何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

朝陽

2015年07月19日 08時53分48秒 | Weblog
朝ごはんを食べて右を見ると、窓の外の隣の病棟との仕切り板に朝陽が射していた。

風景は壁に阻まれて見えないが、明るい光がさしているのを見るだけで気持ちが爽やかになる。
普段なら何とも思わないような事に、心が反応する。退屈という負の力がもたらす正の感動だろう。

退屈を嘆くより、その負の力によって生み出される正の作用を見つける努力をすれば楽しくなるかも。

今しがた、斜め向かいの女性が、トイレに立った。看護師に付き添われて僕のベッドの所まで来たとき、看護師さんに抱かれて立ち止まってしまった。僕はこの文章を打っている最中だったので、2人が立ち止まるまで見ていなかったが、顔を上げて見ると、女性の目は焦点が合ってなくてあの世を見てる感じ、看護師さんはさすがに落ち着いていたが顔はあせりの表情。顔を上げた僕と視線が合い、一瞬言葉を飲み込むようにして、一息いれてから「ナースコール押して下さい。」立ちすくんでいる女性を安心させるような優しい声で、僕が瞬時に言われた通りの行動を起こすようにきっぱりと。

退屈の中に、ほんの一瞬の事件が起こった。気がついたら、朝陽は角度をかえて仕切り板の上部だけに当たっていた。光は眩しく跳ね返り、今日も暑い日になりそうだ。

時計

2015年07月19日 03時31分26秒 | Weblog
この部屋に時計はない。4人部屋なのだが、誰の枕元にも時計は置かれていない。隣の住人は、97歳の女性、看護師さんが来るたびに「お早うございます。」という声が聞こえてくる。斜め向かいには、脳梗塞で倒れ意識不明でこの病院にやって来た70前後の女性アルツハイマーの初期でもあるようで、しっかりしているようでおもらしをしてしまうような事もある。真向かいの人は僕と同年代の男性。なぜ入院しているかは分からないが1日眠っている。という訳で時計を必要とする人はいない。

ここでは、完全介護されているから、じぶんの意思で動く必要がない。任せっきりでいいのだ。医療技術に身を任せ、ひたすら安静に過ごし、眠って食べて体力をつける。

ただ退屈で、その退屈な時間がどれだけ過ぎたかそれが知りたくて携帯電話を開いては時間を確認している。時間を確認する必要性は何処にも無いのに。

電車に乗って見る光景だが、若者はほぼ全員、中高年の半数近くが頭をうつむかせ片手の指をひたすら上下に動かして、小さな四角い画面を見入ってる。
それぞれに個性はあっても、体制はみんな同じに見える。四角い箱からの指示を探し続ける、意思を持たない人間型ロボットのようだ。反乱しすぎた情報を集めるのに必死で考えて行動するという事がどんどん失われて行くようで怖い。
しょせん、人殺しでしか無い戦闘を、認める国にならなければいいが。

情報が無いと不安になる現代人。僕もその一人。
昨日、典子さんが、僕の部屋にある電波時計を持ってきてくれた、1日一回自分で衛星から来る電波を読み取って時間合わせをする優れものだ、何処かのホームセンターで千円もしない値段で買って重宝している。その時計を枕元に置いて、何時でも確認できるようになった事で、この病院にいる限り時間を気にする必要は無いのに安堵している。
四角い箱を常に確認してないと不安になる現代人、スマホは持ってないが、必要も無いのに時間を気にして、時計が枕元に来ただけで安堵している僕もその一人だ。