今日は遅番勤務でした。しかし、利用者さんが骨折してしまい、バタバタした中で仕事をし、雨が降る中で送迎に行きました。
今日は岡田有希子さんが亡くなってから丸25年になります。2日前に海津市にあるお千代保稲荷に行きましたが、ここから弥富方面に車を1時間ほど走らせると彼女が眠るお墓があり、そこと命を絶った四谷の元サンミュージック社屋では亡くなった時間に黙とうが行われます。
いとこが働いている会社が四谷ですが、地震の日に4時間かけて西新井のマンションに帰った話は言葉が出なかった。
毎年この日になると「生きることの意味」について考えます。彼女は愛知県出身で準地元と言うこともあって、かなりえげつない話も聞かされました。
当時は学歴偏重教育と管理教育が絶対で、子供が生きにくい時代でした。特にまじめな子が精神的に追い詰められやすく、進学校に行った同級生から自殺者やカルト宗教にハマったという話を聞かされたことがある。私の場合はヤンキーばっかの私立の女子高だから高校卒業時にすでに妊娠していたというクラスメートが結構いた。
歌手になりたいというのを大反対され、スカウトしたサンミュージックの人間が「スキップしながら金山駅を案内した」と言う反面、エリート家庭ゆえに説得するのに苦労したと言います。そこで下したのが「学年順位で1位、模擬試験で1位、第一希望の高校に行く」という条件でした。その代償で視力が落ちたとも言います。
私は1回の試験で介護福祉士試験に合格しましたが、仕事仲間の一人に7回受けてもダメで、今年やっと受かったという人がいます。彼女が勉強で挫折し、周囲の大人から「ほら見たことか」と言われても「何くそ!」の反骨心があればあの悲劇は起きなかったのでは…。
民主党の蓮舫氏は岡田さんと同い年ですが「2位じゃダメなんですか?」の言葉の裏に彼女のことを思い出した人は多いはずだ。
ちなみにさまぁ~ずの二人も同い年である。昭和42年生まれは子供の数が多く、大学を出ても競争でした。
別れた旦那の妹が昭和42年の早生まれですが、中学で先生とトラブルを起こしてヤンキーになり、高校入試を失敗して暴走族に入ってしまいました。ヤンキーの心のままひねくれた大人になってしまいました。
中島みゆきの「ファイト!」は中卒差別と闘うリスナーからの投書がモデルだと言います。
私も競争のはげしい時代に子供時代を送り、学校でつまづいたので「自分は出来ないのは管理教育のせい」「自分が不幸なのは周りのせい」「岐阜に住んでいることがすべてのコンプレックス」という考えをするようになりました。
しかし、介護の仕事でもまれるうちに考え方が変わりました。
世の中を変えようとしたら自分が変わらなければいけない。
今日の中日新聞の夕刊に東レ経営研究所所長の佐々木常夫氏のインタビューが掲載されていました。父親を早くに亡くし、苦労をして勉強をし、東大を卒業して東レに入社しますが、自閉症の息子さんとうつ病の奥さまを抱え、家事をやりながらフルタイムで働いたという人です。彼は家庭の問題に真正面で向き合ったことで解決したと話しています。
もし、彼女の周りに佐々木氏のような人がいれば考えが変わっていたのかもしれない。
彼女がなくなった月にチェルノブイリでの原発事故が起き、この年は中学生の自殺が多発した年でもありました。
私が介護福祉士を受験した背景はいろいろありますが、試験を頑張れたのは彼女の悲劇を繰り返したくないという強い思いがあります。
最後に明日は名古屋に行きます。ハードです。