何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

北海道も断念

2015年07月17日 17時09分07秒 | Weblog
点滴は続く。携帯電話でネットにつなげて急性前立腺炎を調べてみたら、死に至る事もあり、治療は安静にして抗菌剤を点滴し、1~2ヶ月かかる。と書かれてあった。今更ながら大変な病気にかかったものだ。だがこの前立腺炎は男性の50%が掛かる、珍しい病気では無いらしい。
症状はそれぞれで、僕ほど激しい例は少ないでしょうが、男性の皆さん気をつけて下さい。

入院当初は病気名も定かでなく、抗体のある悪玉大腸菌に全身侵されている事もわからず、医師の話では1週間で治療は終わるだろうという事だった。

だから、富士吉田市のライヴは不可能だが、江古田と亀有は大丈夫と思っていた。が、次の日も次の日も高熱が続き、食べたものも全部吐き出すしまつ。
苦しさにベッドで悶えながら、典子さんに江古田倶楽部、渡辺ゆかりさんにキッドボックスに、連絡お願いのメールをした。
長万部のライヴは22日だから行けると思った。その時点で体温は39度を越えていた。気持ち悪い、半端でなくだるい、高熱で節々が痛んでいる。
その状態じゃ、退院出来たとしても、まともな身体で行けるわけが無い。
長万部の事だから、しっかり準備してくれているはず、22日に行きたかったがヘロヘロな状態で行けない事をメールで伝えた。
中兼さんから、集めようとした全員にキャンセルを伝えるのは不可能だけど養生してくださいと返事があった。
ライヴの準備、万端にしてくれていた。病気だとはいえ申し訳なかった。
長万部の凄さは、その後の中兼さんのメール。
「平日だったら、一週間前に連絡くれたら、大人数じゃ無いけど大丈夫だよ。」

2015年07月17日 09時25分18秒 | Weblog
自由に生きてきた。そう思ってきたが、思い上がりだった。
何時も、誰かに見守られ、何時も、誰かに助けられてきた。
そして今、病に倒れ沢山の人に支えられて生きています。

僕はず~と心の中に死の恐怖を持ち続けて生きてきました。
20代後期、何を思ったか、献血というものをした事がある。多分、二人の子供達の成長と共に命の尊さを考えるように成ったからだと思う。
その後、赤十字から来た手紙に、B型肝炎ウイルス保菌者である、と記されていた。
C型肝炎ウイルスのように急性の肝硬変を起こして
すぐに死に至る可能性は少ないと言う事で、恐怖心はあったが、赤十字病院には行かなかった。
僕は臆病者で病院に行くのが恐かったから。

B型肝炎ウイルスだって怖い。慢性肝炎になって、それが原因で癌になったり、肝硬変にやられたりする。一生そうならないで人生をまっとうする人もいる。
自分は何も起こらないタイプだと思いこませて生きてきたが、心の何処かで何時も恐怖を感じていた。

なぜこんな事を書いているかというと、救急車で運びこまれて、すぐに血液検索をし、結果を見た医師が、肝臓の危険値を表す数値がかなり高いと驚いていた。そして、その時の医師が、「前立腺炎もですがB型肝炎ウイルスのほうも考えましょう。」と言って出ていった。

いよいよ来たか、もう知らないふりは出来ない。

いつか肝臓がやられる、と恐怖心があっても酒を飲み続けた、その恐怖心から逃れるために飲み続けたのかも知れない。
千日連続ライヴを続けている時も、連日のハードな移動、そしてライヴ、ライヴ後の打ち上げで徹底的に飲む。
毎日肝臓が悲鳴を上げていただろう。
そして僕は、車の中で眠りながら死んでいる姿を想像しながら必死で生きていた。

僕の作る歌に闘う歌が多いのは、アルバム「東京」を作る前から、B型肝炎ウイルスと付き合い、肝硬変にいつかやられて死ぬという恐怖心と闘っていたからです。

数値が高いだけでまだ肝硬変では無いですが、脊髄小脳変性症とこれからはB型肝炎ウイルスとも共存して生きていかなきゃ。

仲間が増えて大変だぞー。B型肝炎ウイルスよ、暴れるなよ、仲良く生きようぜ。

統べての始まりは無なのかも知れない、そして無に帰ってゆく。命もしかり。生きてる事に意味は無いかも、でも生きてるって素晴らしい。

忍耐

2015年07月17日 06時33分49秒 | Weblog
昨日から同じ写真ですが、これは、東京都が普及させようとしている、ヘルプカード。
外見ではわからない、身体の不自由な人達を回りのみんなでサポートしていこうと作られたようです。
都営交通の各駅で配布されています。ちなみにこのカードは大江戸線の西新宿駅の駅長室で頂きました。沢山あるようで「一枚でいいですか、」と聞かれたので(ギターにも着けたいし、予備にあれば助かるなと思って)「じぁ、三枚いいですか。」厚かましいと思ったが、簡単に頂けた。

早速、誰からも見えるように地下鉄に乗ったが、まだ一般的に認知されてなくて、席を譲ってくれる人はいなかった。

オリンピックに向けて、この助け合いのヘルプマークが世界中に広まって行ったら素敵だな。

今日も忍耐の1日が始まる。がんばるぞー!。