何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

唄い続けます

2015年07月31日 20時36分26秒 | Weblog
10日も前の写真です。退院した日、孫たちがアパートに来てくれました。くじけそうな気持ちを、孫たちに払ってもらいました。こんな小さな子供たちにも支えてもらって生きています。

だから負けません。ギターが弾けなくなってもアカペラで唄います。ろれつが回らない分、気持ちを込めて丁寧に唄います。

「今の高橋忠史でいい」岡山から平松さんが秋のライヴを企画するとメールをいただきました。
東京では、菅沢さんが「ライヴ、必ずさせてみせます!!」と、Facebookのメッセージで、熱い思いを伝えてくれました。
勇気と元気、100倍です。

本当はギターが弾けなくなって、唄うのをやめようと考えていましたが・・・
聞いてくれる人がいる限り、限界にチャレンジして唄い続けます。

自由律まがい俳句

2015年07月30日 21時44分27秒 | Weblog
昨日に続いて、自由律俳句もどきです。


「影も薄れて来たか」


左手小指のしびれは感覚まで鈍感にして、左手全体の握力が落ちてものをうまく使えなくなってしまいました。ギターの弦を押さえる力が無くなってしまいました。ショックですが、事実です。

今はただ考えています。明日、笑えるように。


「木の陰に隠れる」

B型肝炎ウィルス

2015年07月28日 22時45分45秒 | Weblog
病院に行って来ました。何時もは、神経内科。入院してかかった治療したのは、泌尿器科。そして今日は消化器内科。

救急車で運ばれて来たときの血液検査で、肝臓に良くない高いデータが出ているということで、今日は肝臓の診断と検査にやって来た。
エコーでしっかり肝臓を見てもらったところ。過去にわずらった形跡はあるらしいが今のところ問題はなさそうだということだったが、採血をして、検査するとの事で終わった。

分かっていた事だが、わずらった事があると聞いて怖くなった。もしその時、自治力が落ちている時だったら、肝硬変になって命も危なかったかも知れない。
医師に、B型肝炎ウィルスは退治出来ないですかと聞いた。当然の事ながら、無いという事だった。

今までも、肝硬変になったり癌におかされるかも知れないという恐怖を感じながら生きてきたが、もしかしたらという軽いものだった。が、今日からはいつ肝硬変になってもおかしくないのだという事をしっかり認識して生きなきゃ。

脊髄小脳変性症とB型肝炎ウィルス、治療出来ない病気と退治出来ないウィルス、生きるのが厄介になる要素がまた一つ増えた。

行動あるのみ

2015年07月27日 22時55分37秒 | Weblog
今朝は小平駅まで歩いた。何も考えられなくなったら行動あるのみ。
まだ、足の筋肉痛が残っている。バランスがとれなくて、フラツキ歩きもますますひどくなっている。

何をとっても今が今まで経験した事の無い最悪の状態で在る事に間違いはない。
これで何度目かな。
ひょっとして、これで終わりかな?って思う事。
記憶に残っているもうこれで終わりの一番最初は、三重県飯高郡飯高町(今は松阪市)の育ての親であるお爺ちゃんお婆ちゃんから引き離されて、まったく記憶に無い両親と始めての町大阪府貝塚市で暮らさなきゃならなくなった五歳の時だった。まったく見知らぬ町で本当の両親とは言え、一歳の時に別れているから始めて出会った見知らぬ両親とゼロからのスタート。毎晩毎晩、布団に入ってから声を殺して枕を濡らすほど泣いていた記憶だけが鮮明に残っている。

でも、記憶には無いが、この時とは逆に、一歳の時も同じ思いをして両親から祖父母に預けられたのだろう。

五歳にして三度目のゼロからのスタート。1、この世に産まれ落ちた時。2、一歳で両親とも大阪市内からも離れ、三重県の祖父母と暮らし始めた時。3、記憶に無い両親と新天地貝塚市で暮らし始めた時。

十歳の時、ロックンロールに出会ってからは、ゼロになる事はなかった。目標が見えなくなっても、音楽に対する向上心と努力する気持ちが消えた事はなかった。

どうしようも無くなって東京に出た。
でも全国発売のレコードを出せた。

どうしようも無くなって、家族の為にと言い訳をして音楽を止めて働いた。
でも、やっぱり詩を書き続け、「青春」という唄を作った事で、後ろ楯も無く活動を始められた。

30歳、ライヴ依頼がほとんど無くなって、カードローンの借金が増えていく一方で、どうしようも無くなった時。無計画に歩き旅をくわだて120日、1600㎞の距離を歩き始めた。この時に出来た人のつながりで生き返った。

40歳、再び借金も増え経済的に行き詰まり、うまく死んで、家族に保険金を残すしか無い。そこまで切羽詰まっていた。
環境を変える為に、金も無いのに音楽アトリエを持とうと奮闘し、静岡県浜松市春野町の山深い勝坂という地域を拠点に活発に活動を再開し始めた。

千日連続ライヴも切羽詰まって始めた。

どうしようもなくなって、先が見えなくなった時。音楽を続けたいという気持ちがあったから、誰でも出来るけど、誰もやって無い事をやって来た。

今回の状況は、今まで経験した事もない大ピンチだが、音楽を続けたい気持ちが有る限り、簡単では無いだろうが、今までとは違う世界に踏み出せるはず。

明日は病院にいく日、何かが見えてくるかもしれない。落ち込んでも閉じ籠りはしない。人生に無駄は無いから、今出来る事を、あきらめずにやり続ける。

左手小指

2015年07月26日 23時53分25秒 | Weblog
足の筋肉は、筋肉痛を起こしてはいるものの、しっかりしてきた。

問題は、左手小指、ギターの弦を押さえる事が出来ない。まいった。

とにかく、まずは足に力をつける。朝は散歩に草つみ、昼は熱すぎたが、バスで買い物に出た。

手の感覚が戻ってくれないと、ライヴが出来ない。
神様、助けてくれー。

公園掃除

2015年07月25日 12時46分05秒 | Weblog

今日も東京は暑い。立っているだけで汗が吹き出す。そんな中、秀峰会自治会有志で「じゃぶじゃぶ池公園」の草刈り。
来週の「灯りまつり」の準備だ。写真にはじゃぶじゃぶ池は写って無いが、小平市の沢山の公園に灯籠がならぶ姿は美しいが、じゃぶじゃぶ池に沢山の灯籠が浮かぶ姿は、どの公園の灯りまつりよりも美しい。
病み上がりを心配してくれたが、倒れそうになりながらも、汗まみれになって2時間頑張れた。

出来る事から、コツコツと。

退院して初神社

2015年07月25日 08時16分46秒 | Weblog
朝の散歩、退院して始めて、神社まで行って来ました。趣味の草つみもちょっとだけやりました。

この後、来週の灯りまつりの為に、じゃぶじゃぶ池公園の清掃。足手まといになるだろうけどお手伝いに行って来ます。
出来る事から一歩ずつ。

左手

2015年07月24日 13時46分04秒 | Weblog
前立腺炎の熱が下がり始めた時、左手のしびれが少しよくなったと書いた。

退院して足に力が入らなくなって、そして左手のしびれは入院前よりひどくなって、握力も無くなりつつある。
右手も、若干しびれが出てきて、箸がうまく使えなくなっている。

何か、前向きになれる事を探そうとするけれど、今は見つからない。

自分の身体が、自分の思い通りに動かなくなっている。その事に、くじけまくっている僕がいる。
くじけようが、くじけまいが、結果は変わらなく、僕の身体は動かなくなってゆく。
わかっていても悔しい。

ワッハッハだよね。早く戻らなきゃ。
そうなる為に、後数日、空元気やめて、自分に正直に落ち込みます。
ワッハッハと唄えるようになる為に。

筋肉痛

2015年07月23日 18時33分16秒 | Weblog
今日は、昨日よりまともに立ち上がれない。足に力が入らない上に両足の筋肉が突っ張ってガチガチ、そして痛い、筋肉痛だ。

たった2週間ベッドの上で安静にしていただけで、この弱体化、当たり前だが歳なんだね。
でも、ちょっと悔しい。
そんな思いをはねのける為に、足のストレッチを繰り返し、起き上がった。
小さな勇気を起こしてくれたのは、このアパートでの日常、朝の親父会議に顔を出さなきゃという思い。
毎朝集まって、ただ馬鹿話をしているだけの無駄といえば無駄な時間だとどこかで思っていた。
だけど、人生に無駄な時間は無い。
明日からの生き方に何の役にも立たないだろう無駄話をしにいくだけの為に、起き上がり、歩き出しエスカレーターがあるのに、手すりをつたって階段を一歩一歩降りてゆく。

と、まあ、大袈裟に書いたが、親父会議に参加。
と、早朝から救急車が目の前に。四階に住む人が酸素マスクをつけてタンカで運ばれてきた。
百世帯ほどのこのアパートは高齢者向けで、ついこの間僕も運ばれたばかりだが、救急車がアパートの敷地内にやって来る事は珍しいことでは無い。
これも又、このアパートでは日常。
何気ない日常の連続で人生はつながってゆく。

何気ない日常を精一杯大切にしながら、ゆっくりと体力をつけていこう。