何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

676日目 美容室アミユ

2006年01月31日 18時49分54秒 | Weblog
1月30日

 此処数ヶ月、経済的状況が良くない。
 昨日、典子さんから、12月の諸経費の銀行引き落としがされていないとの連絡があった。早急に、銀行にお金を振り込んで欲しいとも。

 生活費の事もある、僕の財布には、今日明日を、何とか埋め合わす事が出来るだけのお金が入っている。早く起きて、銀行に出かけようと思っていたのだが、起きだしたのは、午後の2時だった。たまっている洗濯をコインランドリーに行ってやろうとも思っていた。ギターや洗濯物を車に積み込んで出発したのは2時半。天竜にある銀行に着いたのは3時を過ぎていた。この銀行から振り込んでも、僕の取引している銀行に届くの明日らしい。今月も、諸経費の引き落としが出来なくなるかもしれない。まー仕方ない。

 それより、この先のスケジュールもほとんど決まっていないし、我が暮らしどうなる事やら。日雇い暮らしは厳しいなー。

 於呂という処にコインランドリーがあることは知っていたので、そこに出かけ洗濯を開始した。今夜のライブ会場がどこかは知らない。知らないが、稲鶴さんと6時に上島で待ち合わせしている。あとは、稲鶴さんに任せばいい。今日のライブは、2日前に、稲鶴さんにお願いして実現したものだ。

 5時に、洗濯、終了。少し早いが出発しようとしてエンジンキーを回した。何も言わない。エェー!。もう一度、キーを回した。…沈黙…。ヤバッ!。もう一度回した。
 心配していたバッテリーが上がってしまった。あわてて、稲鶴さんに連絡した。「遅れるかもしれないが、近くにガソリンスタンドがあるので、何とかして行きますから待っていてください。」と。

 すぐそばにあるガソリンスタンドに出かけたら、1050円ですと、エンジンを掛けるだけの手数料を取られた。そして、車に乗って(歩いても1分も掛からないのだが)コインランドリーへ、エンジンを直結させて、あっという間にエンジン始動完了。ガソリンスタンドの車に乗ってエンジン始動までわずか3分足らず。ものすごい損をしたような気分だった。

 とりあえず、車が動いたので、上島のボウリング場の駐車場に、6時10分前に着くと、稲鶴さんがすでにやってきてくれていた。稲鶴さんの意見で、近くにあるという車用品販売店に出かけた。もちろんバッテリー交換ともうひとつ、此処のところ交換していないオイルも。沢山の整備場の付いた大きな車洋品店だった。今日、銀行に振り込んだので、僕の財布の中には、9千円しか入っていなかった。果たして、バッテリーとオイルの交換が出来るだろうかとドキドキした。その店の会員になると工賃がただになると聞いて、すぐに会費無しの会員になった。バッテリーは5千円と少し、オイルは2千円弱。両方で7500円ほどですんだ、ギリギリセーフ。財布の中は、千円札が一枚と小銭が残った。

 整備場が沢山あるので、取り付けとオイル交換は20分ほどで終了。これで車は完璧かというと、まだおかしなところはある。それは日産の整備工場でないとわからないということで、後日行く事に。でも、お金が~…。

 今日の、ライブ会場は、美容室アミユ。僕の歌を聞いてくれた事のある人で、ムーさんから連絡してもらって決まったとの事だった。近くのお店で食事をご馳走になって、アミユへ。
 ライブは、7時半から。ムードを出そうという稲鶴さんの提案で、照明器具だけ出して、セットした。お客さんは10人ほどやって来てくれた。店の電気を消し、僕の簡単な照明器具だけで照らし出すと、美容室が、素敵なライブ会場に変身。ムーさんもやってきてくれて、ライブ開始。1時間半、大人たちのいいムードで1時間半のライブを終えた。

 激動の一日だった。

 そして、明日のライブのスケジュールは決まっていない。

675日目 アクトボックス

2006年01月31日 18時44分06秒 | Weblog
1月29日

 ライブをしていると、何処ででも、新曲の入ったCDが欲しいといわれる。早く録音しなければならないのだが、今日も起きだしたのは昼を過ぎていた。

 そして、今日のライブは、浜松のアクトボックスで3時スタート。起き出してすぐに車に飛び乗って浜松市内へ。アクトボックスには、3時少し前にかろうじて着く事が出来た。公任子ちゃんが遅い弁当を食べていた。
 展示室では、不思議な革製品の魚たちが展示されていた。その中でのライブだ。歌う場所を決めて、しばらくして3時になった。お客さんは、公任子ちゃんと一緒に働いているおばさんを除けば、店に立ち寄って少しだけ聞いてくれた人もいたが最終的には2人だけだった。

 年配の女性と若い女性、それぞれに感じるところがあったらしく、ライブ終了後、楽しく語って、又3月ごろライブをやらせてもらうことを約束して、寝不足だったので、すぐに勝坂に戻った。

674日目 ムーハウス

2006年01月31日 18時42分36秒 | Weblog
1月28日

 目覚めたのは、12時近く。エンボスと西部広告の事務所は営業している。その真ん中で、小山さんと僕は眠り続けていたのだ。仕事をしている押切さんやワンワンには申し訳ないが、最高の寝心地だった。

 起き出して、二人で、近くに出来たという風呂屋に出かけた。その風呂屋は152号線沿いからすこしはいったところにあった。1年前からあるという。知らなかった。この道を僕は常に走っていて、このあたりで風呂には入れれば助かるのにと思っていたのだ、が、見つけることが出来なかった。露天風呂もある、いい感じの風呂屋だった。身体をきれいにして、エンボスに戻ると、沼津から渡辺さんという人がやってきていた。
 押し切りさんが昼ご飯を作ってくれていた。それを頂いて、3時近くまでエンボスで過ごし、今夜のライブ会場の、ムーさんの別荘に向かった。

 この後のライブスケジュールは2月もがら空きだ、毎回のライブで、皆さんにライブ企画をお願いしているのだがなかなか難しい。今夜のライブも、次の企画をしてくれる人を探すライブだ。

 主催者はアマチュアランナーの萩田さん。ランナーの仲間や、いろんな勉強会で出会った仲間達を集めて、泊り込みの語り合い。その中でのライブは9時から。
 6時から食事だからというメールを頂いていたので、その時間に到着。競輪選手の稲鶴さんも来ていて、音響機材を運んでもらって、セッティングを済ませてから皆さんと一緒に食事会に参加。
 自己紹介が始まって、まだ来ていない人は除いて30人の人達が語り終わるまで1時間以上掛かった。それぞれにそれぞれの経験を持った人達で、聞いていても飽きなかったが、人の話も聞かないで、チラッと聞こえた話に野次を飛ばし、聞いていないくせに話が長い、と、その隣に座っていた同類の女性とぶつぶつ言っているのが、僕の隣に座っていた。頭を張り倒したくなったが、場を壊してはいけないので黙って堪えた。

 9時になって、ライブタイム。ライブは1時間半を超え、手拍子鳴り響き、大きな声で僕の歌をサポートするコーラスがあったり。ものすごく楽しく過ぎていったのだが、途中僕を苛立たせる野次を飛ばす女が居た。
 先ほどの食事会で隣に座った男とふてくされて喋り続けていた女だ。ライブの途中も、別室ではあったが、その男と大きな声で話し続けていた。その事ですでに頭に来ていたのだが、そのうちに、僕のライブにあぁーだこーだと注文をつけてきた。完全に頭にきた。が、抑えて抑えて、声を荒げずに、このライブは「おひねり」を頂くライブだから、聞いていないどころか、他の人への迷惑をも考えず大きな声で話し続けているような人からはお金をもらう気もないし、その人の意見は、聞く気もないときっぱり言い切って、ライブを続けた。
 その時だけ、めちゃくちゃ不愉快になったが、他の人達が僕を盛り上げてくれていたので、その事をすぐに頭から捨て去って、その後は、皆さんと思いっきり盛り上がって終わったライブだった。

 ライブ終了後は、皆さんの飲み会に参加。僕の歌をはじめて聞くアマチュアランナーの人達は「ランナー」が特に気に入ってくれたようで、さまざまな人と語り合った。星を見ることが好きな人が、大きな望遠鏡を庭に設置していた。その望遠鏡で初めて昴を見た。夜空に浮かぶ星雲「昴」その光は、僕が生まれる何万年も前の光だと思うと、この地上の些細なことで苛立っている自分は小さいなと感じた。

 日付が変わって4時ごろ、勝坂に帰ることにした。車に荷物を積み込んで、出発しようとすると、エンジンが掛からない。車の上には霜が白く張り付くほど寒い中、他の車のエンジンと直結させてやっと動き出した。バッテリーがもう駄目になりかけているのだ。早く、交換しなくては思いつつ、勝坂に。

673日目 エンボス亭

2006年01月31日 18時40分56秒 | Weblog
1月27日

 今夜はエンボス亭でのライブ。
 前の事務所の時には、奥に座敷があってそこが僕のライブ場所になっていたのだが、事務所を引越ししてからは、座敷もなくなりもうライブは出来ないと思い込んでいた。
 ところが、この間、遊びに出かけたとき、エンボスと押切さんの西部広告の事務所の間に、ロッカーで仕切られたスペースが作られ、そこには畳が引かれていた。奥座敷ではなく中座敷が出来上がっていたのだ。そのスペースの名は「エンボス亭」。

 7時前に、エンボス亭に到着した。前の奥座敷は広かったので音響機材を使っていたが、エンボス亭は6畳程度の細い空間。機材はいらないと思ったので、時間ぎりぎりに着いた。今夜のライブは、昔からのなじみの人達が集まっての新年会の中でミニミニだ。テーブルの上には、押切さんの作った料理がすでに並んでいて、お客さんを待つのみ。
 7時になって、なじみのメンバーが次々とやってきた。小山さんが会社を作る前の「遠文連」に居た頃のメンバーだ。少ない人数だったが、ほとんどみんな顔見知りだ、お酒を飲みながらわいわいがやがやと会話を楽しんでいる中で、ライブを短めに済ませ、その後も、押切さんが作った料理をつつきながら、夜中の2時近くまでみんなで楽しんだ新年会だった。

 すっかり酔っ払った僕は、中座敷で、小山さんと泊めて頂くことになった。

672日目 松本モータース押しかけライブ

2006年01月27日 15時41分51秒 | Weblog
1月26日

 数日前から、車の調子がおかしい。右にハンドルを切ると、「ちぃーーー。」と金属のすれるような音がするようになった。日に日にその音量が上がっていたので、少々怖い。そして右のスモールランプも切れているのだ。

 今日のスケジュールはまだ決まっていないが、とりあえずギターを積み込んで、修理をしてもらいに、元の役場近くの松本モータースに出かけた。
 あわよくば、押しかけライブも出来るかと期待して。

 4時過ぎに松本モータースへ、修理の事とライブのお願いをしたら快く引き受けてくれた。修理をしてもらっている間に、松本さんと事務の人に、仕事をしながらおしゃべりしながら5曲ほど聞いてもらった。金属音は、ブレーキパッドが残りわずかというぐらい擦り切れていて、危険を知らせる音だった。ブレーキパッドの部品は取り寄せになるので、明日、もう一度立ち寄って、修理してもらう事になった。
 20万km以上乗っている車だ、支障が出てきてもおかしくはない。でも、1000日連続ライブが終わるまで、この車と付き合うつもりだ。

 ライブの最中に、坂下さんから、今日のスケジュールを心配して電話をくれた。ライブ中だというと安心してくれた。

 簡単ライブを終えて、おひねりを頂いて坂下さんを訪ね、昨日行くつもりだった「輩」に出かけた。昨夜は、面倒くさくなって、店を開けなかったらしい。でもとりあえず、昨日今日とライブは無理やり成立させる事が出来たので、困った時、「輩」を頼りやすくなった。坂下さんもやってきて、9時過ぎまで語って勝坂に戻った。

671日目 坂下宅ミニライブ

2006年01月25日 23時37分05秒 | Weblog
1月25日

 2時に目を覚ました。
 昨夜も遅くまで起きていた、ストーブを焚いているのに室温は5度以上にならない。いったい此処は何処なんだ。部屋の中で、防寒着を着て過ごしている。指先が冷たくなるので、コタツに手を突っ込んで暖める。酒をいくら飲んでも寒すぎて酔わないのだ。
 冷え切った布団に入るときも、パジャマじゃない。パンツは、フリースのパジャマだが、上着は、Tシャツの上にフリースのシャツを着てその上にフリースのジャケットを着込まないと冷たさに負けてしまうのだ。

 そして今日も、こうしてコンピューターのキーボードのキーを打つたびに、わずかな指の動きが冷気に触れ、指先が凍りそうになって痛みが走る。そして、コタツの中に手を突っ込んで暖め、又キーボードに向かう。

 さて、今夜のライブスケジュールは決まっていない。そして明日もだ。でも、気持ちは焦ってはいない。夜になったら「輩」に出かけ、日付変更線ライブもやってしまえば、何とかあさってにつながると。
 第一テレビの池田さんから電話があった。CDの録音に煮詰まっている事を心配しながらも喜んで(煮詰まるという事は、より良いものを目指しているという証だから)。でも、取材の日程を決めるのに、この先のライブが決まっていないので、難航した。結局、CD録音が始まった時点で、勝坂砦での録音風景と、その夜のライブを取材してもらって、2月中に放送してもらう事になった。録音は、もう間なく始まるのだが、ガラガラに空いている2月のスケジュールはどうなる事やら。

 なんて、のんきに構えながらも、7時まで、ためし録音を繰り返していた。7時を過ぎたので、確認のために「輩」に電話した。呼び出し音ばかりで、受話器は取られない。今夜はのんびりやるのかなと思い、8時に又電話した。呼び出し音が鳴り続けるだけ。な~んか嫌な予感。

 9時過ぎに電話した。やっぱり呼び出し音が続くだけ。今から突然、得さんの家に行くのも失礼。前もって坂下さんには電話していたので、再度坂下さんに電話して。坂下さんの店でミニミニライブをしてもらう事を了承してもらって、すぐに、出かけた。あ~、何とかつなげる事が出来た。

 今夜は、高校生のときにバイトして買った、ガットギターを持って出かけた。店に着くと、あきちゃんと奥さんと坂下さんの3人が居た。あきちゃんは、もう10時だったので、1曲だけ聞いて、眠そうな目をこすって部屋に戻っていった。ガットギターに合う、静かな曲ばかりを選んで6曲ばかり唄ってミニミニライブは終わった。春野町で坂下さんと出会っていなかったら、とっくの昔に1000日連続ライブは終わっていただろう。いや、365日連続ライブも成立しなかったかも知れない。

 さて、今日は何とかなったが、明日は…

670日目 シルクロード

2006年01月25日 05時21分01秒 | Weblog
1月24日

 今日のライブはあるが、明日あさっては決まっていない。北海道から帰ってきて、ずっとこの調子だ。助けてくれる人達のおかげで、何とか670日目の今日までつながっている。

 不安で、気分はうつ状態だ。明日の事は、明日になって考えるとして、今は、今日のライブを、昨日の反省に立って、素敵なものにしなくてはならないという思いに重点を置かなければならないのだ。

 もうひとつやらなければ成らない事がある、レコーディングの準備は整った。後は、コンピューターのミキシングソフトの録音ボタンを押して、ギターを弾き始めれば始まるのだが、なかなか、その瞬間が来ない。ギターを手に取ると、こんなフレーズでいいんだろうかという思いが増殖し始め、何度も何度もリハーサルを繰り返している。数日前から、ずーっと、リハーサル状態から前に進まない。
 「ベストVol.1」を録音したときは、ライブで完璧に唄い続けている歌ばっかりだったので、3日ほどで15曲を録音した。
 でも、今回は、全部新曲。この勝坂に住み始めて、総て新曲で録音した「BALANCE」は多重録音という事もあったが何ヶ月も掛かった。今回は、弾き語りのアルバムにする予定だが、弾き語りゆえに、完璧とは言わずとも、納得の行くイントロ、間奏、エンディングを望んでしまう。毎日毎日、ライブから帰って来てはギターを弾き、眠って起きてはギターを弾くのだが、まだ一曲もこれでいいという状態に至っていない。そして、ギターを弾いていないときは、録音する事の決まった10曲の詩を眺め、これでいいのかと、言葉をつづる作業に没頭する。

 今僕は、乗り越えようとして乗り越えられない、大きな壁の前に立っているような状態だ。スケジュール作りも、CDアルバム作成も。総てがうまく行かなくて、夜にどんなに眠くても、どうしようもない不安が押し寄せてきて、朝まで眠れない状態が続いている。

 精神的に追い詰められているのだが、不思議に、体調は絶好調だ。

 体調が悪いときには精神力が異常なほどに高揚し。体調が良くなると、精神的な弱さが顔を出してくる。両方が絶好調というときはない、それがバランスなのかもしれない。


 さて、今夜のライブは、昨夜同様、白鳥さんが、島田市金谷の友達に連絡してくれて実現するライブだ。「シルクロード」というお店とだけはわかっているが、行って見なければどんなお店かはわからない。7時に、その店で白鳥さんと待ち合わせた。一足先に着いた僕。店に入ったら、誰も居なかった。そこはカラオケスナックだった。車に戻って、白鳥さんを待った。しばらくしてやってきた白鳥さんと、再度店に入った。友達のその又友達の紹介だから、どんなお客さんが集まるかわからないと、実は今日白鳥さんは用事があって来れないはずだったのだが、心配してくれて、大切な用事をキャンセルして僕のマネージャーとしてやって来てくれたのだ。カラオケスナックとは知らなかったが、飲み客があいてだったら騒がしくなるかもしれないと心配していたのだが、白鳥さんが、前もってお店に歌が終わるまで飲み食いは無しということを伝えてくれていたようだが、お店の人は、通常営業の中でやるつもりだったらしい。その事を聞いて、白鳥さんは、一般のお客さんが来ても、ライブが終わるまで、飲み食いは無しでお願いしますと、強引にママを口説いた。
 白鳥さんは、素晴らしいマネージャーだ。

 お客さんは、少ないかもしれないということだったが。ライブが始まるまでに、女性ばかり15人ほど集まってくれていた。その後も、店の常連さんたちもやってきて、お店がほぼ一杯の、21人になった。白鳥さんのおかげで、飲みに来たお客さんも、ライブ終了まで飲み物も出されず、聞くことに集中してくれた


 店の営業の邪魔をしてはいけないと、1時間で終わるつもりだったのだが、1時間20分も唄ってしまった。昨日のライブの反省もあって、今日は、お客さんに楽しんでもらえる事に重点を置いて唄い続けた。
 ライブが終わって、CDが売れた。なんと、ライブを聞きに来た白鳥さんの友人の人の友達たちよりも、ライブがあることを知らないでやってきた常連さん達のほうが沢山買ってくれた。

 よっしゃ。昨日の反省点は、克服できた。奢らず、自分を出さず、楽しんでもらえるライブを目指して頑張るぞー。…でも。明日のライブは未定である。

669日目 フリースペース・うえるびー

2006年01月24日 04時18分53秒 | Weblog
1月23日

 今日のライブは、空いているスケジュールを何とか埋めようと相良の白鳥さんが、島田市の友達の雨宮さんという女性に声をかけてくれて実現した。
 当然、急な話だったので、雨宮さんも会場探しに苦心し、仲間に声をかけてくれたらしいが、忙しい雨宮さんにとって昼の2時半から4時までしか時間が空いていなかったらしく、どれだけ人が着てくれるかわからないということだった。

 そんな事も知らずに、僕は勝坂砦で眠っていた。11時過ぎに白鳥さんから電話がかかって目が覚めた。夜のライブだと僕は思い込んでいたのだ。そーしたら2時半からのライブで、白鳥さんは2時には会場についているからということだった。勝坂から島田市までは80kmほどある。ヤバイ。

 あわてて飛び起きて、服を着替えて出発の準備。髪の毛が寝癖でぐちゃぐちゃだ。でも今から洗っているわけにも行かず、必死に櫛を梳かしてそれなりに(でも、ぐちゃぐちゃ)おさえて、車に飛び込んで発車。

 掛川から1号線バイパスを使って島田市へ、意外と早くにつけた。ライブ会場は、障害者の人達の支援をしているNPO法人の事務所と憩いの場所になっている「フリースペース・うえるびー」。インターネットで調べていたので、その近くまで来て、まだ2時前だったので、道端で待っていた。

 しばらくして、白鳥さんがやってきて一緒に「フリースペース・うえるびー」の前に車を止めた。しばらく待っていると、NPO法人の長をしている木谷さんという人が笑顔でやってきてドアを開けてくれた。フリースペースの中には木谷さんが椅子を並べてライブの準備を済ませてくれていた。

 そして、雨宮さんもやってきてくれた。なかなか他の人がやってこなかったので、2時半過ぎてからのライブ、4時までということだったので、4時をめどに終わればいいと、6人ほどのお客さんの前で歌い始めた。

 今日は、大反省のライブだった。とにかく最初から最後まで歌に集中する事がまったく出来なかった。だから、話しも、ちぐはぐで流れを掴めないまま、パニック状態だった。どんな事があっても、動じないようにと頑張ったのだが、心は動揺したままだった。流れが掴め無い事がプレッシャーになって、2曲も、途中で唄う事が出来なくなって止めてしまった。
 もっとひどいのは、後20分というところに来て、この場ではどうしても集中する事が出来ないと思い、思わずお客さんに「ここではどうしても集中できません、外に出てやりましょう。」と言って立ち上がってしまったことだ。

 歌は途中で唄えなくなる、話している事は支離滅裂、おまけに、外に出て唄いますというようなとんでもない事を発言してしまう。今日の僕は、どうかしている。せっかく、忙しい中、ライブを作ってくれた白鳥さん、雨宮さん、木谷さんに、どうしようもない迷惑を掛けてしまった。

 そうなった原因はあるが、それは、その状況をうまく回避できなかった僕が一番だらしない。こんなに長く、そして沢山の場所で歌い続けてきた経験があるのに、情けなかった。

 きっと、自分本位なライブを作ろうと奢った考えが、頭に住み着いているからだろう。

 ライブ終了後、お茶を飲みながら、皆さんと語ったのだが、誰も今日の最低なライブを非難する人は居なかった。それどころか、木谷さんは、困ったときはなるべく早く言ってくれれば何とかするとも言ってくれた。今日のライブは、自分の至らなさを思いっきり感じ、そして考えさせられたものだった。

 今日は、終わった。また、何処かで、奢った自分が出て、反省しなきゃいけないときが来るだろうが、とにかく明日からは、今日の反省を踏まえて、自分本位のライブじゃなく、楽しんでもらえるライブを目指したいと思う。

 勝坂に帰って、反省する事ばかりの夜だった。

追伸

 「英」で頂いた鯖寿司をコタツから出して食べた。めっちゃくちゃ美味い。なんだこれは、バッテラ好きの僕が、絶賛する味だ。

668日目 高橋一良氏を囲む新年会

2006年01月24日 04時14分56秒 | Weblog
1月22日

 昨夜は4時過ぎに寝た。何をするでもなく4時まで起きていた。だらしない男だ。

 目が覚めたのは、3回、朝早くにトイレに、12時ごろ、なんとなく、それでも起きられなくて1時過ぎにやっと布団から抜け出した。寒さに震えながらコタツに入る。昨日頂いた、鯖寿司は冷たくなったらうまみが消えるといわれ、コタツをつけっ放しにして眠ったので、潜り込んだとたん暖かい。ん~ん、幸せ。鯖寿司は腐っているかもしれない、でも昨夜「英」の大将に、月曜日が食べごろで、それまでは20度以上の場所で管理してくれと言われていたからだ。
 勝坂砦の室温は、ストーブをつけていても、最高気温になる午後2時になっても10度を越えない。夜は、ストーブを消すと、5度以下になる。
 20度以上に保つにはコタツしかない。でも、コタツの中の温度は測った事がない。ひょっとしたら30度を超えているかもしれない。その時鯖寿司が、熟れているのか腐っているかは、明日食べてみないとわからない。

 てな事で、今日も凄く寒い。勝坂の寒さは北海道の寒さある意味で超える。じゃー、そのある意味を教えろよといわれても、勝坂に来いというしか答えられない。そして、夕暮れ。

 鳥居さんが、設定してくれた今夜のライブ。高橋一良さんを囲む新年会。5時半過ぎに勝坂砦を出た。雪が舞い落ちていた。すでにあたりは暗くなっていた。ヘッドライトを上向きにする。降り始めた雪の量が瞬時に大量になってきた。天候の変わりやすい山ならではだ。フロントガラスに雪が大量にぶつかってくる。ワイパーを起動させると、フロントガラスに付いた雪をかき集め、フロントガラス右側面に少しだが雪だまりを作っていた。
 今夜の帰りは、雪化粧かなと思いつつ走り続ける。雪が雨に変わったのは天竜に差し掛かった頃からだ。

 雨は途中で消えて、7時前に、磐田市街にある青木さんの家に到着。鳥居さんが車の音を聞いたのか、迎えに出てくれた。新年会の会場で、すでに皆さんは飲んで盛り上がっていた。前回の集まりにも参加させていただいたので知った人が沢山居て、気持ちも楽だった。しばらく、お茶を飲みながら、手作りのおでんや稲荷寿司などを頂きながら、まだ来ていなかった高橋一良さんを待った。

 一良さんが奥さんと登場してしばらくしてライブタイム。鳥居さんがしっかり聞くようにと釘を刺してくれた。相当にいい気分になっている人達が静かに聴くのは大変だっただろうが、皆さん耳を傾けてくれた。今日のライブは、事前に鳥居さんから数曲リクエストされていたので、その曲を中心に進めた。リクエストプラスアルファーの曲を織り交ぜながら、長くなってはいけないと短めに切り上げようとしたら、皆さんからもう終わるのかと、アンコールを催促されたぐらい皆さん集中してくれて、僕はいい気持ちで唄う事が出来た。

 ライブ終了後、さまざまな意見で激しく語り合う中、僕はただ聞いているだけだった。後からやってきた人が聞きたいというので、帰る前に、3曲ほど又唄った。10時半、冷たい風が吹く中、鳥居さんに見送られながら勝坂に向かった。

 積もっていると思っていた雪はもうやんでいた。道路に雪は無かったが、勝坂の赤い橋の上は、うっすらと白く雪が残っていた。

667日目 英・祝誕生日ライブ

2006年01月22日 15時40分39秒 | Weblog
1月21日

 昼と夜の生活が逆になってきている。いかんいかんと思いつつ、修正できないまま午後1時過ぎまで眠っていた。

 ニューアルバムは10曲にしようと決めたので、その選曲を夕方まで考えていた。なかなか決められないままあたりは暗くなり、今夜のライブに向けて出発。

 今夜のライブは、僕が静岡県の人に送った「助けて欲しい」のメールを受け、磐田市の鈴木さんが企画してくれた。鈴木さんはいぜんにもライブを企画してくれた事のある「上下(かみしも)屋」という酒屋さんだ。今日誕生日の人が居るから、その人に僕の歌をプレゼントするという内容だ。
 場所は、見付けの「英(はなぶさ)」という料理屋さん。約束の7時に着いた。誕生日の大石さんという女性や鈴木さんの友達、お店の常連達、そして僕のホームページを見て鈴木さんに連絡して来てくれたという人も居た。

 誕生祝という事で、愛の歌を中心に30分、短い時間だったが心を込めて充実したライブが出来たと思っている。僕にもおいしい料理が並べられた。皆さんはお酒を飲んでいい気分になっている。目の前の美味しそうな料理を前にして、飲酒運転で帰るわけにも行かず、お茶を飲みながら皆さんと歓談した。

 帰り際、鈴木さんから「英」の鯖寿司と地元のお酒「遠州おおいばり」を頂いて勝坂に向かった。今夜も冷えている。星空の勝坂が僕の帰りを待っていてくれた。おーっ…さぶ。