スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

桑田佳祐「東京」→あれから15年&桑田佳祐「現代東京奇譚」

2010年03月20日 22時11分10秒 | ももちゃんソングブック
予告通り、桑田さんの「東京」の話の続きです。

この曲の話を書くもう一つのきっかけは今から15年前に起きた地下鉄サリン事
件から今日で15年たつからです。

前にも書いたように仲良しのいとこが一本早い日比谷線に乗っていて助かった反
面、いとこの友達が被害に遭われました。

おととしの夏に上京し、いとこに築地に行きたいとお願いして築地に行き、お寿
司をたべてから六本木に行くために日比谷線を築地からのりましたが、それが地
下鉄サリン事件のコースなんです。

この事件が起こる3年ほど前に小・中学時代のクラスメートが手紙で周りに新興
宗教にハマる人ばかりで嫌だと書いていた。そのクラスメートは真央ちゃんと同
じ大学でしたが、名古屋のキャンバスに通学していましたが、周りの人間関係に
嫌気が指していたと言っていました。(親が教師で大人の嫌な面を少女時代から
みており、出来て当たり前の躾を受けたのと父親が当時の教育システムに異議を
唱えて左遷される環境にいたので一部の人間と大人に対するゆがんだ怒りをもっ
ていた)更に高校の同級生に父親から抑圧された子がいて、父親の死をきっかけ
に抑圧された反動で、新興宗教に依存した怖い話も。

オウムに関わった人達の多くは私と同年代で世間で言う「良い子」と言われて育
ち、一流大学を卒業した人ばかりでした。

私はこの事件を見て、管理教育で勉強が出来るロボットになったからああいう事
件が起きたんだという怒りを込み上げました。

しかし,自分の周りでは新興宗教に依存したりする人はいませんでした。
弟は当時二度目の大学3年(留年していたから)でしたが、電気自動車の研究を
していたし、彼が通う大学では新興宗教にハマる学生の話は聞いたことはなかっ
たと言う。

地下鉄サリン事件以後、事件の背景に歪んだコンプレックスから関係のない人が
犠牲者となる事件が東京で起きました。ひとつは99年に起きたお受験殺人、あ
とは記憶に新しい秋葉原の通り魔事件と江東区の女性バラバラ殺人です。

この事件の共通点は加害者が地方出身者で、コミュニティや社会の中で孤立し、
コンプレックスが強く、親への復讐として事件を起こしたケースです。

サザンのライブのチケットのファンクラブ先行予約の頃に秋葉原の事件が起きて
しまい、秋葉原行きを断念しました。

秋葉原は岐阜に帰る日の山手線の車窓から見ただけでした。

あの事件が起きた年の暮れに6年勤務した会社を退職し、親が進める見合い話に
嫌気がさして家を飛び出して東京のいとこの家に5日間居候し、いとこの仕事が
忙しいので家に帰ることになったときにいとこの言われた言葉に「東京はお金が
すべてだよ」と言われました。その教訓は今も生きています。

オウムにしろお受験殺人にしろ江東区の事件にしろ秋葉原の事件にしろ周りにス
トップをかけてくれる人間がいれば最悪の事態は防ぐことができたのに…。

一番言いたいことはあの教祖は親に愛されない子供時代を送ったことがすべての
事件の背景であるということが…。

カミング・アウトですが、父親に虐待を受けて育ったクラスメートに些細な理由
でいじめを受けたことがあります。たしかにあの時代を過ごした人間は心の弱さ
を見せることができない不幸な時代でした。

「東京」の話を書いたときに尾崎豊さんのことをコメントしていた人がいて、そ
の時に「前の旦那は尾崎豊と同い年だけど、小さい時から心の弱さを見せること
は恥とされ、障害のある弟がいるので小さい時から我慢を強いられたのでアンチ
尾崎です」と私は書きました。

あの曲のPVは東京という街と今の日本人の陰湿な部分を描いているのでは…。
当時結婚していたけど、仕事がなくてもんもんしていた私は桑田さん扮するぼさ
ぼさ頭と黒縁めがねのタクシーの運ちゃん石本圭三がダブってしまう。自分自身
もそうだったし。


「東京」の5年後にシングル「ダーリン」のカップリングで「現代東京奇譚」と
いう曲が出ます。この曲は映画「闇の子供たち」というタイの子供の人身売買の
悲しい事実を描いた作品です。

「東京」も「現代東京奇譚」もテーマは同じなのかも…。

私は介護の仕事を始めて2年半年近くになりますが、老人保健施設で居場所のな
いお年寄りをたくさん見てきました。私がいた職場は利用者さんが4人お亡くな
りになりました。中には嫁姑関係が悪化した結果介護放棄されたというケースも
…。そしてお金目当てに養子縁組を組んだ利用者さんの家族もいました。

私もすごいコンプレックスの塊だし、人格否定されたこともあった。しかし、何
かにすがって生きるようなことは決してしませんでした。ぐれてヤンキーになっ
ても新興宗教に依存してもだれも助けてくれない。離婚したときもそうでした。

中学生の時に人間関係が険悪で、先生とかでも生徒を虐待する人とかいて「自分
が落ちこぼれたのは親や先生やまわりのせいだ」という心の傷を背負って大人に
なったけど、介護の仕事で頑張れるきっかけができたおかげでそれを乗り越える
ことができました。

私はオウムのような宗教に狂う人間を管理教育のロボットだと批判したけど、そ
の人たちもある意味管理教育の犠牲者です。

最後に声を大にして言いたいことはすべての人が前向きに生きやすい世の中にな
ってほしいということです。

このブログはかなり批判的な意見もありますが、オウムの事件を2度と起こした
くないために書きました。
コメント
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