何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

1年間ありがとう・来年もよろしく

2015年12月31日 15時10分19秒 | Weblog
精神的にはジェットコースターのような、肉体的には下り坂を転がり落ちるような‥‥ものすごく長く感じられた一年だった。

脊髄小脳変性症という病気が発覚してすぐに年が明け、漠然と考えていた‥死‥が、近い将来自分の身に起こる現実のものとしてなかなか受け入れることが出来なくて、ただ怯えるだけの日々を過ごしていた。
落ちる夢を何度も見た。
捕まるものも無くただ落ち続ける恐怖に身体をかきむしり、断末魔のような振り絞る叫び声を上げ、その声に驚いて目覚め、とり散らかった掛け布団を抱きしめ‥あー‥夢だったんだ。
‥‥よかっ‥た~。
左腕から小指までが痺れ始め、ギターが弾きづらくなってゆくのが耐えられない悔しさだった。
リハビリの為だと左指を懸命に動かし続けても、回復どころか日を追って動きは悪くなるばかり。
病状がどんどん悪化していく中で、気持ちだけは前向きに生きなきゃと、ブログに出来ないことを悔やむんじゃなくて、まだ出来る事、状態が悪くなっても始められることをやろうと書き続けることで自分を奮い立たせていた。
実際は、落ち込んでばかり、悩んでもよくならないと分かっていてもどうしようどうしようとくよくよしてしまう。

7月に脊髄小脳変性症とは関係ない前立腺と尿道がつまり体毒が身体中にまわり、救急車で病院に運ばれ半月ほど入院して何か吹っ切れたような気がする。
退院する頃には前立腺の症状は完治したが、脊髄小脳変性症は病状が進行し左手は細かな作業が出来なくなっていた。
この時点でギターは完全に弾けなくなった。
何度思ったろう、この時も、もうライブは出来ないと思った。
情けなく辛かった。
誰にも話せないぶん余計に辛かった。
ほんとに辛かった。

ボロボロになるまで唄い続けると言った。
大ぼらだ。
自信なんてまるで無かった。
すぐにでも逃げ出そうと思っていた。
だが散歩をするとき必死で声を出していた。
何とか唄おうとしていた。
やっぱり、あきらめ切れなかった。

果たして、ライヴとして成立するかどうか分からないまま「アカペラ」だけでライヴをすると発表した。
自信はまるで無かった。
どうやっていいか、前例は何処にもない。
たぶん、世界で始めてのチャレンジだ。
そう思うとワクワクしてきた。

聞いてくれた人にとって「アカペラ ライヴ」はどんな印象かは分からないが、今までのライヴより言葉が伝わっているという実感はある。
自信を持ってやれるライヴだ。
話す言葉はかなりろれつのまわりが悪くなっているので、丁寧に伝えようとするので、その思いが言葉に乗り移るのだろう。
世界一へたくそな歌だが、歌のメッセージは確実にお客さんの心に届いてる。

そんなアカペラ ライヴが出来るようになってまだまだやれる手思いで新年を迎えられます。

世界一下手な歌手ですが、心に届ける歌を唄い続けたいと思ってます。
勇気を持って「高橋忠史・アカペラ ライヴ」を企画して下さい。
あなたからの連絡待ってます。

よいお年を‥‥。

二人でお泊まり

2015年12月30日 19時10分15秒 | Weblog
今日は、孫が二人だけでお泊まりにやって来ました。家は娘二人なので、30年前にタイムスリップしたようです。
いつも典子さんと静かな時間を過していますが、今夜は笑い声がたえないにぎやかな夜です。

今年の最後に、ステキなプレゼントいただきました。

枯れ木のようだよ足が!

2015年12月29日 19時29分39秒 | Weblog
昨日何とかアパートまで帰ってきたが、意志が足に伝わらない、それだけならいいが足が大地を踏みしめる感覚が遅れてやってくる。
踏みしめていいのか、持ち上げていいのか分からなくて、足全体の筋肉がバラバラに反応してプルプル震える。
身体のバランスは崩れっぱなしで、一歩進むたびに倒れそうによろける。
プルプル震える足で倒れそうになる身体を支えようとするが、その信号が足に伝わらない。
枯れ木のような足で、折れそうになりながら必死で崩したバランスを支える。
こんな状態は、一昨日ウォーキングをしていた時から、旧中山道を歩き、守山市に入った頃から続いている。
極度の疲れのせいか、医師にも過度の運動はしないよう言われているが、今の身体の具合からするとウォーキングは極限に近くハードな運動だったから、病気が進行したせいかも知れないが、朝の散歩には出られなかった。
今にも折れてしまいそうな枯れ木のような足で、おやじ会議にだけは出た。
2階から一階に階段を下りるのが日に日に遅くなっているが今日はいちだんと時間が掛かった。
一段一段階段を下りているつもりなのに足が同じ段で引っ掛かってしまう。
その度に突っかかって転びそうになるので、手すりにしっかり捕まって転げ落ちないように身体を起こす。
ただ階段を下りただけで吐く息が激しくなり冷たい空気に白い息が広がる。
また不安が襲ってくる。
東海道を歩く事が、今の僕にとっていい事なんだろうか、マイナスな事なんだろうか。
ひょっとして、命を縮める行為になるんじゃないか。

答えは何処にも無い、ならば立ち止まらず、進むのみ。

今年の暑い時期から絶やさず植え込みの中で咲き続けている花がある。
年が変わろうとしている今。朝は氷点下に近い寒さになっているというのに、いまだ元気に花を咲かせている。
逆境に耐え忍び鮮やかに花を咲かせているそのパワーをいただこうと写真を撮った。

未だ足は枯れ木のまま。
それでも、芯まで枯れてはいないはず、頑張れ忠史。

青春フリー切符族でいっぱい

2015年12月28日 13時53分13秒 | Weblog
守山駅で歩き終わり、東京までの切符を買おうと切符売り場にならんだ。
前に並んでいた青年男子二人、青春フリー切符を片言の日本語で買って、その使い方を聞いていた。
日本を旅する若者か、日本に働きに来て間もない若者か。
地方の町に住む外国人が増えている。
僕達の青春時代には、外国人なんてテレビドラマか映画のスクリーンでしか見れなかった。
今は日常に身近にいるし、アジアの人達は話さなければわからない。
いつも車移動だったので感じられなかった時代の流れを病気になって体感している。

宿を予約してある彦根駅で途中下車。
彦根城は近くにあったが、疲れ方が半端でなく、足が上がらないのでちょこちょこ歩き、観光どころではない、ホテルにたどり着くのがやっとだった。

4時にチェックイン、部屋に着いたとたんベッドに倒れこみ朝6時に身体を起こすまで眠ったり目覚めたりを繰り返し、14時間かけて少し体力を取り戻した。
ホテルのバスに一人で入って転倒したら大変なので、ただ眠っただけで出発。
彦根駅、八時前の東海道線を乗り継いで東京へ。
新幹線は混むだろうがローカル線は大丈夫と思っていたが、冬休みに発売される青春フリー切符で東京に向かう学生達で超満員。
浜松駅の、乗り換え、までは、座れたが、電車が遅れるてギリギリで乗り換えたので座れず、立ったまま静岡駅までと覚悟を決めた。30分ほどして腰が痛くなってきたので、ドアに頭を着けて身体を9の字に折曲げて腰の負担を減らす格好で立っていたら、しばらくして、僕の肩をたたく人がいた。
振り向くと手招きで、優先席に案内していた。
先程から後ろでインドの言葉らしい話し声が聞こえていたがその夫婦のご主人だった。
周りには、若者だけじゃなく日本人が優先席も含めて座っていた。
杖をついてよろけながら立っている僕に気づきながら、スマホをいじる人、視線をわざと外している人、寝た降りしてる人、ん~んたまたまかも知れないが日本人に捨てられて、インドから働きに来ている夫婦に助けられた。
東海道線はどこの国を走っている鉄道なんだろう。

とりあえず、静岡辺りから青春フリー切符族も少なくなって、のんびりとローカル線の旅が続いてます。
そして、6時前、無事アパートに戻りました。

歩くぞ東海道

2015年12月27日 10時26分36秒 | Weblog
ライヴに使うエネルギーは半端なものじゃなかった。昨夜のライヴの前にも眠らせてもらって、終了後もすぐに眠ったが朝起きるのがツラかった。
そして身体中のバランスが崩れていて、なかなか立ち上がれなかった。
健康な時にはわからなかったが、ライヴをこなすごとに僕は命を削るぐらいエネルギーを消費していたようだ。

早くに浜松駅に送ってもらい、七時半に豊橋行きに乗車、東海道線を乗り継ぎ、今、10時20分、関ヶ原を通過草津はもうすぐだ。
さぁー、今日はかなりふらついているが、何キロ歩けるだろう。
来年に向けて、ひと駅だけでもがんばるぞう!。

10年ぶりのホームコンサート

2015年12月27日 09時19分48秒 | Weblog
東京駅の新幹線乗り場はいつもと比べ、ものすごい人混み。
みんな自分の事で精一杯のようで、杖をついてハの字を書いて歩く僕の事など見てくれていない。
我先にと僕の前を横切っていく人達に目がくらみ何度も倒れそうになった。
新幹線乗り場も沢山の人が並んでいて、駅弁を買えないまま「こだま」に乗り込んだ。
期待していた車内販売もなく浜松についてしまった。
歩くのが不自由だと売店で買い物をするのもままならぬ、くやしいね。

2時に到着、さすがに浜松駅は人混みもなく歩きやすかった。
改札を出ると鈴木さんが中学生になるゆうや君と一緒に迎えに来てくれていた。鈴木さんの車で天竜川の土手を天竜区まで…。
自分の運転で何度も何度も走った道だ。
後部座席に座っている事が不思議だ。

鈴木さん宅に着いてすぐに用意してもらっていた布団に潜りこんで眠らせてもらった。
前回の大昌寺ライヴは体調大不良で3曲しか唄えなかったが、今夜はバッチリ。トーク&アカペラライヴ、しっかり話して、しっかり唄った。
春野からも僕が15年前勝坂に住む段取りをすべてやりのけてくれた平島さんや勝坂に住むようになってから何かと面倒を見てくれた仙田さんも来てくれて、それと鈴木さんの人柄の良さで地元の人も集まってくれて、ホームコンサートなのに20人ものお客さんが部屋にいっぱい。
気持ちのいい10年ぶりの鈴木宅ホームコンサートでした。

明日は今年最後のライヴ

2015年12月25日 13時19分51秒 | Weblog
12月26日
高橋忠史アカペラライヴ
鈴木 正仁さん宅 ホームコンサート 

PM7:00~開演  

料金 投げ銭
場所 
      静岡県浜松市天竜区渡ケ島445-1
問い合わせ  
      鈴木 正仁  携帯090-4258-6611

魂を込めて命懸けで唄います。

そして翌27日は、滋賀県草津市の草津駅から一駅だけでも前に進もうと思います。

先日病院でかかりつけの医師に一人で出歩くことは絶対にだめと念押しされた。
転倒して骨折したら、他の病気を併発する可能性が高くなるからという理由らしい。

でも歩く。
転倒したら、又沢山の見ず知らぬの人達に迷惑を掛けてしまうだろう。
でも歩く。
ただ生きているだけじゃなくて、イキイキと生きたいから。

朝陽のグラデーション

2015年12月24日 20時18分41秒 | Weblog
昨夜の美観部忘年会…60~70~80のじじい達が青年のように熱く語り合った。
もちろん議題は自治会についてだ。
それぞれの人がいて、それぞれ違う道を歩いてきた。
ここで生まれ育った人は一人も居ない。
だから幼馴染もいない。
お互いを理解しあう所から総てが始まる。

飲んで騒いで終わりと言う忘年会ではない。
最後にはけんか腰になって語り合った。
若くは無いので、熱くなっても最後は自治会を楽しいものにしてゆこうと落ち着くが、真剣だ。

最後に熱くなったじじい達の忘年会だったが。
飲んで食って語ってカラオケ。
その夜も渋谷さんにアカペラを要求されるだろうと「ワッハッハ」の歌詞を持って出掛けていた。
みんなが、しこたまカラオケを唄った後、来たー!。
昨夜は事のほかろれつが回らず、話すのもわずらわしいほどだったけど、酒の席だから言いかと開き直って、でも歌手としてのプライドがあるので腹をしぼって、肛門をしっかり締めて深呼吸をして唄いだした。
アカペラで唄いだすと話し声は止んで、みんな真剣に聞いてくれていた。

   ワッハッハ


* 僕は何時も笑っています
  あなたのそばにいて
  僕は何時も笑っています
  どんな時でも

ヘラヘラするな馬鹿にするなと
なぐられて血を流し
泥にまみれて はいつくばっても
それでも笑っています

誰かを憎んで傷つけるよりも
傷つけられるほうがいい
きれいごとだと 青臭い奴だと
笑われ続けても

** 泣きたくなるほど悔しくて
   せつなくて悲しくてはかない時も
    僕は何時も笑っています
    あなたのそばにいて
    僕は何時も笑っています
    どんな時でも
    ワッハッハー……


* (繰り返し)

意気地が無くて臆病者で
いつも迷ってばかり
今の僕に出来る事を
探し続けて

愚図でのろまで弱虫だけど
精一杯生きてます
愚図でのろまで弱虫だけど
力一杯生きてます

**(繰り返し)

愚図でのろまで弱虫だけど
懸命に生きてます
愚図でのろまで弱虫だけど
頑張って生きてます

**(繰り返し)

唄い終わると、みんな歌詞に共感してくれて、まるで俺のことを唄ってくれているようだといってくれる人がいたり、歌詞がよかったからと言って歌詞カードの詩を携帯電話の写真に残す人も居た。

あれだけろれつが回らなかったのに、やっぱり僕は「唄い屋」だ。

その後本音の語り合いになった。
それぞれの思いが考えが価値観が違うということを分かりあえない限り、みんなが同じ方向に向かえない。
それぞれ違うことだらけだが、自治会を互いの関係をよこしたいという思いは同じ。
それぞれ違う人生の色が絡み合って、反発するんじゃなくて重なり合いグラデーションを起こし、互いの主張はまげず溶け合ってゆく。
早朝の公園のグランドに出来た、朝陽と長い木陰そして大地のかもし出すグラデーション。
自己主張しながら交わろうとする、その光景は美しい。

夜明け

2015年12月23日 14時40分25秒 | Weblog
すべてが今から始まる。
そんな感じの写真ですよね。

朝から集会所の大掃除、自治会役員と棟役員全員出て今年最後の仕事おさめ。
夜は美観部の忘年会。
今夜で自治会の行事はすべて終了。

365日の内の100日以上、3分の1は自治会の仕事に関わった事になる。
まさしくボランティア活動。
病気の僕には、けっこう辛かった。
来年度は、自治会役員だけじゃなく、棟の班長もやる事になっている。
今でも歩けなくなりそうな状態なのに、来年はもっと病気は進行する。
僕より元気な人はいっぱい居るのに、…なんで?…。

また、愚痴ってしまった。
いかんいかん。
人は人、僕は僕、みんなそれぞれ事情があるのだろう。
こんな、役立たずの身体でも、みなさんの役にたてる仕事をさせてもらえるなんて幸せな事じゃないか。
残りが少なくなって行く人生。
沢山の経験をする事で、より多くの感動を得ることが出来るかも知れない。
毎日が夜明けだ。
日々新しい旅が始まる。

胸を張って歩こう

2015年12月22日 20時41分39秒 | Weblog
おやじ会議のアイドル「アトム」だ。
朝、やって来てはおやじ達をいやしてくれる。

今日は火曜日、資源ごみの日。
集積係りの仕事を終え、2ヶ月に一度の病院に行く日。
年末の休日前という事もあってか、予約していた時間の2時間待ち。
治療は出来ないから、僕が医師に病状の進行を伝えるだけなのにこんなに待たされるのは理不尽だと思うが仕方ない。
患者数が少なくてデーター不足なので、原因解明と治療対策を遅らせていている。
僕達の病状データーが、治療可能な病気になる手助けになると思えば悪い気はしない。
「脊髄小脳変性症って、昔は治療法が無くて死んでしまう病気だったらしいよ。」
どれぐらい先の未来かは予測できないけど、そんな声が聞こえて来るような気がする。
そうであってほしい。
僕達の死が、犬死にならないように。

どこかで卑屈になっている僕がいる。
申し訳ないという思いが僕の中に芽生えてる。
歩くのが困難になってきて、それでも歩くことにこだわって歩き続けているが。
狭い歩道で前からやってくる人や自転車はわかるので、くぼみを見つけて通り過ぎるまで待てる。
だが、タイミングをはずすと道いっぱいハの字で歩いているので相手を立ち止まらせてしまう。
後ろから来るものは見えないので、健常者や自転車は、ゆっくりしか歩けない僕の後ろから、追い越せる場所に来るまで着いてきてもらうしかない。
前から来る人には声を掛けることが出来るが、急いで僕を追い越してゆく人には謝ることも出来ない。
バランス感覚が悪くなっているので、転ばないように地面を見る回数がふえる。
必然的に下を向いて歩く事が多くなる。
背中を丸めて下を向いて歩き続けていると、意味も無く申し訳ないという気分になってくる。
いかん、いかん。
この姿勢が意味も無く卑屈になっている原因だ。

下っ腹に力を込めて、肛門をぎゅっと締めて、丸めた背中をのばし、大きく息を吸い込んで胸を張って、ゆっくりと足を踏ん張って歩き出そう。
ん!、気分が前向きになった。
進め~っ…!。