何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

作詞(スタート)

2015年07月20日 17時29分38秒 | Weblog
FENを聞きながら、言葉遊びしている。でも言葉を産み出したり、変化させてゆくのは頭が疲れる。
そんな時、いつも元気に挨拶してくれる、まだ若いテキパキと働く看護師さんが「高橋さん、まだ風呂入ってないよね、良かったら今日入らない、私手伝うから。」と声を掛けてくれた。風呂は、木曜日と決まっているが、全員入れるわけではない。僕も入院12目だがまだ入った事はなく、渡された2本のタオルで、ベッドの上で裸になり全身を拭いただけ。
風呂に入るといっても厄介だ。僕のおちんちんには、まだ管が刺さったままで、大便に行く時も、おしっこ袋をぶら下げて行かなくてはならない。
とまどう僕に「大丈夫、大丈夫、困ったことがあっても私が助けるから。」僕の娘達より随分若い看護師さんだが大船に乗った気分で風呂に連れられていった。今日は風呂の日じゃ無いので湯船にお湯はない、だから身体が冷えないようにと大きめのビニール桶に湯を貯めていてくれて「身体が冷えないように足湯を用意しておいたから、浸かりながらあらってね。」いたせりつくせりで、大満足の身体洗いが出来た。さわやかー。
機転のきく看護師さんに大感謝。

爽やかになると、頭も整理されて、でこぼこの言葉が滑らかになって曲になるかどうかわからないが、以前作った「一歩」を下敷きにした詩です。

スタート


やり直す事は出来ないんだ
繰り返す事も出来ないんだ
人生はゲームのようなものかもしれないが
リセットボタンは何処にも無い
失敗は取り戻せないし
犯した罪も消す事は出来ないんだ

振り返る事は出来るけれど
経ち戻る事は出来ないんだ
人生はゲームのようなものかもしれないが
セーブボタンは何処にも無い
立ち止まって考えているうちに
時間は残酷に過ぎてゆくんだ

スタート
今始めよう
臆病なのはみんな一緒さ
とりあえず前に一歩だけ踏み出せばいい

スタート
さぁー始めよう
失敗は強力なアイテムさ
同じあやまちを繰り返さない為の

立ち止まって考えているうちに
時間は残酷に過ぎてゆく

スタート

作詞

2015年07月20日 12時38分22秒 | Weblog
昨日典子さんがいつも散歩に使っている携帯ラジオを持ってきてくれた。
病院のビルの中だから感度が悪く、ノイズだらけだけど何とかNHKとFEN(米軍放送)だけは聴ける。FENは、ほぼ一日中ポップ音楽を流しているので、アメリカンポップが大好きな僕としては助かる。
ちなみに、22歳で東京に出てきて、音楽の勉強というか音楽の感性を高めるために当時千円で買ったトランジスタラジオを耳につけ朝から晩までFENのアメリカンロックやポップミュージックやカントリーを聞いては曲作りのイメージを膨らませていた。いつも書くことだが、詩の勉強のために、当時、蒲田駅近くに住んでいたので、本を買う金は無いので、駅の近くの本屋で立ち読みして言葉を学んだ。坂本龍馬を立ち読みで読破した事も思い出深い。
三畳一間が狭いとは思わなかった。ギターしか荷物は無かったからね。
でも薄いベニヤ板一枚で仕切られた部屋で曲作りするのは大変だった。ベニヤ板の向こうに住んでいたのは、確かに爺いだった。痰が絡んだような咳、ベニヤ板一枚なので匂いも漂ってくる、加齢臭というようなものじゃなく確実に老人臭だった。一年ほどいたのだが老人の顔は見たことがない。でも何度か、なぜかアパートを出て何処かに出かける時に、部屋は二階だったが一階から「何時も、うるさいんだよ。」と、いう爺いらしき声が聞こえた。
なるべく隣の住人が居ないときにギターを弾いて曲作りをしていた。
曲作りに煮詰まると、FENをひたすら聞く事もあるが、FENを聞きながら1日を過ごすなんて40年ぶりだね。
そして、新しい曲の下敷きになりそうな詩が出来た。まさしく、今の僕の思った詩だ。

銀河の片隅で


今の僕に出来ることはそんなに無い
だからこれから出来ることを見つけようとしている

貴方と築き上げた大切なものすべてを魂に詰め込んだ
これまでの人生が走馬灯のように駆け抜けてゆく

後何百万歩自分の足で歩けるだろう
いつまでこの腕で貴方を抱きしめられるだろう

男は死ぬまでロマンチストなガキンチョで
おとぎばなしを描き続けて生きている

支配と頂点求めながら
理想と現実に砕けてゆく
僕の手足が動かなくなっても
思いはけして消えはしない

貴方を愛した
貴方がすべてだった
それが僕の人生
それが僕の生きる意味

宇宙の銀河の片隅で
思いはけして消えはしな

連休

2015年07月20日 07時23分20秒 | Weblog
やけに静かだなー。携帯電話のカレンダーを見てみたら土曜日を含めた連休だったんだ。入院患者も休みだから居なくて静かなんだろう。
でも夕方来てくれた典子さんによると、他の病棟は見舞い客で賑わって居たそうだ。
今僕の居る病棟は、神経内科の患者さんの病棟で、脳に異変が起こっている人達の居る所で、本来の僕の病気は脊髄小脳変性症だから、掛かっているのは、この神経内科でいいのだが、今回の症状は泌尿器科に属する。

と、ここまで書いて昨日は終わった。

という訳で、病室では脳に異常ありの人達なので、1日中色々と小さな事件が起きる。
何故か、夜中に起こる。隣の97歳の女性は二度ほどオムツを変える。小水の時はいいのだが、大便の時は部屋中に匂いが散乱して堪らなく臭い。
特に部屋の温度が適正になってクーラーが作動していない時は、換気がされないのでオーバーだが息が詰まりそうになるほど。
そして斜め前の女性は昼間もたまにアルツハイマーてきな症状が軽く出て不振な行動をとる事があるが、やはり夜中、なぜか下半身に着けているものを全部脱いでベッドにおもらししてしまう。昨夜は二回、夜勤の看護師さんが3~4人やって来て後始末。
という事で夜が明けるまで四回も起こされてしまった。
僕もいつか近い将来、寝たきりになって、下着は脱がないが、下の世話をしてもらう事になる。
こんなふうに回りの人達に迷惑をかけながら生きて行くんだと見せつけられているような気になって切なくなる。
でも、これが現実で、介護に綺麗事なんて無いんだ。
泌尿器科病棟だったらつらい近未来の現実を見なくてすんだかも知れない。
でも、これがこれから生きていく僕に与えられた試練だろう。