脚本 宮下隼一、監督 天野利彦
1985年11月7日放送
【あらすじ】
連続タクシー強盗を追う特命課は、犯人の恋人である娘をマーク。ディスコで踊り狂う娘を張り込む犬養たち。そこに現れた女は、娘を強引にディスコから連れ出し、お腹の赤ちゃんを大切にするよう親身になって説得する。
女は2年前、刑事になり立てだった犬養が逮捕した男の妻だった。当時、妊娠中だった女は、自宅に押し入った暴漢に乱暴されそうになったが、帰宅した夫が格闘の末に暴漢を殺してしまう。捜査の結果、犬養は「妻を守るための正当防衛」と主張したが、暴漢は身許がわからなくなるほど顔を潰されていたため、判決は過剰防衛。女はそのショックで流産し、二度と子供の産めない体となった。一時は失意にくれたものの、犬養の励ましで立ち直った女は、タクシー運転手だった夫の愛車を受け継ぎ、出所の日を心待ちにしていた。
女に再会した犬養は、娘との関わりを問い質す。女は娘とはアパートの隣人であり、恋人の凶行を知って自棄になり、子供を堕ろそうとする娘のことが他人事とは思えなかったのだ。「あの子にはこんな思いを味合わせたくないんです。私で終わりにしたいんです」
捜査を続けるなか、犬養は犯人が夫の知人であることや、二人の共通の友人が2年前から行方不明になっていることを知る。その友人こそが暴漢だったのでは?一つの推測は、大きな疑惑を生む。暴漢が夫の友人だったとすれば、2年前の事件は正当防衛ではなかったのでは?だが、仮にそうだとしても“一事不再理”(※一旦量刑が確定した事件をもう一度裁くことはできないという刑法上のルール)によって判決は覆らない。また、夫を待ち続けている女の心を考えれば、事実を追及することは憚られた。そんな犬養に、桜井は語る。「事実って奴は必ず明らかになる。そこから眼を逸らさないのが刑事だし、人間だ」
女に当時の状況を確認しようとするものの、言い出せない犬養。その間に、犯人は女の運転するタクシーを狙う。「恋人に会えたら自首する」犯人の言葉を信じた女は、娘を犯人の待つ倉庫に連れて行く。女のタクシーを追って、倉庫を包囲する特命課。追い詰められた犯人は娘を人質に取る。「やめて!私のお腹には、あなたの子供がいるのよ!」「俺のガキかどうか、わかるもんか!」隙をついて犯人を取り押さえる特命課だが、裏切られたと知った娘は激情にかられて犯人を刺す。
事件は解決したかに見えたが、犯人が所持していた拳銃が見つからない。病院で意識を取り戻した犯人は「タクシーの中に隠した」と証言。だが、拳銃はすでに女が持ち去っていた。「問題は、彼女が拳銃を必要とする理由だ・・・」「まさか!」桜井の疑問に、犬養が反応する。犬養の説明を聞いた橘や紅林は、2年前の事件の裏を見抜く。「暴漢の顔を潰したのは、意図的に身許を隠そうとしたからでは?」「つまり、計画殺人だった可能性がある」「そんな!」愛する妻を守るための正当防衛どころか、妻を囮にした計画殺人だったというのか・・・愕然とする犬養。
「我々の仕事は裁くことではない。真実を見つけ出すことだ」一事不再理の原則を踏み越えて、2年前の事件を調べ直す特命課。やがて、橘らの推理は裏付けられる。夫は友人との賭ビリヤードに負け続け、最後に女すら賭けていた。女は倉庫で男からその事実を知らされていたのだ。責任を感じて辞表を出す犬養。「お前の捜査を信じ、夫を信じた女の気持ちはどうなる」「刑事が一つの判断を下すということは、それだけ重いことなんだ」橘や桜井の言葉、辞表を破り捨てる神代の態度に、気を取り直した犬養は、夫のもとへ向かった女を追う。
出所する夫を待ち構え、銃口を向ける女。「やめろ!やめるんだぁ!」女の前に飛び出す犬養。「俺が2年前に真相に気づいていたら、君にこんなことをさせずにすんだ!だから、撃つなら俺を撃て!」自分の喉に銃口を向ける女。そこに、橘が娘を連れてくる。「この娘はね、自分を裏切った男の子供など生むまいと思った。だが、君を信じて生む決心をしたんだよ」橘の言葉に崩れ落ちる女。犬養が女にしてやれることは、その手に手錠を掛けることしかなかった。「苦く、悲しい真実を見つけ出すこと。それが私の刑事としての本当の第一歩だった」
【感想など】
サブタイトルや冒頭の演出から、かの名作「撃つ女!」の焼き直し(あるいはオマージュ)かと思いきや、比較するのも虚しいほどの出来でした。さほど込み入ったストーリーではないのですが、先が読めるわりには回りくどく、かといって意外性もない。ドラマが二転三転するというより、右往左往しているという印象です。ラストの犬養の熱演も、肝心の台詞に論理性の欠片もないために、正直なところ「何を言ってるのか?」という印象です。
犬養が夫の真意を見抜けなかったのは事実ですが、仮に2年前にそれを見抜いてしたとして、それで女が救えたとは思えません。犬養の女に対する責任は、突き詰めて言えば「2年間、夫に騙されたままにしてしまった」ことだけであり、出所するタイミングにあわせて都合よく拳銃が手に入ったこと、女が(2年間騙され続けたゆえに?)夫に対し殺意を抱いたことにまで、責任を感じるのはちょっとどうかと思います。「俺は刑事失格です!」などとご大層なことを言って辞表を出すのも含めて、「思い込みの激しすぎる痛い奴」というマイナス評価しか出てきません。
あと、個人的に気になったのは、女と夫、娘と犯人、女と犬養、女と娘など、さまざまな関係において「信じる」という言葉が多用されていますが、こうした「信じる」の大安売りには、正直言って辟易します。桜井は「刑事が判断を下すということは、それだけ重いことなんだ」と刑事という仕事の責任の重さを語りましたが、刑事に限らず「信じる」という判断を下す際には、重い責任が伴うのではないでしょうか?
誰かを「信じる」ということは、「信じるに足る」という自分の判断を「信じる」ことであり、その責任を取るのも結局は自分でしかありません。にもかかわらず、よく知りもしない相手を安易に信じて、騙されたと知るや、信じるに足りない人間を信じてしまった自分の非を顧みることなく「騙された」「裏切られた」と被害者顔で言い募る愚かさには、ほとほと呆れてしまいます。こうした愚かさの最たるものが、選挙に際して知名度や印象だけで判断し、愚にも付かない低劣な候補者に貴重な一票を投じて当選させ、その愚かさに相応しい愚行を見せるや、マスコミの街頭インタビュー(これ自体が不快でしょうがないのですが)に対し「裏切られた気持ちです」などと抜かす選挙民の姿勢です。「信じるに足る政治家などいない」という虚しい結論がある以上、やむを得ないことかもしれませんが、せめて自分の一票で愚者を国会に送り込んだという自責の念だけは、持っていて欲しいものです。
・・・話が変な方向に逸れてしまいました。新メンバーの紹介編として、2話続けて(前話は桜井の引立役でしたが)メインを務めた犬養ですが、立ち位置としては「直情径行な若手の熱血派」というところ。制作サイドの狙いとしては吉野の後釜のつもりかもしれませんが、この2話だけを見る限り「直情」というより「短慮」としか思えません。他の刑事との差別化としては「まだ刑事になって2年目」という「若さ」=「未熟さ」も挙げられますが、その役割も次回から登場する杉刑事に奪われかねません。先行きの不安さは否めませんが、演じる三ツ木氏は決して嫌いな俳優さんでもないので、何とか頑張ってもらいたいものです。
1985年11月7日放送
【あらすじ】
連続タクシー強盗を追う特命課は、犯人の恋人である娘をマーク。ディスコで踊り狂う娘を張り込む犬養たち。そこに現れた女は、娘を強引にディスコから連れ出し、お腹の赤ちゃんを大切にするよう親身になって説得する。
女は2年前、刑事になり立てだった犬養が逮捕した男の妻だった。当時、妊娠中だった女は、自宅に押し入った暴漢に乱暴されそうになったが、帰宅した夫が格闘の末に暴漢を殺してしまう。捜査の結果、犬養は「妻を守るための正当防衛」と主張したが、暴漢は身許がわからなくなるほど顔を潰されていたため、判決は過剰防衛。女はそのショックで流産し、二度と子供の産めない体となった。一時は失意にくれたものの、犬養の励ましで立ち直った女は、タクシー運転手だった夫の愛車を受け継ぎ、出所の日を心待ちにしていた。
女に再会した犬養は、娘との関わりを問い質す。女は娘とはアパートの隣人であり、恋人の凶行を知って自棄になり、子供を堕ろそうとする娘のことが他人事とは思えなかったのだ。「あの子にはこんな思いを味合わせたくないんです。私で終わりにしたいんです」
捜査を続けるなか、犬養は犯人が夫の知人であることや、二人の共通の友人が2年前から行方不明になっていることを知る。その友人こそが暴漢だったのでは?一つの推測は、大きな疑惑を生む。暴漢が夫の友人だったとすれば、2年前の事件は正当防衛ではなかったのでは?だが、仮にそうだとしても“一事不再理”(※一旦量刑が確定した事件をもう一度裁くことはできないという刑法上のルール)によって判決は覆らない。また、夫を待ち続けている女の心を考えれば、事実を追及することは憚られた。そんな犬養に、桜井は語る。「事実って奴は必ず明らかになる。そこから眼を逸らさないのが刑事だし、人間だ」
女に当時の状況を確認しようとするものの、言い出せない犬養。その間に、犯人は女の運転するタクシーを狙う。「恋人に会えたら自首する」犯人の言葉を信じた女は、娘を犯人の待つ倉庫に連れて行く。女のタクシーを追って、倉庫を包囲する特命課。追い詰められた犯人は娘を人質に取る。「やめて!私のお腹には、あなたの子供がいるのよ!」「俺のガキかどうか、わかるもんか!」隙をついて犯人を取り押さえる特命課だが、裏切られたと知った娘は激情にかられて犯人を刺す。
事件は解決したかに見えたが、犯人が所持していた拳銃が見つからない。病院で意識を取り戻した犯人は「タクシーの中に隠した」と証言。だが、拳銃はすでに女が持ち去っていた。「問題は、彼女が拳銃を必要とする理由だ・・・」「まさか!」桜井の疑問に、犬養が反応する。犬養の説明を聞いた橘や紅林は、2年前の事件の裏を見抜く。「暴漢の顔を潰したのは、意図的に身許を隠そうとしたからでは?」「つまり、計画殺人だった可能性がある」「そんな!」愛する妻を守るための正当防衛どころか、妻を囮にした計画殺人だったというのか・・・愕然とする犬養。
「我々の仕事は裁くことではない。真実を見つけ出すことだ」一事不再理の原則を踏み越えて、2年前の事件を調べ直す特命課。やがて、橘らの推理は裏付けられる。夫は友人との賭ビリヤードに負け続け、最後に女すら賭けていた。女は倉庫で男からその事実を知らされていたのだ。責任を感じて辞表を出す犬養。「お前の捜査を信じ、夫を信じた女の気持ちはどうなる」「刑事が一つの判断を下すということは、それだけ重いことなんだ」橘や桜井の言葉、辞表を破り捨てる神代の態度に、気を取り直した犬養は、夫のもとへ向かった女を追う。
出所する夫を待ち構え、銃口を向ける女。「やめろ!やめるんだぁ!」女の前に飛び出す犬養。「俺が2年前に真相に気づいていたら、君にこんなことをさせずにすんだ!だから、撃つなら俺を撃て!」自分の喉に銃口を向ける女。そこに、橘が娘を連れてくる。「この娘はね、自分を裏切った男の子供など生むまいと思った。だが、君を信じて生む決心をしたんだよ」橘の言葉に崩れ落ちる女。犬養が女にしてやれることは、その手に手錠を掛けることしかなかった。「苦く、悲しい真実を見つけ出すこと。それが私の刑事としての本当の第一歩だった」
【感想など】
サブタイトルや冒頭の演出から、かの名作「撃つ女!」の焼き直し(あるいはオマージュ)かと思いきや、比較するのも虚しいほどの出来でした。さほど込み入ったストーリーではないのですが、先が読めるわりには回りくどく、かといって意外性もない。ドラマが二転三転するというより、右往左往しているという印象です。ラストの犬養の熱演も、肝心の台詞に論理性の欠片もないために、正直なところ「何を言ってるのか?」という印象です。
犬養が夫の真意を見抜けなかったのは事実ですが、仮に2年前にそれを見抜いてしたとして、それで女が救えたとは思えません。犬養の女に対する責任は、突き詰めて言えば「2年間、夫に騙されたままにしてしまった」ことだけであり、出所するタイミングにあわせて都合よく拳銃が手に入ったこと、女が(2年間騙され続けたゆえに?)夫に対し殺意を抱いたことにまで、責任を感じるのはちょっとどうかと思います。「俺は刑事失格です!」などとご大層なことを言って辞表を出すのも含めて、「思い込みの激しすぎる痛い奴」というマイナス評価しか出てきません。
あと、個人的に気になったのは、女と夫、娘と犯人、女と犬養、女と娘など、さまざまな関係において「信じる」という言葉が多用されていますが、こうした「信じる」の大安売りには、正直言って辟易します。桜井は「刑事が判断を下すということは、それだけ重いことなんだ」と刑事という仕事の責任の重さを語りましたが、刑事に限らず「信じる」という判断を下す際には、重い責任が伴うのではないでしょうか?
誰かを「信じる」ということは、「信じるに足る」という自分の判断を「信じる」ことであり、その責任を取るのも結局は自分でしかありません。にもかかわらず、よく知りもしない相手を安易に信じて、騙されたと知るや、信じるに足りない人間を信じてしまった自分の非を顧みることなく「騙された」「裏切られた」と被害者顔で言い募る愚かさには、ほとほと呆れてしまいます。こうした愚かさの最たるものが、選挙に際して知名度や印象だけで判断し、愚にも付かない低劣な候補者に貴重な一票を投じて当選させ、その愚かさに相応しい愚行を見せるや、マスコミの街頭インタビュー(これ自体が不快でしょうがないのですが)に対し「裏切られた気持ちです」などと抜かす選挙民の姿勢です。「信じるに足る政治家などいない」という虚しい結論がある以上、やむを得ないことかもしれませんが、せめて自分の一票で愚者を国会に送り込んだという自責の念だけは、持っていて欲しいものです。
・・・話が変な方向に逸れてしまいました。新メンバーの紹介編として、2話続けて(前話は桜井の引立役でしたが)メインを務めた犬養ですが、立ち位置としては「直情径行な若手の熱血派」というところ。制作サイドの狙いとしては吉野の後釜のつもりかもしれませんが、この2話だけを見る限り「直情」というより「短慮」としか思えません。他の刑事との差別化としては「まだ刑事になって2年目」という「若さ」=「未熟さ」も挙げられますが、その役割も次回から登場する杉刑事に奪われかねません。先行きの不安さは否めませんが、演じる三ツ木氏は決して嫌いな俳優さんでもないので、何とか頑張ってもらいたいものです。
事件云々の前に、この設定がすでに不可解でした。
妻の目前で(ガラスの花瓶だけで)見分けが付かなくなるまで人の顔を潰すというのも不可能に近いことのように思います。
やはり脚本は大事です。
あえて誉めるなら、若原瞳の泣き方が、いかにも号泣という感じがして好かったです。
ご指摘のポイントは、まったくもっておっしゃるとおり。犬養がどうこういう以前に、今回のストーリー自体、ちょっとぐだぐだでしたね。
個人的には、犯人役の演技が、本当にひどい奴っぽくて良かったと思います。