何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

582日目 和紙ギャラリー

2005年10月31日 11時43分44秒 | Weblog
10月28日

 朝、9時には目が覚めた。体調は完璧ではない、やっぱり腰が痛いのだ。それでも9時半には肥後さんに見送られて白波荘を出発した。今夜のライブは、先日、蒲生町の浜地さん宅のホームコンサートに来てくれた野田さんのアトリエでもある展示場の「和紙ギャラリー」。そんなに遠い距離ではないので、のんびり行く事にした。途中途中で見つけた本屋さんや古本屋さんには必ず入って、聖書を探したが何処にもおいていなかった。鹿児島の本屋さんに入って不思議に思うのが、宗教関係の本がどの店でも少ない、他県でもそうなのかもしれないが、特に少ないような気がする。鹿児島県には心に病をもった人が少ないのかもしれない。という事は、生きる事が上手な人が多いという事なのかな?。僕はいつも悩んでいる、心も身体も病んだまま毎日のライブを続けている。…何のために…、それがわからない、でも、その事を知りたいがために、今日も唄い続ける。

 夕方4時過ぎに、蒲生町の町外れの山間部に「和紙ギャラリー」はあった。元は小学校だったという跡地に、鉄道工事の事務所だったという鉄筋の倉庫のような大きな四角い建物が建っていた。そこが、和紙ギャラリー、そしてアトリエ、そして野田さん一家の住居でもある。玄関を入ると、外見とはまったく違って、展示された和紙を通してやわらかい光が満ち溢れたやさしい空間に包まれる。アーティスト野田さんの感性が作り上げた空間だ。奥さんが迎えてくれ、今日から始まる個展「あかり展」の作品作りをしている野田さんがアトリエから顔を出してくれた。一杯コーヒーを頂いて、僕は音響機材を車から運び出しセッティング。音を出してみた、鉄筋で出来たい家だから響き過ぎないかと心配していたが、展示された和紙の作品たちが僕の出す音を適度に吸収してくれて、やさしい響きが会場全体に行き渡っていく感じだ。
 とっても気持ちが良くて、普段、リハーサルをほとんどやらない僕だが、一人心地よい気分にしたって、何曲も何曲も唄っていた。

 7時前、農業をしてるという人が子供さんと二人でやってきてくれた。外は雨が降り出していた。ぽつりぽつりと人が訪れるが、客足は悪い。明日が土曜という事もあって、今日展示会に訪れる人は少ないのかもしれない。7時半に、少人数の中ライブを始めた。唄い始めてから、次次にお客さんがやってきた。並べられた椅子の数を超え15人以上の人が集まってくれた。でも僕にとって、今日のライブはお客さんの多い少ないは関係なかった。唄っていて、凄く気持ちがいいのだ。お客さんが一人も居なくっても心地よく唄う事が出来ただろう。でも、お客さんが居て初めてのライブだ。素敵なお客さんたちが集まった。気がついたら1時間半を超えて2時間近くのライブになってしまっていた。

 その後は、皆さんで、飲んで語って時間は飛ぶように過ぎていった。12時前にはお客さん達は帰り、野田さん夫婦と僕の3人になった。大いに語りまくる野田さんの話を楽しく聞かせてもらっているうちに午前3時が過ぎていた。そのまま、僕は2階の部屋に泊めてもらった。
 とっても優しい気持ちになって。

581日目 スナックほの香

2005年10月31日 11時40分10秒 | Weblog
10月27日

 せっかく指宿に来たのだから、今日は砂風呂に入ろうと思っていた。以前、鹿児島県青少年連絡会議の事務局をしていた、みどりちゃんと来て、砂風呂に入ったことがある。下から地熱が攻めてきて結構熱かったが、かけられた砂の重みが身体中を指圧してくれているようで気持ちよかった覚えがある。

 目が覚めたのは8時、掃除のおばさんに起こされたが、掃除は断って又布団にもぐりこんだ。どうにも体調が戻らない。疲れ切った身体は、元にはなかなか戻ってくれないようだ。10時前に起きたときには寝汗をかいていた。どうやら、微熱はずーっと続いているようだ。
 という事で、砂風呂はあきらめて、体を横たえてごろごろする事に決めた。テレビをつけると、大リーグのワールドシリーズを放映していた。それを見ながら身体を横たえていると又眠ってしまった。歳をとると眠る力が無くなると言うが、体調が悪いなりにもこれだけ眠れるという事は、まだ大丈夫という事かもしれない。
 目が覚めたら、井口の居るホワイトソックスが1対0で勝っていた。そして、ホワイトソックスの勝利。ワールドチャンピオンになった。沢山の日本選手が大リーグに参戦して、素晴らしい記録を残してもなかなかワールドチャンピオンにはなれないのに、井口は1年目で栄光の中に居る。恵まれた星の下に生きている人は必ず居る。僕は、その星の下には居ないのだろう。でも、あきらめません。

 先日、本屋さんでマザーテレサさんの言葉を集めた文庫本を買った。素晴らしい生き方をした人の一言一言は深く胸に染入って来る。古本屋さんで、普段語ることの少ないというマザーテレサがインタビューに答える形式の単行本を見つけた。信仰心に熱く、聖書の教えを忠実に守って謙虚に生きた人柄があふれていた。謙虚に生き続けた人だが、その素晴らしい行動力は常人のものじゃない。
 信仰心を持たない僕には考えられない世界だが、だがマザーテレサは聖書の教えを忠実に守り祈る事によって神に近づき、成すべき事を見つけ、迷うことなくその道を歩み続けた。
 53歳になった今まだ、僕は、何を成すべきなのか、どんな道を歩いていけばいいのかわからないままだ。少し気持ちが重くなってきてしまった。

 マザーテレサが信じた聖書を読みたくなった。食事を取るためそして聖書を手に入れたくて車で指宿の街中を走り回った。何軒か本屋さんを回ったが聖書は置かれていなかった。また何処かで手に入れることにして、白波荘に戻ろうとしたら肥後さんから電話が掛かった。夕食を作ってくれるという電話だった。しまった、すでに晩御飯用の弁当を購入していたのだ。でもそれは朝食用にして夕食を頂く事にした。

 今夜のライブは、「スナックほの香」、肥後さんの行きつけの店だ。8時半に奥さんの運転で肥後さんと僕、そして肥後さんの友達と共に出発。店は、10人ほど入ると一杯の小さなカラオケスナックだった。ママが声をかけて集まってくれたお客さんで店はいっぱいになった。まー、それなりの状況で1時間程度でライブは終了した。年齢層は高かったがそれなりに楽しんでもらえたようだ。その後、体調は良くなかったのだが、12時ごろまで飲んで、珍しく僕がにがてのカラオケで唄った。ま、たまにはいいだろう。そして、タクシーで白波荘に送ってもらった。

580日目 白波荘

2005年10月26日 23時57分26秒 | Weblog
10月26日

 昨日は、子供たちの声が聞こえていても起きれなかった。でも今日は7時半には布団を蹴っ飛ばして起きだした。少しだけ体調が良くなってきたかなと、希望的観測?。

 朝食に誘われて、浜地家族と柳田さんと6人で食卓を飾った。食事を終えて、すぐに、昨日のライブを終えた後片付けた機材を車に積み込んだ。長居をしては失礼だと思い、9時前に、浜地家を出発した。

 今日のライブは、薩摩半島の砂風呂で有名な指宿市の旅館「白波荘」。紹介してくれたのは、隼人町の今村さんだ。

 鹿児島中央駅にあるショッピングプラザでギターの弦とカッポダストを購入。カッポダストは沢山の種類があって、今まで使っていたものがアコースティックギター用のものではなかったことを発見。当然アコースティック用のカッポダストを選んだ。今夜演奏するのが楽しみだ。

 4時に白波荘に到着。ご主人の肥後さんが迎えてくれた。この旅館はバスの運転手さんや乗務員の人達の宿泊場所になっている。そのバスの乗務員さん達が夕食の時を食べる大広間で演奏して欲しいという。食事が始まってすぐという意見だったが、食べ物を食べているときには集中できないから、食べ終わった頃に演奏を始めようと言う事になった。7時半がいいだろうという事だったが、奥さんが迎えに来てくれたのは、7時を少し過ぎた頃だった。慌てて、ギターと譜面台を持ってすぐ隣の大広間へ。
 ライブがあることを知らされていなかったバス乗務員の人達は、当然のように驚いていた。でも、後で知ったのだが、霧島観光とさつま交通の人達は、今村さんから連絡があってライブのことは知っていたようだった。
 何も知らない人達の前での突然のライブだと思っていた僕自身はドキドキしていたのだが、一曲目から手拍子が出てびっくり。お客さんたちに乗せられて、約30分の短いライブだったがものすごく気持ちのいい時間になった。その後、ご主人の肥後さんとバス乗務員の人達3人と近くの飲み屋に歩いて出掛けて11時頃まで飲んで宿に戻った。

 どうなる事かと、ものすごく心配して胃が痛くなってしまっていた気の弱い高橋だったが、心配していただけにそうならなかった事にほっとしていい気分の夜になった。

 あっ、忘れていた。今までのカッポダストは、はめるたびにチューニングしなくてはならなかったのだが、やっぱりアコースティック用は、当たり前の事だがアコースティックギターにぴったりするように出来ていた。今までの苦労が何だったのかと、どじな自分に笑ってしまった高橋でした。

579日目 浜地宅庭製作祝いホームコンサート

2005年10月26日 18時28分19秒 | Weblog
10月25日

 朝10時前まで眠っていた。でも、まだ体中が重い。朝食を頂いて、日記の続きを書いて、11時過ぎに、温泉に向かった。1時間半ほどゆっくりと湯に浸かり、身体をほぐしたが、だるいのは消えない。

 浜地さんが夕方6時ごろ帰ってくると言っていたので、温泉を出てから、加治木の町に出て時間をつぶした。そして6時に浜地家に帰ると、ちょうど浜地さん夫婦も帰ってきたところだった。

 昨日のライブの後、浜地さんはいろんな人に声を掛けてくれて、前回、春にライブをさせてもらったとき来てくれた紙職人の野田さんには、この後28日にライブが出来る段取りを組んでくれた。そして、今夜もお客さんとして来てくれるそうだ。前回、何箇所かライブを決めてくれた柳田さんも鹿屋から来てくれるという。それでも、急な事なので、お客さんが集まらなくて申し訳ないとしきりに謝る浜地さん、こちらの方が恐縮してしまうほどだ。

 昨夜参加してくれた丸野君も、自分は途中からしか参加できないけどと言いつつ、自分のところにやってきたお客さんを誘ってつれて来てくれた。家の持ち主や、前回ライブ企画してくれた古城さん、浜地さんたちの仲間の早川さん、野田夫婦そしてなぜか植木職人さん、などなど。

 7時半からライブが始まった。まずは浜地さんの挨拶から。人集めするためには何か理由がないと考えてくれた浜地さんは、広い敷地の一角に、庭大工さんとともに小さな庭園を造ったので、今日はそのお披露目をかねてのライブだと語った。その心遣い、感謝のきわみです。

 そんな、浜地さんの思いに答えるべく、今夜は、音響機材を車から出してセットし、大きな音で聴いてもらうことにした。話は少なく、とにかく沢山聞いてもらおうと1時間半頑張った。疲れはまだ取れていなく、唄うたびに肩が張ってくる。首を回すのも辛いぐらいだったが、気分は爽快だった。1時間半のライブを終え、そのまま宴会。最後まで残ったのは植木職人さんと、柳田さん。もっと付き合って居たかったが、かなり眠くなってきて、12時ごろ、申し訳ないといいながら布団にもぐった。

578日目 浜地宅ホームコンサート

2005年10月25日 19時33分42秒 | Weblog
10月24日

 朝、8時過ぎに清広君から電話があった。眠い目をこすりながら起きだした。今日と明日は、蒲生町の浜地さんの所でライブだという事だった。仕事が相当忙しいと大久保君から聞いていたが、今回の鹿児島のスケジュールは、普段の僕の組み方のように、首の皮一枚でぎりぎりセーフ状態のようだ。この先も、ほとんど決まっていないようだが、清弘君に任せるしかない。

 一度おきてしまったので、もう寝る元気は無い。大久保君は仕事に出掛けていて居なかった。布団を片付けて、荷物を持って、丸池湧水の駐車場へ。昨日は昨日は暗い中で見た池だったのでその美しさは良くわからなかったのだが、改めて見てみると、深くは無い池だが、見事に透き通った美しい水だった。水面にうっすらと靄がかかり、ちょっと神秘的な雰囲気をかもし出していた。

 加治木あたりで適当に時間をつぶして、蒲生町の渋い温泉に浸かって、浜地さんの家に着いたのは、夕方5時ごろ。急な話を、よくぞ、そしてにこやかに受け入れてくれたと、ただただ感謝。
 今日の昼に聞いた話なので人集めは出来ないが、とにかくゆっくり過ごしてくださいという事だった。僕としては、夕食を頂いて泊めていただく事を今夜のおひねりとして唄おうと思ったのだが、近所に声を掛けに行ってくれたようだ。その間、此処のところ体調と気力が低下してかけなかった日記を書き続けた。
 浜地さんは声がけをしてくれたが、急な事なので、みんな用事があってこられないという事だったが、丸野君が、奥さんのご両親を連れてやってきてくれた。おかげで、浜地家の奥さん、子供たちのまひるちゃん、桜人(おうひと)君を含めて、7人のお客さんになった。浜地さんが今夜は20分ぐらいでいいですからと、僕の身体を気遣ってくれて、7時過ぎにライブは3曲の新曲を歌って終わった。おひねりはもらうつもりではなかったのだが、それぞれにおひねりを頂いて今夜のライブも成立した。

 まだまだ、旅の疲れが残っている。それでも夜を語り続け12時ごろに布団に入った。

577日目 大久保宅ホームコンサート

2005年10月25日 19時27分06秒 | Weblog
10月23日

 今日から鹿児島入り。そして11月の15日までのスケジュールを神薗清広君に任せてある。が、その仔細はまだ聞いていない。
 とにかく、彼の住む鹿屋市まで来てくれとの電話は昨夜受け取った。国東から鹿屋まではかなりの距離があるが、ゆっくり来てくれたらいいということだったので、20年ほど前に自転車ツアーで走って以来の、九州東海岸線…国道10号線を走る事にしていた。

 昨夜、財前君が、お寺を見に連れて行ってくれるということだったので、少し早起きして9時に待ち合わせ、国東町の山の懐にある古いお寺「文殊寺」に連れて行ってもらった。切り立った岩山がそびえる辺りにあるお寺で、修行の場所でもあるらしい。急な階段を行く壇も登ったところにそのお寺はあった。素朴な建物のお寺のその上の奥の院には神社がある。昨年の台風のせいだろう大きな木が倒れ小さな祠は今にもつぶれそうになっていた。神様も自然の災害には勝てないようだ。
 旅の安全を祈願して、ホテルに戻った。そして、財前君とは此処で別れ、僕は鹿児島に向かった。今日は、晴れ渡ったいい天気だ。日差しは厳しいが空気は冷たく、窓を開けて走ると心地よい。

 ひたすらに走り続けていると、昼頃、清広君からの電話。敷根さんと結婚が決まった大久保君が家を建てたらしく、今夜はその大久保君の新居になる家でライブをしてくれるという事で、鹿屋市ではなく、最近合併して湧水町と名の変わった町に向かってくれということだった。とりあえず、今日のライブは決まったようだ。

 国道10号線を走り続け、宮崎市に入る手前で右折して、経費節約のため出来る限り国道を走り続け、小林市の手前の、高原インターから高速道路に乗った。約束の栗野インターまではすぐそばだ、夕方6時に栗野インターを降り、指定されたコンビニで大久保君を待った。彼に先導されて、11月に結婚する彼の新居に出掛けた。

 栗野駅すぐそばにある丸池湧水の駐車場に車を止めた。彼の家はそこから1分。丸池湧水と言う名の通り湧き水で出来た池、底まで透き通って見える美しい水の池だ。
 しばらくして鍵を持った敷根さんがやってきてまだ改築中の家に上がった。新築ではなく古い家屋を改築しての新居だ。今日も寒い、ストーブで部屋を暖め、ライブを開始した。二人が、清弘君や有馬君から連絡を受けたのは今日だから、人を集める事は不可能。結婚を前にした二人のためのライブになった。何度も何度も僕のライブを企画してくれたり聞いてくれている二人なので、総て新曲で1時間、今日のライブを終えた。

 その後、3人で打ち上げ、さすがに疲れていた僕はあまり飲めず、敷根さんは自宅に帰り、12時には大久保君と語り終え、布団に入った。

 さー、明日は鹿屋だ。

576日目 弥生のムラ秋祭り

2005年10月25日 16時43分58秒 | Weblog
10月22日

 朝起きたら、妙に寒い感じがする。今日もしっかり朝食を食べてから、10時にホテルを出た。空模様が怪しい。そして、肌寒いというより、しっかり寒い。昨日までの暖かさが嘘のように、めっちゃ寒い。たしか今日のライブは野外のはずだ。

 出発してからは、空の雲が切れてきた。昔からなんとなくあこがれていたのだが、一度も音連れた事の無い、初めての国東半島だ。わくわくしながらハンドルを握る。10号線から213号線に曲がった。ただの田園地帯に入ってゆくのだが、ん~ん、気分のせいか、景色が違って見える。田んぼのあぜ道に白い鷺が首を伸ばしてたたずんでいるのが見えた。いい感じだ。

 ん、でも、国道にしては道が細いな~、なんて思っていたらいきなりT字交差点。そこには県道しか表示されていず、213号線はいつの間にか消えていた。どうやら道を間違ってしまったようだ。ぐるぐると1時間ほど走っていると、何と、出発したホテルの前の道に戻っていた。国東半島に入ったと思ったその道は、国道213号線ではなく県道213号線だったのだ、感動していたのは何処の景色なんだちくしょう。

 改めて、県道213号線の信号ひとつ先にある国道213号線に入った。さっきの事があったので、感動する気持ちが盛り下がってしまっていた。それでも、海岸線を走る道路は、さまざまな顔を見せてくれて、走っていて楽しかった。窓を少し開けて(しっかり開けると、空気が冷たくて寒いのだ。)潮風のにおいを感じながら国東町へ。今日の宿は、コンサート会場の「弥生のムラ」を通り過ぎた海岸線にある。4時に迎えに来てくれるというので、3時ごろ着くつもりだ。途中途中で止まってのんびりと国東半島ドライブを楽しんだ。ホテルに3時に到着。ギターを出していたらパラパラと雨が。そして、ジャケットだけでは寒い芯まで冷えるぐらい寒いのだ。いやー、本当に今日はどうなってんだ。野外ライブが思いやられるぞー。

 4時に安本君という若い青年が迎えに来てくれた。彼の車で会場の安国寺集落遺跡公園「弥生のムラ」に出掛けた。会場は弥生時代の遺跡後に資料館として立てたものだと言う。高床式の建物などあったらしいのだが昨年3度の台風が来て破壊され今修復中らしい。
 そして、その修復中の場所で今日は「弥生のムラ祭り」が行われ、その宴の席で音曲を奏でるというのが僕の役目だ。
 連絡をくれたのは、「弥生のムラ」にある国東町歴史体験学習館にいる、財前君。彼は、11年前に全国青年大会の開会式のときに代々木体育館のステージで歌った僕を見ていた。その時、「証明…あかし」のアルバムを買って聞いていたらしい。最近になって、僕のホームページを見つけて、まだ頑張ってやっていることに感じるものがあったという。そんな頃、上司の有馬さんから「弥生のムラ祭り」で、誰か唄ってくれる人を探してくれと言われ僕の事を推薦してくれたそうだ。そんな経緯があって今日を迎えた。

 その、財前君が、控え室にやってきた、祭りのためだろう、弥生時代らしき服装をしてさわやかに挨拶してくれた。なかなかの好青年だった。
 僕の出番は6時からという事だったが、寒いせいか、時間が早くなっていた。5時半過ぎにステージというか何と言うか、土盛りされた広場がステージ。とにかく寒い。おまけに後ろのほうから強烈な風が吹いていた。その風のせいで熱を奪われ、唄っている間にどんどん身体の温度が下がって行く。肌がむき出しのままの手も、強い風に熱を奪われ、かじかんでギターが弾き辛くなってくる。風が強いのはわかっていたので、譜面台を使わず覚えている歌だけで勝負。野外での30分のステージなので、立って唄った。
 その寒さの中、お客さんはかなり少なかった。天候にはそして自然には勝てない。昼の式典の時には雨が降り出し、お客さんが全部いなくなったところで、お歴々が式典の挨拶をしていたというから、それに比べれば、少しでもお客さんがいてくれっるのだからラッキーだ。

 お客さんのほうから見て、夕暮れの空を流れる雲を背景に歌う僕はかっこよかったということだが、僕には見えない。悔しいー。もうひとつ身体があったらといつも思う。とにもかくにもライブは無事終了。もう一つのバンドが演奏をして、最後はお客さんや高校生のボランティアも一緒になって、弥生時代さながらみんなで踊りまくって祭りは終了。そして、僕は、安本君にホテルに戻してもらった。

 9時に、財前君が迎えに来てくれて、国東の街中で飲んだ。有馬さん藤本さんと財前君の4人で、29年生まれだという有馬さんと、同じ時代の音楽の話で盛り上がり楽しい夜を過ごせた。激動の一日でした。

575日目 日付変更線ライブ

2005年10月25日 16時41分13秒 | Weblog
10月21日

 さすがに唄わないでライブというのもなんだから、極力声を抑えて唄う事にした。ギターの爪弾きも、弾くというのではなく、撫でる感じ。そして歌声は、声を出すというより息を出すというかんじで唄った。これで、トークだけではなく歌も唄ったということで21日のライブは終了した。
 仕事の忙しい村吉君は1時過ぎに帰っていった。昨夜の寝不足で疲れ気味の僕も、焼き鳥屋さんのママから頂いた昨日の残りのお酒を飲んで早めに眠った。

 ゆっくり眠っていればいいのに、昨日朝食を食べられなかった事が悔しくて、ついつい朝食を食べるために目覚ましを8時半に合わせてしまった。起きたとき、やはり気だるかったのだが、頑張って起き出して、9時半で終わる朝食に間に合うように一階におりてしっかりと朝食をとった。ん~ん、これで満足だ。
 今日のライブはもう終わっているので、明日のライブの大分県国東町に近いところにホテルをと、インターネットで探したら、宇佐市に4800円、駐車場代無料、夕食、朝食つき、インターネット使い放題のホテルを見つけた。探せばあるのだ。
 
 10時にチェックアウトして、今日も節約の旅。国道3号線から10号線にそのまま走り続けて宇佐市に到着。4時前にホテルに到着。
 夕食はしょうが焼き定食だった。

 昨日から始めた、CD焼付作業を…3時間で60枚完成。イヤー、凄い。歌詞カードをたたんだりジャケットを折込んだりして夜が更けていった。

574日目 香月公民館

2005年10月25日 16時38分23秒 | Weblog
10月20日

 何とか、7時半に目覚めた。ホテルでは、無料で簡単な朝食が出るので食べようと思ったが、強烈に身体がだるい。携帯の目覚ましを8時にあわせて、もう一度布団をかぶった。
 8時に再度目覚めた。先ほどより少しは気だるさも少なくなっている。急いで起き出して、ギターを持って駐車場に。約束の9時半前に公民館に到着できた。

 今日は、平日、そして午前中のライブという事で、お客さんは村吉君だけになるかもしれないという事だったが、昨夜来てくれたゆたかさんと言う人と、さくや焼き鳥屋さんをママの変わりに守ってくれていた女性がやってきてくれた。

 12時までに公民館を出なくてはいけないという事だったので、1時間と少しのライブだった。昨夜、しっとりとした感じの曲が多かったので、今朝は、がんがんの歌を唄いつづけた。朝だから声の調子が良くは無かったが、ぶっ飛ばして今日のライブ終了。この後、村吉君も仕事が入っているので、12時に公民館を出た。
 昨夜、大型電気店のありかをインターネットで調べておいたので、ホテルからはちょっと離れている電気店に出掛けた。
 お目当ての、外付け小型CD読み書き機材はちと値が張るが、最近こういったパソコン関連機器を目にしていなかったので驚いたが、どれもこれも強烈に値段が安くなっている。少し形の大きいものだったが。外付けのDVD読み書き機材(もちろんCDーRもOK)が1万円以内で売っていた。信じられない安さだ。それに、CDの焼付けなら48倍のスピードで出来ると書いてある。コンピューター自体もそうだが、関連機器に関しても性能がどんどん良くなって、値段がどんどん下がってゆく。驚きだ。

 これで、CD焼付けの心配は無くなった。ホテルに戻る前に食事をして3時に戻った。早速、DVD読み書き機材をパソコンとつないで試してみた。ビィヨ~ン…びっくり…なんと2分と少しで一枚のアルバムが焼きあがってしまうのだ。その後、頑張って焼き続けてみたら、1時間で何と20枚も焼きあがってしまった。今までパソコンでやっていたときは1時間で4枚程度しか焼けなかったのに比べ5倍の生産量だ。いやー、凄い。

 そんな作業をしていると、村吉君から電話があった。11時過ぎにホテルにやってきてくれるという。作業を中断してのんびりテレビを見ながら待った。

 11時過ぎ部屋をノックする音が聞こえた。村吉君がやってきた。ビジネスホテルで、深夜に音を出せば、外に漏れるだろうから、今夜の日付変更線ライブはトークライブという事にしようかなどと話しながら12時が過ぎた。

573日目 香月公民館

2005年10月25日 16時32分42秒 | Weblog
10月19日

 久々の中距離移動だ。10時に、岸川さんの自宅に行ってキーを届け、北九州に向かった。節約節約、なるべく経費を節約するために高速道路の距離を減らそうと、佐賀まで走って、高速に乗り福岡の古賀インターで降り大型電気店を探す。ちょっと前から、コンピューターのCD焼付け作業が出来なくなってしまっていた、新しいコンピューターを買えるような余裕は無い。CDを焼き付けないと、此処のところ収入の少なくなっている懐事情がかなり厳しくなる、色々考えた挙句、ちょっとかさばるが、外付けのCDロムを買えばいいという結論に達したのだ。

 今日は、北九州市の八幡西地域にある香月公民館でのライブだ。今日から3日間(最終日の日付変更線ライブを含む)を、村吉君が受け持ってくれている。彼のこだわりで、どんな形でもライブはライブだから、主催者としてしっかりした対応をしたいのだと、交通費、今日明日のホテルをとってくれている。ホテルは、西八幡駅すぐにあるホテルだ。3時からチェックインできるというので、その時間に合わせて電気屋を探したが見つからなかった。
 ホテルに近づいたところで、車用品店イエローハットを発見。ちょうど良かった。前回オイル交換をしてから、もう9000kmも走っている。オイル交換をしないとやばい状態だったのだ。オイル交換を終え、ホテルへ、ちょうど3時だった。身体はだるいが、寝るほどの時間も無く、一休み。
 ギターと、おひねり箱を持って出掛け、5時に駅の近くで村吉君と待ち合わせた。

 駅の近くで食事をご馳走になって、出発。香月公民館には都市高速を使って30分で到着。仕事がけたたましく忙しいという村吉君、そんな中で今回は、彼の行きつけの焼き鳥屋さんのママに聞かせたいということで、その焼き鳥屋の近くのこの公民館を選んだという。
 明日のライブも、この公民館だが、彼の仕事の都合上午前10時半からのライブだ。そして、その後夜遅くまで仕事をして、ホテルの部屋にやってきてくれる村吉君と日付変更線ライブだ。その3日分のおひねりをと、ライブが始まる前にご祝儀袋に入れて手渡してくれた。

 さて、ライブは7時から、直前になってお客さんが2人やってきてくれた。時間をずらしても仕方ないという事で、ほぼ定刻で始めた。そのうち、パラリパラリと人がやってくる。村吉君が聞かせたかったという焼き鳥屋のママも、店をほかの人に任せてやってきてくれていた。6人集まったお客さんの5人は焼き鳥屋さんのお客さんたちだったらしい。村吉君は、ただ店にチラシを張っただけで積極的に誘わなかったのに、思わぬ人達が来てくれて嬉しいと喜んでいた。北九州でやるときにはいつもやってきてくれる信岡君も残り30分という時間帯になってもやってきてくれた。お客さんの数は決して多くは無いが、豊かな思いが一杯詰まったライブになったと思う。

 会場の片づけを全員で済ませ、それぞれに忙しい人達ばかりなのでみんな帰っていった。村吉君も、やる事が一杯あるので、僕をホテルまで送って、すぐに帰って行った。

 明日は、自力で公民館に行かなくてはならない。8時半過ぎにホテルを出るという事は7時半過ぎには起きださなくてはならない、きびしぃー~い。