお腹いっぱいだったので見るだけだったけど、子どもたちは夢中で、水流に箸を突き立てて、そうめんが流れてくるのを今か今かと待ち構えていた。宿泊客というより地元の子どもたちみたいだ。
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通りを登ってみる。明日もこの街道を妻籠まで歩くつもりだけど、昼の道、夕方の道、何度歩いても楽しめそうな魅力的な道。流しそうめん会場が途切れると静かになる。聞こえてくるヒグラシの鳴き声が夕涼みの雰囲気にふさわしい。
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宿場の端まで歩く。登ってきた道を振り返る。ここでも宿場の様式通り、僕の後ろには高札場が。
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家々に街灯が灯り始めた。
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恵那山も次第に闇に沈む。