Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

パニック発作との闘い

2009年08月08日 | Weblog
私は閉所恐怖症のパニック障害なので、一時
車にも電車にも船にも乗れない時期があった。

自分でも、変だな・・。と思って困っていた。
ある夏休み、子ども達をつれて新幹線に乗った。
新幹線はなれているし、独りではないし
お手洗いもお水もある。

なのに、ドアーが閉まってアナウンスが
「次の停車は、名古屋です。
名古屋まで停まりません」と告げたときひどいパニック発作が
起きた。
あれ以来、つらい時期があり、最近、ようやく
いろんな乗り物に乗れるようになったので出かけているのであるが
昨日は、船の出航が近づくと
「発作でてしまうかも・・。」とふと恐怖に襲われた。

昨日は、独りであったこと、
その前にすでに暑さと湿気で、疲労していたこと。

自分に言い聞かせたことは
「この船には何回ものっている。
さっき、薬も飲んだ。
なにかあったら、親切なスタッフがなんとかしてくれる」

などなど・・・。

それでも、周りのにぎやかさとは別に私の内面は不気味に
静かだった。
ああ、恐い。
海の上であの発作を起こしたら、海に飛び込んでしまうかもしれない。
今日は、体調が悪いのだ、
降りよう・・・。

そんな、やりとりを、短い間に繰り返した。
銅鑼(どら)が鳴り始めた。
 
私は、妹にメールを打った。
必死で、文章をかいた。
気がつくと、船は桟橋をはなれていた。

目の前、手が届きそうなところをかもめが飛んでいる。
船と一緒に飛んでいる。
船の突起物にかもめが止まる。
強風なのに
、静止しているということは
あのかもめさんの足は筋トレ状態!?
誰ともおしゃべりしないから、みなれた横浜港の風景を
じっくり見る。
本牧のシンボルタワーが見える。
ベイブリッジの下を通るときも、
この高さを通れなかった豪華客船、たしかクィーンメアリー号は
どんなに大きかったのだろう?

いろんなことを必死で考えたり、想像したりした。

私の父は船にのっていて終戦を船で迎えたらしい。
海の上でどんなことを感じたのかな?
どうして船に乗っていたんだろう?
そんなことをきいたことがなかった。
甲板の上の風はきつく、ひざしも厳しい。
やはり、自然との闘いだと思う。

ストールで、陽射しをよけていたら、だんだんアラブ人の
ようになっていった。
お隣のオバサマも、私の真似をして、花柄のストールを
巻いてアラビックになっている。

途中から、「そうだ、ラジオを聴こう」とおもった。
しかし、うまくはいらなかったので、携帯で音楽を聴いた。
これで、いつも車を運転しているモードみたい。

そうすると、だんだん、気持ちが楽になってきて90分の
クルーズを私なりに楽しめたのであった。

私が座っていたテーブル席に途中からきた子供たちと母と祖母がいて、
最後に私に「うるさくして、申し訳ありませんでした」とお詫びを言われた。
私は、相当いやな顔をしていたんだろうな・・・。

独りで自分のパニック発作と闘いながら、「楽しい」にかえるには
必死の形相をしていたのに違いない。
謝ってくれると思わなかったから、びっくりした。
「いえいえ・・。とんでもない」と、笑顔でいった。
陸につく寸前で、ようやく私もほっとしていたから
いつもの笑顔がつくれたと思う。

だって、あの人たちは食事もしたようだから、
けっして安い費用ではなかったはず。
だから、私が、偉そうに座っているのは悪いなあ・・。とは
思っていたのだが、こちらも、それなりに払い、
求めるものがあるのだから
仕方ない。

な~んて、自分に言い訳をしたのだが、
とにかく、私は余裕がなかった。

神経やメンタルのことは、周りに誤解もされやすい。
そのあとのフォローも、失敗することも、うまくいくこともある。

今日は、午前中、体調が悪く(また恐怖心がでた)
娘に迷惑をかけたが、
自分の心身の体調がよく、環境が整えば
快適に過ごせるので、パニックなどで苦しんでいる人がいれば
参考にしていだたきたい、と思う。

本当にお恥ずかしい生き方しかできない。





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