Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

元町でお買い物

2009年08月19日 | Weblog
土曜日に横浜・元町でお買い物。

キタムラのバレエ・シューズは
このシャンパンゴールドは、ウォータプルーフ。
24色もあり、イエローと迷ったが、
いろんな服にあわせやすいということで
これに落ち着いた。

さっき、やっと箱を空けたら
箱にも赤いリボンがついていて
とても可愛い。
担当してくれたお店のスタッフも
この靴のエナメルの黒をはいていて
「これ、とてもはきやすいですよ。」と
いってくれた。
そういう評判を聞いたので、かったわけだが。
お店をでるとき「たくさん、はいてくださいね~。」(*^。^*)
といってくれて、うれしくなる。

元町にいくと、たいてい、キタムラに
はいるが、いつも、買うわけではない。
見るだけのほうが、断然多い。
何回いっても、楽しいもので・・・。
今回は、ずっと迷っていて、
さらにバッグと迷ったのだが、最速で買い物が
終わった。
靴は、初めて。

次にいったのが、一本裏にある
グリーンサム。
魔女とハーブのお店。
石川町からあるくと、たくさん歩いたあとにつくので
なかなか、ゆっくりみられなかったが
今回は、目指していったこともあり、
たっぷり、店内を楽しませていただいた。
600歳以上の魔女のお人形が空中を飛んでいる。
オーナーの手作りで、ハーブが仕込んである。
キッチン・ウィッチは、魔よけという説明も
してくれた。
本当に魔女が乗っていそうなほうきも売っている。
実際に使えるそうだ。
オーナーも、素敵な魔女である。
ここでは、ロールタイプの携帯ヒーリングアロマを
見つけた。
ミッドタウンで見つけて以来なので
おもわず、買った。
グレープフルーツ・ジュニパー・レモン・タイムなどの香り。
さっぱりとしている。

そのあとは、マッサージオイルが欲しいとおもっていたので
これまた、私が元町にいくとたいてい、寄る「生活の木」で
スィートアーモンドオイルの一番、小さいものを求めた。

あとは、観光客でごったがえす中華街で
600円のランチを食べた。
招福門など、すごく長い行列ができていた。
中華街は、元気だった。

sutarebi

2009年08月15日 | Weblog
sutarebi


逢いたくても逢えない人がいる。

その人たちが、今朝は夢で逢えた。

父と叔父と友人。

まだ生きている母と妹は若かった。
私も、若かった。

空の上にいった人も
生きているのに逢えない人もいる。

逢いたくて、逢いたくて・・・・。
目が醒めて、この言葉しか浮かばなかった朝。

あの世であっても、この世であっても
逢いたくても逢えない人。
ただ、夢の中で逢えた。
今日は、みんな、空に帰っていく日。
「またね」といいにきてくれたのかな?
みんな、優しく笑っていた。

忘れない係

2009年08月14日 | Weblog
お盆に帰省しないので
姑と母に電話だけした。

姑と話をしていたら
「そうそう・・。○○さんに阪神であって
お礼をいわれた。」という。

○○さんは、先日のこのブログ
「はがきの宛名」でかいた亡き友人の
お母様のことだ。

姑とお母様は、同じ町内なのだが、
阪神デパートでばったりあった。
亡き友人の甥っ子や姪っ子がくるので
食品をかいにいったらしい。

「よく、覚えていてくれて・・。
お宅にお礼に行こうとおもったいたところ」と
いわれたそうだ。

お元気そうでなにより。
喜んでいただいたようで、
本当によかった。
それにしても、姑は、知らなかったし、
お母様も、どうして姑にお礼をいいにいくのだろう?
私の住所をかいたんだけどな~。
と思ったが、かつては、子ども達が同級生で
今は、孫のために労を厭わない二人は
普段は、特別親しいわけではないが、
ちょっとした話題で、おしゃべりがはずんだようで
良かった。

しかも、あるいて○○歩なのに
梅田の阪神であったということが
おかしい。
なんでもいいから、話題があって
少しでも笑って話ができることはいいことだ。


友達には「Poncoは、なんでもよく覚えているね」と
あきれられることが多い。
お誕生日だけじゃなくて、
こういうことも忘れられないのだ。
私は、友人が少なかった彼女のことを忘れない係に選ばれたのだと思う。


台風・地震 一過

2009年08月11日 | Weblog
今朝、寝ていたら揺れていた。
「地震だ・・。あのたんすが倒れてきたら
私は、圧死する・・・。」と思いながら起きられなかった。
二時前に寝たからである。

おきたら、心配メールが2通きていた。
それで、家の中や周りを見回ってみた。
家も家族も無事である。
家具もほとんど、天井までの突っ張り棒か
下に倒壊防止のゴムをいれてあるのだが、
ドレッサーの上なんて、ごちゃごちゃしているものだから
それらが落ちたら、ガラスの破片だらけになるかもしれない。

前の川岸になにか黒いものがたくさん。
どうも、タニシかカワニナらしい。
地面の異変を感じたのだろうか?
私は、不吉な予感がして

娘に「貝が地面から逃げていたわ。
きっと、地震がくる」といった。
すると、娘は
「あれはね!
大雨が降って水かさが増えたから、タニシが上のほうまできて
水が減ったからそのまま、へばりついているだけよ!」といわれた。
さすが、この田舎育ち・・・。
と、感心した。

裏の防壁も見回った。
溝の掃除をご近所にお願いしていたところで
今日、してくださった。
崖の壁からも川への土管からも水量が増えている。

娘たちに、
「しばらく、地震に備えて、いつでも逃げられるカッコウで寝なさい。
枕元に、厚底のスリッパか靴をおいて!」と
警戒レベルアップである。
神戸の地震のとき、あとで、神戸の友人から
「しばらく、服のまま寝ていた」と、電話できいた。
そういう生の声は、忘れないものだ。

我が家には、特に被害はないと思ったが
居間に下りると、今日、出かけるはずの家人が寝そべっていたので
私の警戒レベルは、さらにアップしたのだった。

とにかく、防災の日を前に、防災意識を少し取り戻した日だった。
床下の備蓄の水は、期限きれだったので、これを機会に
新しい水を買いにいったし・・・・。
防災頭巾、まだあったかな?

って、すごく大げさなことなんだろうか?

はっきりいって、よくわからない。

今月は、東名高速で帰省しないので、被災しなかった。
来月、東名を通って帰省予定がいるし
今月、そういう話もあったのである。
他人事ではない。
二日早かったら、身内が被災するところだった。

被災された方々、お見舞い申し上げます。


気持ちのいい若者

2009年08月10日 | Weblog
先日、エアコンの取り付けにきてくれた若者2人。

車のナンバーが北九州。
お盆まで、こちらで仕事をして
北九州にかえるといっていた。

設置がおわって、少しお茶をのみながら休んでもらった。

2回きてもらったので、話をしているうち
好感をもってきた。
なんというか・・。
懐かしい感じがした。

昔、田舎の従兄弟のお兄ちゃんに感じたような
親しみ。
暑いなか、力仕事をしてくれる二人は、素朴で
都会のキザでおしゃれな若者と全然ちがう。
言葉は、ソフトでないが、それもいい。
頼もしくて温かい。

うちの猫をなでながら
「大きい猫。
ガタイがいいのか」といった。

たい吉は5キロほどあるので
太っているとか、大きいとかいわれることがあるが、
猫の種類から、華奢ではないだけで太っているわけではない。
(検診のときにいつも、確認すみ)
だから、そういう言い方は、初めてだったが、うれしかった。

たまたまあった赤福をだしたら、
「うわ~。
赤福、オレ、めっちゃ好きなんです~」というので
「食べて!食べて!」と手放しでいう。

横浜観光をするひまもなく働いているらしい。
「帰る前にぜひ、横浜を楽しんで帰ってね」と
私は、おススメコースを教えておいた。
中華街のコツも。

今ごろ
「めっちゃ、元気なオカン」にお土産をもって
かえっているかなあ?

息子でもないし、友達でもない、年代の男性二人。
元気に高速をぶっとばしてかえったかな?
浜松ではうなぎ、食べたよね?
こういう人たちにエアコンをつけてもらって
よかった。


パニック発作との闘い

2009年08月08日 | Weblog
私は閉所恐怖症のパニック障害なので、一時
車にも電車にも船にも乗れない時期があった。

自分でも、変だな・・。と思って困っていた。
ある夏休み、子ども達をつれて新幹線に乗った。
新幹線はなれているし、独りではないし
お手洗いもお水もある。

なのに、ドアーが閉まってアナウンスが
「次の停車は、名古屋です。
名古屋まで停まりません」と告げたときひどいパニック発作が
起きた。
あれ以来、つらい時期があり、最近、ようやく
いろんな乗り物に乗れるようになったので出かけているのであるが
昨日は、船の出航が近づくと
「発作でてしまうかも・・。」とふと恐怖に襲われた。

昨日は、独りであったこと、
その前にすでに暑さと湿気で、疲労していたこと。

自分に言い聞かせたことは
「この船には何回ものっている。
さっき、薬も飲んだ。
なにかあったら、親切なスタッフがなんとかしてくれる」

などなど・・・。

それでも、周りのにぎやかさとは別に私の内面は不気味に
静かだった。
ああ、恐い。
海の上であの発作を起こしたら、海に飛び込んでしまうかもしれない。
今日は、体調が悪いのだ、
降りよう・・・。

そんな、やりとりを、短い間に繰り返した。
銅鑼(どら)が鳴り始めた。
 
私は、妹にメールを打った。
必死で、文章をかいた。
気がつくと、船は桟橋をはなれていた。

目の前、手が届きそうなところをかもめが飛んでいる。
船と一緒に飛んでいる。
船の突起物にかもめが止まる。
強風なのに
、静止しているということは
あのかもめさんの足は筋トレ状態!?
誰ともおしゃべりしないから、みなれた横浜港の風景を
じっくり見る。
本牧のシンボルタワーが見える。
ベイブリッジの下を通るときも、
この高さを通れなかった豪華客船、たしかクィーンメアリー号は
どんなに大きかったのだろう?

いろんなことを必死で考えたり、想像したりした。

私の父は船にのっていて終戦を船で迎えたらしい。
海の上でどんなことを感じたのかな?
どうして船に乗っていたんだろう?
そんなことをきいたことがなかった。
甲板の上の風はきつく、ひざしも厳しい。
やはり、自然との闘いだと思う。

ストールで、陽射しをよけていたら、だんだんアラブ人の
ようになっていった。
お隣のオバサマも、私の真似をして、花柄のストールを
巻いてアラビックになっている。

途中から、「そうだ、ラジオを聴こう」とおもった。
しかし、うまくはいらなかったので、携帯で音楽を聴いた。
これで、いつも車を運転しているモードみたい。

そうすると、だんだん、気持ちが楽になってきて90分の
クルーズを私なりに楽しめたのであった。

私が座っていたテーブル席に途中からきた子供たちと母と祖母がいて、
最後に私に「うるさくして、申し訳ありませんでした」とお詫びを言われた。
私は、相当いやな顔をしていたんだろうな・・・。

独りで自分のパニック発作と闘いながら、「楽しい」にかえるには
必死の形相をしていたのに違いない。
謝ってくれると思わなかったから、びっくりした。
「いえいえ・・。とんでもない」と、笑顔でいった。
陸につく寸前で、ようやく私もほっとしていたから
いつもの笑顔がつくれたと思う。

だって、あの人たちは食事もしたようだから、
けっして安い費用ではなかったはず。
だから、私が、偉そうに座っているのは悪いなあ・・。とは
思っていたのだが、こちらも、それなりに払い、
求めるものがあるのだから
仕方ない。

な~んて、自分に言い訳をしたのだが、
とにかく、私は余裕がなかった。

神経やメンタルのことは、周りに誤解もされやすい。
そのあとのフォローも、失敗することも、うまくいくこともある。

今日は、午前中、体調が悪く(また恐怖心がでた)
娘に迷惑をかけたが、
自分の心身の体調がよく、環境が整えば
快適に過ごせるので、パニックなどで苦しんでいる人がいれば
参考にしていだたきたい、と思う。

本当にお恥ずかしい生き方しかできない。





バテバテ

2009年08月08日 | Weblog
昨日、横浜大桟橋から赤い靴号で移動して、
失敗したかな?
とおもっている。

私のランチは、日本大通でフレンチのお弁当を買い、
路上のカフェで、並木を見ながら食べるという、なれた者特権の
本来なら気軽でおしゃれなものだった。
目の前を高級車が通る。
外人が自転車で走っている。
ヨーロッパのようなこの通りが大すきだ。
しかし、昨日は、暑かった!
風にあおられて、デミグラースソースが白いストールに
飛んでしまった。

そのまま大桟橋にいき、船で海風にあったあと
100円の赤い靴号で移動しよう、と思った。
これなら、とても経済的である。

最寄の駅まで、いつもは歩くのだが、体力がなかったので
せめてバスに乗ろうとした。
今、横浜開国博が開催されていて、夏休みでもあることだし
子供連れの若い親子がたくさんいた。

ぎゅうぎゅうづめのバスの一番前にのって、
今の私は、子どもをつれてイベントに行く元気がない!
とよ~く、わかった。
子供と若いお母さんとおばあちゃん(?)おじいちゃん(?)の
家族連れも、もちろんいた。
すごいなあ・・・。
自分も子供が小さいとき
実家の両親にいろんなところに連れて行ってもらった。

父よ、母よ、あなたたちはえらかった!

今の私の年齢のとき、父や母はもっと元気だったな・・・。
と思う。それは、気力とか根性とかいうもののような気がする。

本日は、またまた、部屋にこもって、ひたすら眠ってしまった。
昨日は、遊んで疲れたのだが、外出の目的は
通院だったのよね・・・。
行動療法は、ちょっといたかったが、失敗は次回の仲間との
お遊びに生かすことにした。





エアコン

2009年08月06日 | Weblog
本日、リビングに新しいエアコンが設置された。

冷房がきかないまま、がんばっていたが
台所仕事は、する気になれないし
思考回路も停まる始末。

ついたとたんに、快適になって考えることができたので
自分でもびっくりした。

それにしても、エコポイント申請の煩雑さ。
私は、書類をかくのが得意なほうだが、
すごく、面倒くさかった。
交換するものも、端数は、ネットで調べて
1000円のカードをみつけるのに、時間が少しかかった。

Y電機の担当者も、気の毒がっていた。

今日は、朝、洗濯物を干したあと
ずっと眠っていた。
夏ばてしていたのだろうか?
心身、疲れがたまっていたようだ。

エアコンは、もちろんエコタイプのものをかった。
今まで、台所で、暑さで卒倒しそうだったので
パワーアップした。
だから、室外機もおおきくなって、室外機の前に
ハーブはおけないし、きっと家の前はこれまでより
温暖化が激しくなる。

これでいいのだろうか?
とおもうが、夏の昼間は「これでいいのだ!」と
割り切らせてもらうことにした。
屋内で、熱中症になっても誰も助けてくれない。
ゴーヤが、ぐんぐん伸びてきて
ベビーゴーヤがぶら下がりだした。
蔓の後ろは、気のせいか、涼しい。
自分で、できるだけがんばったけれども
健康的に無理と思ったら、無理するのは
やめよう・・・。
と思った。
そんなに、体力も気力もないので。
今は自然の夜風に吹かれてかいている。
本当は、こういう風が一番、優しい。







はがきの宛名

2009年08月05日 | Weblog
今日は、はがきを3枚かいた。

おもいきって、ファイルノートを整理しよう。
みんな、捨てる!
とおもって、広げたのだが、
早速、捨てられないお手紙がでてきた。

それは、若くして亡くなった同級生のお母さまから
いただいた手紙だった。
初盆におまいりにいったときのお礼状。

私は、今年17回忌じゃないかな?
とおもっていた。
息子が生まれたころ、彼女が亡くなったと
あとで知ったのだ。

おかあさまはお元気だろうか?

礼状を書く予定もあったので
勢いで、そのお母さんにも暑中見舞いをかいてみた。
ついでに、実家の母にも、ハワイの絵葉書で
熱中症にならないように注意を書いた。

郵便局で、切手をかうとき、私は
「今、なにか、かわった切手あります?」たずねることにしている。
記念切手とか、綺麗な切手を求めたい。
本日は、お花の切手があった。
はがきも和紙の花柄で、女性あてにかくので
ちょうどいいかな?と、少しうれしい。

宛名には、亡くなった友人の名前も書いた。
お母様のお手紙には、差出人の欄にお母様の
名まえと友人の名前が並んでいたから。
こうすれば友人は、なんとなくだが、亡くなったのでないと思う。
確かに生きているような気がする。
生きていても、めったに会わない友人もたくさんいるし。


昨年の同窓会では、同期の物故者に黙祷をささげたことも
書いた。

相手の近況も知らずに、いきなりはがきを出すのは
不躾かもしれないが、お母様と同じ町内に住む姑からは、特になにも
きかないので、きっと独りでも、お元気でいるような気がして・・・・。

私が、あの世にいったら、
「ひさしぶり」って再会するかな?
彼女は、若いまま。
こちらは、しわくちゃで
わかるだろうか?
しゃべり始めたら「小学校のときと変わっていないね~」と
笑うに違いない。



親孝行通り

2009年08月03日 | Weblog
「親不孝通り」と呼ばれる通りがある。
狭い路地に、パチンコ屋などが並び
未成年の親不孝者たちがたむろしたことから
その呼び名があるらしい。

私が、密かに「親不孝通り」と呼んでいる通りが、二つある。
そこの先に、予備校があり、我が家はその道に、
ずいぶんお金を投げ捨てたような
気持ちでいた時期があった。

今朝は、「親孝行通り」を歩いた。
予備校の前に並んだ合格者の名前の紙。
知っている人のお子さんの名前が、何人かあった。

東大、筑波大、千葉大・・・・・。

この駅につながるまっすぐな道は
あの人たちには、親孝行通りなのね。
あの子たちは、現役で、国立に受かった。
エライ!エライ!
すごい!すごい!
何回みても、心の中で、拍手してしまう。

先日の集りでは、あのお母さんと
お話できなかったが、今度あったら
このお話をしよう。
笑ってくれるかな?