何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

30日その2

2012年06月30日 19時09分53秒 | Weblog
午後5時半、沼津の東名インター近くのコンビニでCDを発送して、出発しようとしたら、バッテリーが上がってエンジンが掛からない。車の中でパソコンを使って作業するのでバッテリーがやばくなっているのは分かっていたが、今日はかなりの距離を走るので充分に充電されるから大丈夫だと思っていた。
だから、急にエンジンが掛からなくなった理由が分からなく、なんでやねん?。という気持ち。
すぐにジャフに電話して来てもらう事になったが、見ても分からないけど、とりあえずフロントカバーを開けてみた。何と、バッテリー液が最低レベルよりさらに低い位置まで下がっていた。これじゃ充電出来るはずがない。まいった。

ジャフが来ればバッテリー液の補充はしてもらえるが、お金が後千4百円しかない。果たしてそれで足りるかどうか。

30分後、ジャフが来てくれた。バッテリー液の事を話すと、「随分減ってますね、ひょっとして6年ほど変えてないですか?。」と聞かれたので、「去年変えたばかりです。それなのにこんなに減るなんて今までに無かった事です。」と答えるとジャフの人も「おかしいですね、今のバッテリーはほとんどバッテリー液は減らなくなっているんですけどねぇ。」と首をかしげていた。

ジャフの人はみんなそうなのかも知れないが、バッテリー液の補充に関して「バッテリー液は持っているんですけど、これってH2Oなんです、水なんです。だからコンビニで水をもらって来て入れたらただです。」と教えてくれた。さっきまでお金が無いしどうしようとドキドキしていたのが嘘のように心は高原の草原をかけぬける風のように爽やかだった。

とにかく一難去って幸せな気分で東京に向かって走っています。

高橋忠史・今日の顔

2012年06月30日 12時57分39秒 | Weblog
6月30日

写真は今撮った今日の顔です。

体調は悪くても顔は死んでない事をお知らせします。
今、ウォーキングライブツアーを中断して、身体を戻すために東京に向かってます。国道1号線のバイパスを使って、のんびり走ってます。
腰が引きつるように傷んできたので静岡市の手前の宇津の谷峠のパーキングで休憩し、ストレッチを一時間しっかりやって、少し仮眠をとりました。

今から又、東京に向かいますが、その前にもう少しストレッチをやろうと思います。

高橋忠史、どんなに体調が悪くても、気力だけは失いません。

体調悪化

2012年06月30日 06時37分56秒 | Weblog
6月29日

朝6時ごろ、胃が痛くて目を覚ました。

どうなってるこの身体。

昨日、少しでも歩けたらと思っていたが、身体を起こすのも大変だ。

ほとんど身体を横たえて1日が過ぎていったが、やらなきゃいけない事がある。
今日までに支払わなくては借金があったので、facebookで出会った人達に助けて頂いて先にお金を振り込みもらってCDを買ってもらった。おかげで何とか支払いは出来た。

調子は悪くなるばかりで午後には急に吐き気が襲って来て、車から降りて嘔吐した。ここ一週間ほど、ほとんど食べていない、まったく食べていないわけじゃなく必要最小限の栄養は豆乳や野菜ジュースで補給しているのだか、固形物をとると胃がめちゃくちゃ痛くなる。それでも少しはと思って、助六寿司を食べて少ししたらやっぱり胃が猛烈に痛くなってきたので胃薬を飲んだ。その後急に吐き気が襲ってきたのだ。

食べたものはすべて吐いてしまった。でも、血が混ざっている気配は無かったので胃が破れてはいないようだ。

今朝、facebookで数十年ぶりに再会した城戸ひとみさんの紹介でネット上で出会った仲山茂さんからメールを頂いた。CDの注文と千葉県でのライブのお誘いだった。
彼は会社勤めをしながらリクレーションのインストラクターやライブイベントのプロデュース、それに整体師の資格ももっているという多才な人だと言う事はメールをもらってすぐに電話してわかった事だった。
その電話で整体師として問診してくれた結果、疲れとストレスで胃炎を起こしている可能性が高く微熱が続いているのも胃炎からだろうと言う事だった。
仲山さんのアドバイスは、ウォーキングツアーは一旦中断して病院に行った方がいいと言う事だった。

何をするにも金がない。
でも、以前にもブログに書いた。やっぱりfacebookで40年ぶりに再会した高校の同級生の出合君にも無理矢理CDを買ってもらい、仲山さんや城戸さんの助けがあり支払いと東京へ帰るガソリン代は確保出来た。

でも身体が動かなかった。仲山さんからお金を振り込んだと4時ごろ電話もらったが、身体が動かせず、封筒につめたCDを発送する事も出来なかった。

ウォーキングライブツアーは一旦中断します。身体を戻して必ず再会します。
滋賀県の藤木猛さんがいち早く7月28日にライブを企画してくれているので、それに間に合うように身体を治します。

絶対負けないぞ。

少しでも前にと思ったが

2012年06月28日 15時58分37秒 | Weblog
6月28日

昨夜もかなり調子が悪く。早くに眠った。朝6時に起床、10時間も眠ったのに爽やかな目覚めでは無かった。胃がもたれてなおかつ痛い。そして妙な寝汗をかいていた。車の窓は薄く開けてあるので、朝6時、結構ひんやりしている。それなのにこの汗はおかしい。
ひょっとして熱があるのではと体温計ではかってみたら37℃あった。
体温は下がっていたと思っていたが微熱が続いていたようだ。
胃の痛みは微熱から来ているようだ。だからいくら胃薬を飲んでも効かなかったんだ。千日連続ライブでは40℃近い熱を出していてもライブしていたんだから、微熱ぐらい何とも無いと思いたい。

今日は少しでも前に歩いてみようと思ったのだが、よく考えてみると、千日の時はホテルに泊まって身体を休める事が出来る金銭的余裕があった。
が今、金は無い。車の中で寝返りも出来ない状態で休養をとるしかない。完全休養をとれないのに無理したらきっと後でしわ寄せが来る。我慢だ。

微熱はあるが、身体全体的には楽になりつつある。明日こそ百メートルでも二百メートルでも歩いて奈良までの距離を縮めます。
藤田さんと話した松並木を早く歩いてみなさんにお伝えしたいです。

今日も休養日です。ブログを楽しみにしているみなさんごめんなさい。
明日、松並木の写真を紹介出来る事を祈って、今、午後4時ですがシートを倒してひと眠りしようと思います。

身体休めの日

2012年06月27日 00時16分05秒 | Weblog
6月27日

今日は身体を休める日にしました。
胃の痛みは気持ちが萎えているのが一番の原因だと思います。
唄える場所が見つからないなら、何かワクワクする事を想像しなきゃ。
くそー、負けてたまるかー。

たっぷり3時間姫街道の話しを

2012年06月26日 11時40分01秒 | Weblog
6月25日

写真は今日語り合った藤田さんです。

今日ライブさせてもらえる所は見つからなかった。
昨夜は、ずーっとほったらかしになっていたホームページのトップページを更新したり、これまた、ずーっと出していなかったメールでの通信の文章を考えているうちに、空が白んで来た。ホームページの更新は起きてから、メール通信も起きてから送る事にして眠ったんだが、なんだか車の窓に人の気配を感じて目を開けると、お巡りさんの姿が見えた。この駐車場で眠っていて職務質問を受けるのは十回を越えている。
まずは窓を開け「ご苦労様。」と言って好印象を持ってもらう。こういう時お巡りさんは高圧的には話してこないけど、最初の印象を良くする事は職務質問を手短に終わらせてもらう為に大切な事だ。
そしてすかさず「これで十回をこえました。多摩ナンバーですものね。」
と、何度も職務質問を受けている事を知ってもらう。この時点でお巡りさんはすっかり警戒心をとって、わざとでなく自然に穏やかに話し掛けてくれる。でも申し訳ないが、時計を見たら朝の6時だった。つい先程、4時ごろ眠りについたばかりで、頭はぼーっとしているし、目はしっかり開いてない。腹の中では、何で起こすんだようと若干の苛立ちが起こるが、それはおくびにも出さず、しっかりとお巡りさんの目を見て軽い質問に笑顔で答える。最後まで好印象を保つのが肝心だ。質問は二、三程で終わり、最後に「ご苦労様でした。」とパトカーに戻るお巡りさんにねぎらいの言葉をかけて終了。
2時間も眠れなかったので、すぐに眠ろうとしたのだが、ホームページの更新やメールの発信、そしてまだ理解出来ていないfacebookの事が気になって眠れなくなってしまった。
体調が悪いのだから眠らなくてはならないのに気になる事は終わらせないと気が済まない。寝不足だけでなくこんな事がストレスになって体調を崩しているんだと思う。

パソコンを開いて昼過ぎまでfacebookと格闘。少しずついろんな事がわかって来た。6年間CDの音質の事ばかりこだわってきたので、一括メールの出し方も忘れてしまっていて苦労した。出すには出せたがまだよくわかっていない。

今日は葵町の喫茶店で先日のブログ村で出会った藤田さんと待ち合わせている。僕の知らなかった姫街道の話を聞かせてもらう為だ。1時半藤田さんがやって来てくれた。お互いに珈琲を一杯たのんで話し始めた、というより藤田さんが資料まで作って来てくれて、優しく熱く語り続け僕はうなずくばかりだった。

藤田さんは東京からやって来てこの地に住み着いた人。定年退職するまでは姫街道の事も、葵町が磐田市から愛知県の豊川市まで続く姫街道で松並木が江戸時代から残っている唯一の地域だという事にも感心が無かったという。
そんな人がどうしてこんなにも熱く姫街道の事を語れるようになったのだろう。
藤田さんが定年退職してすぐの頃、様々な理由で老木化した松並木の一本が倒れてしまったらしい。葵町にはその老木と同じ状態の木が沢山ある。地域の人にとっては歴史的遺産というよりも危険極まりない邪魔なものであったりする。

その事に関して地域での集まりがあったらしい。
藤田さんが住んでいるのは松並木の中に入った所なので直接の危険はなく、退職前だったら集まりにも参加しなかったという。退職したばかりだったので、ちょっと顔を出してみるかぐらいの気持ちで参加したのがきっかけで、歴史なんかまるで興味が無かったらしいが、一本の松の老木が倒れた事で自分の住む地域の歴史にまで詳しくなり、その事で出会う人も増え、営業マンとして働いていた頃よりも交わした名刺の数が多くなって、どう整理しようか悩んでいますとうれしそうに語っていた。

あまり長時間の時間をとらせては失礼だと思い、2時間ほどして、ありがとうございましたと話を終わらせたのだが、それから1時間まだまだ話しは続き、定年退職男と還暦男二人はまるで青年のように話し合った。僕の体調が悪くなければ、一杯行きますかといって朝まで話せたかも知れない。最後のほうでは僕も熱く語ってしまっていた。藤田さん、楽しい時間、ありがとうございました。

話が終わったら、車をここに置いて、藤田さんの車で銭取のバス停まで連れていってもらって喫茶店まで歩いてもどれば、ウォーキングツアーの距離が短縮出来ると考えていたんだが、話している後半から胃が痛みだし、喫茶店を出て少し立ち話をしている時頭がクラクラして、歩けるような状態では無かったので藤田さんとはそこでお別れした。
車に戻っても気持ち悪さも加わってしばらくエンジンもかけられない状態でぼうぜんとしていた。少し楽になった所で姫街道を東に向かって走らせ、駐車場に戻った。
途中コンビニでL21を買って飲んだが、それでも辛く、少しシートを倒して休もうと思ったとたん眠りに落ち、ハッと目覚めたら一時間が過ぎていた。
この身体どうなってんだ。

NPO法人プロジェクト7総会

2012年06月25日 12時08分36秒 | Weblog
6月24日

この身体どうしてしまったんだろう。どんどん良くない方に向かっている。

身体の疲れや痛みは癒される時が来るだろうが、胃の妙な痛みは本当に胃だけのものなのだろうか。
酒を飲まなくなったので、肝臓は大丈夫のような気がするが、ストレスや疲労でも機能が低下すると聞く。
今日からウコンを飲むことにした。そしてキャベツのコールスローを作って毎日食べる事にした。千切りキャベツは高いので、半分のキャベツを買って車のなかで塩化ビニールのペラペラまな板の上で千切りし、スーパーの荷物置き場に巻かれているビニール袋の中に入れて、マヨネーズをたっぷりいれて胡椒を振りかけ、ビニール袋を振り回せば出来上がり。

朝それを挟んだパンを食べて1時に岩田駅近くの磐田信用金庫の五階ホールに出掛け、総会の景気つけに2曲唄い。

総会が終わって、磐田のお寺のお坊様の講演会の前にまた一曲唄って、今日の仕事は終わった。

遠州森駅軽トラ市

2012年06月24日 08時25分53秒 | Weblog

6月23日

今日は朝からのライブ。最近、各地域で行われている軽トラ市で場所を提供してもらって唄う。

軽トラ市とは、基本的には開催されるその地域の農家が作った農作物を軽トラに乗せて売りにくるというもの。

9時に遠州森駅に着いた。地方ののどかな小さい駅だった。駅前のスペースは狭く、こんな場所でどんなふうに開催されるのだろうと思ったが、会場はそこではなかった。関係者らしき人に責任者のかめざわさんの事をたずねたら、まだ来てないらしい。その時駅横にある空き地に軽トラが何台か入っていった。どうやらそこが軽トラ市の会場のようだ。じやまにならない場所に車を置いてかめざわさんを待った。
しばらくしてやって来たかめざわさんに、唄えるばしょを指示してもらい。車を移動した。
別にステージがあるわけでも無い。唄う場所として何かいい雰囲気作りが出来ないかと考えた。
母の事で大阪にいた時、見舞いに来てくれたいとこの登史子ちゃんがご主人と、住んでいる地域の自治会館でライブを企画してくれた。登史子ちゃんは習字の師範で自宅のみならず大阪市内にも教えに出掛けている書家だ。空き民家を使った自治会館の一室がライブ会場だった。僕の唄う場所の後ろには、登史子ちゃんが筆で書いてくれた「アコースティックライブ高橋忠史」という垂れ幕が張られていた。いい感じだったのでライブ終了後その垂れ幕を頂いて車に積み込んである事を思い出した。
それを使って写真のようなセッティングをしてライブに挑んだ。

磐田や浜松でやられている軽トラ市はそうとうな人出らしいが、ここは人口の少ない森町、ポツリポツリと人がやって来るという感じで賑わいは無かった。
人が集まって来るのを待っていたら何時まで待ってもライブを初められない。

あまり頑張らず、うけねらいも考えずマイペースで唄う事にした。
軽トラで農作物を売りに来た人達が喜んでくれて、投げ銭してくれたり農作物をくれたりして、今日の収入は千九百円なり。
でも唄う合間にいろんな人が話し掛けて来てくれて、一人のんびり過ごす時間なんてなかった。
収入は無いに等しかったが、有意義な時間を過ごせた。そして、昨日取り替えたギターは安っぽい音ながらパワフルに鳴ってくれていた。
みなさんにお礼して、12時過ぎに会場を出た。
なんだか物凄くつかれた。体調はさらに悪くなっている。置き忘れたウォーキングライブツアーの登りを縣家に取りに行く途中でどうしようもなく身体が気だるく、ホームセンターの駐車場で3時間仮眠、縣家には6時に着いた。誰も居なかった。預かっていた鍵で家に入って、畳の間でうつ伏せになったとたん眠ってしまっていた。
目覚めたら夜中の11時少し前、リビングルールに行くと座椅子に座ったまま眠っている智美さんがいた。僕が目覚めるのを待っていてくれたんだろう。
智ちゃんにお礼を言ってのぼりを持って家を出た。
明日は磐田で唄うのでいつもの駐車場に戻ったが、まだ眠い、車を止め、シートを倒してすぐ眠ってしまった。

久しぶりに春野町勝坂へ

2012年06月22日 19時33分58秒 | Weblog
6月22日

朝目覚めて、CDの音質で少し気になる部分があったのでそれを修正し、携帯電話を見たら、超嬉しいメールが届いていた。

東北の震災をまともにくらった、宮城県気仙沼市に住む、シャンソンシンガーの「多喜子」さんからでした。震災のあった地域には沢山お世話になった方々がいらっしゃるのですが、気の弱い僕は安否の確認をするのが怖くて直接の連絡はいまだにしていません。

だから多喜子さんからのメールはめちゃくちゃ嬉しかった。あぁ~っ、わぁ~生きてくれていた。車の中で小躍りしてしまうほど嬉しかった。彼女は震災直後から支援ライブや歌手・タレント・バンド等のコーディネートに東奔西走して忙しく過ごしていたと言う事でした。さすが子沢山のパワフルママシンガーだ。
自分自身も被災者なのに人の為に頑張っている姿が浮かんで、僕が自分の為だけの夢を追いかけて人の世話にばっかりなっている事がちょっと恥ずかしく思えてしまいましたが、なんだか凄い勇気をもらいました。
メールの内容はCD「素描Dessin」の注文でした。高橋忠史は被災者からも助けてもらっているなんとも情けない奴です。
だからこそ、この旅、どれだけ立ち止まっても、必ず歩き出し、どれだけ時間が掛かっても東大寺まで完歩するぞ!。

この旅が始まる直前まで、2月に脳梗塞で倒れた大阪の実家の母の病院に通い続けていました。入院当初、お医者さんからは回復は望めないし長くは持たないかも知れないと言われ、延命治療をするかどうかも聞かれた。延命はしない事でお願いした。

前にも脳梗塞で倒れた事があり、それいらいずっと介護し続けている妹と毎日病院に出掛け、全身麻痺で身体を動かす事も出来ず、言語をつかさどる神経も麻痺し話す事も出来ない母に何をしていいのか分からず、ただひたすら足の裏をマッサージし続けていました。そのせいでは無いでしょうが、倒れてから4ヶ月になりますが頑張って生きてくれています。表情の無い日がほとんどですが、たまに視線が合って笑みを浮かべてくれる時があると、それだけでその日1日が幸せな日になります。生きてくれているだけで嬉しいんです。
そんな事もあっての多喜子さんからのメールだったので小躍りしてよろこんでしまったのでしょう。

今、写真の勝坂にやって来ています。音楽作りをする為に11年ほど前に、浜松の街中から50キロも離れたこの山村にやって来ました。勝坂に戻ったのはギターを取り替える為です。ウォーキングライブツアーは、写真にも写っていた、タカミネのギターを使う事にしていたのですが、3回ライブをやってみて、見てくれのいいギターなのですが、どうも音がしっくりこなくて唄いづらかったんです。ずっと使っていたギブソンのダブと言う名前のギターは母の病院通いでお金が無くなり磐田の友人の鳥居さんの息子さんでミュージシャンのだいちゃんに買ってもらってもう手元にはありません。勝坂にはギターが何台かあるのですが、マーチンは1000日連続ライブの時倒れてネックにヒビが入ったままお金が無くて修理に出せなくて使い物にならない。(ちなみにCDアルバムの素描の2曲目の壊れかけたギターはこのマーチンの事です。)香港で買ったギブソンはめっちゃ弾きづらく、友人からあずかったまま30年ほど立つオベイションのギターは1弦あたりがビビルの
で使えない。曲作りで使っているクラシックギターは高校生の時、岬公園のそばのゴルフ場でキャディーのバイトをして自分のお金で初めて買ったギターだ。高校3年の時に毎週土曜日レギュラーでラジオ出演していた時に使っていたが、ライブでは使えない。40代で鹿児島県をウォーキングライブツアーした時にギブソンのギターが使えなくなり急遽楽器屋さんに走って買った4万円ほどのギターがある。4万円だから音は安っぽいがパワーはある。タカミネのギターは高級品質だがボディーが薄くパワーに掛け、声の大きな僕には物足りない。

と言う事で、今、弦も張り替え明日の森町の遠州森駅での路上ライブの準備はととのった。
ここから森駅は遠いので、今夜も、いつもの駐車場に戻って眠る事にします。

体調もどらず

2012年06月22日 13時28分58秒 | Weblog
6月21日

昨夜、葵町から浜北の駐車場にもどったが、胃の痛みが復活し腰の左側からお尻にかけて筋を引っ張られるような痛みが続いている。
しっかり休めという身体からのサインだろう。だから早めに眠った。
目が覚めたら少しよくなるかと思っていたが相変わらずだ。

朝の10時過ぎに須部さんから「滋賀県の藤木さんからの荷物が届きました。」と電話が掛かって来た。

数日前のブログで、ギターケースを買った事を書き写真ものせたが、その写真をみて、あまりにものみすぼらしさに連絡をくれた。
お金がなく、1950円で買ったベラペラの布製のソフトケースで歩き旅に耐えられるしろものでは無いがそれしか買えなかった。
「押し入れに眠ったままになっているソフトケースがあります、どうぞ使って下さい。」と。
すぐにメールを返した。「ありがとう、使わせてもらいます。」と、そのソフトケースの送り先をアイエムアイにさせてもらっていた。

12時過ぎにアイエムアイに出かけギターケースを受け取った。僕の安物ケースと違い、しっかりとした重量感があった。駐車場に戻って梱包を開いた。思わず口が緩んだ、自分ではわからないが、ニタァーっと不気味に笑ってしまっていたはずだ。
布製のペラペラケースと違い、しっかりした厚みのある革製で見るからに頑丈そうだ。金具には若干の錆が出ているものの、汚れも傷も無く新品同様だ。これなら奈良の東大寺どころか、あの世まで旅をしても大丈夫そうだ。藤木猛さんに感謝だ。心から感謝だ。

藤木猛さんとは、僕が初めてウォーキングライブツアーを行った40歳の時出会ったから、もう20年の付き合いになる。これまでに何度となく、いや数えきれないぐらいお世話になっている。助けてくれと連絡すると何があっても助けてくれる。
だけど僕は何のお返しも出来ていない。
これは藤木猛さんだけでなく、これまでお世話になったすべての人達にも同様で、高橋忠史の人生は人に迷惑を掛けっぱなしの人生だ。それなのに沢山の人が応援してくれる。本当に有難い事です。

4時ごろ、須部さんから電話があった。土曜日の朝に森町の森駅で「軽トラ市」があって、その実行委員の人が来たから高橋さんのライブをお願いしてみたら、場所を提供出来るだけだけどそれでも良かったらと言ってくれていますけど、という事だった。
路上ライブみたいなものだけどどうしましょう。

一瞬考えたけど、何処でどんな出会いが待っているかわからない。お金にならなくてもやるしかない。やらせてもらう事にした。

いい事ばかりあるのに体調は良くなるどころかひどい状態だ。

夜に遠江国分寺に七重の塔を再建する夢をもつ「プロジェクト7」の会長の大橋芳隆さんから台風や体調が心配だったと電話頂いた。みんなが心配してくれている。本当に有難い。頑張って体調戻すぞー。