スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

さくらももこ先生、言葉が出ません・・・。

2018年08月28日 22時39分45秒 | 似顔絵&イラスト&アニメの話

昨日「ちびまる子ちゃん」の作者でエッセイストでもあるさくらももこ先生がお亡くなりになりました。

 

彼女は平成の世の中で昭和の家庭や小学生の日常をリアルに描く人でした。

 

53歳だといいます。昭和40年生まれは10代からアイドルやスポーツ選手として活躍していた人とカリスマ性の強い有名人が多く、金八先生の「腐ったミカンの方程式」にも描かれていたように校内暴力のピーク期で抑圧され、なおかつ受験も大変だったと昭和40年生まれの別れた旦那に言われました。(旦那は単願で受けた私立が不合格で、中卒で働く覚悟で受けた綾野剛さんの母校でもある高校に何とか受かりました。)

 

この年代の苦悩は同じ昭和40年生まれの大平光代さんの「だからあなたも生き抜いて」にリアルに描かれています。彼女はいじめを受けても誰も助けてくれる人がいなくて、その反動でヤンキーになったといいます。背中にタトゥーを入れ、荒れてボロボロになった生活を子供のころから知り合いのおじさんとの出会いで人生が大きく変わり、最終的には弁護士になったといいます。彼女のおかげで通信制や定時制の高校で再び勉強するようになったという同年代の話もあります。

 

「ちびまる子ちゃん」のおかげで当時の静岡県清水市(現在は静岡市清水区)は全国に名が知られるようになったといいます。

 

アニメの中にも静岡県に住んでいないとわからない言葉もいくつか出ています。

 

静岡県は職場の慰安旅行でつま恋(まだヤマハの施設だった時)と夢人島で浜松と御殿場のアウトレットくらいです。

 

SNSでのお悔やみコメントも多く、同級生だったFC東京の長谷川健太監督もFC東京のツイッターを通してコメントしていました。

 

エピソードは書ききれないほどあります。カルビー時代の忘年会で「踊るポンポコリン」を歌ったこと、まるちゃんの似顔絵を描いたこと、私の好きな「ベイスたん」に出てくる「かみたま」こと山下大輔さんがまるちゃんの好きな野球選手だった話、エッセイがきっかけで韓国にかいこのさなぎを煮た「ポンデギ」と言う屋台料理の存在を知栄ました。

 

さくら先生の本当のおじいさんは家族から嫌われていたという衝撃的な事実にはショックを受けました。

 

鉄道好きのツイ友さんが亡くなった直後に京都から静岡まで行きまるちゃんのラッピング電車の写真を撮影していました。

 

中日新聞の連載も面白かったです。(中日スポーツにそれが大きく掲載されていたので買いました。)

 

それ以上にアニメソングなんで絶対書かない歌わないイメージのアーティストが「ちびまる子ちゃん」のオープニングあるいはエンディングを歌ったこと。

 

桑田佳祐さんは先生が書いた手紙がきっかけで「100万年の幸せ」が12年春から昨年の秋までエンディングに使われました。

 

大滝詠一氏が作り、渡辺満里奈さんと故植木等さんが歌った曲はCDまで買いました。

 

岐阜の人間としてはGJ8マンというヒーローを作ってくださったのが誇りです。

 

郡上八幡市は岐阜市から車で1時間30分ほどかかり、電車だともっとかかります。そこに着目してくださったのがうれしいです。

 

最後に女性の場合家族のこと優先で自分の健康は後回しというケースがあります。事実私の母もそうでした。彼女の死因となった乳がんは見つけるのが難しいと言われています。

 

さくら先生のご冥福をお祈りします。

 

 

コメント
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