何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

急展開

2015年07月21日 14時53分43秒 | Weblog
ベッド頭の上にある、高橋忠史の情報板といったものか。
退院許可が出る前に、管を抜きますと看護師さんに言われた時、飛び上がるほど嬉しかった。
自分で抜けるものじゃないので、看護師さんに抜いてもらうのだが、当然下半身はスッポンポン。最初は気恥ずかしさがあったが、入院初日からスッポンポンにされてちんちんに管を刺された。

病気の箇所が、尿道だからしかたないよね。なれた訳ではないが覚悟が決まったので今では平然と対応出来るようになった。

一瞬の違和感があったが、尿道に炎症があった最初の時のように痛みがツーンと走る事は無かった。

解放感に心踊らせ喜んでいる所に医師がやって来て、「高橋さん、もう大丈夫ですよ、退院も出来ますが、明日の朝でもいいですし、今日でも大丈夫ですよ。」ビックリ。
早くて今週末になると思ってたので、本当にビックリ。
足が弱っていて、管を抜いてから始めて、トイレに車椅子で連れていってもらった。入院して13日目。
トイレに座って、ちょっとドキドキ、うまく尿が出せるかハラハラ、ん~ん。出た~。

我が家は大騒動

2015年07月21日 11時14分55秒 | Weblog
このような、あられ類が、子供の頃から大好きだ。お酒も興味無くなって、まったく飲みたいと思わなくなって、たばこ(今年になって完全に止めたが、昨夜も何故か、ホープライトをコンビニで買って、悪いことをしている子供のように、後ろめたい気持ちを持ちながら何処かでワクワクしながら、たばこに火を着けて思いっきり深く吸い込んだ。夢の中だから当たり前なのだが、ニコチンの刺激はなく至福の時間だけが過ぎてゆく、もう一服、と思った所で目が覚めた。)は、今も、その麻薬せいと闘っているが止めている。

酒もたばこもやっていた頃はあまりお菓子は食べなかったが、今はお菓子がないと生きていけない。特にあられ、お煎餅類の米菓子が好きだ。子供の頃に、返ったようだ。

小学校の頃は、家族の中でも、僕一人が高橋衣料品店の奥の一畳しかない台所けん食卓で過ごしていた。食事の時間帯以外が僕の部屋だった。朝は、僕が起きないとみんなが食事出来ないので、朝早くに起きる。だから僕は小学校も中学校も遅刻知らずだった。
でもこの時期に、食事時間帯以外だとは言え、自分の部屋があったというのは、かなり贅沢な事だ。
家族の生活するスペースは、僕のいた台所が一畳。店に接した部屋に親父とお袋、妹が眠っていた。その部屋は2畳しかなかった。

本題に入る前の話の途中看護師さんがやって来て、「退院してもいいです。」と言われた。

典子さんの職場に連絡した。仕事場を昼過ぎに出て来てくれる。
地獄のような退屈から脱出出来る。

間違ってた

2015年07月21日 06時47分33秒 | Weblog
尾崎放哉が好きだと言って、ブログに自慢気に解説していた、句、そのものを間違って覚えていました。
気になって携帯電話のネットで調べてみたら。
正しくはこうでした。
「いれものがないから両手でうける」
失礼しました。
僕はどこまでもええかげんな奴やなぁー。

ま、今日も、ええかげんに生きたろ!。

うつわがないから手でうける

2015年07月21日 05時27分09秒 | Weblog
やる事が見つからないからブログばかり書いている。食事がすみ、歯磨きを終えた後、とりあえずで写真を撮った。
ふと頭に尾崎放哉の亡くなる少し前の句が浮かんだ。「うつわがないから 手でうける」
そこに器があったから、僕の頭に浮かんできたんだろう。
尾崎放哉の事はいつも書いてるからもういいよと言われそうだが、僕の大好きな俳人なので何度でも書きます。
尾崎放哉の句は、自由律俳句で、季語も五七五の字数にも束縛されないで、一瞬の心情風景を短い言葉で切り取ると言うものだ。自由律で一般的に有名なのは「山頭火」だ。
山頭火も素敵な句を沢山残しているが、僕は放哉の句がずしっと心に残る。

「うつわがないから 手でうける」
当たり前と言えば当たり前だし、で、何なのと言ってしまいそうな句です。

尾崎放哉という人はかなり優秀な人で、東京大学を出て、たしか、満州にあった銀行の支店長まで勤めた人なのだが、酒癖が最悪に悪い人で、彼の作る句に感動した数々の支援者にあきれられ捨て去られ死ぬ間際には彼を支える人がいなくなるほど、どうしようもない人でした。最後は小豆島の小さな庵で、結核で痩せ衰えて死んでいった。そんな時に、詠まれた句だ。
わがまま放題生きて、世話になった人でも平気で罵倒する。金が無くなると、知り合いという知り合い、俳句のファンの所でもおかまいなく金のむしんをする(僕も似たような所があって、批判出来ない立場なのですが)。もちろん返す当てなどないのにである。
どうしようもない最低の人間のほぼ最後の句です。

当たり前の事しか言ってないような句だから、いろんな解釈ができる。
歌もそうだが、作品は作り終えた瞬間、読み手、聞き手のものになりどう解釈するかは読み手、聞き手しだいで、どんな解釈であっても間違いでは無い。

「うつわがないから 手でうける」
この句が作られた背景をここまで説明してくると、みなさん感じかたも変わってきたと思います。

誰にも見捨てられた彼を、近所のおばさんが、下の世話から吐いたものを片付けてくれたり、お粥を口に運んでくれたりしたそうだ。
ひょっとして、おばさんへの思い(感謝)が作らせた句なのかなとも思える。
「うつわがないから 手でうける」

僕はこの句が好きです。
僕も介護を受けなきゃ生きていけなくなるという事がわかっている今、この句に込められた深い意味がわかるような気がしています。読み手の勝手な解釈で。

ここまで、昨夜かきました。小さな出来事はありましたが、昨日の深夜は穏やかでした。