何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

523日目 輩・日付変更線ライブ

2005年08月30日 03時37分04秒 | Weblog
8月30日

 12時を過ぎたところで、作ったばかりの詩「輩」を、即興で唄う事にした。頭の中に、吉田拓郎さんのメロディーをイメージした。僕の曲には珍しい、3連譜というか3拍子のリズムで唄う事を決めた。キーはG。ズンチャカチャーン・ズンチャカチャーンとギターを弾き始めた。頭の中を空っぽにして、後は慣性にまかせて唄うだけ。
 吉田拓郎さんが、僕の中に降りてきた。なんだか、作って来たように唄えた。唄い終えると、気田地域の若者達がてっちゃんの店「輩」のイメージには美しすぎて合わないと非難ごうごう。でも、けっして悪い歌だと言っているわけではない。てっちゃんも笑いながら、その非難を受けてジョークを飛ばしまくっていた。みんな、そこそこ気に入ってくれているようだ。今日のライブは、新曲「輩」即興作曲の一曲で終了。小銭のおひねりを頂いて、その後、なんだか会話が盛り上がり気田の若者達が帰った後、お茶農家のみんなとぼくのふるさと実行委員会で、もっと春野茶のイメージをアップさせていこうと語り続け、気がついたら2時を過ぎていた。

 勝坂に戻ったのは午前3時前。へろへろに疲れてはいたが、又新しい曲が出来た事で心うきうきしながら布団にもぐりこんだ。今日のライブはもう終わっているので、起きて一日フリーだ。

 のんびり過ごそう。
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522日目 輩ライブ

2005年08月30日 03時33分17秒 | Weblog
8月29日

 目覚めた、体中が鉛より重い鉱物になった感覚だ。午前6時半だった。昨夜は。興奮冷めやらず、身体も心も疲れ果てているからこそ眠りたいのに眠れない状態が続いた。酒を飲み…飲み…飲み…、眠れない。それでも、12時近くに、座っているのもつらくなり、布団にもぐりこんだ。
 勝坂の夜は、秋。涼しいを通り越して、肌寒い。羽根布団をしっかりかぶって、目を閉じるのだが、興奮冷めやらず、なかなか眠れなかったが、身体は正直だ、記憶のないままに睡眠に入っていた。

 6時半に目覚め、8時に目覚め、9時過ぎに目覚め、10時過ぎに又目覚めた。10時間眠った勘定になるのだが、実質は睡眠時間は8時間程度かな?。

 窓の外は、晴天。緑の山々の樹木が、色鮮やかに僕の目に飛び込んでくる朝だった。布団をけって起きだした。24時間ライブの疲れで、起きだしても、ボー…!。やる事はあっても何もできないまま昼過ぎまで過ごした。その間に、ほとんど何も食べないで続けた24時間ライブ。腹が減った。まともな食料は無かったが、あるものを口にほうばって今日を生きようとした。

 12時過ぎに、とりあえず腹は満足。あとは24時間ライブの記録を残す事だけが、僕の使命だ。

 一昨日、昨日の記憶を呼び戻して、日記を書き始めた。
 印象的なことを思い出し、ブログの日記を書いているうちに、トータル3時間ほどかかって8月27日の出来事を書き綴った。
 「24時間ライブ」の総ては書ききれないのはわかっているのだが、全部を把握したかった。

 そして、28日の記録を書き終えた時、7時になっていた。

 今日から、3日間のスケジュールが決まっていなかった。28日、最後に来てくれた杉地域の鈴木さん夫婦が31日を何とかしてくれると約束してくれている。今日と明日どうしようと思っていたら、てっちゃんが、本来、月曜日は休みなのだが、店を開けるから、「輩」でやればいいと言ってくれた。
 と言う事で、今夜は、日付変更線も含めて、2日分のライブを「輩」でやる事になっている。

 24時間ライブの反省会は10時から。それまでに「輩」をテーマにした歌を作ろうと、突然思い立った。考え始めたのは7時半過ぎ、2時間で作ってやる。パソコンのメモ帳を開いて、輩と言う言葉を辞典で引いて、その意味をかみ締めて。今の自分自身のこと、そして、この24時間に関わってくれた輩(ともがら)、そしててっちゃんの店「輩」を頭にイメージして、言葉を編み続けた。

 9時40分。約束の10時には間に合わなくなったが、「輩」の詩は出来た。早速、プリンターで2分印刷した。

     輩(ともがら)

 夢破れ 恋にも破れて
 背中丸めた 青春の日々
 若い力も 信じられなくて
 ただ投げやりに 生きていたよね

 やるせない 思いを抱いて
 それでも強がり すごした日々を
 笑い飛ばして 語れるほどに
 重ねた年月 又切ないね

 * 思い出だけを 酒の肴に
   夜な夜な集う 不逞(ふてい)の輩(やから)
   明日を担う 力は無いが
   同じ時代を 生きた輩(ともがら)
   明日を願う 思いは同じ
   今を時代を 生きる輩(ともがら)


 振り返える 事は出来ても
 取り戻せない 青春の日々
 笑い飛ばして 語れるほどに
 重ねた年月 又切ないね

 *(繰り返し)


 急いで、「輩」に出かけ、10時10分過ぎに到着。てっちゃんと坂下マー坊だけが居た。店に入るなり何も語らず、詩を見せた。反応は、いまいちだった。歌詞は、曲になって初めて歌詞だ、まだ曲は出来ていない。

 今日は、休みのはずなのに、お客さん達がやってくる。反省会をしている間に、店はお客さんで一杯になってしまった。寿司屋の次郎さん達が帰って、11時半、お茶農家の若者達、気田地域の若者達、ぼくのふるさと向上委員会の仲間達の前で、ビートルズナンバーを2曲、「勝坂賛歌」、そして「ほたら ぼちぼちいこかぁ」を、みんなで掛け合って盛り上がって12時近くなった所で終了して、おひねりボックスを回して今日のライブを終了した。
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521日目 24時間ライブ・勝坂

2005年08月29日 18時44分25秒 | Weblog
8月28日

 休憩モードに入ってしまい、客席に居座り、チョコチョコと唄いつつ、ほとんどおしゃべり状態になってしまった。てっちゃんが、ステージに上がって唄ってくれたりした事もあったが、深夜から早朝にかけては、のんびりおしゃべりタイムといった感じで時が過ぎていった。

 昨年は、24時間連続ライブと銘打って唄い続けたのだが、今回は、24時間ライブ。みんなで話す事もライブと位置づけして、お酒も飲んで、ゆっくり語り合った。つかれきって眠っている人たちも沢山いた。僕も明け方、一旦、勝坂砦に戻り、1時間ほど眠った。
 酒が残っている状態だったが、本ステージに戻った。その間、わやさんが唄ってつないでくれていたようだ。あまり気張らずに、今日の春野町4箇所移動ライブまでの時間唄った。

 4箇所のライブ場所を設定してくれたのは坂下さんだ。

 移動ライブ最初の場所は、川上地域の、夢プロジェクトの作っている販売店前でのライブで10時からだ。ねっとわーくはるのの酒井さんが協力してくれている。
 音響機材を、仙田さんの軽トラに積み込んで、坂下さんの車と2台で出発したのは9時半。てっちゃんと神谷さんがスタッフとして一緒に行動してくれる。移動スタッフは僕を含めて5人だ。
 勝坂の橋を渡るときに、唄うためにやってきてくれた浦山さんとすれ違った。急いでいたので、手で合図しただけで終わってしまった事を申し訳なく思う。

 国道362号線沿いにある、川上の夢プロジェクトの販売店に着いたのは10時5分。時間もなかったので、音響機材は使わず生演奏で唄う事にした。夢プロジェクトの人達と、酒井さんが呼びかけてくれた人達そしてお店に来た人達20名ほどが聞いてくれた。唄った曲数は4曲。募金も訴えて30分では沢山唄う事ができなかった。皆さんに、募金箱にお金を入れてもらったら、すぐに、次の会場へ移動しなければならなくなった。

 さて次は、熊切地区の清流荘、キャンプ場でもあり夜は飲み屋としても営業しているところだ。山道をくねくねと登り、ひと山越えて、熊切地域へ、目的の清流荘についたのは11時。川原に遊びに来ている人達がバーベキューをしていた。その前に、軽トラックを置いて、その軽トラックの上をステージにするために音響機材をセットして、早速、ライブ開始。バーベキューをしていた中の男性が、僕の事をテレビで見た事があると言って、突然のライブだったのに結構楽しんで聞いてくれていた。募金を募ると、子供達も小銭を入れてくれ、清流荘の人達もお札をいれてくれていた。人数は少なかったのだが、反応は良好。ここでも4曲を歌い。終わったら、すぐに機材を片付けて次に移動。

 今度は、秋葉オートキャンプ場。勝坂から川上、川上から熊切、に比べると、移動距離も少なく、道も広く緩やかで、運転する坂下さんの表情にも余裕が出てきた。秋葉オートキャンプ場は気田川の広い河川敷にある。キャンプ客達は、それぞれにバラけてテントを立てているので、歌う場所が難しかった。
 電源の事もあるので、受付の近くでやる事になったのだが、日陰はない。12時になって、日差しは強くなり、気温も相当上がってきていた。炎天下、立っているだけでクラクラする状態の中で、より多くの人達に訴える為に、広いキャンプ場の真ん中に、軽トラックステージを作って、ライブ開始。みんな遊びに来ているのだから、いくら募金を訴えても、大して効果はないだろうとあきらめていたのだが、5人が黄色いスタッフTシャツを着ていたので目だったのか。募金の訴えに、遠く離れたテントから、お金を持って、子供達や家族連れそして若者達も募金に協力してくれていた。キャンプ場の管理をしている人もお札を入れに来てくれていた。
 炎天下の中での30分、とんでもなく暑かったが、皆さんの協力姿勢のおかげでテンションが上がり、目いっぱいの声で歌った。そして、終了後すぐにみんなで後片付けをして、次の会場の、気田のコンビニエンスストアー、日置に向かった。

 僕ののどはカラカラ、いくら水分をとっても、のどの渇きがおさまらない。たった30分だったが、炎天下のライブで、身体もくたくたに疲れてきていた。

 移動ライブ、最終の、4箇所目の日置駐車場まではとっても近い。1時前に到着して、日置の店内に入って、飲料用の飲み物を購入して、1時まで、しばし休んだ。
 太陽光線は、その日差しをますます強くしていた。コンビニエンスストアーの駐車場は、アスファルトの照り変えしもあって、半端な暑さじゃない。この炎天下で唄うと倒れてしまいそうだった。お客さんも望めない状態だったので、店の前のベンチのある日陰で、生演奏する事にした。お客さんは、お店の人と、偶然立ち寄った少数のお客さんだけだった。ここでは、疲れきっていたので、元気な歌は避けて、やさしい歌ばかりを選んで4曲。募金の訴えにも力が入らなかったが、聞いてくれた人達は少なからず協力をしてくれた。みんなご飯を食べていないので、腹ごしらえのための食料を買い込んでから、勝坂に戻る事にした。
 みんなが、買い物をしているとき、知らん振りを装っているかの振りをしていた大型バイクに乗ってやってきて休んでいた若者の一人が、小銭を持ってきて、はした金ですがと言って、募金箱にお金を入れてくれた。はした金なんかじゃないと心で思い、彼らの心にも、何かしたいという思いがあることを見つけて事に僕は拍手喝さいを送りたかった。が、その場では、疲れきっていて、ありがとうと言うだけに終わってしまった事が残念だった。

 買い物も終わり、勝坂に。戻ったのは4時過ぎだった。やっぱり、わやさんが唄い続けていてくれた。浦山さんは12時には帰って行ったようなので、その後、残った芝さんだけを相手に唄い続けてくれていたんだと思うと、涙が出てくるほどうれしかった。
 でも、うれしかったのはそれだけではなかった。観客で来ていたはずの芝さんも、太鼓と笛の演奏をしてくれていたのだそうだ。

 この勝坂に集まった人達みんなで、僕の勝ってで始めた24時間ライブを続けるために、それぞれがそれぞれのやり方で協力してくれている。
 日本全国各地で「日本テレビ系列の愛は地球を救う24時間」に関連したイベントを企画して行っているだろうが、こんなに少人数で、小さな規模でやっているところは他にはないだろう。でも、集まった人達全員が、それぞれに楽しんでそれぞれのできる事をやりつくしている会場はないだろうと僕は、今回のスタッフそしてお客さんたちを誇りに思う事ができます。1000日連続ライブの中の2回目の24時間ライブ、普段から疲れきっているからだが、さらに疲労に見舞われる事はわかっていながらのイベントだが、残り後2時間と言うところだが、やってよかったという充実感で、身体はボロボロでも、心は錦です。

 わやさん、に変わって唄おうとしたら、疲れている僕の事を思って、一緒に4箇所ライブをスタッフとして回ってくれたてっちゃんが、もう少しやすんだらと言って、ステージに上がって15分ほど僕に休息の時間をくれた。残り1時間半、ステージに上がって唄いだしたら、旧・豊岡村のカーペンター、松井君がやってきてくれた。大工さんの彼は、明日が建前で、仕事は沢山あるらしいのだが、どうしても手伝いたくってと言ってやってきてくれた。ありがたい。

 30分唄って、残り1時間。少しの間、松井君に歌ってもらうう事にしてステージを降りた。やさしい彼の歌声が、疲れた身体にしみいって、思わず眠ってしまいそうになったが、がんばって意識を高めた。松井君の助っ人ライブが終わり、最終の4時まで、残り30分。

 今回の24時間ライブにかかわってくれた総ての人達に感謝の気持ちを込めて、最後の30分を唄った。話す声は枯れていたのだが、心を込めて心から感謝の気持ちを振り絞って唄うと、自分でも信じられないほど声がしっかりと出てくれた。

 4時。 …終了。

 一息いれて後片付け、最後に残った人達は、みんな黄色のスタッフTシャツを着ていた。

 本当に、素敵な24時間でした。僕は、一人感動しています。



 そんな中で、ひとつだけ、24時間の中に汚点がありました。

 今日の午後2時に、静岡第一テレビが来るという連絡があったのは、ずいぶん前だった。その後何の連絡もないまま今日に至った。そのために、2時に勝坂に戻るスケジュールを坂下さんに組んでもらったのだが、結局、何の連絡もなく、静岡第一テレビはやってこなかった。
 来る来ないはどちらでもいいのだが、一度来ると言う連絡を僕に入れたのだから、来ないのなら来ないと言う事を、主催者の僕に連絡すべきだと思うのだが、間違っているだろうか。
 テレビ局にとって、僕達「24時間ライブ実行委員会」の取り組みは、他の諸団体に比べ、ささやかなものなのだろうが、僕達は、ささやかな企画ながら、この24時間のチャリティー企画に全力を注いでがんばって来た。その事を評価してもらうためにやっているわけじゃないから、邪魔をしないでほしかった。
 たった一本の電話で、行けなくなったと短い時間で伝えてくれるだけで、僕達はもっと楽なスケジュールを組み立てる事ができたんだ。

 365日連続ライブを取材し続けて、30分のドキュメント番組まで作ってくれたその当時の静岡第一テレビ報道部の人達とのかかわりがあったからこそ。何かお返しできたらと、昨年「愛は地球を救う、24時間テレビ」の募金活動に協力したいという思いで始めた「24時間ライブ」だ。
 同じ24時間を過ごしても、完全ボランティア体制、完全非営利でがんばっている僕達と、テレビ局で給料をもらって24時間を過ごしている人達では、その重みがまったく違うんだろうなー。
 それは、仕方のない事なんだろうけど、断りの電話一本くれなかった事は、なんだか、悲しい。
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520日目 24 時間ライブ・勝坂

2005年08月27日 15時40分01秒 | Weblog
8月27日

さて、いよいよ24時間ライブが始まります。
浜松市春野町豊岡勝坂の旧勝坂小学校講堂で、まもなく午後4時から、明日の午後4時まで。
みなさまの、おこしをお待ちしています。

ここから、この日の日記です

 ゆっくり眠ろうと思うほど、眠れない。僕らの環境を考えよう24時間ライブのスタートは、午後4時。今回は、旧勝坂小学校がその本舞台だ。

 坂下さんの提案で、勝坂地域に来てくれる人たちは少ないだろうから、春野町各地に出かけて訴えていこうという事になった。僕の出かけている間、本舞台で歌ってくれる人が必要になったが、可能性のあるのは、アマチュアミュージシャンの、名古屋の「わや」さんと、明日の午前中だけならと、浜松の「浦山」さん。その二人だけしかいなかった。が、数日前、焼津の「後藤悟」さんが協力を申し出てくれた。

 まず今夜、元天竜市の熊地域の六所神社のお祭りライブに出かけなければ成らない。7時半からのライブなので、午後6時に出発して帰ってこれるのは10時半頃に成るだろう。その間、本舞台で歌ってくれるのは「わや」さんだけ、これは遺憾と思い、後藤悟さんの留守電に今夜助けてほしいと、お願いのメッセージを入れておいた。

 さて、僕は、1時過ぎから勝坂小学校の講堂のステージに置くための音響機材の準備を始めた。うだるような暑さの中、10分もしない間にタオルがベットリとするほど汗が噴出してくる。
 今回は、音響機材を2種類用意しなくてはならないのだ。小学校に据え置くタイプと。移動した場所で使うタイプ。普段の旅に持ち歩いている一体型の音響機材を移動用に、昔使っていた、セパレーツのタイプの音響機材を据え置きに。据え置きようの機材を車に積み込んで学校に運び込む。

 機材を2階の講堂に運び込んだころに、仙田さんが栗崎君、藤江君と共にやってきてくれた。昨日夜中の2時までかかって坂下さんと作ってくれたという、横断幕や、大きなスケジュールボード、ライブ会場の立て看板などを持って。学校まで来る道すがら、24時間ライブ会場の案内板をポイント、ポイントに立てながらやってきてくれたようだ。一銭の儲けにもならない完全ボランティアの仕事なのに、本当にありがたい事だ。

 それぞれが、準備をしている間に、坂下さんも、撮影の道具や、会場で手渡す「うちわ」を作るためのパソコンとプリンターなども会場に持ち込んで、全員汗まみれになってそれぞれの準備をし続けた。

 それぞれの準備が終わった頃、名古屋から「わや」と神谷さんがやってきた。そして、お客さんたちもぞくぞく(と言っても少人数だったが)やってきてくれ始めた。

 4時になって、さてライブ開始だ。

 24時間コンサートの模様は、神谷さんが作ってくれている、「音楽の森の枝」のホームページに詳しく掲載されると思いますので、そちらをご覧ください。

 6時までの2時間を唄いきり、後のステージは、「わや」さんに任せて、仙田さんと一緒に熊地域の六所神社の祭りのステージに出かけた。同じ浜松市なのだが、元天竜市の熊(くんま)までは遠い。50km以上あるのだ。それでも、夕方過ぎということで、以外に道はすいていて、7時過ぎには会場近くに到着。祭りの会場近くまで来たとき、屋台の引き回しに出会った。なかなか立派な屋台を子供達を先頭に大勢の人たちが縄を持ってゆっくりと引いていた。山間部の小さな集落なのだが、こんなにも大勢の人たちがいるのかと驚くほどの賑わいだった。
 この会場で歌ってほしいと依頼してきたのは、天竜森林組合に勤める太田さん。詰め所から出てきてぼくたちを案内してくれて、ライブ会場へ。太田さんはおおよその打ち合わせをして、又詰め所に戻った。
 ライブ開始の7時半は、すぐにやってきた。ほとんどの人が、屋台を引いているので、その屋台を引き終わらないとお客さんはやってこないと言う。抽選会があるので8時15分に終わってほしいと言う事だった。まばらなお客さんの前で歌い始めた。
 仙田さんには、24時間チャリティーライブの募金箱を持ってもらって、集まったお客さんに募金を訴えてもらった。
 お祭りの中の騒々しい中でのライブなので、元気のいい曲を選んで歌い続けた。8時近くなって、屋台を引き終わった人たちが抽選会場になっているそのステージに集まってきた。人が、増えるたびに、募金を訴えながらのライブ、「ほたら ぼちぼちいこかぁ」では、掛け声を要請しなかったのに、お客さん達が「ちゃいまっかぁー」の部分を反復してし始め、その声はどんどん大きくなっていった。大阪弁の歌なのに、意外な盛り上がり状況に僕は大満足。もっと唄ってほしいと言う感じだったが、抽選会もあることだし、8時15分きっかりに終わって、一旦詰め所にお礼を言いに出かけ、すぐに、勝坂に戻るために車を走らせた。
 たくさんではないが、募金に協力してくれた人たちもそれなりにいて、熊地域出張ライブは大成功だった。

 本舞台には10時半頃到着。「わや」さんが一生懸命唄っていてくれた。そして、留守番電話でお願いしていた、後藤悟さんも来ていてくれた。僕達が熊地域に向かうときすれ違って来てくれた様で、すでにライブを終えていたようだった。疲れた表情の「わや」さんに変わって、すぐにステージに上がって唄いだした。勝坂地域の人たちも何人か参加していてくれた。夜が更けていくごとに人が減っていく中、12時近くまで歌い続け、少し休憩するつもりで、ステージを降りた。
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519日目 縣家ホームコンサート

2005年08月27日 12時26分24秒 | Weblog
8月26日

 縣家最終日、台風一過、ものすごくいい天気。暑い、8時過ぎに目が覚めたが、根性で11時過ぎまで眠った。とにかく眠る事が癒しだと思って、汗をかきながらも眠った。

 それだけ眠っても、まだ身体がだるい。長年たまった疲れはそう簡単に抜けるものではないのだ。毎日移動して唄っているときにはわからないのだが、こうして、ゆっくりさせてもらっている時にこそ、今の体調が良くわかる。この気だるい状態が、今の僕の、維持できている最高の調子なのだ。

 ライブは、1時半から。今日も、智ちゃんの友達のお母さん達。前回は若いお母さん達が多くて、珍しくとまっどったライブだったが、今日は知っている人が多く、新曲の「ほたら ぼちぼちいこか」で、掛け合いの部分を作ったので、その曲で、和やかな雰囲気も出て、今回の縣家連続ライブの締めくくりとしてナイスなライブになった。

 みなさんと、しばらくお茶を飲んで、4時前に縣家を出た。

 途中、食料を買い込んで、春野町へ。坂下さんの店に寄って、明日の打ち合わせを簡単に済ませ、勝坂に戻った。明日は明日の風が吹く、明日の準備は明日にして、ごろごろ過ごし、今夜は12時には眠る事にした。

 寝ようと思っていた11時ごろ。ここ10日間以上、痛んでいた歯槽膿漏の左上の奥歯。唄っていても痛みが走り、ライブの最中にも、舌で、痛みのない位置に押し戻してごまかし続けていたのだ。
 このままだと、雑菌が脳にまで達して死んでしまうかもしれないと、不安だったので、しょっちゅう、隙間ブラシを使って、歯肉の奥まで掃除していた。

 その奥歯をいじっていたら、歯肉からはがれそうな気配を感じた。かなりの痛さだったが、歯槽膿漏に冒された歯を、奥に手前にと何度も何度も動かした。そのたびに、かなりの痛みが走る、何度か繰り返しているうちにバリッという音が耳の奥に感じた。次の瞬間、痛みがなくなり歯肉と歯が離れて、スポッと歯が抜けた。かなりしっかりした3本足の歯だった。虫歯ではない。が根っこのほうはかなり老化した感じでくすんでいた。歯が抜けると、痛みはすっかり消えた。
 身体のだるさの原因のひとつに、歯の痛みがあったが、そのひとつの原因が消えた。だが、右下の奥歯は虫歯だ。こちらは、かむと痛い。でも、今まで両奥歯で噛めなくて苦労していたが、左奥歯で噛む事ができるので、食べ物の消化も少しはよくなってくれるだろう。

 歯が痛まないって、なんて素敵なんだろう。今夜は、ぐっすり眠れそうです。
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518日目 縣家客一人ライブ

2005年08月26日 01時48分26秒 | Weblog
8月25日

 今日は、台風11号がこの静岡県遠州地域に向かってやってくる。縣家の二階の僕の部屋の窓を閉めて眠っていた。

 いったん、8時過ぎに目覚めたが、又眠った。再び起きだしたのは10時過ぎ、今日も良く眠った。身体は汗ばんでいた。きっと微熱があるのだろう。でも、体温計は使わなかった。そりゃそうだろう、熱のあるのはわかっているのだから、それ以上に自分自身をプレッシャーの中に追い込む必要性を感じなかったからだ。連続517日を過ぎて、唄い続けて967日、休まずにきた身体が、まともな状態にあるわけがない。これって快感…ん~、ここまでやったやつは誰もいないんだから、僕だけが感じられる、最高の快感だ。でも不安が襲う。唄い続けて1450日、連続ライブ1000日を目指す僕にとって目標達成まで後482日。先は長い。窓の外は、嵐。

 今夜のライブは、縣夫婦に聴いてもらう予定だったのだが、台風のさなかやってきてくれるという物好きといっては失礼だが、そんな素敵な人がやってくるという。たった一人のライブになりそうだが、おざなりのライブにならなくてよかった。

 起きて、一階に降りると当然誰もいない。食卓の上には、おにぎりが置いてある。書置きもない。書置きする事もなくお互いにわかりあう世界だから。おにぎりを持って2階のわが部屋へ。おにぎりをほうばりながら、昨日の日記を書いて、ホームページの更新。

 台風の風が増す増す強くなっていた。ここから、縣家で創作し始めた「ほなら ぼちぼちいこか」をグレードアップするために、作業を始めた。時間を追うごとに強くなってくる風にインスピレーションが高まり、掛け合いのアイデアが生まれた。
 大阪弁のイントネーションを大切にするために、何度も唄い続けた。確信はないが、ほぼこれでいいだろうと思えるようになったのは、夕食前。

 英敏君が帰ってきてみんなで夕食を頂き、まだ不安な僕は、すぐに二階に上がって、反復練習。掛け合いのタイミングもやっとマスターして、8時前に、一階に降りた。子供達を寝かせる為というか、ここ数日仕事帰りに僕と遅くまで付き合ってくれた英敏君はダウン。今日のお客さん、ボーイスカウトの大将をやっている西崎さんがやってくる前に。子供達は寝にいったのだが再び一階に降りてきた。

 8時半近くに西崎さんがやってきた。子供達に人気のある人で、3人の子供達にもみくちゃにされていた、それで満足した子供達は、智ちゃんと2階に上がっていった。
 まったく見ず知らずの二人、そこそこに話をして、1時間のライブを開始。子供達を寝かせた智ちゃんも降りてきて二人だけの為のコンサート。

 台風が直撃のはずだったのだが、雨はやみ、風もおさまって、静かな浜名湖湖畔。ライブ終了後、ローランドに勤めている西崎さんと、音楽談義、機材談義、智ちゃんもいっしょにデジタルより、生の音楽、本物の音楽の大切さを語って盛り上がった。西崎さんは10時過ぎに帰り、その後、智ちゃんと1時ごろまで語り合って、台風がかすめ去った今日今夜、さわやかな風が吹いている。

 最後に、「ほたら ぼちぼちいこかぁ」の最終章を残してお休みなさい。

   ほたら ぼちぼちいこかぁ

しょうむない事言ーなや
ほんなに気張ってどーすんねん
あほみたいに 無理して 損して 怪我するだけが落ちやで 
 …ちゃいまっかぁ?(ちゃいまっせー)…ちゃいまっかぁ?(ちゃいまっせー)
 …ちゃいまっかぁ?(ちゃいまんがな)フッフッフン

成るようにしか成らへんのがこの世の常や 
しょせん なんぼ逆ろうても川はさかさに流れーへん
しゃぁけど せっかくこの世に生まれてきたんやから 
ちょっとだけでも流れを変えてみたいわなぁ そやろ
 …ちゃいまっかぁ?(そうだっせー)…ちゃいまっかぁ?(そうだっせー)
 …ちゃいまっかぁ?(そうだっせー) ん・ん・ん

しょうむないかも知れへんけど 
気張ってみるのもおもろいやん
人生浮いたり沈んだり ええことばっかりあるはずないわ 
 …ちゃいまっかぁ?(そーだんなー)…ちゃいまっかぁ?(そうだんなー)
 …ちゃいまっかぁ?(そーだんがな) フッフッフン

成るようにしか成らへんのは分ってるけど 
大法螺吹いてあほちゃうあいつ 言われてなんぼのもんじゃい
そうちゃう せっかく今まで生きてきたんやから 
あほでもぼけでもええやん知ってもらえるんやったら
…ちゃいまっかぁ?(ほんまやなー)…ちゃいまっかぁ?(ほんまやなー)
 …ちゃいまっかぁ?(そのとおり)  ほたら ぼちぼちいこかぁ
 さいなぁー

しょうむない事しーなや
烏合の衆に吼えまくっても
あほみたいに 無理して 損して 怪我するだけが落ちやで 
 …ちゃいまっかぁ?(ちゃいまっせー)…ちゃいまっかぁ?(ちゃいまっせー)
 …ちゃいまっかぁ?(ちゃいまんがな フッフッフン

成るようにしか成らへんのがこの世の常や 
しょせん なんぼ逆ろうても川はさかさに流れーへん
しゃぁけど せっかくこの世に生まれてきたんやから 
ちょっとだけでも流れを変えてみたいわなぁ そやろ
 …ちゃいまっかぁ?(そうだっせー)…ちゃいまっかぁ?(そうだっせー)
 …ちゃいまっかぁ?(そうだっせー) ん・ん・ん

成るようにしか成らへんのは分ってるけど 
大法螺吹いてあほちゃうあいつ 言われてなんぼのもんじゃい
そうちゃう せっかく今まで生きてきたんやから 
あほでもぼけでもええやん知ってもらえるんやったら
…ちゃいまっかぁ?(ほんまやなー)…ちゃいまっかぁ?(ほんまやなー)
 …ちゃいまっかぁ?(そのとおり)  ほたら ぼちぼちいこかぁ
 さいなぁー

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517日目 縣家ホームコンサート

2005年08月25日 00時27分19秒 | Weblog
8月24日

 昨日寝すぎたせいか、なかなか眠れなかった。2時ごろには電気を消したのだが、もぞもぞ…もぞもぞ。
 暗闇の中、ストレッチを何度も繰り返した。

 今日のライブは、10時半からだ。9時半に起床したが、ん~ん寝不足で、身体がだるい。起き出してすぐにパソコンに向かって日記を書き始めた。
 なかなか降りてこない僕を心配して、智ちゃんが、たいち君に僕の様子を見にこさせた。おきている僕にたいち君はびっくりしながらも、お母さんの智ちゃんに報告するために一階に降りていった。それでもパソコンに向かっていた僕に、朝食のおにぎりを持って、又、たいち君が部屋にやってきた。ありがとうと言って、おにぎりをほうばりながら、パソコンに向かい続け、10時過ぎにやっと一階に降りた。智ちゃんにおはようというと、まだ寝てるかと心配になったと返事が返ってきた。

 今日のライブは、智ちゃんが、子供達とのネットワークで出会った、読み聞かせの会のお母さん達がやってくるという。

 10時半が近づいて、続々と子供連れの若いお母さん達がやってきた。子供を除いて14名。これには智ちゃんもびっくり。
 寝ぼけているという事もあるし、なんだかだるくて気合が入らなかったのもあるのだが、とても若いお母さん達ばかりの中でのライブ。普段緊張しない僕なのだが、緊張というよりテレてしまって、若い母さん達の顔が見れなくなってしまった。どうしたんだろう今日は。

 1時間半、最後の最後までテレまくってしまったライブだった。体調もいまいちだった事も含めて、反省の多いライブだった。テレはそのまま継続して、ライブ終了後も、普段何気なく輪に入って話す僕なのだが、その場にいれなくて、外にタバコを吸いに出かけ、みんなが帰るのを見計らって部屋の戻った。結局、ほとんど誰とも話さないまま、帰ってゆくお母さん達を見送った。
 今日の僕は、いったいどうしてしまったんだろう。

 子供達と、智ちゃんが湯がいてくれたソーメンを頂いて、部屋に戻ったら、眠気が襲ってきて、今日も4時近くまで3時間ほど昼寝をしてしまった。
 気だるさが少し抜けた。

 6時過ぎに、たいち君にお風呂どうぞと誘われ一階に降りると、英敏君が指導しているミニバスケットのコーチがミーティングの為にやって来ていて先に風呂に入っていた。彼にも歌を聞かせたいという事は昨日聞いていた。交代で僕も風呂に入った後、すぐにギターを持ってきて、まずは4曲聴いてもらって、酒宴とミーティング。話は深夜まで続いた。僕にとって、バスケットの話は新鮮で、面白き聞かせてもらった。
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516日目 なんでモール

2005年08月24日 01時40分46秒 | Weblog
8月23日

 徹底的に眠った。

 起きたのは12時前。昨夜、詩を書いて、納得して眠ったのは午前3時ごろ。でも、詩を書くために、頭を働かせすぎて、興奮状態に陥り、眠れなく。再び起き出して、ストレッチ。延々、1時間体中の筋を伸ばして床に就いた。

 勝坂での、アクシデントがあって眠れなかった分、しっかり眠った。

 起きて、一階に降りたら誰もいなかった。テーブルには、書置きの手紙の上におにぎりがあった。智ちゃんが用意してくれていたのだ。ここ縣家でのライブのチラシを作って、近所にまきに出かけていますという手紙だった。おにぎりを部屋に持ち込んで、ほうばりながら、日記を4日分書き上げた。

 昨夜出来上がった詩に曲をつけたかったが、日記が書けないまま一週間たまっていた。ひたすら日記を書き続けているうちに、眠くなって来た。
 横になった。眠った。起きた。5時前だった。

 昨夜から昼寝を含めて、縣家での睡眠時間14時間。まだ眠い。

 起き出して、ギターを担いで、今夜のライブ会場「なんでモール」に向かう。智ちゃんと3人の男の子達が見送ってくれた。他人の家なのに、我が家みたいだ。

 6時に、「なんでモール」に到着。ライブ開始は8時からだから、そんなに早く着く事はないのだが、昨夜書いた詩に曲をつけたかった、そして、今夜演奏したかったのだ。
 焼きそばを頼んで腹ごしらえを終え。曲つくりに専念。試行錯誤の中、意外と簡単に曲ができてしまった。またまた今までの高橋忠史の世界にはない曲想になった。本番間じかに出来上がった事で、テンションはハッピー。
 新しいお客さんも来てくれていて、なんだか気持ちいいライブになった。

 シンガーソングライター・高橋忠史。曲ができるとハッピーさ!。

 という事で、歌になった時点で詩も若干変わったので、完成した詩を発表します。


   ほたら ぼちぼちいこかぁ

しょうむない事言ーなや
ほんなに気張ってどーすんねん
あほみたいに 無理して 損して 怪我するだけが落ちやで 
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 フフン
成るようにしか成らへんのがこの世の常や 
しょせん なんぼ逆ろうても川はさかさに流れーへん
しゃぁけど せっかくこの世に生まれてきたんやから 
ちょっとだけでも流れを変えてみたいわなぁ そやろ
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 フフン

しょうむないかも知れへんけど 
ちょっと気張ってみるのもおもろいか
人生浮いたり沈んだり ええことばっかりあるはずないわ 
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 フフン
成るようにしか成らへんのは分ってるけど 
大法螺吹いてあほちゃうあいつ 言われてなんぼのもんじゃ
そうちゃう せっかくこの世に生きてるんやから 
あほでもぼけでもええやん知ってもらえるんやったら
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 ほたら ぼちぼちいこかぁ


しょうむない事しーなや
烏合の衆に吼えまくっても
あほみたいに 無理して 損して 怪我するだけが落ちやで 
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 フフン

成るようにしか成らへんのがこの世の常や 
しょせん なんぼ逆ろうても川はさかさに流れーへん
しゃぁけど せっかくこの世に生まれてきたんやから 
ちょっとだけでも流れを変えてみたいわなぁ そやろ
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 ほたら ぼいぼちいこかぁ

 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 …ちゃいまっかぁ?
 ほたら ぼちぼちいこかぁ


 「なんでモール」を10時半に出て、縣家に帰ったのは11時。近いぞー…。春野町勝坂に帰っていたら、日付が変わっていた。

 縣夫婦が、待っていてくれて、明日があるのに、僕と飲む機会を作ってくれて。1時半まで語ってくれた。ありがとう英敏君智ちゃん。

 明日のホームコンサートは、朝の10時半からだそうだ。早く寝なきゃと思いつつ日記を書いている忠史でした。
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515日目 縣家ライブ

2005年08月23日 01時35分19秒 | Weblog
8月22日

 縣夫婦だけに聞いてもらったライブは2曲だけ、それでライブ成立とは笑っちまうぜと言う人もいるだろう。コメントする人にそんな人もいます。でも申し訳ないが、その人のコメントは即削除しています。そんな意見も残しておきたかったのですが、コメントの中で僕を応援している人たちとの争いごとに発展しそうだったので、これはいかんと削除するようにしました。

 何はともあれ今夜、詩ができました。どんな曲になるのか自分でも想像もできない、完璧じゃないかもしれませんが大阪弁オンリーで作った詩です。


   ほたら ぼちぼちいこかぁ

しょうむない事言ーなや
ほんなに気張ってどーすんねん
あほみたいに 無理して 損して 怪我するだけが落ちやで 
…ちゃいまっかぁ?
成るようにしか成らへんのがこの世の常や 
しょせん なんぼ逆ろうても川はさかさに流れへんちゅうのは分ってる
しゃぁけど せっかくこの世に生まれてきたんやから 
ちょっとだけでも流れを変えてみたいわなぁ そやろ

しょうむないかも知れへんけど 
ちょっと気張ってみるのもおもろいか
人生浮いたり沈んだり ええことばっかりあるはずないに決まってる 
…ちゃいまっかぁ?
成るようにしか成らへんのは分ってるけど 
大法螺吹いてあほちゃうかあいつぐらい言われてみたいもんやん
そうちゃう せっかくこの世に生きてるんやから 
あほでもぼけでもええやん知ってもらえるんやったら

 な! ほたら ぼちぼちいこかぁ
 ぼちぼちでええやん
 ぼちぼちで


しょうむない事しーなや
烏合の衆に吼えまくっても
あほみたいに 無理して 損して 怪我するだけが落ちやで 
…ちゃいまっかぁ?
成るようにしか成らへんのがこの世の常や 
しょせん なんぼ逆ろうても川はさかさに流れーへんちゅうのは分ってる
しゃぁけど せっかくこの世に生まれてきたんやから 
ちょっとだけでも流れを変えてみたいわなぁ そやろ

 な! ほたら ぼちぼちいこかぁ
 ぼちぼちでええやん
 ぼちぼちで


後期待ください。
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514日目 桐沢宅ホームコンサート

2005年08月21日 23時45分00秒 | Weblog
8月21日

 今夜は、先日、灯篭流しの時にライブをお願いして、承諾してくれた桐沢さんのお宅でホームコンサートだ。得さん夫婦も招かれているという事で、得さんの車に便乗させてもらって出かける事になっている。

 坂下さんや、桐沢さんの先生時代の教え子だという藤江君にも声をかけてあるので、人数は少ないがいい感じになりそうだ。

 相変わらず昼の間コンピューターと格闘。そこで又、大問題が発生。住所録ソフトを移動させてあったのだが、そのソフトを、間違って削除してしまったのだ。3000件は、入っていたはずの住所録が消えてしまった。連続ライブをはじめる前のデーターは、ここ3年使っていないデスクトップパソコンに入っているが、一番大切なここ3年間に出会った人たちのデーターが総て消えてしまった。

 メールソフトも住所録も無くなってしまった。これからの連続ライブにとって、かけがえのない資料を総てなくしてしまったのだ。ライブは何とか続いているが、そのライブを続けるために必要な資料が0になった。
 まさに白紙からの出発だ。

 めげてなるものか。

 夕方、7時前に、得さんの家に出かけ、秀子さんの運転する車に乗せてもらって、桐沢さんの家に。到着すると、坂下さん、藤江君はすでにやってきていた。
 まずは、食事からと、豪華な食品が食卓に並んだ。まずはゆっくりやってくれという桐沢さんのご好意に甘えて、ビールを軽く飲みながら1時間ほど会食して、8時過ぎからライブを始めた。ここは勝坂、もちろん、「勝坂賛歌」がメインの曲だ。1時間と少し唄って、又宴会になったが、得さんもお疲れの様子だったのでみんなで10時過ぎに桐沢さんの家を出た。

 今日もほろ酔い、いい気分だった。

 がー、コンピューターの件は悔やんでも悔やみきれない。

 めげてなるものかー。
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