スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

私がヘルパーの勉強を始めたわけ。

2007年05月14日 16時29分33秒 | 介護のお仕事&ケアマネ試験話
昨日はJR岐阜駅近くにある大同生命ビルにあるニチイ会館の教室でホームヘルパー2級のスクーリングに行きました。

メンバーは私を含めて13人で、男性が4人いました。年齢は高校3年生から団塊の世代で、介護関連の仕事についている人も4人ほどいます。

第1回の授業は自己紹介とスクーリングの内用説明とテキストの復習で、担当の先生はニチイでヘルパーをしている私より6つ上の女性です。彼女は元保育士で、義理の父親の介護がきっかけでここの教室に通い、ヘルパーとして働いている人です。只今ケアマネの試験をがんばっているといいます。

就職対策や、身内に介護を受ける人がいる人や、仕事上この資格を取る人もいますが、私の場合はこうです。

3年前に出戻ってからパソコンの訓練校にいったんだけど、訓練校が終わったのが11月の半ばで、面接を受けようとしてもなかなか見つかりません。離婚が成立したのが12月で、当時お金がなかった私が選んだ仕事が郵便局のアルバイトでした。この仕事を始めたのが元の苗字に変わったばかりで、仕事の時間をめぐって親とぶつかったことも。

翌年の2月に勢いで秘書検定を受けたら不合格で、再就職が2月の終わりに決まったんだけど、生き物相手の仕事で、祝日も仕事と言う中お金がなかった私は泣き言がいえませんでした。

その会社は事情があって8月の終わりに辞めましたが、再就職が決まったと喜んだのもつかの間その会社は4日で首に…。

会社を4日で首になったということで面接が怖くなった私はずるずると新年を迎え、気がついたら3月になってしまいました。そのことと生活態度をめぐって親とぶつかり、4月に入ってからも家を出る出ないまでの口論をしてしまいました。

そういったことがあり、会社の面接を受けたもの、なかなか決まらない状態が今でも続いています。前にも書きましたが、そんな4月の半ばのある日父が「お前何か資格取れ!」の命令で調べたのがニチイ学館のホームヘルパー2級講座でした。

スクーリングは5月からで「5月からは無理だろう」と思ったら、4月25日に書類が来ました。親に黙って書類請求し、受ける体制でいたので母は最初渋い顔をしていましたが、母自身もヘルパーなので速攻でOKが出ました。お金も20回ローンを考えていたのですが、一括とローンでは金額が1万円違うので親に出してもらうことにしました。

連休中はほとんど本読みをしていました。スクーリングの前日にテキストのレポートも2回提出し、昨日の授業に備えました。

先生の話は考えさせられることが多く、施設の仕事で主任格まで行っていたんだけど、元気だった娘さんがパニック障害になったことと、自身が胃にポリープが出来たので仕事を変えてもらった話とおむつ交換をしたらその人の血の気が引いたのでどうしたんだろうと思って脈拍を測ったら息を引き取っていたということと、訪問介護で行ったお宅のおばあちゃんが中庭で熱中症で倒れていて、状態を見たら、意識がなくて、救急車がなかなかこないのでパニック状態になったという話尾です。

それ以上に考えさせられたのが、
介護保険は申請して認定が出るのに1ヶ月かかるということです。

7月8日まで毎週日曜日は授業で、昨日も授業が終わってから名鉄岐阜駅にある岐阜バスのバス停に行こうとしたらJR岐阜駅にバス停があると走らなくて、重い荷物を抱えて四苦八苦しました。ターミナルから家まで前住んでいた家の約2倍の距離とお金がかかる(今住んでいるところは名鉄岐阜駅から510円)のでバス酔いしてしまいました。

再就職が決まったら両立できるかどうかが私のテーマです。
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