tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

今月読んだ本と観た映画(2017年7月)

2017-07-31 23:00:00 | 今日の出来事
<今月読んだ本> 10冊

4(火) ■柴田徳衛 『東京問題』

8(土) ■村上春樹 『遠い太鼓』

9(日) ■日野瑛太郎 『定時帰宅。~「働きやすさ」を自分でつくる仕事術~』

11(火)■影山裕樹 『大人が作る秘密基地』

12(水)■加藤郷子 『あえて選んだせまい家』

14(金)■本田由紀 『もじれる社会:戦後日本型循環モデルを超えて』

23(日)■川上卓也 『貧乏神髄』

25(火)■清水義範 『全国まずいものマップ』

27(木)■渡部和泉 『個人ではじめる、小さなカフェ―自分らしいカフェをつくった15人のストーリー』

28(金)■日経レストラン編集部 『飲食店完全バイブル さすらいの再建人 マサが行く!!』


<今月観た映画> 4本

1(土) ●ケビン・ベーコン マット・ディロン 『ワイルドシングス』

4(火) ●スーザン・ウォード レイラ・アルシーリ 『ワイルドシングス2』

12(水)●キューバ・グッティング・Jr ドルフ・ラングレン 『アサシン』

15(土)●ビル・ナイ イメルダ・スタウントン 『パレードへようこそ


広島一泊旅行 2日目

2017-07-30 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
朝は6時前に目覚めてしまった。部屋のビューバスに横たわり、長々と寛いだが、妻がまだ起きない。外に散歩に出る。
6:57 ホテルの前には小さいながらビーチがある。釣り人がいる。小舟が沖を行く。

本土とは埋立地と橋を介して繋がっているものの、ここは島だ。その成り立ちは自然観察の対象となるらしい。柱状節理。先ほどは「断層」もあった。

島の南端をめぐっている。この後、海岸沿いをそれ、山道を灯台まで登っていく。朝からセミが盛んに鳴いている。朝風呂に入ったのに汗ばんできてしまった。…さて、ホテルに戻り朝食ビュッフェだ。

ホテルからのバスを、平和大通り近くのバス停で降りる。陽射しがかなり強く、セミが大合唱。
9:42 平和大橋を渡る。欄干が独特のフォルムをしている。彫刻家イサム・ノグチのデザイン。昭和27(1952)年完成。

橋を渡った元安川、そして本川に囲まれた中州一帯が平和記念公園。平和記念資料館を見学する。原爆のむごさ、戦争の愚かさをあらためて実感する。高校の修学旅行でも来たが、その時に比べ、展示の生々しさが弱まっている気がする。人形による被害の再現などはなくなっている。いいのか悪いのか、往時より洗練されている。しかし、ひとつひとつじっくり眺めれば、伝わってくるメッセージはやはり切実だ。

原爆死没者慰霊碑。アーチの中を視線が抜けた先に原爆ドームがある。公園の設計は丹下健三。外国人観光客がこの前で笑顔で記念撮影をしている。笑顔じゃないだろ、と思う。

台座の上で「平和の灯」が燃えている。資料館を振り返る。資料館中央部からここを通り原爆ドームへ、真っ直ぐな軸線が貫いている。8月6日の平和祈念式典に向けて、敷地内にはテントが設営されている。

11:27 原爆ドーム。あの日もこんな風に暑い日だったんだろうか。脇の相生橋を市電が渡る。

爆心地。この内科医院の上空600mで原爆が炸裂した。一帯は3000~4000℃の熱線と爆風、放射線を受け、ほとんどの人々が瞬時に命を奪われたという。今は近隣のデパート提携の立体駐車場入庫待ちの車で混雑している。

市電の走る相生通りに出る。この背後には、取り壊されて更地になった広島市民球場が。跡地には文化芸術施設やイベント施設が造られるらしい。

11:52 炎天下の舗道をとぼとぼと歩き続け、広島城へ。御門橋と表御門。

被爆したユーカリの木。ここは爆心地からおよそ740m。そばの建物群が炎上する中、この木だけ生き残ったという。そして今も齢を重ねている。

天守閣。原爆で倒壊したが、昭和33(1958)年にコンクリート建築で復元。中は博物館になっている。川(太田川)の流れが幾筋にも別れ、島や砂州が点在していた広島。「天然の堀」が得られることと、川の水運を活用できることが、ここに城の築かれる理由になったのだろうか。

天守閣の中が冷房完備であるわけもなく、暑さで展示物の見学も早回し気味。しかし最上階で外に出ると、吹き抜ける風が思いのほか心地よい。南側、原爆ドーム方面の眺め。

城を出ると、またしても輻射が激しく日陰もないアスファルト、コンクリートが続く。目指す縮景園のすぐ手前で、たまりかねて県立美術館のロビーに逃げ込む。縮景園の庭を見下ろす素敵な空間。何より冷房が効いている。汗を引かせる。

縮景園に入るも、見学前にまずは茶店へ。東屋で白玉クリームあんみつ。屋外でも日陰にいると意外としのげる。まして冷たいものを口にすれば。

広島浅野藩初代藩主・長晟が1620年から造成。大火や改修を経て、戦前に広島県へ寄贈される。原爆投下の被害を受けたが、その後、少しずつ復元されていった。

木立ちのトンネルは心が休まる。

しかしまた町へ出れば、そこは大都市、なんとも非人間的な灼熱空間が広がる。旅の印象として記憶に刻みたくもないので、早足で通り過ぎる。汗が噴き出る。
14:18 京橋川に架かる稲荷橋。爆心地からおよそ1.35km。原爆の爆風でレールが波打ち、川には無数の死体が浮かんだという。広島の町中はどこも、原爆の記憶が刻まれている。

3連接の大型車両が路上を走るのが広島市電の特徴。

14:39 繁華街・新天地に入り、遅い昼食。広島焼きを食べてみようとやってきた。昭和22(1947)年創業の「へんくつや」。

「お好み焼き そばスペシャル 肉玉・イカ・エビ入り」(1100円)と「お好み焼き 肉玉入り」(700円)。広島のお好み焼きは関西のとは異なり、具と生地を混ぜ合わせず、炒めた具や麺の上に薄い生地をかぶせる。つまり「魚介肉野菜焼きそば・クレープのせ」といった感じ。正直なところ、これは妻とも一致した意見だが、具・麺と生地が一体化していないのは、それぞれをバラバラに食べているようなもので、あまり「お好み焼き」という感じがしなかった。まあ、あまり好みではなかったということ。しかし、何事も一度は経験してみないことにはね。

陽射しから逃れられるアーケードの本通り商店街を歩き、広島の物産を集めた店で、つけ麺や牡蠣の缶詰などをお土産に買う。再び原爆ドームに着き、その名も「原爆ドーム前」停留所から市電に乗る。広島の市電は営業距離、利用者数、車両数いずれも日本一の規模を誇り、本当はもっと乗り回したかったのだが、乗ったのはこの旅でこれが最初で最後となった。広島駅へ向かう。
【広島16:17―(のぞみ42号)→20:13東京】


広島一泊旅行 1日目

2017-07-29 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
【東京7:50―(のぞみ13号)→11:49広島12:00―(山陽本線)→12:28宮島口】
広島で新幹線から乗り継いだ山陽本線。ボックスシートに座っていたが、前の席のおばさんが膝の上に置いている布製のバッグに、なんとも不思議なブローチが付いていた。本物そっくりのセミなのだ。羽も薄いセロファン状の。なんともグロテスクだったし、付いている位置も中途半端で、おばさんがバッグの上にさらに抱えているビニール袋の荷物に潰されそうになっている。まさか本物のセミじゃないよなあと思いながら、目で追うともなく追っていたが、おばさんは途中の駅で降りていった。しかし、妻が目撃したところによると、おばさんは降りる際、バッグのセミの存在に気づき、「!」という表情を浮かべたそうである。いわく「あら!こんなところにセミが!でも、この車内で振るい落とすわけにもいかないし…」といった困惑の表情、だったらしい。本物のセミがあんなにおとなしくへばりついたままでいるものだろうか?あるいは死んだセミなら、あんなにうまいこと引っかかったままでいられるものだろうか?謎である。
12:35に宮島口を出た宮島松大汽船で、一路宮島へ。乗船時間は10分足らず。暑い日だが、海風が気持ちいい。

電車に4時間半も揺られてきたのでお腹が空いていた。
13:06 創業100年の店、「梅山」であなご丼。1680円。あなごがまるまる2匹使われているそう。身がしっかりしていて型崩れしない。それなのに味はしっかり沁みている。食べごたえがあった。

厳島神社へ向けて参道を歩き出すが、すぐに立ち止まる。広島に来たらこれも食べておかないと。

「生産者が営むカキ料理店」というふれこみの「沖野水産」店頭で焼き立ての牡蠣。1個200円。牡蠣は苦手だが、これは食べやすかった。産地で食べると違うのかな。牡蠣のシーズンは「スペルに<R>のある月」と聞いたことがある。つまり9月から3月。今は旬とは言えないのかも知れないが、僕には充分美味しかった。

参道商店街の真ん中にある世界一のしゃもじ。長さ7.7m、重さ2.5tだそう。この後、参道商店街の「一松堂」で、しゃもじは買わなかったけど、木のスプーンを2本買った。蓮華としても使えそうな深めの物。

13:53 ご飯を食べたり買い食いをしたりお土産を眺めたり、だいぶ寄り道をしたけど、いよいよ目的地、厳島神社へ。高校の修学旅行以来の訪問。しかし陽射しの強い日だ。砂地の地面からの照り返しも激しい。

そこらじゅうに鹿がいるのだが、この暑さで鹿も日陰でぐったり。

今日の宮島は13:36が満潮時刻。つまりちょうど今頃が一番海面が高い。

海の上にいると、心なしか風は感じられるかな。創建は593年。1168年に平清盛が現在の規模に造営した。

高さ16m、「木造の鳥居としては国内最大級」という海上の大鳥居。根元が地盤に打ち込まれているわけではなく、「置かれているだけ」というのがすごい。自重を支えにして立っている。

14:34 神社を出て、この小川を見つけて流れに足を浸したくなり、近くの売店でかき氷を買ってきて休憩。

紅葉谷公園を抜ける。今は深緑が綺麗だけど、その名の通り紅葉も見事だろう。

15:08 弥山を目指し、ロープウェイに乗る。2本のロープウェイを乗り継ぐ。まずは小型のもの。「8人乗り」と書かれているけど、「超小型」なので4人も座れば充分いっぱいという感じ。ましてこの炎天下で、空調なしだからね。

山の中腹で30人乗りの大型のものに乗り換える。神社とは島の反対側(四国側)の海が見えてくる。

島を17:00に出る船に乗らなくてはならない。逆算すると、帰りは16:15のロープウェイで下山しなくてはならない。今から45分くらいで、ロープウェイの頂上駅から「往復所要1時間」とパンフレットに記載されている弥山山頂までの登山道を行って帰ってこようとしている。なかなか慌ただしい。しかしこれが今日のハイライトイベントである。
15:39 霊火堂。弘法大師が修行に使った火が1200年以上燃え続けている「消えずの火」なるものが堂内にあるらしいが、先を急いでいたために通り過ぎてしまった。暑さでパンフレットを読み込む気力も鈍っている。

山頂に近づくにつれ大岩が現れる。不動岩。

15:47 弥山山頂(535m)。「神社の裏山」感覚ではない、なかなかボリュームのある山。標高500m台という意味では高尾山と変わらない。宮島をなんとなく江の島と似たようなイメージで捉えていたが、かなり違う。

四国側の眺め。

宮島港と広島市街方面の眺め。それにしても暑い。汗をかいたシャツはあとで塩を吹くに違いない。

神社まで下りると、境内の潮が引いて、先ほどまで海だったところの地面が見えていた。
17:00発の高速船に乗る。到着してわずかばかりの客が降り、待っていた客が乗り込むと、すぐに出発した。その間わずか2,3分。時間を節約する目的で乗る「高速」船ならではの、素早い運行。

ロープウェイを降りてから桟橋まで急ぎ足で来たので、大汗をかいていた。エアコンの効いた船室のサロン状のソファで休む。しかし、船ならやはり風を感じたいと、デッキに上がる。宮島が早くも遠ざかる。

17:24 船は今日泊まるホテルの目の前に着く。船で宿に上陸、なかなかない体験だ。広島市街地から離れているこのホテル、夕食もこのホテルの中で完結させなくてはならない。夏季限定のビアガーデンがあったがすでに満席だった。中華料理店が予約できたが、入れるのは20:30から。温泉に入ってもまだ食事まで時間があったので、最上階のバーで1杯。こんな気障なことをしたのは初めてだが、これも同伴者がいるからこそ決意できることか。ウォッカ、カカオ、生クリームのカクテル「バーバラ」で、1時間ほど寛ぐ。生バンドの演奏があって、広島市街地の夜景があって。印象的な夜になった。ほろ酔いで階下の中華料理店に向かう。窓から海の向こうに花火(おそらく呉の花火大会だろう)が見えた。前菜盛り合わせ、薬膳スープ、パプリカと牛肉の細切り炒め、茄子とトマト入り海老のチリソース煮、瀬戸内産スズキの広東風蒸し物、サラダ冷麺、マンゴープリンクリームチーズソース。


3連休

2017-07-17 23:00:00 | 今日の出来事
<7/15(土)>
妻は友人宅へ出かけた。家で留守番。
この猛暑の中、自分は外出しなくたっていいやと思っていたが、ふと玄関を見ると、
大きな紙袋がどすんと置かれている。
あれ、妻はこれを今日お土産として持っていくはずじゃなかったのか?
問い合わせのメールを送ると、「忘れた 取りに帰る」と。
仕方がないので、自転車でそれを駅まで持っていく。
今朝がた、「忘れないようにあらかじめ玄関に置いておこう」と言っていたのに、
こんなにでかでかとした袋なのに、それを忘れていくなんて、ずいぶんそそっかしい人だ。
外出の予定はなかったのに図らずも出かけることになったので、
駅近くのミニスーパーでから揚げ弁当やジュースを買って帰る。
30%割引だったので「まるごとバナナ」も。
本当はお昼ご飯は冷蔵庫の余り物で済ますつもりだった。
暑い部屋でエアコンもつけずに録画の映画などを見て過ごす。途中、昼寝あり。
夕方、掃除しないままの部屋で3連休を過ごすのは嫌だと思い、家中に掃除機をかけ始める。
庭のあじさい、みかん、アイビーが伸びすぎていたのを切り、水を撒く。
そうして大汗をかいたところでシャワーを浴び、上がって缶チューハイ。
夕食は帰宅した妻が作った。そうめんを使った冷製パスタ風の料理。
妻は僕がメールするまで忘れ物にまったく気づかなかったらしい。
そのお土産を持っていくことこそが今日の外出の主目的であったはずなのに。
2人で大笑いする。

<7/16(日)>
チケットをもらっていた広尾の山種美術館へ向かう。
渋谷駅から歩き出し、妻が事前に調べて見つけていた店で昼食を取ろうとするが、「日曜休業」。
またそそっかしさが出た。「行ってみたら休み」のこのパターンも今日が初めてではない。
渋谷の駅前からだいぶ離れたエリアなので、別の店探しは難しいと思っていたのだが、
運のいいことに、すぐそばに手ごろな定食店があった。
(こういう運の強さも持っている。うちの妻は)。
「若鶏と茄子の柚子おろし煮定食」880円。
日曜というのに店内には勤め人風のグループが多かった。
渋谷にあるIT企業などは日曜も出社するのかも知れない。

店を出て歩き出すと、渋谷駅徒歩圏とは思えない静かな住宅街があった。
「こども相撲大会」の行われていた氷川神社を抜け、
コンクリート打ちっ放しの建物が洒落ている國學院大学の前を通り、山種美術館へ。
「没後50周年記念 川端龍子 ―超ド級の日本画―」展。
超大型サイズの作品をいくつも描き、画壇からは“会場芸術”と揶揄されたらしいが、
(つまり当時は“床の間芸術”が主流だったのだろう)
「会場芸術で何が悪い」と、その後も壁画のように巨大な絵を描き続けた。
渦潮を描いた作品「鳴門」が良かった。ブルーの発色がきれいだった。

渋谷中心部に戻る。

超高層ビルをニョキニョキ建てるのはいいが、高くする分だけ、地面に余裕は生まれないのだろうか?
このまま行くと、圧迫感のあるビルが林立するばかりで、
窮屈で動線の悪い街ができあがりそうな気がしてならない。
すでに東急東横線(地下鉄副都心線)渋谷駅の地上への動線もひどいものである。

妻は西武百貨店へ、自分は東急ハンズへ。通勤カバンを見るが、
「軽くて、ハードユースに耐えそうで、“いかにもサラリーマン”っぽくない」という
希望に合致するような商品はなかった。
早い話が、今持っているカバンより惚れ込めそうなものはなかった。
昔はなんでも揃っていると思えた、東急ハンズ、その後回ったロフトや百貨店だが、
最近は品数が少なくて値段も高いという印象が強い。
かと言って、実物が見られないウェブ上で買いたいわけでもなく、
郊外のショッピングモールやホームセンターの方が選択肢が多かったりするのだよなあ。
そんなこんなで、繁華街・渋谷の逍遥もすっかりくたびれてしまった。
別れて1時間後の15時に妻と再合流。妻も何も買っておらず。
近くに見つけたあんみつの店へ。クリームあんみつとほうじ茶。
お茶を丹念に淹れてくれ、あんみつのみつ豆も寒天も手作りです、といういい雰囲気の店だが、
いかんせん、地下という立地のせいか、室内の空気がカビ臭い感じで、
(夜はバーにもなるというこの店、タバコの排気がうまく行っていないのか)
そこが残念だった。渋谷の只中とは思えない静謐さはとても良かったのだが。
センター街の「ヤフオフ」でヤフープレミアム会員無料引換の古本を1冊貰い、
(妻が選んだ『ディズニー7つの法則』)帰宅。

<7/17(月)>
昼頃、妻と駅前の大通りに出て、パン屋さんが営むパン食べ放題のランチ。
しこたまパンを食べまくる。
ホットヨガに行くという妻と別れ、商店街の八百屋で買い物をし、図書館で本を何冊か借りて帰る。
さすがに暑い日が続くので我慢せずエアコンをつける。
借りてきた本を何冊か交互に読む。
たらふくお昼を食べた後でエアコンの効いた部屋に寝転んだら間違いなく昼寝をしそうなものだが、
食事の際にアイスコーヒーを飲んでいたためか、眠くはならず。
夕食は鮭のまぜご飯と豚しゃぶのサラダなど。
ザッピングで見つけたテレビ番組
「ガキの使い特別版!絶対に集合しなくてはいけない!スマホなしで待ち合わせSP」が面白かった。
「美術館と言えば?」「有名な橋と言えば?」といったお題で、連絡を取り合わず集合できるか。
自分の常識をいかに世間の常識にすり合わせるか。仲間の発想・行動をどう読み解くか。
見ている方も楽しいが、やっている方も楽しいだろうな。
東京都内を実際に物理的に移動しないといけないわけだから、手間は相当かかるけど。


富士山に「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」

2017-07-12 18:34:07 | 雑感
富士山について「一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」という言い回しがある。

「日本一の名峰」に人生で一度も登らずにいるのは勿体ないことであるが、
一度登ったにもかかわらず懲りずに繰り返し登るのもまたケッタイな物好きである…という意味か。

あるいは、「富士山は眺める山であって、登る山ではない」という言い回しもある。
遠くから眺める分には秀麗な山であっても、いざ登ってみるとアラが目につく…という意味か。

僕は富士山に「二度登った」馬鹿だが、三度目をまたいつか、という気分はない。
二度とも、学生時代のアルバイトのバスツアー添乗員として、つまり「業務」として登った。
ツアーの先頭を専門登山ガイドが導き、添乗員は最後尾について歩くのである。
本来なら「ひとりにつきひと夏に1回」しか富士登山ツアーのシフトは回ってこないはずだったが、
バイト仲間の女子が体力不安を理由に断って、僕に「二度目」が回ってきた。

山登りは大好きな僕だが、富士山に魅力を感じないのは、以下の点である。
※なお、僕が登った20年前の情報だから、今は事情が違うところもあるかも知れない。

・とにかく人が多すぎる。
登山シーズンが7、8月の2ヶ月に限られ、そこに「猫も杓子も」と人が集中する。
僕が行ったようなお手軽なバスツアーも各地から大挙して押し寄せる。
登山道は大混雑する。特に、「御来光(日の出)」を頂上で迎えようとする人で、
夜明け間近の頂上周辺では、「渋滞」で前に進めなくなる。

・荒涼とした自然
5合目より上は木々もほとんど生えていない。岩・礫・砂・灰の世界である。
視界に生命の潤いはなく、直射日光を遮るものもない。
(その分、行く手や下界の見晴らしがいいとも言えるが)
コンタクトレンズをしていた僕は、風で舞い上がる砂塵で目をやられた。
角膜が傷ついた?とでも言うのか、しばらく目から曇りが取れなくなったのである。
(下山翌日、眼科に行く羽目に。バイトだが労災が認められた)
靴の中にも憂鬱な灰が入り込む。
頂上に着けば、風が強いと特に、真夏でも東京の真冬より寒かったりする。
下界は猛暑なわけだから、1日のうちの「気候変動」にも体力を消耗させられる。

・高山病
標高ゆえ、かつ、「記念登山」で経験の浅い者も少なくないゆえ、
高山病の症状を呈する者も多い。
早い話が、あちこちでゲーゲーやっているのである。
ちなみに、山小屋のトイレで吐いてはいけない。
山小屋のトイレはバクテリアで糞尿を処理する仕組みなのだが、
そのバクテリアが胃液の酸で死んでしまうからだ。
寝床のそばには「それ用」の洗面器が置かれている。

・山小屋が…
とにかく大混雑。寝る際は、スペースを少しでも詰めるべく、
「隣の人と頭と足を互い違いにして」という指示を受ける。
つまり自分の頭の両側に他人の足が来るということである。
寝返りだって満足には打てない。「仮眠」にしたってほとんど眠れない。
僕は山小屋泊の経験は少ないので、山小屋の「標準的なありよう」というものは知らないのだが、
富士山の山小屋の従業員には尊大な印象が強かった。
「泊めてやってる」「命を預かってやってる」という感じ。
大挙して人が押し寄せるから、「さばく」「処理する」感覚が支配的なのかも知れない。

…そういうわけで、今後富士山に登ることについては消極的な僕だが、それでも、
周囲に「一度は登ってみたい」と願う人がいるなら、
その夢の達成に伴走してみるのも悪くないなと思う。