殺人・傷害・窃盗・詐欺・・・殺伐とした事件が絶えない。
次から次ぎへと、際限なく悲しい出来事は起こる。
最近は、通り魔事件も頻発。
まるで、目に見えない闇の力が働いているかのよう。
怖いのは、〝いかにも〟といった風体の人物でなく、普段は〝ごく普通〟に見えている人間が豹変して凶行に及ぶこと。
「まさかアノ人が・・・」
「そんな事するような人には思えなかった」
なんて言うセリフは、何か事が起こるたびに囁かれる。
そんな輩が一般人に紛れ込んで急に襲ってくる訳だから、逃げようがない。
これからは、「人を見たら泥棒と思え」ではなく、「人を見たら殺人者だと思え」が教訓になるかも。
「知らない人にでも、気持ちのいい挨拶をしよう」
と言っていた古き良き時代は、もう戻ってこないのだろうか。
専門家がどう分析して理屈をつけても、全ての原因は人間の心。
その心が、人を善行にも悪行にも駆り立てる。
その中で被害に遭う側になるの人もいれば、危害を加える側になる人間もいる。
刻まれた過去は、法的には片付けられても人間的には片付けられず、どちら側に立ってもその重荷は一生背負っていかなければならない。
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次から次ぎへと、際限なく悲しい出来事は起こる。
最近は、通り魔事件も頻発。
まるで、目に見えない闇の力が働いているかのよう。
怖いのは、〝いかにも〟といった風体の人物でなく、普段は〝ごく普通〟に見えている人間が豹変して凶行に及ぶこと。
「まさかアノ人が・・・」
「そんな事するような人には思えなかった」
なんて言うセリフは、何か事が起こるたびに囁かれる。
そんな輩が一般人に紛れ込んで急に襲ってくる訳だから、逃げようがない。
これからは、「人を見たら泥棒と思え」ではなく、「人を見たら殺人者だと思え」が教訓になるかも。
「知らない人にでも、気持ちのいい挨拶をしよう」
と言っていた古き良き時代は、もう戻ってこないのだろうか。
専門家がどう分析して理屈をつけても、全ての原因は人間の心。
その心が、人を善行にも悪行にも駆り立てる。
その中で被害に遭う側になるの人もいれば、危害を加える側になる人間もいる。
刻まれた過去は、法的には片付けられても人間的には片付けられず、どちら側に立ってもその重荷は一生背負っていかなければならない。
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昔からだけど、自分の歩いている前から来る人が、すれ違いさまにナイフで刺してくるのでは…と思うことは多々あります。
いつ何時…だから無防備になってしまう。
ずっと構えていても身がもたない。
びくびくして暮らさなきゃいけないこの時代。
子供は大人を慕い、だからこそ大人はしっかりとした威厳をもってほしい。
「知らない人にでも、気持ちのいい挨拶をしよう」
こんな時代に生まれたかったなぁ。
実際行動に出るか出ないかの違いで、予備軍はたくさんいる、いや人間誰しもが紙一重なのではないかと思えてきます。
自分の内面の闇と社会不安の増大に押しつぶされながら、日々不満と鬱憤を募らせ、ある者は自らの命を絶ち、ある者は他者を殺める。
矛先がどこに向かうかの違いなのかな。こんな世界で健全でいられる人は強い。
完ぺき主義でオールオアナッシングな方に多いらしいです。
精神科、受診していればいいですね。その女性。
もしそうでないとしたらこの女性みたいに
なっていたかもしれんわ。
ボタンを掛け間違えるように、長い人生だから人間誰しも間違った方向に転ぶ時もあると思う。
女性がこれを切っ掛けに軌道修正して
新しい人生を送ってくれるよう祈りますわ。
精神疾患(うつ病など)に伴い、片付けができなくなる
という場合があるのと、
ADHDなど生まれつき片付けが苦手である
脳の器質の人がいるのと、(病気ではありません)
あとはズボラな性格の人いずれかです。
なんでもかんでも
それが病気であると一言で
決めつけないでメカニズムを勉強して下さい!
そういう偏見が社会の差別を生み、
無差別的な事件も起きるんです!
他者が自分と関係なくても
どういうことなのかもっと本質的に
正しく理解しようという姿勢がない国は終わりです!
うちの病院にそういう患者さんがたまに来ます。
うつ病で片付けられないのも、病状の一つですし、病気といっても過言ではありません。
病気と決め付つけることが本当に差別でしょうか。
病気だとわかれば、受診するきっかけになるでしょう。
もし、お友達に片付けられない人がいるなら、精神科・心療内科・神経科などのメンタル系を扱う医療機関を受診する事を薦めてください。
案外、カウンセリングや投薬で簡単に心の整理がついて片づけが出来るようになる方もたくさんいます。
以上、医療従事者としての見解を述べさせていただきました。
隊長は他人の気持ちを思いやることができるので自閉症ではないと思います。自閉の子たちを
見ていると、「心の盲目」という言葉がぴったり来ます。手取り足取り、写真や画像を駆使して人の感情も教え込む必要があるからです。
周りの人々の理解とサポートも不可欠であると思います。障害者に優しい環境は全ての人々にも優しいんだと思います。福祉は文化であると
宮城マリ子さんが仰っていますが私もその通りだと思います。