Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

手紙 親愛なる子供たちへ - 樋口了一 -

2009年08月22日 | Weblog
手紙 親愛なる子供たちへ - 樋口了一 -


「徹子の部屋」で、たまたま聞いて
泣いてしまった。
私は、「泣ける歌」が苦手で、きかないし
あまり、泣かない・・・。

これは、痴呆症になったお年寄りが
冷たくする子供に哀願する歌詞のようなのだが・・。

私は、まず、大変だった自分の育児を思い出した。
今、すでに、20歳前後の子ども達に
ぼろくそにいわれて、暴言におもわず、涙がででしまうことが
あるもんね・・・。

そんな暴言息子も、おねえちゃんに挟まれて
絵本を私に読んでもらっている写真は
私の宝物。

「この家をでたら、実家になんて
かえってこないわ」という娘。
あなた、私の背中で、大きいほう、おもらししたよね。
(これも、何回もくりかえしていうから、すごく嫌がられる話
私としては、笑って欲しいお話)

そして、エゴイストを絵にかいたおねえちゃん。
慣れない土地で、私はあなたを戦友に、がんばった。
それで、今、この仕打ちかい!

最近の私は、確実に老化していっているので
この歌の気持ちがよくわかる。

(友人A 「あなた、あいかわず、ジコチュウね。自分の親のこと
かんがえなさいよ!)

そう、私にも、親がいる。
その親にも親がいた。

同居していた祖母は、77歳でなくなったとき
いわゆる「ボケ」に少しなっていた。
おばあちゃんに育ててもらった部分が大きい私は
からかったりしてしまったけれども
おばあちゃんのしぼんだ「垂ら乳ね」にしがみついて
ねていた幼児期を覚えている。
最近、祖母の最晩年の気持ちをよく、想像してみる。
自分で、「おばあちゃんに似ている」とおもうことがたびたび
ある。

父は、最期まで、しっかりした人だった。
でも、あんなに、頼もしい父が、体調を崩して
最期の日だけ、紙おむつだった。
それが、可哀想で、私は、危篤時から臨終まで
ずっと手を握って「ありがとう」を繰り返していた。
父の決意どおり、家族に下の世話をさせずに逝った。
すごいなあ・・。とおもった。
その父は、祖母が倒れたとき
下の世話をしたらしい。

母は健在。
母は、声だけは、わりと元気だ。
「もう、ぼけてあかんねん。」が口癖。
でも、
「本当にぼけて、あかんのだったら、私が自分の家へつれて帰るよ」
と真剣にいうと、
「それだけは、ご勘弁を!」といって
張り切り出した。
「脅迫」「見守り」という、ボケ防止対策を
私は、密かに実行中。

これは、すべて、自分の血縁のこと。
「血は、水より濃い」とか
「血は汚い」という。
血がつながっているだけで、それだけで
愛おしい。

自分が、愛を受けたものには、愛を感じる人でいたいし、
自分の血がながっているものには
愛をそそぎたい。
私は、血縁者からは、愛されて育ったと
本当に思う。
だから、時々、おもいがけなく
伯母たちに電話して驚かれる。

とりあえず、今はそれが精一杯。

義理の関係で、介護で大変な人たちが
たくさんいる。
仕事で、大変な人たちより、ある意味、
苦しんでいる。
仕事ではない部分があるから。
「愛」をもとめられるから。

いびられたお姑さんに絵本読んでもらったわけでなし。
お姑さんは、それなりに、愛情を注いだとおもうけれども
所詮、嫁は嫁。

この歌を世の中の親不孝な息子さんたち、
ききましょ~。

それで、余裕ができたら、愛することができたら
それは、そっちのほうが気持ちいいのに決まっている。
だから、自分を責めないでほしい。
人は、「聖人」じゃない。
憎しみもあるから「人間」。

もし、愛してくれた人に
仇を返すような人なら、
それは、「人間」じゃないかもしれないけれども。
生きている以上、いろんな「情」があるのは
当たり前。

この歌をきいて、癒されたり、優しい気持ちになれればいいね。
なれない自分を責めてはいけない。


なまはげクッキー

2009年08月22日 | Weblog
こどものお友達が
秋田にいったから、といただいたお土産。

秋田なまはげクッキー。

「泣く子はいねぇかぁ~!!」の
なまはげさんも、こんな可愛いクッキーになっている。
味も優しくて美味しい。

この間は、山形さくらんぼ餅をもらった。

東北は、あまりなじみがないが、楽しいお土産を
いただくと、どんなところかな?と思う。