何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

散髪

2015年04月30日 12時15分36秒 | Weblog
近くのスーパーマーケットにカット、690円の美容室がある。貧乏ミュージシャンには有り難い店だ。2日から10日間のライブツアー。

10日間で8回のライブ。ライブツアーなんて何年ぶりだろう。
わくわくしながらも、ハードなスケジュールに身体が持つだろうかと不安でもある。

ゴールデンウィークで、新幹線は混むだろうから、2日は東海道本線で各駅停車の旅700㎞、10時間。
そろそろ介護が必要な感じ、そう思えるほどに病気は進行している。
楽な旅では無いが、そう思うとファイトが湧いてくる。何が起こるか、楽しみだ。

と言うことで、気分いっしんで頭をサッパリさせることにして美容院にやってきた。

10時開店ですでに10人ほど並んでいた。が、カットの客ばかりなので回転が早い。あっという間に順番が回ってきてあっという間に終わり。
さっぱりしたところで近くにあるDoCoMoに料金支払いに。ここ10年間、お金が無くて、支払いが遅れてばかりいたが、10年ぶりに支払い期限内に払う事が出来る。こんな事で喜んでいるなんて、最低だね。

カードローンの返済も家賃や光熱費、税金も滞納し続けて、精神的に追い詰められまくって生きた10年だった。

すべての支払いを期限内に出来るようになってほっとしてる。毎月、月末に死んでしまいたいと思った事がなんどもある、生命保険を解約してからは、死んでも金にならないので思わなくなった。そのすべての原因はミックスダウン。高橋の中で最高峰の音が今朝出来上がった。3650日、納得する音質を求めて休む事なく試行錯誤し続けて、沢山の人に迷惑をかけてきた。
そして病気になってしまった。

DoCoMoの支払いと障害者申請を済ませアパートに戻った。

とにもかくにも、5月はライブがいっぱいで、めっちゃ嬉しい。

俺は、高橋 忠史だ!

2015年04月28日 12時10分43秒 | Weblog
昨日、古田さんの詩にかなり手を加えて歌詞にした。僕が計り知れないほどの苦しみを重ねてきた古田さんの思いを壊さないよう、作詞作曲家、いぶし銀として作品を発表しよう、そう思って。
今日になって、いぶし銀である必要性が今の僕にとってあるのか。病と闘いながら、ひと時ひと時を必死で生きている僕にとって、作った歌に責任を伴わないという意味で作ったペンネーム「いぶし銀」はもう必要ない。俺は、高橋忠史だ!。
自分が唄う以上歌に責任を持たなきゃいけない。だから古田さんの思いを借りて自分自身の訴えたいことを歌詞にしようと朝から書き直した、
これで責任を持って唄える歌になった。ロカビリーなバラード、めっちゃええ曲に仕上がりました。5月3日からのライブをお楽しみに。

    いつかあなたに
            作詞 古田 政吉
補作・作曲 高橋 忠史


いつかあなたに出会えたなら
重い荷物みんな おろせるかもしれない
いつかあなたに出会えたなら
バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない
  鳥の声に心が動き出して
  暖かい風に森の緑が輝やいてる
  僕のこの手と足に熱くみなぎる力
  そして歩き出す
 いつかあなたに出会えたなら
 バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない


いつかあなたに出会えたなら
重い荷物みんな おろせるかもしれない
いつかあなたに出会えたなら
バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない
  叩き壊してしまいたいほどの悔しさや
  こぼれそうに溢れそうな悲しみのかけらを
  振り払えるほどの力は僕には無いけど
  信じていたいから
 いつかあなたに出会えたなら
 バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない

  いつも遠くに在るものばかりを追い求めて
  届かない思いに苦しみ続けてばかりいた
  大切なものはずっとそばにある事を
  気付けないまま

不安

2015年04月27日 22時36分44秒 | Weblog
昨日、日立市から東京駅まで政野さんに送ってもらって小平に戻った。3日間、東京でレンタカーを借りて僕の送迎をしてくれた政野さんに大感謝です。

アパートには昼前に到着。市議会議員の選挙投票の日、少し休んで典子さんと投票に出掛けた。ライブは毎日4時間近く練習を続けているので、まだまだ行けそうなのだが、最近歩くのがかなり辛くなってきた。まともに、歩けないんだよなー、情けない。それでも典子さんの前ではかっこつけて、腹筋をぐっとしぼって下半身に力を込めて颯爽と歩いている…つもり…だが、ふらつくと言うよりよろけながら歩いている。
よろけながら、いつも貧乏でここ2ヶ月ほど外で食事をした事がない、二人で出掛けたので、近くの讃岐うどんのチェーン店で久しぶりの外食をすることにしたのだが、日曜のお昼時。半端でなく人が並んでいた。久々の二人での外食は取りやめ、アパートに戻って典子さんの作った冷やしうどんを食べた。

ボーっとしてる時間は一時も無い。5月最初の数日間のライブを企画してくれている古田さんから預かっている歌がある。僕に歌って欲しいと言われている。僕なりに思うところがあって詩の意味合いを変えず、曲をメロディアスにしたかったが、自分の歌作りに集中していて曲作りが出来なかった。あと数日で明石でのライヴ、うどんを食べた後すぐ創作に没頭。曲は60年代のロカビリーのバラードで行くことにした。メロディーが先に出来てそのメロディーに合わせて古田さんの詩を書き換えていった。そして今やっと出来た。精神的に疲れた。




    いつかあなたに
            作詞 古田 政吉


いつかあなたに出会えたなら
重い荷物みんな おろせるかもしれない
いつかあなたに出会えたなら
バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない
  鳥の声に心が動き出し
  暖かい風に森の緑輝やいて
  僕のこの手と足にみなぎる力
  そして歩き出す
 いつかあなたに出会えたなら
 バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない


いつかあなたに出会えたなら
重い荷物みんな おろせるかもしれない
いつかあなたに出会えたなら
バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない
  叩き壊してしまいたいほどの悔しさや
  こぼれそうに溢れそうな悲しみのしずく
  振り払えるほどの力は無いけど
  今の僕には
 いつかあなたに出会えたなら
 バケツいっぱいの涙 流せるかもしれない

旧日立労音・音鑑OB懇親会

2015年04月26日 06時12分03秒 | Weblog
今は無き日立労音。過去に、全国に沢山あった、音楽鑑賞団体が労音だ。自転車ツアーやウォーキングツアーでは、青年団と共にお世話になった団体だ。労働運動が盛んだった、60~70年代に最盛期があって、その後縮小し続け、この日立労音のように消滅した所が多く、それでもまだ頑張っている全国組織だ。

集まった元会員は40人弱。
ここでは、高橋、若造だった。人生の先輩たちに熱唱。ライブの最後を締めくくったのは、銀の雪。新たな恋の歌、先輩たちに届いたかな?。

最高のラヴソング

2015年04月25日 05時35分58秒 | Weblog
62歳11ヶ月にして出来た「銀の雪」、沢山作ってきたラヴソングの中で最高の作品だと思っている。
昨夜のライヴで実感した。

福井県の政野さんが東京に出てくると必ず行く、新宿ゴールデン街の「ダンさん」というお店で40分のライヴ。政野さんが企画してくれた。今日もこれから茨城県日立市で政野さんの仲間達の会合で唄う。「ダンさん」はそのついでと言う感じかな。
僕の身体を心配してくれて東京でレンタカーを借りて小平まで迎えに来てくれた。その車には、福島県いわき市で出会った旧友の丹冶さんが乗っていた。原発事故で今は、群馬県の前橋市に住んでいる彼を迎えに行ってアパートまで来てくれた。10年以上ぶりの再会だ。

ライヴは、僕たち以外全部飲み客でざわついた中ノーマイクで唄うのはかなりきつかったが、政野さんと丹冶さんに聞いてもらうつもりで真剣に唄った。

ざわついているので、それに40分の短いライヴだったから話はほとんどしないで唄い続けた。途中でも唄ったが、最後に「銀の雪」をもう一度唄った。話し声が次第になくなり、若い男性の「泣いてしまいそう…」と言うつぶやきの後、誰もしゃべらず歌が終わるまで静寂が続いた。そして全員の拍手。
歌の力だ。「銀の雪」は最高のラヴソングだ。

ゴールデン街から西武新宿駅まで歩いた。都会は恐ろしいほどの人出だ。ちゃんとあるけない僕のような人間の行くところじゃない。恐ろしく怖かったが、誰にもぶつからず駅まで歩けた。
「銀の雪」と言う曲が、新しい高橋忠史を演出してくれそうな事をかみ締めて歩く充実した道のりだった。
帰り際、丹冶さんが生き生きした目で僕を見つめ、前橋での再会を約束してくれた事か、大きな収穫だった。

欅に若葉萌え

2015年04月24日 10時06分14秒 | Weblog
ずいぶん暖かくなってきた。6時20分ごろアパートを出たが、ジャケットは脱ぎ捨て長袖のシャツで散歩に出掛けた。雨が続いて暖かくなったせいか、一本欅神社の欅にも若葉が萌出した。命の息吹を発散している欅のエネルギーを頂こうと、樹齢300年の太い幹に手を添えてしばし黙祷。手のひらに大地のそして宇宙のパワーをもらって帰ってきた。

今の高橋を唄った、セイリング。欅からパワーをもらって帰ってきて、まだ言葉が足りないと感じ、作りたした。そして、タイトルをつけた。これはもう、セイリングではなく、今の高橋忠史の歌だ。

唄い屋(Sailing)


俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何処までいくんや 何がしたいんや
若い頃から たたかれてばかり
それでもとことん 唄うんや

俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何処までいっても 何がほんまか
わからんままに 年を重ねて
ボロボロになっても 唄うんや

* 逃げたらあかん しょげたらあかん
  カラ元気でええやん 涙こぼれても
  あほみたいに笑ろて うそみたいに跳ねて
  だめだしされても 唄うんや

  俺は生きる 死んでも生きる
  声を無くしても 叫び続ける
  嵐の海に 引きずり込まれ 
  砕ける波に 打たれても

I am Sailing , I am Sailing
Home again cross the sea
I am Sailing , stermy waters to be near you.to be free

舞い上がれ 舞い上がれ
空高く どこまでも
風をつかんで 雲を突きぬけ 
羽ばたけ強く 何処までも

俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何処までいくんや 何がしたいんや
わからんままに 年を重ねて
それでもとことん 唄うんや

俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何であきらめるんや 何でやめるんや
ほんまにあかんて 思うまで俺は
ボロボロになっても 唄うんや

*(繰り返し)

俺は唄い屋 とことん唄い屋
死ぬまで唄い屋 何処までも唄い屋
ほんまにあかんて 思うまで俺は
ボロボロになっても 唄うんや

以上の詩になりました。
今夜唄うのがめっちゃ楽しみです。

セイリング

2015年04月23日 20時07分45秒 | Weblog
今、発売中の手作りCD4枚の音質が又格段に上がった、が、まだCDに焼き上げるまでいっていないので、明日、明後日のライブで販売出来ないのが残念。
練習中に、セイリングの高橋バージョンの日本語の歌詞が気にいらなくなって、歌詞を書き換えているうちに一日が過ぎてしまって、CDを焼き付けるまでの工程に進めなかった。金儲けが下手な男です。

でも、セイリングの高橋バージョンの歌詞は、大阪弁にニューリアルしてかなりいい感じになった。明日、明後日のライブで唄うのが楽しみだ。めっちゃええで。

Sailing


I am Sailing , I am Sailing
Home again cross the sea
I am Sailing , stermy waters to be near you.to be free

I am flying Iam flying
like a bird cross the sky
I am flying passing high clouds to be wihe you, to be free

* Can you hear me can you hear me
through the dark night far away
I am dying, forever trying to be with you. who can say

俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何処までいくんや 何がしたいんや
若い頃から たたかれてばかり
それでもとことん 唄うんや

俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何処までいっても 何がほんまか
わからんままに 年を重ねて
ボロボロになっても 唄うんや

逃げたらあかん しょげたらあかん
空元気でええやん 涙こぼしても
あほみたいに笑ろて うそみたいに跳ねて
だめだしされても 唄うんや

俺は生きる 死んでも生きる
声を無くしても 叫び続ける
嵐の海に 引きずり込まれ 
砕ける波に 打たれても

I am Sailing , I am Sailing
Home again cross the sea
I am Sailing , stermy waters to be near you.to be free

舞い上がれ 舞い上がれ
空高く どこまでも
風をつかんで 雲を突きぬけ 
羽ばたけ強く 何処までも

俺は唄い屋 死ぬまで唄い屋
何処までいくんや 何がしたいんや
わからんままに 年を重ねて
ボロボロになっても 唄うんや

逃げたらあかん しょげたらあかん
空元気でええやん 涙こぼしても
あほみたいに笑ろて うそみたいに跳ねて
だめだしされても 唄うんや

五体不満足

2015年04月22日 08時51分54秒 | Weblog
散歩を終えて、井戸端会議。今週はアパートの掃除当番だ。週はじめに雨が降り風も強かったので道路に葉っぱがけっこう落ちている。井戸端会議の最中に、ちり取りとほうきを持って掃き掃除。ほうきを思ったように動かせないので、葉っぱをはき寄せようとしても空振りばかりして、なかなか落ちた葉っぱをはき集められない。
今まで簡単に出来ていた事が、ことごとく大変な作業になっている。
いつも書いていることだが、五体が不満足になってくると、今まで出来て当たり前だと思っていたことすべてが当たり前で無くなった今、当たり前と思えていたその一瞬一瞬がどんなに幸せな事だったかと思い知らされる。

でも、簡単に出来なくなって、もどかしいほど時間が掛かっても、掃き掃除が終わって、きれいになった道路を振り返ると、苦労しただけ満足感と充実感がみなぎってくる。五体不満足も大変だけど悪いもんじゃない。
五体満足の時、見えなかったものが見えるようになり、感じる事が出来なかったことを感じれる感性が宿ったから。

それはいいんだけど、パソコンのキーボードがうまく打てなくなってきた。思ったキーをはずして打ってしまうので、この文章も何度も打ち直しながら書いている。時間が無くなってゆくと言うのに、一つ一つの作業に時間が掛かってしまうのは、ん~ん、歯がゆい。


障害者の証明

2015年04月20日 20時38分20秒 | Weblog
朝の散歩を終えた時点で今にも雨が降りそうだったので、井戸端親父会議を終えてすぐに市役所に出掛けた。
障害者手帳を受けとる為だ。これで又いろんな援助を受ける事が出来る。ありがたい事だ。

市役所で障害者3級手帳をもらって、小平駅にある東京都住宅供給公社に出掛け、都営住宅の家賃の減免の申請書類を届けた。
難病の認定を受けたので、家賃を安くしてもらえるのだ。様々な書類をそろえなくてはならなくて、大変だったが全てが終了。障害者手帳はあまり関係ないと言われていたのだが、今日の窓口の人が調べてくれたら、さらに安くなるとコピーをとってくれて申請書類と一緒に出してくれる。
手帳をもらってから申請に行ってほんとによかった。

他にも申請しなくてはならない事があるが、今日はここまでにした。

曇りのち晴れ

2015年04月20日 19時58分19秒 | Weblog
大人の手打ちで終わった自治会の総会。集会所から部屋に戻ったのは夜7時。朝の準備から慰労会まで、長い一日だった。
自治会が崩壊の危機状態だったので、ガキンチョの僕としては歯がゆい決着だったが、自治会がなくならなくて良かった。
ここ数日間その事で頭を悩ませていたので、結果はどうであれ、穏便に収まってホッとしている。早朝井戸端会議の親父メンバーも、みんなグッスリ眠れたようでいい顔してた。

僕も目覚めが良く、6時前に部屋を出て1時間も散歩してしまった。