何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

筋肉痛

2011年05月23日 08時52分51秒 | Weblog
昨夜は浜松市でのらいぶ。主催は僕がコロムビアレコードからレコードデビューした35年前から応援し続けてくれている小山さんのイベント会社のエンボス。
3日ほど前、チケットが二枚しか売れてないぞと電話があった時、どうなる事かと不安だったが、昨夜は客席が70人ほどのライブ会場でしたがほぼ満席になるほどお客様に来ていただいて素敵な二時間半の時間をお客様と共に過ごす事が出来ました。
会場に足を運んでくださった方々、ありがとうございました。
昔に比べて、力の抜けたライブが出来るようになりました。
力が抜けたからと言って楽に唄っているわけでは無く、実は全身の筋肉を緊張させて唄えるようになったからお客様から見ても自分自身もリラックスした状態で唄えるという事なんだと思います。

ライブの後、エンボスの事務所で打ち上げをして、小山さんの部屋で眠らせてもらったのだが、夜中に二度、右足と左足のふくらはぎに筋肉収縮が起きあまりの痛さに目が覚めてしまった。
座って唄っているのに、ライブが終った後、下半身の筋肉、特に両足のふくらはぎがパンパンに張っているのを感じる。そして2日後には歩くのもつらいほどの筋肉痛がきっとやってくる。
昔、こんな事は無かった、という事は、上半身だけ使って唄っていたからだろう。
もうすぐ59歳、50代の最後になって、やっと全身で唄う事を覚えたおくての男です。
これからもっと沢山の事を覚えていかなくてはならない気がします。
人生、これからですね。

最後の最後に

2011年05月22日 00時12分22秒 | Weblog
5月21~22日

もうすぐ日付変更線をまたごうとしている。
日付が変われば、コンサート当日だ。
新しいアルバムが出来た記念のコンサートだ。
アルバムは随分前から完成した完成したと毎日のように思って来た。が次の日新しいアイデアが生まれ又1日ミックスダウンに明け暮れる。
そして、最後の最後、日付が変わった今、やっとミックスダウンが終了しました。昨日、レイナードスキナードのアルバムに近づいたと書きましたが、今日1日でそれとは違う、独自のミックスが出来ました。
名付けて『忠史ミックス』、パワフルで優しい音に仕上がりました。

この後、CDの焼き付け作業に入ります。
ライブ当日までに仕上がってほっとしています、が眠いよ~。

テレビ出演

2011年05月21日 07時49分55秒 | Weblog
5月20~21日

今、静岡第一テレビのスタジオの外で、一時間後の出演待ちをしています。
スタジオでの生出演は久しぶりです。

明後日のライブの宣伝が主の目的です。

見ることが出来た人は、メールで感想送って下さいね。

CDは、四年前、ミックスダウンを始める時に、こんな音質にしたいと思っていた『レイナードスキナード』のアコースティックバージョンのアルバムにそうとう近づきました。

と、書いているうちにテレビ出演が終わり、今日の番組担当の平野さんと、千日連続ライブを追いかけ続けてくれた池田さんがスタジオに遊びに来てくれて話していると、静岡市に住む元青年団の八木章一さんが仕事を早く切り上げてスタジオに駆け付けてくれた。

そんなこんなで、話しているうちにブログを書いていた事を忘れ2日にまたがる事になってしまいました。
明日は浜松市でのライブ、高橋忠史、再出発のライブです。
よみがえって、優しくグレードアップした高橋忠史を見に聞きに来て下さいね。CDも素敵な音質になりました。

震災復興支援飲み会

2011年05月16日 18時35分12秒 | Weblog
5月16日

5月7日当日、眠っている以外は、車の運転中もミックスダウンを続けて早四年経つがついに今日こそ理想の音になったと…毎日おもっているのだが…夢中になって音造りを続けていて気がついたら、約束の時間が迫っていた。
あわてて車に飛び乗ったが一時間遅れで到着。
飲み会は30分にはじまっていた。機材をセッティングして正蔵氏の紹介で唄い始めた頃には、すでに出来上がってしまっている人達もいて三曲ぐらいしか唄えなかったが、その後飲み会に合流して、二十人ほど集まってくれていた個々の人達と地震の事や原発の事故の事など、明日は我が身のこの地域だからおふざけもありながら楽しく真剣に語った。
『雪渡り』はあっという間になくなったが、みなさん奇跡の酒の美味しさを堪能されたようだ。その後、何曲か唄い、飲み会は10時近くまで続き、飲むだけじゃなくお返しをしようと正蔵氏の用意した義援金箱がまわり、全員がお金をいれてくれていた。
ついでに高橋忠史を支援するおひねり箱もまわり、幾ばくかの収入を得ることが出来た。

と、ここまで書いて、大切な事を忘れていた事に気付いた。
高橋佳弘さんがなぜ高橋忠史に、わずかしか残らなかった貴重な『雪渡り』を飲んでくれと言ってきたか…。
もちろん僕に売り付ける為なんかじゃありません。

『雪渡り』が産まれたすぐ後、東北の大手酒造会社が商標登録をしてしまった為に、販売するには商標登録をした会社にお願いをして名前を借りる為にお金を払わなくてはなりません。名前を付けてお酒を作った本人が名前を使えず、先回りして登録した者がその名前を使う権利を得るなんておかしな話ですが、あちこちに沢山ある話なんですよね。人の努力を横からかすめとるような悲しい行為を平気でやってしまう会社だから大きくなれるのですかね。
と、いうような事で雪渡りは会員を募り、その会員だけが飲めるお酒として作られています。

2月に新酒の会が鳴子町で行われ、会員さん達が集います。そして4月には会員さんの所に送られる手筈になっていたのですが、大災害が起き、酒蔵は全壊、連絡のとれた会員さんには送れたものの、海に近い所に住む会員さんとは連絡がとれず、残ってしまった雪渡りは賞味期限が5月10日、それまでに飲まないと味はどんどん落ちてしまう。あまり親しくない人に送るのは悔しい、という事で高橋忠史に託してくれた。

理由はもうひとつある、高橋佳弘さんは僕の経済状態が最悪なのを知って、ライブが開ける材料として雪渡りを送ってくれたのだ。でも彼は僕の名誉の為に何も言わない。
なぜ彼が僕の経済状態が最悪なのかを知ったかというと、2月の新酒の会のギャラが送られてこなかったのだが、震災の後に催促は出来ないと連絡しないでいた。でも、音づくりのために頑張りつづける限り収入は無く。何社かのカードローン会社からかなりお金を借りていて、そちらの返済を何とかクリアさせて来たのだが、ガス料金の引き落としがたまってしまって、その月払わないとガスを止められてしまうという状況にまで落ち込んでしまい。仕方なく、高橋佳弘さんに電話して送金してもらう事になったのだが、その日、宮城県を大きな余震が襲い、町全体が停電になったとメールが来た。
それでも彼は、停電中の真っ暗な道を車で走って三十キロ先の大きな町の銀行に行ってくれたのだが、そこも停電で送れないと又メールを送ってくれた。

後日停電が解除されて送金してもらい、ガスは止められる事は無かったのだが、その事があってから、雪渡りを送るからみんなで飲んで欲しいと言ってきてくれたんだと思う。
支援しなきゃいけない人に逆に支援されている自分が情けなかったが、音づくりにかけている僕をこうして応援してくれる人がいるんだから、より中途半端なものは作れないと力をいただきました。

震災復興支援の話が最後は、高橋忠史の経済支援の話になってしまいましたが、最後まで読んでいただいた方、有り難うございます。
音づくりの合間に書いていたので、話があちこち行ってしまって失礼しました。今日にも音は出来上がるはずです。

震災復興支援飲み会2

2011年05月13日 10時23分37秒 | Weblog
電話の相手は、磐田市の野崎正蔵氏。彼が静岡県の青年団の会長だった頃、東海道をウォーキングライブツアーするための協力を要請しに出掛けたのが最初の出会いだ。
それから約二十年、折りある度に助けてもらい続けている。

電話でいままで書いて来た事の経緯を話したら、一も二もなくオーケーしてくれた。
『雪渡り』は野崎正蔵氏の家に送ってもらい、後は彼からの電話を待つだけ。
正蔵氏は先程の統一地方選挙で、市議会議員の座を降りて県議会議員に立候補したのだが、わずかな差で票が届かず落選してしまった。青年団活動を通じて県全体にネットワークを持つ彼のような存在が県議会議員には必要だと思うのだが、その事はなかなか一般市民には伝わらないのが残念だ。
そんな事もあって、支援者への挨拶まわりなど事後処理に忙しい時だとはわかっていたのだが又迷惑を掛ける事になってしまった。

3日ほどして電話が掛かってきた。一週間後の土曜日はどうかという事で5月7日に決まった。場所は、野崎正蔵氏の家の近くの地区公民館、その時、会場でミニコンサートもお願いしたいと、有難い依頼もあった。

明日に続く。

5月7日震災復興飲み会

2011年05月13日 07時36分22秒 | Weblog
娘夫婦の引っ越しの手伝いで東京に戻っていてごたごたしているうちに、11日になってしまいました。と書いた所で、ラジオから流れてきた音楽から、ミックスダウンのアイデアが浮かんで、24時間営業の大型スーパーの駐車場でミックスダウンの作業に入ったら、すっかりのめり込み、1日があっという間に過ぎ去ってしまって今は12日の夜。
手作りCD『素描Dessin』と『七重の甍』は理想としていた音を遥かに越える素敵な音質になってきました。後、数時間以内に出来上がります。

と、言う事で本題に戻ります。

大震災の後、自分に何か出来る事は無いだろうかといつも考えているのですが、何も出来ないまま、日々、良質な音質を求めて、ミックスダウンを続けているだけ。そんな暮らしのなか、二週間ほど前、震災地の宮城県から電話があった。

今は大崎市、鳴子町川渡の高橋佳弘さんからだった。内容は、震災で造り酒屋の新澤酒造が全壊してしまったのだが、そんななか、奇跡的に割れずに残っていた『雪渡り』を送るから飲んでくれという事だった。

『雪渡り』は酵母が生きているお酒なので、常温で保管しているとあっという間に味が落ちてしまう。普段は冷蔵庫に保管して発酵を抑え、品質を保っているのだが、崩壊した酒蔵の中に奇跡的に生き残っただけでなく、地震の後の停電が続き、8日間も常温にさらされていたのに味が落ちていなかったそうだ。『雪渡り』はまさに奇跡の酒だ。

その奇跡の酒の賞味期限は5月10日。それまでに飲んで欲しいというのが条件だった。封を切ったら、その日のうちに飲みきってしまわないと味が落ちてしまう。一人で一升は飲みきれないし、一人で飲んでは意味がない。
誰かに頼んで飲む会を作ってもらって、みんなで楽しく飲んで、自分たちに何が出来るか語り合うのもいい。

そして、電話をかけた。

続きは明日のブログで…。