何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

431日目 浜松JUNK英語村

2005年05月31日 15時27分17秒 | Weblog
5月30日

 写真を撮りわすれてしまった。

 朝から雨が降っている。肌寒い勝坂だ。早春から締めっぱなしになっている家の中に、花粉が蓄積しているようで、掃除をしたり物を動かすとくしゃみが出る。困ったものだ。こんな季節まで花粉に悩まされるとは、これも1000日連続ライブの一つの試練か。

 「ホタル」の詩が浮かばない。考えても考えても浮かんでこない、煮詰まったまま夜がやって来た。今夜のライブは、中野さんにお願いしている。朝電話したら、浜松のJUNKに9時ごろきてくださいということだった。9年間続いているという英語村でのライブだ。以前にも金ちゃんが企画してくれた事があったのだが、みんな聞いちゃ居ないという状態だったので、今夜は英語村の終わる10時からはじめようという。

 9時に町のパーキングに車を停めてJUNKの3階へ。須部さんが受付で一人座っていた。肺炎の話で盛り上がっていると金ちゃんがやって来た。みんなに聞かせたいから10時15分前からやろうという。じゃー15分間のライブと言う事で、後からやって来た中野さんも参加して、英語村にやってきた多国籍の人達の前で3曲唄った。2曲目辺りまでは良かったが、3曲目になるとやはりわいわいガヤガヤになった。でも、そこでライブ終了。帰り際に金ちゃん達からおひねりを頂いて、一足先にJUNKを失礼した。
 ライブ前に金ちゃんにライブ依頼したら、その場で2箇所決めてくれた。タバコを止めろと、しつこいように迫ってくる人だが、頼りになる人だ。

 ついでに、近くにあるビートルズバー・ハンブルグによって、スケジュールを決めて、11時過ぎに浜松を出た。

430日目 日付変更線ライブ

2005年05月30日 13時43分27秒 | Weblog
5月29日

音楽の森コンサートが終わって器材を片付けてから、宴会の始まり。

0時少し前から、車座になったまま、遅い時間にやって来てくれた藤江君達も含めて、日付変更線ライブが始まった。実質今日3回目のライブなので、数曲唄って0時を過ぎた所でライブを終了。
第一テレビの池田さんは、500回目のライブには取材で来られるように頑張ると言って帰って行った。
僕も今日3回のライブで疲れていたので皆さんを学校に残して、勝坂の家に戻った。

429日目 2  音楽の森コンサート

2005年05月29日 02時37分05秒 | Weblog
天竜市の遠鉄ストアーに寄って、明日、明後日の食料を買い込んでいたら、携帯が鳴った。名古屋の神谷さんからだった。リダイアルの作業をしていたら、後ろから声を掛けられた。おっとびっくり、神谷さんだった。その後ろに、音楽の森コンサートの出演者のわやさん、うひょうさんが笑顔で立っていた。偶然の出会いだ。お互いの買い物を済まして、勝坂へ。

旧勝坂小学校に着くと、吉田町から芝さん、磐田市から鳥居さん、河津町から鈴木君、静岡市から第一テレビの池田さんが待っていてくれた。

428日目 成田宅ホームコンサート

2005年05月28日 01時34分46秒 | Weblog
5月27日

昨日は、ただひたすらの、休養日。

そして今朝9時前に起床。早速、ほたる、と言うテーマで曲作り。でも、イメージが浮かばなく、夕方まで時が過ぎてしまった。

4時に勝坂を出発。しようとしたら、得さんを発見。明日の、旧勝坂小学校・音楽の森コンサートの使用承諾をしてなかったので、得さんに、区長の桐沢さんに、小学校を使用するむねを伝えてもらうようお願いしてから、細江町の成田さんの家を目指した。

成田さんの家でのホームコンサートは2度目。声掛けをしたがそれぞれに忙しくて、来られない人が多いと言う事だったが、音響を考えてセッティングしてくれた成田さんのおかげで、ライブの内容は良かった。

ゆっくりしたかったのだが、明日は音楽の森コンサートの前に午前11時から、湖西市の山本さん主催のライブが有るので、成田宅を10時過ぎに出発して、山本さんのお宅へ、そして今夜は山本宅で泊めていただく。

426日目 なんでモール

2005年05月26日 02時21分11秒 | Weblog
5月25日

藤木キャンピングカーで録音した、「絆」を朝からトラックダウンして、串の坊に届けに出掛けた。夕方6時半に焼き付けたCDをあずけて、なんでモールに向かった。
7時に到着。新曲4曲をリハーサルとして唄ってリハーサルを終えた。今夜は、青年が二人やって来てくれていた。彼らにどれだけ伝わるかが今夜の勝負、そしてテーマだった。
ライブ終了後、CDを3枚買ってくれた。伝わった事を確信して、日付変更線ライブの為に春野町に向かった。

425日目 筧宅ホームコンサート

2005年05月24日 22時48分41秒 | Weblog
5月24日

 昨夜も早く寝たので、8時には目がさめた。ゆいはまだ眠っていた。

 9時に、青少年会館を出発。今日は、典子さんのお母さん、ゆいのおばあちゃんの筧レウさんとゆいの二人に歌を聞いてもらってライブを完成させる予定だ。途中でお土産を買って、名阪道から湾岸道、東名を乗り継いで岡崎インターで降り、額田町樫山についたのは12時半。
 おばあちゃんが用意してくれていた昼食を3人で食べて、昼食後のライブ。激しい唄は驚かれてしまうだろうから優しい唄を中心に5曲ほど唄って、家族ライブは終わった。

 20年近く前にしか僕の唄を聞いた事の無かったおばあちゃんは、声の伸びがよくなったことと、歌の内容が良く分かる唄い方になったと誉めてくれた。嬉しかった。その後3時まで語り合って、3時に樫山を出発した。
 明日仕事のあるゆいを、浜松駅に下ろしたのは4時半。そこで別れて、2日間の親子旅は終わった。何時も一人きりで運転して移動している僕にとっては天国のような楽しい2日間だった。
 家族で旅ができるのは、1000日連続ライブが終わる来年12月20日以降だと思うと、いったい僕は何をやっているんだろうという疑問が湧いてくる。本当に、自分にとって大切な時間を過ごしているのだろうかと。

 久しぶりに、勝坂に戻った。勝坂は肌寒かった。


424日目 奈良県青少年会館

2005年05月24日 13時12分30秒 | Weblog
5月23日

 9時に藤木宅を出発しようとしたとき、奥さんのよしみさんが家から出てきた。6日間お世話になった御礼を言って、ゆいを助手席に乗せて、まずは信楽町に向かった。高原君と藤木君が、ぜひ寄って焼き物を体験していくといいと教えてくれたからだ。信楽の狸の焼き物だらけの町をワーワー言いながら結いと廻り、焼き物体験できるところに出かけたのだが、奈良の町も見たいということで、体験は断念して、そのまま奈良に向かった。

 山道をくねくねと走って奈良市内についたのは1時ごろ。寺廻りをしようと言っていたのだが、お腹がすいたので、なら町と呼ばれる地域の路地を散策。路地にあった小さなうどん屋さんに入ったのだが、想像以上に美味しい手打ちうどんだった。 この路地が結構刺激的で、もう少しもう少しと好奇心の赴くまま歩きつづけているうちに面白い店をたくさん見つけ、一軒一軒覗き歩いているうちに4時になってしまった。ゆいと二人で歩いたからかもしれないが奈良の町は路地裏が面白かった、そうこうしているうちに約束の時間が迫ってきたので、青少年会館に。
 5時前に会館に着くと、岡村君が来てくれていた。県青年団の事務局員の加藤さんが居なかったのだが、県青年団の事務所に入れてもらい、少し話して、今日泊まる事になっている、ユースホステルにもなっている会館の宿泊部屋へ。ゆいも僕も歩き疲れてしまって、7時まで部屋でごろごろ、僕は眠ってしまっていた。

 7時過ぎに、会館のホールに機材をセットして、7時半からライブ開始。僕の身体を心配してくれた岡村君が、ライブ時間を45分と設定してくれたので、約1時間でライブは終了。新曲を披露して終わった。
 ライブ終了後、近くのラーメン屋さんに出かけてみんなで食事。今日はお酒も飲まずに宿の会館に帰った。そうとう歩きつかれたのか、ガッツリ疲れきっていた僕は、部屋に戻って12時前に布団に潜り込んで、ゆいにお休みを言ったとたん眠りに落ちた。

423日目 藤木宅キャンピングカーライブ6

2005年05月23日 08時17分36秒 | Weblog
5月22日

 朝8時過ぎに起きて、「着火」の詩と曲を完成させるべく、頭をひねった。昨日もやって来た、藤木君の弟の研ちゃんがやってきて、1時間ほど話していった。そして研ちゃんが出て行った後、昼ご飯を食べに外に出た。

 今日は、娘のゆい、が、やってくる。12時過ぎに京都について、本屋さんに出かけ、夕方やってくるという事だ。キャンピングカーに戻って、「着火」を曲も詩も完璧に完成させた。

 しつこいようですが、3度目の正直の完成した詩を見てください。


    着火


僕はオイルの切れた役立たずのライター
君は石を無くした使い捨てのライター
忘れられてしまいそうな悲しみ抱いて
あなたを 探して さまよう街

暗い夜空に火花を放ちつづけて
今日がよければ それでいいと笑っても
一瞬の輝きの後の空しさを
心に 感じて 戸惑うだけ

  明日を捨てた 振りをするのは
  弱い自分を 守る為だけ
  冷えた心に 火を点けるのは
  違う淋しさ 胸に抱いてる
  そんなあなたと いつかめぐり逢えると
  きっとどこかで あなたとめぐり逢えると
  信じている


ショーウィンドーにたたずむマネキンの目に
同じ淋しさ感じてその場を逃げた
振り向きざまに倒してしまった人に
手を差し伸べたら 君のぬくもり

僕はオイルの切れた役立たずのライター
君は石を無くした使い捨てのライター
捨てられてしまいそうな二人の心が
やさしく 寄り添い 着火

  明日を捨てた 振りをしたのは
  弱い自分を 守る為だけ
  冷えた心に 火を点けるのは
  違う淋しさ 胸に抱いてる
  そんなあなたと いつかめぐり逢えると
  きっとどこかで あなたとめぐり逢えると
  そんなあなたと いつかめぐり逢えると
  きっとどこかで あなたとめぐり逢えると
  信じていた

 このキャンピングカーで、作りかけの曲も含めて、6日間で3曲作る事が出来た。作曲の作業は楽しい。久しぶりにシンガー高橋忠史からシンガーソングライター高橋忠史に戻れた6日間だった。3時過ぎからは「串の坊」のママのおいっこのひとき君に手渡す為の「絆」の録音を開始。録音が終わった頃、ゆいから連絡があって7時前に守山駅に迎えに行った。
 ゆいとキャンピングカーに戻ってきた頃、高原君、林君、藤木君がやってきてくれてお客さん4人で、キャンピングカーでの最後のライブ。肺炎を治す為のライブ、今日も曲数は少なかったが、のどの調子も体調も良くなってきたので、ハードな曲ばかりを選曲して唄った。もちろん新曲の「着火」も。

 ライブ終了後、6日間の打ち上げと言う事で、5人で居酒屋さんに出かけ12時過ぎまで飲んだ。この6日間、身体を癒す為に協力してくれた藤木君と、毎日ライブに誰かを連れてきてくれた林君。そして、毎晩僕に食事を作ってくれた藤木君の奥さんのよしみさん。皆さんに感謝だ。ありがとうございました。