何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

ひまつぶし

2015年07月08日 08時38分46秒 | Weblog
病院は、とにかく時間待ち、時間待ち。何にもする事がない、僕が受診するのは、神経内科。回りに座っている人は老人ばかり、なぜか男性が多い。何時の世も、男は意気がっているだけで弱虫なんだ。一見か弱く見えるけど本当は女性のほうが底力が強いのさ。

という事で受付も済ませ待つのみ、僕の前に8人待っているようだ。一時間半は待つ事になるか、覚悟しよう。

何時もこうやって、何かやってないと不安でたまらない。病気が分かるまで、朝から晩まで何をするでも無くボケーっとテレビを見ている事が多かったが、今では、夕食のあと典子さんと一時間ほど一緒に見ることがあるくらいで、ほとんど見なくなった。今すぐ命がなくなるわけじゃ無いので、もっとゆっくりする時間も取らなきゃ、どんな時間の過ごし方をしても無駄になる時間はないのだから。そう思っていても、間が空くと訳の分からない焦りのような感情に潰されそうになって、何でもいいから、行動することでその不安から必死でのがれようとしている。

自分を解放する何かが見つかれば楽になるのだろうけど、見つからなければ…と思えば途方にくれる。
改めて思う、なんて病気にかかってしまったんだ。

神が、命と向き合い、真剣に考え多くの人に命のメッセージを伝える役割の為に僕を選んでくれたんだ。なんて書いた事もあるが、気分はいつも浮いたり沈んだり、前向きに考える事が出来る時は前文のように思えるのだが、気持ちが沈んで後ろ向きに考える事しか出来ない時には、あらぬ弱気な事しか想像できず徹底的に落ち込んでしまう。

ここからは、日付が変わって今日書いている。昨日はレントゲンを撮った。医師に、左手のしびれの事を話したら、脊髄小脳変性症にはそんな症例は無いらしく、当たり前だが、さすが医師だね、むちうちをやった事はないかとたずねられた。中学生の頃、自動車に跳ねられて、脳天からアスファルトに叩きつけられ二週間以上入院したことがある。その頃から常に首の痛みを感じていたし、常に左半身に違和感を持っていた。その後は何もなかったんだが、春野町で酔っぱらい運転の車が路地から急に飛び出してきて、正面衝突。車は大破したがその時むちうちになって、3ヶ月近く整骨院に通った。その後も疲れきって春野町に帰ってきて、安心したのだろう、一瞬眠ってしまって次の瞬間目を開いた時には、土の壁が迫り、ブレーキを踏んだが山に激突。ラッキーな事に命も身体も大丈夫だったが、その時も首にかなり重圧がかかったはずた。

首のレントゲンを撮って、再び医師の診断を受けた。首の脛椎のレントゲンを見ながら説明してくれた。まず、脛椎が反り返っているのが正常らしいが僕のそこは、まっすぐになっていた。そして上から7番目の骨がへしゃげたようになっていた。それに、左側から写したレントゲン写真には右側と比べるとよくわかるのだが全体に圧迫されていびつになっていた。
車上生活をしていた時も、一時期左腕全体がだるいと感じる時があったが、くびのせいだった。

今はしびれるほど悪化しているようだ。これは病気じゃなくて怪我の後遺症だが、僕の身体は、病気に加え、怪我のひどい後遺症にも蝕まれている。

医師いわく、これにも治療法は無いらしい。痛みが来たら整形科で首を引っ張って痛みを緩和するぐらいしか無いらしい。

参ったね。
でも、これからも出てくる色んな症状と付き合っていくしか無いんだね。

負けそうです。
でも負けないけどね♪。