何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

698日目 磐田グランドホテル・又一庵

2006年02月22日 18時19分22秒 | Weblog
2月21日

 朝、磐田グランドホテルから?電話があった。寝ぼけていたので良くわからないが、きっとそうだと思う。

 それまで、今日は浜松市内でのライブだと思い込んでいたのでびっくり。そういえば、今日は、きんつばの又一庵の社長の鈴木さんから頼まれていたんだと思い出した。

 夕方まで、芯のないベースでフレーズを作り続けた。ん、そろそろ、いい感じだ。が、腑抜けた音だ。

 7時に、磐田グランドホテルの2階会場へ。社員の人が集まった経営懇談会。話が終わった後の宴会会場でのライブだ。
 僕が会場入りする直前に乾杯が始まっていた。今日も、心落ち着けて、何事にも同ぜず唄うだけと一人誓った。

 ライブはすぐに始まった。1時間ほどという事だった。はたして1時間持つだろうかと心配したが、以外や以外。この手の会でのライブは、ほとんどの人が聞いていないという状態が当たり前なのだが、「とんぼカントリーソング」「勝坂賛歌」「ランナー」と唄っていくうちに、立席パーティー形式で飲んでいるお客さん達が乗り始めた。リクエストには答えないという事を話して、それでは申し訳ないのでと「イエスタディ」を唄うと、前に人が集まりだした。「上を向いて歩こう」を唄うと大合唱になった。「もっと君と過ごしたい」では、若い女性達が前にやってきて踊りだした。その後は大盛り上がりのライブ。最後にアンコールも来て、「青春」を歌ったら、一緒に歌ってくれている人達がたくさん居た。

 思わぬ、素敵なライブになった。CDも数枚売れたので、これで3万円までのベースギターが買えるかも知れない。うきうきいい気分で勝坂に戻った。

697日目 山中宅・つきの会

2006年02月22日 18時17分24秒 | Weblog
2月20日

 今夜のライブは、またまた、山中さんが企画してくれた、自宅での会「つきの会」の集まりの中で唄わせていただく。

 少し早めに出て、中古販売店を回った。ベースギターのフレーズが、少し固まってきたので、録音してみたのだが、以前人にもらったベースで、音にしまりがないのだ。金欠状態は相変わらずなので、2万円ぐらいでと探したが、安物は安物だ。買わずに、山中さんの家に。

 8時に到着。以前此処にとめてもらったこともあるが、浜松市街地の住宅街なので迷いながらもなんとか着く事が出来た。つきの会のメンバーはすでに飲み食いしながら、待っていてくれた。以前であった田中さんがそこにいたのは驚きだった。人生の先輩たちの中で、1時間ほど唄わせてもらって今夜は勝坂に帰った。

 ベースギターが欲しいー。

696日目 リステル浜名湖・三遠南州アミ

2006年02月22日 18時15分55秒 | Weblog
2月19日

 日曜だが、縣家の人達はそれぞれに出かけるところがあって、朝起きた時には、誰も居なかった。用意してくれていたおにぎりを食べて、9時半にリステル浜名湖に向かった。10時前に、会場に入った。照井さんや須部さん、それに久しぶりに水島さんにも逢えた。
 今日は、三遠南州アミが主催する、展示会。その中で、無理やり15分のライブを作ってもらった。ライブは11時から、15分、2曲だけ歌ってギャラをもらって今日のライブは成立した。

 天龍村坂部の関さん夫婦もゆべしを持って参加していた。僕の後は、女性シャンソン歌手が豪華なドレスを着て唄っていた。
 12時前に、食事会に参加させていただいて、バイキング形式の昼ごはんを頂いて、栄養をつけて勝坂に戻った。勝坂に戻った頃やっと、酒が抜けた。昨夜そんなに飲んだかなー?。

695日目 縣家ホームコンサート

2006年02月22日 17時26分05秒 | Weblog
2月18日

 明日は、浜名湖畔にあるリステル浜名湖というホテルに、朝10時までに出かけなければならないので、寸座の縣家でライブをお願いした。

 8時に、出来たばかりの公民館でという事だったのだが、8時に公民館に出かけると、智ちゃんがちょうどやってきていて、今夜は、隣の会議室で、これからの料金体制を話し合っているところなので、ライブはまずいと。
 とりあえず、家で待っていて欲しいと、鍵を渡され一人縣家で待ち続けていたら、10時ごろ、寸座の寸劇メンバーが(今夜は、そのメンバーの練習日だった)やってきて、自宅でライブをという事になった。短くて言いという言葉に甘えて、30分ほど歌を披露しておひねりを頂いて、後は宴会に移った。

 明日が早いから、そこそこにと思っていたのだが、ついつい調子に乗って12時過ぎまで飲んでしまった。

694日目 藤江・しいたけ山

2006年02月22日 17時11分35秒 | Weblog
2月17日

 助けてくれメールで、春野町の藤江君が、しいたけ山での昼休みライブを急遽企画してくれた。

 坂下さんと待ち合わせて出かけることにしているのだが、小石間トンネルの手前で、道路工事が行われていて、時間車両停止が実施されている。お昼のライブなので、昨夜、通過できる時間帯を調べておいたのだが、10時から10時15分の間だけ通れる。少し早起きして、その時間帯に道路工事現場を通過した。
 藤江君とは12時に周智トンネルで待ち合わせなので、とにかく坂下さんの店に出かけ、先日、静岡第一テレビで放送された僕のニュース特集を見せてもらった。365日からの映像が多く使われていたが、録音風景や「輩」でのライブの様子など僕を知ってもらうには、いい内容だった。

 まだまだ、時間があるので、久しぶりに、福祉センターにある、「すみれの湯」につかりに出かけることにした。11時少し前に着いたら、11時からだという事で、少し待った。その間に、福祉センターの事務をしている人が僕に話しかけてきてた。僕のライブに何度か出かけてくれていて、ファンだという。今度色紙を用意しておくからサインして欲しいと頼まれた。知らないところに、僕の唄を好きになってくれている人達がたくさん居るんだと勇気をもらった気分だ。
 500円を払おうとしたら、100円だという。えっ…?。500円じゃなかったかなと訊ねると、浜松市になって料金が変わったという。いやー、嬉しい。風呂に100円で入れるなら、これからもしょっちゅうやってこようと思った。極安の銭湯の登場だ。ありがたい。

 コンビニで、坂下さんと待ち合わせ、周智トンネルへ、そこにやってきた藤江君に先導されて、しいたけ山へ。浜松の街中から、お手伝いに来ている人達が今日のお客様。みなさん、しいたけ小屋でお昼ご飯を食べていた。僕達もと思ったが、今日はめちゃくちゃ天気が良くて暖かい。山の中で、周りの木が風をふさいでくれているので、日なたでは暑いぐらいだ。僕達3人は、コンビニで買ってきたお弁当を、雑木の切り株に腰を掛けて、ピクニック気分の昼食。

 ご飯を食べ終わり、12時半から、その切り株のある広場に皆さんに集まってもらって、野外ライブ。いやー、気持ちが良かった。1時半までの短いライブで、ライブ終了後すぐに皆さんは作業に取り掛かり、僕達は山を降りた。

 風呂に入った爽やかさと、しいたけ山の開放的なライブで、少し重かった僕の気分は軽くなったような気がする。

693日目 静岡リサイクル市民の会

2006年02月22日 17時08分03秒 | Weblog
2月16日

 今夜のライブも、山中さんが企画してくれた。日付変更線も含めて3日間お世話になる。

 毎晩遅くまで、というより明け方近くまで、ベースを弾いている。僕って奴は本当に不器用な人間だ。最近でこそ、ギター好きな人達から、ギターが上手いと言われるようになったが、そういわれるようになるまで、何と38年近く掛かった。普通、どんな事でも、10年続ければものになるとい言うのに、僕は、38年掛けて、やっとそれなりの事が出来るようになったのだ。
 好きこそものの上手なり…間違ってるかな?、とりあえず、好きな事を続ければ、そこそこ上手くなるものなのだ、それにしても僕は時間が掛かりすぎる。普通の人ならとっくの昔に嫌気が刺すのだろうが、そのへん僕は、根気がいいと言うのか、のんびりしてるというのか、人の3倍かかってもやり続けることで、そこそこに言われるようになっている。ベースもまったく上手く弾けないのだが、少しずつフレーズがベースっぽくなっていく事が嬉しい。何時になったら「壊れかけたギター」が完成するやら、先が見えないですが頑張ってます。

 という事で、7時ごろ「ぷらっとほーむ」へ。今夜はリサイクル市民の会の総会があるらしく、それが終わってからのライブという事になった。始まりも8時を過ぎていたので、9時まで唄って終了。
 皆さん、帰っていかれたので、僕も、すぐに失礼させていただいた。

 ベースギターの練習のしすぎで、寝不足気味。なんとなく体調が重い。

692日目 はなたま・日付変更線

2006年02月22日 17時04分07秒 | Weblog
2月15日

 日付変更線ライブを終え、山中さんの娘さんと話したり、所々で出会う大ちゃんという先輩と話しているうちに、すっかり時間が遅くなってしまい。勝坂に着いたのは、ほとんど夜明け。

 車を止めて、空を見上げたら、明るくなっていた。朝帰りの朝、梅の木に、花がつき始めていた。

 レコーディングは、止まったままだ。何もしていないわけじゃなく。「壊れかけたギター」に、どうしてもベースを入れたくなって、毎日のように練習しているのだが、いいフレーズが見つからない。ベースは、5年前「BALANCE」を録音したときに「君住む町まで」の時に弾いて以来弾いていない。まったくの素人なのでめちゃめちゃ大変だ。ちゃんとしたフレーズが出来るまで時間が掛かってしまいそうだが、決めた事はやる。またまた、アルバム完成は延びてしまいそうだ。

 此処のところ、ライブをやるたびに、「勝坂賛歌」が入ったCDを欲しいといわれる。金欠状態なのは、CDが売れないからだ。新曲を歌うのをやめようかな?、そうも行かない。
 納得の行くものを作るまで、金欠状態をしのぐしかない。
 頑張るぞー。

691日目 はなたま

2006年02月22日 17時01分28秒 | Weblog
2月14日

 東京を昼過ぎに出て、浜松へ。今夜のライブは、中山恵美子さんが主催してくれる「はなたま」でのライブだ。飲み屋さんなので、うまく行けば日付変更線ライブも出来るかもと期待しながら、7時前に店の近くの100円パーキングに車を止めた。

 店の場所は、あらかじめインターネットで調べていたので別っていたが、一応到着した事を山中さんに連絡したら、店の前に出て僕を待っていてくれた。
 「はなたま」は、山中さんのお友達の店で、女性経営者らしく、和を感じさせる柔らかいイメージの店内だ。お客さんの年齢層は、そこそこ高い。飲んで食っての中でのライブ、親父さんたちは喋りっぱなし状態。静かに聴いてもらえるような雰囲気ではなかった。それでも、お店のオーナーは仕事をしながらもしっかり聞いてくれていた。「ほたる」を唄うと涙が流れたといって感動してくれても居た。何も知らずに立ち寄ったという、新聞記者の青年も、ライブ終了後、熱い握手をして帰っていった。おやじさんたちはしゃーねーか。

 ライブの最中に、日付変更線をお願いしたら、山中さんもお店のオーナーもOKしてくれた。やったー。これで何とか明日の分もつながった。

 日付変更線ライブは、11時過ぎから始まった。もうすっかり酔っ払っているお客さんたち。ビートルズナンバーや上を向いて歩こうやスタンドバイミーといった曲をみんなで唄い、最後にもう一度「ほたる」を唄う頃、日付が変わっていた。

690日目 はっぽん

2006年02月21日 17時07分07秒 | Weblog
2月13日

 今夜のライブは、国立の「はっぽん」。急遽、ドラムの松本さんが段取りしてくれた。昨夜の「のみ亭」と同様、2回目のライブだ。

 お店は通常営業の日だったのだが、松本さんが店長の大ちゃんにお願いしてくれて、突然のおひねりライブをさせてもらえることになった。

 お客さんは、松本さんだけかもしれない、と思っていたのだが、偶然お店にやってきた、女性2人も聞いてくれた。一人は、アフリカのギニヤからやってきているという24歳の女性。最初カウンターで聞いてくれていたのだが、2~3曲唄っている間に、一番前のテーブルに席を移し、しっかり聞く体制をとってくれた。せっかくだからと、ビートルズナンバーを唄ったら、彼女の国はフランス語で英語はわからない、それどころか、ビートルズも知らないという。あちゃー大失敗。

 とにもかくにも、1時間半のライブを終え、松本さんが呼んだ早川さんという人と11時ごろまで飲んだ。早川さんと松本さんは他の店に出かけたので、カウンターで、先ほどの女性達と話をした。一人の女性は加古川出身、加古川の話で盛り上がった。ギニヤの女性が、今お金がないから、今度ライブがあるときCDを買うと約束してくれた。ん~ん、異文化交流だ、おひねりをしてくれていたので、特別に「ランナー」を彼女に差し出して、ライブがあるときには又来てもらう事を約束して店を出た。
 松本さんのおかげで、2日間しか居られなかったはずの東京に4日間も滞在できた、毎日が、感動のライブだった。

689日目 のみ亭

2006年02月21日 17時05分48秒 | Weblog
2月12日

 今夜のライブは、西荻窪の「のみ亭」。八十川雅枝さんのプロデュースだ。7時ごろお店に着いた。八十川さん達と、前で歌ってくれる岡君が来ていた。今夜は、お客さんは望めない。それでもと思っていたら、岡君から、佐古さんの話が出た。もう25年近くになると思うが、ライブで一緒になった事がきっかけで、何度も出会って、寒い中、梅の花見をした事が印象に残っている。
 その佐古さんが今日やってきてくれるというのだ。25年近くたっての再開、ワクワクしているのは僕だけだ。

 8時ごろ、佐古さんがやってきた。お客さんは、八十川さん小林さん、佐古さんと、昔からの僕のファンで「東京」も買って持っているという男性だけだった。
 岡君の演奏が終わって、僕の出番。他のお客さんには失礼だが、今夜は佐古さんに向かって唄おうと決めていた。ガンガン唄っていた若い頃の僕しか知らない佐古さんに、歳とともに変化した僕の歌をとことん聞いてもらった。

 佐古さんは新聞社に勤めながら、唄い続けているミュージシャンだ、とっても洒落た歌を唄う人で、僕は、とっても好きだ。その人から、どう評価されるか、ワクワクだったが、2曲目で、涙をこぼしながら聞き入ってくれた。もう、評価はいらない。その姿を見ただけで充分だった。

 ライブ終了後、佐古さんが特別に歌ってくれた。昔ながらの洒落たしゃがれた唄は健在だった。その後話は尽きず、終電に間に合わない時間まで語り続けた。