何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

前立腺炎

2015年07月15日 19時10分11秒 | Weblog
尿管の痛みはほぼ無くなったが、前立腺炎も起こしていて、こいつが身体中に血液を通して雑菌をばらまいたらしい。多くは大腸菌らしいが僕の中にいる奴は、かなり厄介な奴らしい。良くわからないが抗体というものを持った大腸菌で、少しでも身体の中に残っていると又いつ暴れだして高熱にさらされる事になるかわからない無いので、徹底的にやっつけないといけないらしい。
後、10日は入院生活が続くといわれた。
抗生物質の助けを借りて、悪玉大腸菌と戦う10日間、うわぁ~!大退屈×10、この240時間何が出来るだろう。

まずい

2015年07月15日 15時30分03秒 | Weblog
昔から少食だったから、結構味にはうるさい。片寄ったこだわりがある訳では無いし、うんちくも垂れない。
天皇の料理番というドラマで言われていた。真心を感じる料理であれば、それでいい。

入院している病院の食事にそれが無い。大退屈が続く病院で、三度の食事がまずいと、何を楽しみに1日を過ごせばいいんだろう。

大阪で、母が末期の時入っていた病院も、同時期、妹が胃潰瘍で入っていた病院も(その時は、二件の病院を行ったり来たりで大変だった)、古い病院だったが、食事は見た目も良く、しっかりダシのきいたそこそこ美味しい料理だった。
医食同源。
食べるという事と、医療とは同じところからはじまっている。と、言う。
正しい食事は病気を引き起こさない、治す、強い自治能力を生み出してくれるそうだ。
正しい食事がまずい料理であるわけがない。
美味いものを食べた時、人はなぜか笑う、あるいは微笑む。笑いは心の癒し効果があるらしい。1日、三度の楽しみが待っていれば病気の不安と闘うストレスも少し解消されるはずだ。
食事は、医療において、ひょっとしたらもっとも大切に考えなきゃならない入り口かも知れない。

昔から、病院の飯はまずいと言うのが定説。
病気を直す薬を沢山投与する事もいいが、その体力を作る笑顔の出る美味しい食事を考える事のほうが大切なような気がします。

早く退院して、贅沢でなくていいから、真心のこもった料理が食べたいな。

料理は味覚で人を感動に導く。
音楽は聴覚で人を感動に誘う。

苦しんでいる人に一時のゆとりを。
悲しんでいる人に優しさを。
悩んでいる人にちょっと勇気を。
迷っている人に自信を。

かかわった統べての人達が今よりちょっと幸せな気持ちになって貰えたら、それは料理人もミュージシャンも同じ気持ち、そしてお客さんの心が動いて表情が変わった時、僕達は幸せを頂きます。

これからもず~っと、歌を聴きに来てくれた人達に、ちょっと幸せになってもらう為に、頑張って唄い続けます。

抗生物質

2015年07月15日 05時26分23秒 | Weblog
生理食塩水(たぶん)の点滴は終了した。熱は平熱に戻った。食欲も戻った。自分で水分もとれなかったので点滴で補っていたが飲まず食わずの状態は終わり、水分補給出きると判断してもらえたから。

凍りついた大きな雪の塊の様に溶け出すには時間が掛かった、尿路感染症そしてやっぱり前立腺炎も起こしているようだった、病の塊がじわじわ溶け出し徐々に小さくなっている、もう後少しだ。

体毒となる細菌が血液から消え去るまで、抗生物質の点滴は続く。

抗生物質が発見されたおかげで僕は大阪に戻った。
僕が生まれてすぐに、親父は結核にかかった。貝塚市にあった国立療養所に隔離入院させれた。若くして当時もまだ治るはずの無い病気に親父はかかってしまっていた。病院で出会った仲間の多くは死んで行ったそうだ。命を長らえるため、片肺を切り取るという選択をした人達もいて、親父も肺を取る選択をした時、奇跡が起きた。
死の病だった結核の菌を殺す、カビから発見された抗生物質、ストレプトマイシンの登場で親父は助かった。人類始めての発見で生まれた抗生物質で親父は奇跡としか言い様の無い死の縁からの生還をなしとげた。そして、良かれあしかれ僕は大阪にもどり両親のもとで暮らすようになった。そして今の僕がある。
親父の奇跡は、今の医療では当たり前。今回の緊急入院の病気に関しては、僕の命も後一歩で完全に救われる。抗生物質のおかげで。

だが僕の病気の本命は、脊髄小脳変性症、当時の親父の結核と同じ不治の病だ。親父は奇跡を呼び込んだ。
忠史にもそんな奇跡が起こる。その可能性は零ではない、奇跡を引き寄せるまで、どれだけ命を長らえるか、それが勝負だ。

昨日、30年前に僕からサインを受け取って、サインの文句に刺激を受けてアメリカに渡り、人生を変え、そして今は日本に戻っていて僕のライヴに参加したいとメールをくれた人がいた。病院では携帯電話しかないので、メールだけが僕の頼りだ。携帯電話はパソコンメールとも連携しているのでメールだけは何処に居ても確認出来る。だが、ぜんぜんメールが来ない。でも読んでくれている事を信じて、頑張ってブログを書き続けています。でも、やっぱ直接メールを貰えるとこんな時だからこそ嬉しかった。
30年前、彼に書いた言葉は
「いつも挑戦者でありたい」。

今も、挑戦者でありたい。