何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

家族サービスそして静岡へ

2012年11月28日 18時19分37秒 | Weblog
11月25~28日

25~26日は家族サービス、そして静岡に向かってのらりくらり走りながら、「素描Dessin」のミックスダウンをやり続けている。想像していた音に限りなく近づいて来た。あともう少しだ。

胃の調子はかなりいい感じになって来た。金が無くて極貧の食生活が身体をボロボロにしてしまったようなので、車の中でも暖かいものを食べられるように、一週間前にキャンプ用品売り場で、携帯コンロと小さな鍋を買って、野菜炒めやラーメンや餃子鍋をして食べている。
やはり温かい物を食べなきや駄目だ。
おかげで体調はどんどん良くなって来ています。

大人のライヴ・島村楽器

2012年11月26日 12時45分49秒 | Weblog
11月24日

千葉県の京成線本八幡駅近くにある、島村楽器のピアノ販売店舗の7回ライヴホールでアマチュアバンド8組のライヴのゲストとして出演依頼していただいて出掛けた。

小平市からバス電車を乗り換えて2時間近く掛かった。

コンサートの内容は素晴らしかった。高橋忠史では無く、…おまえらほんまにアマチュアかぁ~…、と叫びたくなるほどレベルの高いパフォーマンスを次々と見せて聞かせてくれた。音楽をただ楽しんでいるという人もいたが、演奏が終わった後どのバンドのメンバーも最後まで残って上手い下手関係無く、他のバンドの演奏を応援する姿にも感動した。さすが大人達のライヴだ、ライヴ会場を自分達の楽しみの場に変えてしまっていた。

島村楽器さん、凄いぜ。

東京へ

2012年11月23日 12時26分46秒 | Weblog
11月18~23日

浜松のスーパーの駐車場で何度も警察の職務質問を受けながら休息の日々を過ごし、明日の島村楽器でのおやじバトルイベントのゲスト出演の為に東京に向かっています。

胃はほとんど平常時に戻った感じだが、薬のせいかも知れないので、医者に言われた通り薬を飲み続けている。

株式会社三永忘年会ライヴ

2012年11月17日 17時48分41秒 | Weblog
11月15日

今日も夕方までは、出来るだけ動かず何もせずただひたすら我慢の休息を続けた。
胃の痛みはほとんど無くなっているが、ズシンと重い違和感が消えない。
妹が胃潰瘍で入院した時は退院まで二週間掛かったんだから、入院もせず車生活しているのだからそんなに早く治る訳は無いだろう。
乗松さんとの約束の7時に袋井市のイタリアレストランに到着。ブライダルもやっているという庭も建物も内装もなかなかオシャレなレストランだった。
食事も一緒にという事で席を設けてもらっていた。何時もは、唄うまであまり食べられないのだが、薬のおかげで楽になった胃が、彩り美しく盛り付けされた料理を要求していた。
まだ、出血も止まってないかも知れないから、そこそこにと頭では思っているのだが、久しぶりのご馳走に手が勝手に動き、出て来る料理すべてをきれいに食べ尽くしてしまった。
唄った後に出て来たデザートも皿をなめたようにきれいに食べてしまった。

体重が落ちたままなかなか戻らない身体が、戻そうとしているに違いない。

身体が体重を戻そうとしていると言う事は、自治力がアップしていると言う事だ、今夜の食べ過ぎは明日への不安要素ではあるが、気持ちも身体も前向きになって来たという事で良しとしよう。

ひと安心

2012年11月15日 07時00分06秒 | Weblog
11月14日

鳥居さんの友人の森クリニックは学校から5分の距離と近くて助かった。
受付を済ませ呼ばれるのを待っているうちにどんどん胃が痛み始め、椅子に座っているのも辛くなり、椅子の下にしゃがんで椅子に頭を置いて痛みに耐えながら待った。
名前を呼ばれ診察室へ、前もって鳥居さんに電話してもらっていたから、森先生は気さくに話掛けてくれ、病院嫌いな僕の心をほぐしてくれた。
エコーの検査も鳥居さんから話してもらっていたのですぐにやって貰った。
潰瘍以外は悪い所は無いと分かりほっと安心した。胃酸を押さえる薬と胃粘膜を保護する薬をその場で飲んだらあっという間に痛みがとれていった。
薬を飲み続けて胃の出血を止めて、状態が良くなって来たら胃カメラを飲んで検査する約束をして森クリニックを出た。

難しい事だが、安静を保つ努力が治療の早道のようだ。
この後ライヴはあるがそれ以外の時は何もしないでごろごろする事が大切なようだ。

何時もの駐車場に戻って、車の荷物を少し整理して寝やすいスペースを作って眠り、今日を迎えています。

やっと病院へ

2012年11月14日 18時44分16秒 | Weblog
11月13日

昨夜は滋賀県を出られず、伊吹パーキングで又吐血した。しばらく丸まったまま動けなかった。

コンビニの前で吐血した時より量も少なく丸まっていた時間も少なかった。トイレに行きたくて車を出たが頭がくらくらしてまともに歩けない。胃の中で出血が続き、貧血状態が続いているのだろう。
トボトボと歩いてトイレで用を足した。気になる大便の色を確かめる為に流す前に便器を覗き込んだ。予想通り、真っ黒な便だった。分かってはいたが、胃潰瘍のヤバい状況だ。今病院に行ったら即入院させられるだろう。
でも、ふらふらしながらも立って歩けるようになっているから、最悪の状態は過ぎたんだと思う事にして、車に戻って眠る事にした。今一番大切な事は安静だ。
朝の5時に目が覚めた。身体中違和感だらけだが胃の痛みはおさまっていた。一時間ほど横になったまま安静を保った。

今日の磐田市南部中学での講演は1時半、1時に着けばいいのでたっぷり余裕がある。
休み休みゆっくりと中学を目指し予定の時間に到着出来た。

車から降りてプロジェクト7の仲間達に昨日今日の事を話したら仲間だけでなく学校の先生まで音響機材を運び込んでくれて、助かった。
それでも、歩くだけでも息切れするほど体調は悪くなっていた。
機材のセッティングが終わった時には立っているのも辛いほどだった。
血の気を失って悲壮な表情らしい僕に、仲間も先生にも大丈夫かと聞かれたが、どんな状態でも唄い始めたらシャキっとしますから安心して下さい。とは言ったが、今日は自信が無かった。
リハーサルで軽く唄ってみたが、息切れしそうで苦しかった。それにギターを弾く手が気だるく重くカッティングがままならない。
心の中で祈った…宇宙のエネルギーよ、後はどうなってもいいからこの一時間僕にパワーを与えてくれー!…。
講演は僕の歌から始まって仲間の佐藤先生の歴史講義間に僕が唄ってそして講義最後に僕が唄って終了。
のはずなのに、佐藤先生どうしたんだい。まだ15分ちかく残っているのに、「私の話はこれで終わります。」と言ってしまった。

とにかく唄わなきゃ、と2曲目を何とか唄い終えたら、プロジェクト7会長の大橋さんが出て来て話始めたので、あーよかったと退こうとしたら、大橋さんが「高橋さんの歌に、トンネルを抜けて、という素晴らしい曲があります。是非みなさんに聞いてもらいたいと思います、じゃあ高橋さんそれともう一曲よろしくお願いします。」。

えーっ!聞いてないよー、って、今倒れそうになってるのに、そんなハードな曲…、えーいちくしょう、死んでも唄いきってやるー。
喉は快調だが貧血のせいで頭が朦朧とするし、血が身体に回っていないので腕が重く指先の感覚がどんどん無くなっていった。それでも何とか唄いきって終わろうとしたら、佐藤先生がやって来て「七重の甍」とつぶやいた。
僕は気を失いそうなぐらい身体中が重く意識もおかしくなりそうだったが、えーいクソー!と全身の力を込めて唄い出した。自分でなにやってんだか分からない状態だったが、生徒達の手拍子だけは聞こえていた。なぜだか分からないが盛り上がっているようだった。
とにかく無事おわった。息絶え絶えで機材を片付け始めたが立つことが出来ず、意識朦朧でコード類をまるめていた。
手伝ってくれていた学校の先生が、本当に唄い始めると凄い集中力ですねと言ってくれたので、歌に問題は無かったようだよかった。

学校に来る前に、近くに住んでいる長い付き合いの鳥居さんの工場によって、鳥居さんの友達がやっている病院を紹介してもらっていたので、車を運転するのも辛かったが、すぐに向かった。

明日に続く。

貧血、吐血、怒涛の汗が

2012年11月13日 17時43分43秒 | Weblog
11月12日

昨日3時に布団に入って痛みと闘っているうちに眠った。
目覚めたのはまだ暗い朝の5時だった。
いつ眠ったのかは分からないが15時間布団に入っていて最低でも12時間は眠ったのだろう。布団の横には「おかゆがジャーに入っています」と書かれた紙と茶碗、梅干しが用意されていた。
元気になった訳ではないが、胃の痛みは無くなっていて、昨日から何も食べていなかったので、茶碗一杯のおかゆと梅干しを一個いただいた。
7時までブログを書いて、寝ていた別館から松井さんの住む本館にお粥セットを届け、一緒に朝御飯を頂いたが僕は味噌汁だけ頂いた。
一番最初のウォーキングライヴツアーの時に出会ってライヴを作ってもらい泊めてもらった時はまだ民宿はやっていなかったのだが、その後町議会議員をへて民宿を経営して今日まで福井県の拠点として、泊めてもらい続けている。いつか必ずこの恩返しをしたいと願いながらも20年もたってしまった。僕の人生は人に迷惑を掛けっぱなしだ、でも必ず恩返ししたいと言う気持ちは諦めない。

9時過ぎにお礼を言って美浜町を出発した。沢山眠ったので快調な気がして、国道行く事にした。

滋賀県に入って、前回福井県に来た時借金の支払いを済ませたら、ガソリン代がなくなり、守山市の藤木さんに、1万円借りた事を思いだし、返しに行く事を電話して彦根市まで走ってコンビニに立ち寄って休憩しようと車を止めて、ヨーグルトを買いに店内に入ったとたん、目の前に霞がかかったようになり、頭がクラクラしはじめ立っていられないほど身体が落ちていく感覚に襲われはじめ、…なんじゃこりゃー…。
倒れる前に店を出なきゃと薄れそうな意識にムチ打って何とか車に戻ったが立ってられない。車のフロントに手をおいて頭を下にしてうずくまった。しばらくしたら立ち上がれるだろうと思ったが動けないまま、20分もそうしていただろうか、店の入り口に車を止めていたので買い物に来た何人かの人に大丈夫かと声をかけられたが、大丈夫と答ながらも大丈夫ではなかった。

声を掛けられるのも辛いので、倒れそうになりながらも店内に入って店員さんに、具合がわるいのでしばらく車を止めて休ませて下さいとお願いして、地に足つかない状態で何とか運転席に戻ったものの、今度は吐き気が襲って来た。トイレまで歩くなんてまったく不可能。ゴミ捨て用にクラッチ操作レバーに掛けてあるビニール袋を口元に持ってきて激しく何度も吐いた。
どす赤黒い粘った液体が喉の奥から嗚咽と共に吐き出される。何度も何度も。と同時に身体中から汗が吹き出して来た。顔面からも信じられないほどの汗が吹き出して来た。吐血と怒涛の汗はこのまま死ぬまで続くのかと思えるほど続いた。胃の中のものがなくなってもしばらく嗚咽と吹き出す汗は止まらなかった。
嗚咽が止まると共に汗はも止まった。…あ~、まだいきてるなー…。

ズボンは洗ったようにずぶ濡れ、車のシートもびっしょり濡れていた。胃は傷んだままで、運転席でまるまったまま、2時間半も動けないまま過ごした。

藤木さんから、明日磐田で唄うんだったらお金はいつでもいいので無理をせず磐田に向かって下さいとメールが来た。

やっと運転席に普通に座れるようになったので、彦根のインターから高速道路に乗る事にしてコンビニの前をスタートした。

が、苦しみはこれで終わらなかった。
それは又明日。

若狭市三方地区敬老会

2012年11月13日 08時35分06秒 | Weblog
11月11日

昨夜はライヴ終了後、中村さんに連れられて居酒屋に出かけご馳走になり(居酒屋に出かけたが酒は飲めない身体になったのでお茶を飲み酒の肴をつまみにご飯をいただいた)珈夢の二階に泊めていただいた。

ライヴ終了後は胃の痛みを感じなかったので、居酒屋から帰った後も中村さんと話し込んで、布団に入ったのは深夜1時を回っていたそうだ。
布団に潜り込んだその瞬間に眠りに落ちて、中村さんの呼ぶ声で目が覚めた。
9時前だった。
完璧熟睡、胃の痛みは無い。
今日の若狭地方は冬を思わせる天候の嵐、でも風は南風でさむくはなかったが、僕の体調も激変した。

あれだけ爽やかな目覚めを迎えたのに会場のふるさと会館に着く頃には胃が痛みはじめ、出番が近づくにしたがって激痛に変わっていった。

宇宙に祈った。唄い終わるまでこの身体もたせてくれ、その後ぶっ倒れてもいいから、とにかく唄わせてくれ。心で叫びながら深呼吸を繰り返した。
そのせいか少し痛みがおさまって来て、本番の時間が来た時には痛みは消えていた。時間は20分、声は絶好調、バワフルに四曲を唄い終えて控え室に戻ると、一気に痛みがぶり返し座ってさえいられないほどの激痛に変わっていった。

畳の間に移動させてもらって、休ませてもらった。痛みに身体を丸めてだんご虫のように胃をかばいながら横になっているうちに眠ってしまった。
寒くて目を覚ましたら、1時半を過ぎていた、一時間ほど眠れたので、痛みは消えないが身体が動いた。
心配して待合室で待機してくれていた小堀さんにお礼を言って、美浜の民宿まつぼっくりの松井さんに電話して今から行く事を伝え隣町の美浜町に向かった。

松井さんは布団を敷いてまっていてくれた。ここまで運転してくるのも大変だったので挨拶もそこそこ布団にもぐりこませてもらったが胃の痛みに悶え続け、なかなか眠れなかった。
途中何度か様子をうかがいに来てくれている事を感じても、話かける力は無くなっていた。