何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

発想はいつも誰かの一言から

2015年07月05日 15時44分17秒 | Weblog
アパートに居る時は、毎朝一本榎神社まで散歩している。前にも書いたが、神様にお願いしに出かけている訳ではない。神社まで行って帰ってくるというのが、分かりやすいと言うか、散歩を続けやすい目標物として選んだ折り返し地点だ。だから、神社の社まで入るけど、礼をするわけでも無く、拍手をするわけでも無く、ガラガラをならすわけでもなくただ行って帰ってくる。

でも、最初に一本榎神社に来た時から、賽銭箱に一円玉を投げ入れている。残りの人生、大切にすごしたい。そして1日に一回でも、いい縁と出会いたい、そんな事を思って、縁と円をかけて、いいご縁がありますようにと賽銭箱に一円を投げ込む。
僕は神も仏も信じないと普段から言っている。
そのわりに、縁起を担いだり、地蔵様に手を会わせたりしている。唱え文句を地蔵様の前で暗唱していたり、ウォーキングツアーでは、神社の前で必ず右手を上げて旅の安全を願ってしまっていた。
神や仏と近い考えかもしれないが、神社の在るところ地蔵様が祭られているところには、磁場というか重力エネルギーというか生命エネルギーというか、そういったパワーが充実した場のような気がして、ついお願い事をしてしまうのだ。

語呂合わせのような唱え文句、賽銭箱に1日一円、今日1日にイー縁がありますように。
実は心の奥底で、脊髄小脳変性症が治る奇跡を願っているのかも知れない。

何だかんだ強がり言ってるけど、何かにすがりたいんだよね、抱いても仕方ない事は分かっていても恐怖心からは逃れられず、どこかでその救いを求めているんだよね

こんなこと書くつもりじゃなかったのに、少し前に左手の小指がしびれていると書いた、そのうち痺れは消えると思っていたがひどくなるばかりだ。ギターは何とか弾けるが、力が入らなくなって来ている。小指だけだった痺れは左手全体にじわりじわりと広がっている。食事時、何度も茶碗を掴みきれず、落としている。右手の感覚はまだ衰えていない、箸もちゃんと使える。だがパソコンのキーボードを打とうとしても、思った所より、少しずれてしまうので、そのたびにやり直すのがめんどうだ。
不安だらけだが、まだへこたれている時では無い。
秋の東海道ウォークが待っている。気持ちで負けたら身体も弱る。

僕は一人ぼっちじゃない。本当は何も出来ない弱虫、だけど何時も誰かに背中を押してもらって、おかげで前に一歩ずつ進ませてもらってる。
今日はその事を書こうと思ってタイトルをつけたのに、本題に入れないままおわります。

続きというか本題は明日書きます。